アルテーリアの星彩シリーズ
レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
―――――――――― 外伝 ――

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― アルテーリアの星彩 ―

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 飛び上がると届きそうで届かない上方、土の壁に突き刺さった短剣を抜き取るまでが長かった。ようやく抜き取った短剣を、アルトスは土壁、胸の高さに深く刺し直す。身体を軽くするために外したのパーツ全部を、落とし穴の底から地面に投げ上げた。穴の中に何も残っていないことを確認すると、土壁を崩した穴にみをつけて足をかけ、突き刺した短剣を足掛かりにして地面のふちになんとか取り付く。腕の力で身体を持ち上げると、アルトスはやっとのことで落とし穴から抜け出した。
 周りを見回したが、アルトスを落とし穴にはめた張本人であるフォースの姿は、当然のようにどこにも見あたらなかった。
 前にここで会った時、剣に毒を仕込んで傷つけた。その毒が効かずに生きていたということは、フォースが神の守護者と呼ばれる一族の一員であるという、何よりの裏付けとなる。
(戦なんて、馬鹿げてると思わないか?)
 フォースがそう言って浮かべた笑顔を、穴の中から見たアルトスは愕然とした。もう十七年も前の記憶から、優しくかしい人の顔が重なったのだ。守護者の一人で、これだけそっくりな笑顔を持つ人間。しかし、似ているなどと思ったのは、フォースの戦に対する姿勢からかもしれない。だが、濃紺の瞳を持つ人間など、そうそういない。間違いはないだろうと分かっていながらも、十七だという歳、濃紺の瞳など偶然だと、どこかで否定している自分がいる。今まで見たことがあるのは、温かな笑顔を持つあの人と、その腕の中にいた赤ん坊だけだというのに。
 複雑にんだ思いと身体に付いた土を払い落とし、鎧の土埃丁寧に取り除いて身に着ける。草の上に落ちていた剣を拾ってに収めると、アルトスは落とし穴を背にしてドナの村へと歩き出した。

   ***

 日が変わる頃になって、ようやくアルトスはドナの村にたどり着いた。小さな村は、完全に人通りが途絶えている。だが、酒場である宿の一階の窓からは明かりがれ、近づくにつれて扉の隙間から騒がしい声や物音がれているのが分かった。
 アルトスはなるべく音を立てないようにそっと扉を引いたが、カランとベルが鳴り、扉はアルトスを盛大に迎え入れた。振り向いた兵士たちは一斉に立ち上がり、アルトスに敬礼を向ける。アルトスはましげに返礼を返した。
「気遣いは不要だ」
 アルトスはそう言い捨てると、兵士たちが元のように座るのを待ち、控えめに戻ってきた喧騒の中に、足を踏み入れた。
「え? 土が」
 その声にアルトスが振り返ると、通り過ぎたテーブルの兵と目が合った。
「何だ?」
「い、いえ、なんでも」
 その兵士は、おどおどとした視線をテーブルに戻すと、うつむき加減で肩をすぼめる。何事もなかったかのように歩きだしながら、アルトスは鎧の腰に手をやった。ザラッとした土の感触があり、思わず土が付いていることを指摘した兵士を振り返る。視線が合い、ギクシャクと目をそらした兵士をにらみつけるように目を細めると、その不機嫌なままの顔を前に向け、カウンター席の後ろを二階に続く階段へと急いだ。
 階段のすぐ側まで来た時、カウンターの奥の席で飲んでいた男が、アルトスに向き直った。
「よぉ。久しぶりだな」
「ジェイ?!」
 そこにいたのは諜報部員で、名前をジェイストークという。二人は同じ時期に同じ城で育てられた旧知の仲で、それぞれ配置は違っても、友人として付き合いが続いていた。その見覚えのある茶色の髪と瞳を見て、アルトスは嫌なモノを見たとばかりに視線を階段に戻す。
「おいコラ。名を呼んでおいて無視はないだろ」
 アルトスの無視に悪びれた様子も見せず、むしろ笑みまで浮かべて、ジェイストークはアルトスの腕をんだ。
「会ってきたんだろ」
 ジェイストークが発した言葉を、アルトスは思わず振り返ってみつけた。ジェイストークは、口の端で笑う。
「落ちたのか」
 言い終えてから吹き出して口に手を当て、ジェイストークは笑い声が漏れないよう必死にえている。アルトスは腹立ち紛れにでカウンターを叩きつけた。ドンッという音に息を飲んで押し黙った兵士達の中、ジェイストークは肩を揺らして笑いだし、それに安心したのか、まわりにも再びゆっくりと騒がしさが戻ってくる。アルトスは眉を寄せて目を細め、ジェイストークの表情を横目で見た。
「お前、知って」
 声量を無理矢理抑えたようなアルトスの声に、ジェイストークは笑いをかみ殺す。
「ああ。行っちまった後だったけどな。引っかかると思ったけど、殺されたりはしないと思ってね。放っておいた」
 ジェイストークは、唖然とした顔のアルトスに微笑を向けた。
「で、似てたか?」
 その言葉に、アルトスは息を飲んだ。そっくりだと思った時の胸の鼓動がる。
「そうか。似てたんだな」
「誰にだ」
 不機嫌に眉を寄せたアルトスの腕をもう一度掴み、ジェイストークは隣の椅子を強引に勧めた。
「ま、座れ」
 渋るアルトスを尻目に、ジェイストークは視線をカウンターの中に向けた。
「マスター、さっき話したカクテルをアルトスに」
「そ、そんな、滅相もないっ」
 なぜか狼狽しているマスターを見て、アルトスは席に付く気になった。ジェイストークの本心を探るようにその表情をのぞき込む。ジェイストークは、隣に座ったアルトスに笑みを向けると、もう一度マスターと向き合った。
「出所がマスターじゃないことは分かっているから大丈夫」
 マスターのえた目に、アルトスもうなずいて見せる。それを見てマスターはようやくシェーカーを手にした。それでもいくらか緊張しているのだろう、ディーヴァの山から運ばれた氷がシェーカーの縁でカチカチと二度音を立てた。ジェイストークは、酒に手を伸ばしたマスターの背中に苦笑すると、アルトスに顔を向ける。
「メナウルに行ってくることになってな。レクタード様のお迎えと、ついでに調査だ」
 ついでという言葉に、アルトスは一瞬冷ややかな目を向け、カウンターに視線を戻した。シェーカーの中に無色透明な酒と青い酒、甘い香りの赤い液体を少しと、ライムが入れられていく。口を閉ざしたままマスターの手元を見ているアルトスに、ジェイストークは冷笑を浮かべた。
「だが、ここドナで調べただけでボロボロ出てきてな」
 カシャカシャと、シェーカーの内側に氷が当たる音が、アルトスの耳に軽快に響いてくる。しかし、今はその目に何も映っていなかった。いつの間にか、ついさっきの出来事と十七年前を、反復するようにたどっていることにアルトスは気付く。ジェイストークはアルトスの反応を見ながら、言葉を口にした。
「母親の名前はエレン。綺麗な濃紺の瞳をしていたと聞いた。しかも、ここで起こった事件の時、毒を飲んでも死ななかったそうだ。その時に、……、斬られて亡くなったらしい」
 アルトスは空のグラスに視線を合わせたまま息を飲んだ。生きていると期待をしてはいなかったはずだった。だが、ドナの毒殺事件は十二年前になる。そんなに前に亡くなっていたのか。いや、ライザナルを離れて五年も生きていたことに驚いたのか。自分の思いがどこにあるのか掴めず、アルトスは眉を寄せた。
「墓はどこにある?」
「それはまだ分からん。見つかればマクヴァル殿に正式な埋葬をしていただくようになるだろうな」
 ジェイストークの言葉で、アルトスは触れることのできない空虚な空間に焦燥する。
「当たり前だ。シェイド神に望まれて生まれた方にさず、他にどうするというのだ」
 届かなかった手の向こうに、アルトスは二度と見ることのできない優しい濃紺の瞳が微笑むのを見たような気がした。
 マスターがシェーカーのトップを外し、中の液体がグラスに注ぎ込まれていく。揺れる濃紺の液体に、アルトスは目を奪われた。
「これは……?」
 アルトスに問われ、不安げにジェイストークを見やったマスターは、微笑を向けられておずおずと口を開く。
「身命の騎士というカクテルでございます。ルジェナ近辺が発祥でして、庶民の間で密かに流行っているそうです」
「ライザナルでか?」
 アルトスが思わず向けた疑問に、マスターは背中を丸めた。
「は、はい。そうでございます」
(戦なんて馬鹿げてると思わないか?)
 アルトスの胸の中で、耳に残る声と、前に間近で見た濃紺の瞳が重なった。懐かしい色を満たしたグラスに手を伸ばし、アルトスはめるように口にする。
「甘いけど、結構キツイだろ。こんなモノを見つけたから、調べて見る気になったんだが。戦のやり方や、メナウルに迷い込んだ子供を、わざわざルジェナに送り届けたりなんてことが発端になって、身命の騎士なんて名のカクテルができたらしい。国の騎士ではなく、人のために戦う騎士のイメージなんだそうだ」
「それでこの甘さか」
 アルトスのつぶやきに、ジェイストークは肩をすくめた。
「また身ももない言い方を。まぁ、騎士としては、お前とは正反対かもな。剣の腕も悪くないそうだし、もし彼がレイクス様なら、逃げられでもしないようにアルトスが警護くことになるだろうよ」
 アルトスは表情を変えず、その視線は相変わらずグラスに注がれている。その心情を読み取ることができず、ジェイストークは言葉をつないだ。
「サーペントエッグを持っていれば、彼がレイクス様かどうか、毒を盛って効かなければ、守護者の一族の一員か分かるんだがな。だがまさかレイクス様かもしれない方に、毒を盛るわけにはいかないし」
 ジェイストークの苦笑に、アルトスはフッと笑みをこぼす。
「前に会った時に毒を塗った剣で傷つけた。種族の者でなければ死んでいる。実証済みだ。傷の治りは遅かっただろうが」
 濃紺のカクテルに視線を落としたままアルトスが言った言葉に、ジェイストークは眉根を寄せた。
「傷つけた? 本当に? そんな確かめ方をするなんて、お前、何を考えている?」
「あの瞳の色だ、いきなり斬ってしまうわけにもいかなくてな」
 懐かしい人と同じ考えを持っていることに、嫉妬したのかもしれない。同じ色の瞳がましかったのかもしれない。自由に振る舞いながら兵の信頼を受け、生き生きとした姿が憎かったのかもしれない。アルトスは、自分の気持ちがどこにあるにしろ、ロクな感情ではないと思った。
「アルトス、まさか……」
 ジェイストークが向けてくる疑いを含んだ視線に、アルトスは冷笑した。
「レイクス様に対して敵対心や反感を持ってはいない。まだその時は、もう少し歳が上だと思っていた。似ていると思ったのも今日になってからだ」
「三度も会って、気付かなかったのか?」
「戦で力の抜けた笑みは見せない」
 ジェイストークはなるほどとばかりにポンと手を叩いた。
「見事に引っかかりゃ笑いもするだろうな」
 笑いを押し殺しているジェイストークに、アルトスは冷たい視線を向ける。
「ご本人と分かれば全力でお守りする。もともと私はそのための人間だ」
 アルトスは、手にしたグラスの中身を一息に飲み干し、立ち上がった。いつの間にか手にしていた金色の硬貨が、親指にはじかれて空になったグラスの底を叩き、高い音を立てる。
「私はマクラーンに戻る。陛下にはハッキリするまでお伝えしない方がいいだろう」
「そうだな。俺はハッキリさせて戻る。本人にどうにかして接触してみるつもりだ」
 ジェイストークの言葉に手を挙げるだけの挨拶をして、アルトスは二階への階段を上った。
 部屋へ入り、アルトスは木の板でできた窓を開け放った。月の小さな夜空に、たくさんの星が輝きを放っている。窓枠に腰掛け、その星々を仰ぎ見た。
 なんという巡り合わせなのだろうか。あの方が命を落とした場所が、この村だったとは。あの方が大切そうに抱いていた赤ん坊が、まさかメナウルの騎士になっていようとは。身命の騎士などと呼ばれる人間に成長していようとは。
(戦なんて馬鹿げてると思わないか?)
 その声を思い出し、思わず冷笑を浮かべる。彼の目には、兵も庶民もみな、あの星々のように生き生きと輝いて見えているのだろうか。  身命の騎士と呼ばれるほどの人間ならば、間違いなくライザナルに入り、戦をやめさせようと陛下の御前にひざまずくことになるだろう。それから何をする? 彼がどれだけの信念を持っているか見せてもらおう。だが、陛下を傷つけることだけは許さない。彼があの方の息子だとしてもだ。
(この子をお願いね)
 不意に子供の頃に聞いた声が脳裏をよぎり、アルトスは目を閉じた。不思議なほどやかな夜風が、アルトスの身体を撫でて通り過ぎていった。