アルテーリアの星彩シリーズ

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― 鞘の剣 ―

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「ソリストになるわ」
 私はソリストであるアテミアさんの所へ、毎日聖歌の練習に通っている。そのたびに必ずと言っていいほど父にそう告げてきた。でも父は許したくないのだろう、いつも少し顔を引きつらせ、わざと信じられないといったように聞き返す。
「本当にソリストをやりたいのかね」
「はい」
 すぐに返事をすると、父はとても困ったような顔をした。真剣に考えていることくらいは、いい加減分かって欲しい。
「だが、リディアはまだ十四歳になったばかりだからね」
「ダメなの?」
「いいや、ダメとは言わんよ。見習いに入れるのは十五歳になってからだ。それまで家族でゆっくり考えてみることにしよう」
 いつも繰り返される会話。私が決めたことを、家族に考えてもらっても意味がないと思うし、なにも変わらないと思う。ううん、何年経っても私が変わらなければ、それでいいことなのだろう。父のことだから、私の気持ちを試しているのかもしれない。
「これからアテミアさんのところへ練習に行ってきます」
「ああ、そうだ。明日ルーフィス殿を夕飯に招待したよ」
 ドアに向かった私の背中に、父は声をかけてきた。ルーフィスさま? だったら、もしかしたら……。
「フォース君も連れてくるように頼んでおいたよ。子供同士話も合うだろうから、リディアも退屈しなくて済むだろう」
 子供同士? 退屈? とんでもない! 私よりたった二歳年上なだけなのに、フォースはちゃんと騎士という仕事を持っている。私はまだ、なにもできないでいるのに。それに、会うと私の心臓はパニックになる。せっかく話そうと思うことを考えておいても、嘘みたいに言葉が出なくなってしまう。なにも話せないくせに、姿だけは見ていたくて。私といても退屈なんだろうと思うと、胸が痛くなるのに。
「明日の練習はお休みにしてもらってきなさい」
「はい」
 私は、満面の笑みを浮かべているだろう父を部屋に残してドアを出た。
 どうしよう。父のことだから、またフォースをからかおうと思っているかもしれない。困らせて喜ぶなんて、父は大人げがない。私はそれを止めに入って、いつもフォースに苦笑される。きっと呆れられてる。面白い子とか、変な子とか思われてるに違いないと思う。違いないけど、それでも会いたいのは滑稽? あんなとんでもない出会いをして、それでも忘れたくないのは変なの? フラれたのに、それでも好きでいるのは迷惑?

   ***

  ディーヴァの山の青き輝きより
  降臨にてこの地に立つ
  その力 尽くることを知らず
  地の青き恵み
  海の青き潤い
  日の青き鼓動
  月の青き息
  メナウルの青き想い
  シャイア神が地 包み尊ぶ
  シャイア神が力
  メナウルの地 癒し育む

「今日はここまでにしましょう」
 アテミアさんがそう言って微笑んだ。アテミアさんは本職のソリストで、とても綺麗で奥の深い声をしていらっしゃる。今日は私も声の調子がよくて、歌うのはとても気持ちがよかった。
「リディアは、ここを歌うのが好きなのね」
「はい」
 だって、たくさん青って出てくる。大好きなの。青って言葉は、フォースの優しい微笑みを思い出させてくれるから。
「リディアはシャイアさまが好き?」
 アテミアさんは、優しい笑顔のまま私にたずねた。胸がドキッと鳴る。
「好きです」
「誰よりも?」
 誰って、誰のこと? 最初に浮かんだのはフォース。それから父と母。シャイアさまは、その後かもしれない。
「私、父と母の方が、好きかもしれません」
 フォースのことをアテミアさんに言えなかったのが、とてもうしろめたく思う。
「そう。そうね。それはそうかもしれないわね。でもねリディア。聖歌は祈りなのだから、シャイアさまのために歌うモノなのよ。他の誰かのためじゃなくね」
「はい」
 返事をしたら、とたんに視界が曇った。プツッと涙が落ちる。驚いて止めようと思ったのだけど、涙が後から後から出てきて、どうしようもなくて。
 アテミアさんが、両手で顔をった私をそっと抱きしめてくれた。髪を撫でてくれる手がとても優しい。
「ソリストになるかどうか、それはリディアが十八になる時に自分で決めればいいことなのよ。その時まで、自分の気持ちを大切にするのよ。大切にね」
 アテミアさんは私の歌を聴いて、私が持っている気持ちに気付いてしまわれたのだろう。十八になるまで、それまで私はこの気持ちを、そのまま抱えていてもいいですか?

   ***

 母の後ろにいたはずだった。でも、いつの間にか見えなくなっていた。今日の市場はいつもより人が多くて、母を見つけられるか不安になる。昨日のことが頭の中にあって、考え事なんてしていたのがいけなかったんだ。胸に抱いたオレンジを入れている紙袋が、さっきよりも重たく感じた。
 まわりを見ながら少し歩く。石畳に響く靴音や店の人の声が冷たく聞こえる。市場の端に来てしまってから、動かないでいればよかったかなと後悔した。ここまで来てしまうと、なんだか薄暗くて人通りもほとんど無い。戻ってみようか。それとも、この道をまっすぐ家に帰る?
 迷って立ち止まった途端、後ろから誰かがぶつかった。
「何やってる! 邪魔だ!」
 ドンッと背中を押され、前につんのめって手と膝をついた。紙袋を放してしまい、中からボロボロとオレンジが転がり出る。上体を起こして振り返ると、半分ニヤけた気味の悪い顔があった。怖くて胸がドキドキしてくる。
「あ、あの」
 謝ろうと声を出しかけた時、ゴンッと音がしてその人の身体が揺れた。
「何やってる、邪魔だ。なんてね」
「なんだと! このや、やろう?」
 その人が後ろからの声に振り返り、鎧の胸元を掴もうとして手が空を切った。フォース?!
「わざわざ追いかけておいて、邪魔だ、は無いだろう?」
 そう言いながら、フォースは側に来て私に手を差し出す。私はその手をとって立ち上がった。
「このガキっ、俺は鎧を着てりゃ騎士だと信じるバカじゃないぞ!」
 フォースは私と視線を合わせたまま苦笑し、短剣を抜く音に振り返った。フォースがいくらか体勢を低くしたとたん、ガンッと嫌な音が耳に響いた。男が短剣を手から取り落とし、石畳にガチャッと剣身が落ちる。フォースはその短剣を拾い、その男に向き直った。
「鎧を突き通そうと思ったら、もっと剣身が細くないと。それに利き手じゃない方でしっかり持って、利き手は短剣の柄に当てて押し出すようにしないと、力が入らないよ」
 こうやって、とフォースは短剣を握り直した。男の顔が青くなる。
「な、なに言ってやがる」
 フォースは冷たい笑顔を浮かべ、その男に一歩近づいた。男は腰が引けたように後ろにさがる。
「ま、待てって。ちょっとムシャクシャして憂さ晴らししただけじゃないか」
「あれが憂さ晴らし? これも?」
 フォースは手にした短剣を見せながら、男をにらみつけた。
「フォース、やめて!」
「フォースだ?!」
 男が目を丸くした途端、フォースがスッと前に移動し、短剣を持った手が突き出された。思わず私は耳をふさいでギュッと目を閉じた。それでも聞こえてきたドサッと男が倒れる音に、身がすくむ。
「リディア?」
 その声にゆっくりと目を開けた。すぐ前に心配そうにのぞき込むフォースの顔がある。目の端に倒れている男が見えた。
「な、なんてコトするのよ!」
 耳を押さえていた手で、私はフォースの鎧を叩いた。フォースはキョトンとして、逆手に握られた短剣を私に見せた。
「当て身を食らわせただけ、なんだけど?」
 その言葉で、身体の力が全部抜けた気がした。安心したらドッと涙が出てきて、その場に座り込みたくなる。フォースは支えるように私を抱きしめた。
「ゴメン、脅かしちゃった? 大丈夫だよ、大丈夫」
 腕に少し力がこもった。子供扱いされてるのは分かる。それでもフォースの腕の中だと、私はおかしくなる。強く抱きしめられるほど身体が楽になって、息が苦しくなるほど気持ちが安らいでくる。どうしてこんなにあまのじゃくなのだろう。会ってすぐは、素直にありがとうってキスができた。あの頃より今の方が、もっとずっと好きなのに、キスも怖くてできないなんて。
「一人で来たの?」
 フォースの問いに涙声で返すのがイヤで、私は声を出さずに首を横に振った。
「じゃ、ミレーヌさんとはぐれちゃった?」
「フォース!」
 うなずいた途端に聞こえた低い声に驚いて、私の身体がビクッと揺れた。フォースは私の背をポンポンと叩き、そっと体を離して顔をのぞき込んでくる。私は慌てて涙をぬぐった。ガチャガチャと鎧を着た人が駆けてくる音が、フォースの向こう側で止まる。
「あぁ、バックス。やっと来た」
「いきなりいなくなったと思ったら、なんだこれ?」
 背が大きくてガッチリしたその騎士は、倒れた男を指さした。フォースは冷淡で軽蔑したような視線を倒れた男に送る。
挙動不審だったから追いかけたら、案の定これだ」
 フォースは鎧の傷をコンと叩き、手にしていた短剣をその騎士に渡した。大きな騎士が顔をしかめる。
「あれま。ウェルさんから受け取ったばかりで。嘆かれるぞ」
「刺されろってのか? 鎧は使ってなんぼだろ」
「バカ、剣を抜けって言ったんだ。何かあったらどうするよ」
 一瞬、心臓が大きくなった気がした。何かって、フォースが刺されてしまうということ? フォースは、まるで取るに足りないことのように肩をすくめて苦笑している。でも、これは夢でも遊びでもない、現実なのだ。
 フォースが着けているこの新しい鎧は上位騎士のモノだ。そういえば何度か功績をあげたという噂を、私でさえ耳にした。凄いと思う。だけど、でも、怖いとも思う。功績を上げるということは、それだけ戦の中にいることになる。そしてその分だけ剣を合わせていることになる。あんな小さな短剣ではなくて、大きな何本もの剣の前に命をさらして。
 さっき、私は人が死ぬのは怖いから見たくないと思った。だけど、もしかしたらフォースの方がどうにかなってしまうということも、無いわけではなかったのだ。そう思ったとたん、ガンッと鎧に短剣が当たった音が、いきなり頭にってきた。
「リディア?」
 ハッとして顔を上げると、フォースは私をのぞき込むように見ている。
「顔色が悪いな」
 私は大丈夫だと首を振って見せた。しっかりしなきゃと思うのに、涙がにじんでくる。この泣き虫はどうにかしなくちゃいけない。
「送っていくよ」
 フォースの手がポンッと私の肩を叩き、落ちているオレンジを拾い始める。大きな騎士の人も拾ってくれて、袋はすぐに元通りになった。
「じゃあ、新任周辺警備責任者さん、後はよろしく」
 フォースはそう言うと、すぐ側に立つ大きな騎士に敬礼をした。大きな人はニッと笑って返礼をする。
「フォースは報告書、よろしくな」
「ええっ?」
 目を丸くしたフォースに、大きな人はのどの奥で笑い声を立てた。
「あのな、俺はなんにも見てないだろ」
「あ、そうか。そうだな」
 フォースは眉を寄せて、ため息で笑う。
「じゃ」
「明日」
 フォースと大きな騎士は、敬礼ではなく手を挙げただけの、簡単な挨拶をした。その手がそのまま私の前に差し出される。
「ほら、手」
 そう言われて、私はオレンジを受け取らなきゃと思い、両手を差し出した。片方の手がフォースの少し大きな手に包まれる。驚いて見上げた私を見て、フォースはフフッと含み笑いをした。
「またはぐれたら困るだろ。ミレーヌさん探さなきゃ」
 グイッと引かれた手がほんわり暖かくて、私はまるでもう母に会えたみたいにホッとした。

   ***

 そのままフォースと一緒に母を捜した。やっと見つけた母はたくさんの荷物を抱えていた。母はフォースに荷物を持たせて、ほとんど無理矢理家まで連れてきた。報告書を書きたいので後から改めてうかがいますと言うフォースを、早くに帰ってきていた父が引き留めにかかる。フォースにかける迷惑も、少しは考えて欲しいと思う。でもフォースが家にいてくれるのを一番喜んでいるのは、私かもしれないけれど。
 父に捕まって話し相手をさせられていたフォースを、私は自分の部屋に引っ張ってきた。でも結局私はなにも話せなくなるし、フォースが私に話すコトなんてきっと何もない。報告書のためにメモ書きしておくというフォースにペンと紙を渡し、私は台所に降りてお茶を入れ、部屋に戻った。
 戻ってみると、机に置いた左手に頬を乗せて右手にはペンを持ったまま、フォースは眠っていた。学校で居眠りをしている子供みたいに見えて、頬をつまんで引っ張ってみたくなる。
(バカ、剣を抜けって言ったんだ。何かあったらどうするよ)
 あの大きな騎士が行った言葉をふいに思い出す。もしかしたらフォースは、私が恐がりだから剣を抜かずにいてくれたのかもしれない。強いから持てる優しさを、フォースは持っている。
 私も、いつまでも弱いままではいけないと思う。ソリストになるなら、もっと強くならなくては。傷をせる訳ではないけれど、人の心をしてあげられるようになるには、私自身が強い心を持たなければならない。できるんだろうか。ううん、できなくても頑張らなきゃいけない。フォースが望む幸せな世界に、ほんの少しでも近づくためにも。
 そして今は、十八になるまでは、フォースのために歌おう。アテミアさんにはれられるかもしれないけれど。シャイア様にもたくさん懺悔をしなくてはいけないけれど。
 ベッドから布団を持ってきて、そっとフォースにかけた。指を解いてペンを取る。それでも起きそうな気配は全然無い。メモには殴り書きでいくつかの単語が転がっていて、なんて書いてあるのか読めないモノもある。普段はこんな字を書いているのかと思うと、なんだか嬉しかったり。
(ありがとう)
 私はメモの端にそう書いた。そしてフォースが起きていたら言えない言葉、でも伝えたい気持ち。
「大好き」
 小さな声でそれだけ言って、そっと、できるだけそっと、頬にキスをして部屋を出た。