レイシャルメモリー後刻

― 寝ても覚めても ―

 ジェイストークが背を向けてドアに進む。そのまま退室してくれれば、ようやく二人きりになれる。
「あ、シェダ様が、明朝こちらに到着されるとのことです」
 その言葉に、思考が止まった。
「……、またか」
「は? レイクス様、何かおっしゃいましたか?」
 ジェイストークには絶対聞こえただろう。それを知らない振りしているだけだと思う。
「いや、なにも」
「それでは失礼いたします」
 ジェイストークがいつものようにお辞儀をしてドアの外に消えた。振り返ると、リディアはソファに座ったまま、可笑しそうに控えめな笑みを浮かべている。
「聞こえた?」
「ええ。でも本当に何度来るつもりかしらね。お腹にいる間は、何も変わらないのに」
 実際あまり変わりなくは見えるが、リディアのお腹は日々大きくなっているように思える。いや、着々と成長してくれていい子だなんて、ずいぶん都合のいい見方だということはよく分かっている。でも、少し間を開けて合う親や友人が、また大きくなった、と言うのは、毎日少しずつでも成長しているからなのだろう。やっぱりいい子じゃないか。
「でも、子供だけじゃなく、リディアにも会いたいんだろ?」
「そうかも。この間なんて、お腹を見て言ったのよ。こんなにしやがって、って」
「え」
 そりゃやっぱり、俺に腹を立てて言ったのだろう、背筋がゾッとした。リディアは軽い笑い声を立てる。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私が幸せでいるなら、何も言えないんだもの」
 そりゃあ確かにそうだろう。俺はうなずいてみせた。だけど、そうしていられればシェダ様に怒られないからではなく、お腹の子供もひっくるめて、純粋に幸せにしてやりたいと思う。当然、自分も含めてだけど。
 リディアが口元に手をやり、あくびをした。立ち上がろうとするリディアの手を取って引き、身体を支える。
「眠たそうだ」
「もうね、身体が重いのよ。すぐ疲れちゃって」
 リディアのベッドまで付き添った。寝具をどけて寝かせると、リディアは自分の隣をポンポンと叩く。
「え?」
「ここにいて」
 小さく笑い声を漏らしながら、リディアはそう言って微笑んだ。
「だけど、もし寝ちゃって、蹴飛ばしたりしたら大変だ」
「大丈夫よ」
 そう言うと、リディアはこっちに背中を向けた。寝相が悪いんだから我慢しろとタスリルさんに言われていたが、それなら確かに大丈夫そうだ。リディアの隣に身体を横たえ寝具をかける。そうしてからリディアの頭を腕に乗せ、後ろから抱きしめた。リディアはまたクスクスと笑い出す。
「背中合わせじゃないのね」
「あ、そうか。でも、これでも大丈夫だろ?」
 そう聞くとリディアは、ええ、と返事をして、俺の手をお腹の上に置いた。
「もう上を向いて寝たら苦しいのよ。お腹につぶされているみたいで」
「お、お腹につぶされ……?」
「だから、早く産みたいの」
 俺は返事のかわりに笑った。笑うことしかできなかった。子供を産んで亡くなってしまう母親も多い。どうか無事に産んでくれ、産まれてくれと、祈ることしかできない。生きてさえいてくれれば、必ず幸せにしてやる。目一杯努力してやるから、だからどうか無事に……。

   ***

 今朝はまた、なんてかしい夢を見たのだろう。そう、娘がまだリディアのお腹にいた頃の夢だ。無事に産まれてくれるか、ひどく不安に思っていた。
 娘のことは、ずっと愛している。産んでくれたリディアに対する愛情と似てはいるが、また違った別の愛情がある。
 女の子は十二歳という歳でも、大人なんじゃないかという面が垣間見られる時がある。初めて会った時のリディアが十二歳だった。同じ歳になった娘は、俺の血が入っていてもその頃のリディアに似ていて、とても可愛らしい。親バカ? ああ、これだけ可愛ければ親バカにもなるさ。当たり前だろう。
 その娘がまだ帰らないと聞いて、仕事が手に付かなくなった。残りを部下に任せて街中を探す。一時期よりは全然ましだが、場所によっては治安も悪い。早く探し出さなくては安心できないのだ。
 ふと、娘の髪と同じ色が目に入ってきた。隣には十四、五くらいのどこかで見たような男がいる。何をしていると声を掛けようとして、娘の恥ずかしそうに頬を赤らめた表情が目に入った。思わず建物の陰に身を隠す。
 隣の奴のだろうか、娘は大きなシャツを着ていた。スカートが汚れているように見えたのは、気のせいではないだろう。とにかく二人は戻る道をたどっている。無事にたどり着き、俺は後から居間に入った。俺を見つけた娘が駆け寄ってくる。
「お父様、お仕事は?」
「これから市場に行くんだが。一緒に行くか?」
「本当? 着替えてくるわ、待ってて」
 喜んで顔を明るくした娘は、部屋に入っていった。
「助けてもらったんですって」
 事の次第を聞いて、その男に感謝はした。が、リディアが言った、娘がその男を好いているんじゃないかという言葉には閉口する。そんな感情を持つには、まだ早いだろう。いや、持ったとしても、あいつさえ手を出さなければ大丈夫かもしれないが。
 着替えてきた娘と市場に向かう。市場はいつものように結構な人出だった。当然迷子にならないように、娘とは手を繋いでいる。華奢で小さく柔らかい手だ。リディアには甘すぎると言われるが、キラキラした目で見つめているモノがあったら、買ってやりたくなるのが普通だろう。甘やかしてはいけないという思いが非常に辛い。
 ふと、娘と歩いていた男の顔が目に入った。知らない女性が隣にいて笑い合っている。そいつは俺を見つけると、真面目な顔で敬礼をした。
 そういえばあいつは騎士になったのだそうだ。だが、敬礼だけ真面目でも、やっていることは全然真面目じゃないだろう。思わず笑ってそっぽを向く。あいつがいることを娘に気付かれる前に、ここを離れた方がいい。城に出向かなくてはならない用事もあるのだから。
 城に行ってから、見せた方がよかったかと後悔した。その城で娘の命が狙われたのだ。護衛をつけると言ったらひどく怖がる娘を、なんとか納得させられたのは、娘が唯一知っている騎士のあいつだけだった。俺にしてみれば、どっちが危ないのだか分からないのだが。
 そして、犯人の目途が付いたと知らせがあり、娘が暴漢に四階から落とされたと報告を受けた。だが、慌てて駆けつけて見たのは、死んだように眠るあいつを看病する娘だった。帰らせようとしたが、テコでも動かない。
 あいつの親も来て、結局あいつは意識を取り戻した。また前線に戻っていったが、やはり娘と何かあったのかもしれない。まさか娘に直接聞くわけにもいかず悶々としているうち、また事件が起きた。娘が降臨を受けてしまったのだ。
 身体でつなぎ止めるようなことはされていなかったとホッとする。だがそのかわり、娘が心底あいつに惚れているのだと逆に知ってしまった。
 あいつは娘の護衛に慣れている。娘の身を考えると、あいつに任せるしかないと思った。女神がいるのだから、下手に手を出すこともできないから、進展はしないはずだった。だが、安易に身体を繋げることができないことで、逆に絆を深めてしまったのだろう。
 結婚式の生成りの衣装は、とても華やかで清楚だ。頬をほんのり染めて初々しい姿は、もうリディアそのものじゃないか。
 透き通った布が被せられ、娘は幸せそうにあいつとキスをする。サーディがあんな布を作らなかったら、これが流行ったりすることなく、娘のキスなど見なくて済んだモノを。
 これで、娘に対しての私の役割は終わりか。いや、あいつが娘を大切にしているか、見張っていなくてはならない。顔を見せるだけでも、悪事をはたらかないための抑止力にはなる。目を離すわけにはいかない。
「フォース?」
 娘の姿が、涙でかすんでいる。
「フォースったら」
 悔しいから涙が出ているわけではない。ドレスを着た娘が、あまりにも綺麗だから感動しているだけだ。
「フォース、ねぇ、起きて」
 隣にいるリディアは、涙でかすんでボーッとしている。ハッキリしてくるその顔は、娘? 違う、リディアだ。俺の大切な……。

   ***

「んぁ? リディアが若い……?」
「やだ、フォースったらなに言ってるの? まだ起きてないんでしょう」
 そう言うと、目の前にいるリディアが、俺の鼻をつついた。ボーッとした頭が少しずつハッキリしてくる。
「え? 夢? 子供が生まれて大きくなっ……、あ」
 子供どころか、手が触れているリディアのお腹は大きいままだ。窓から明るい光が差し込んできていて、すでに朝なのだと気付く。
「夢、だったのか?」
「そうよ。きっとそう。どんな夢を見ていたの?」
 リディアは穏やかな笑みを浮かべ、俺を見つめている。触れた指を引き寄せて、リディアの手を握った。どんな夢って、娘が産まれて大きくなって、好きな奴ができて。娘の気持ちがどんどん離れていって、そしてそいつと……。
「夢じゃなきゃ困るんだけど」
 そう言ってから、それが夢だと困ることに気付く。お腹の子が生まれて、もしかしたら女の子で。いつまでも人を好きになることを知らなかったら、寂しいに違いない。娘の幸せを考えたら、心を通わせる相手ができて、……ってか、今考えたら夢で見た娘はリディアで、その相手は俺だったんじゃ。
「や、夢でも困るんだけど……」
 もしもリディアに会えなかったら、自分はどれだけ寂しい人生を歩んでいたか分からない。いや、もしも違う誰かに出会っていたとしても、今この生活より幸せだなんて考えられない。
 お腹の子が女の子だったら、俺は夢で見たように、いつかその子に失恋するような気持ちを味わうのだろう。そう、リディアと二人、結婚の許しを得た時のシェダ様と同じに。娘が幸せになるのは間違いなく自分の幸せでもあるけれど、それは同時に自分の手元を離れることなのだ。
「何困ってるの?」
「え、いや……。なんて説明したらいいのか」
「ハッキリ覚えていないのね?」
 そう言うとリディアは、そういうモノよね、と自分でうなずいている。
「あ、そろそろ起きないと。お父様が来ちゃうかも。最近起きるのが早いって母が」
 リディアの苦笑に、俺は身体を起こした。リディアが上体を起こすのを手伝う。
「いくらなんでも、こんなに早く、?」
 バタバタと廊下が騒がしくなった。もしかして、本当に到着したのだろうか。誰か部屋に入ったような気配がする。
「失礼します、レイクス様、あれ?」
 走ってきた音で予想をつけた通り、ソーンの声がした。俺はベッドから降り、自分の寝室へと顔を出す。
「どうした?」
「あ、シェダ様がここに通せっておっしゃってます」
「え、やっぱり」
 イージスは歩いて来たのだろう、そのくらいの間があって部屋に入ってきた。丁寧に頭を下げる。
「レイクス様、おはようございます」
「聞いたよ。リディアの着替えを手伝ってくれるか?」
 イージスは笑みを浮かべて礼をし、奥の部屋へと向かった。
「ソーンはシェダ様にお通りくださいと、できるだけゆーっくり戻って伝えてくれ」
「分かりました」
 ソーンは落ち着いて礼をし、どこかに忍び込みでもするように、静かに廊下へと歩き出す。
 許しが出たと分かったら、シェダ様はサッサとここへやってくるだろう。一刻も早くリディアに会いたいに決まっている。
 着替えをしながら、思わずため息が出た。昨日までは面倒臭いと思ってのため息だった。でも今は、仕方がないと思っていたりする。夢一つでこんなに考えが変わるのもバカバカしいとは思うが、図らずもシェダ様の気持ちを自分の気持ちとして味わってしまったのだ。
 そういえば。結婚した娘を見ながら、何を思ったんだっけ? その辺りをどうにかすれば、こう何度も何度も来ることはなくなりそうな気がしたのだけれど。
「やぁ、元気だったか」
 ホントに早っ。早いのは起きるのだけではなかったようだ。悪意のある人間が入れないため一階に住んでいるが、これは四階に部屋を移した方がいいかもしれない。
「おはようございます」
「リディアは奥かね?」
 そう言って通り過ぎようとするシェダ様を引き留める。
「今着替えています。待ってください」
「私の娘なのだから、いいじゃないか」
 あ、思い出した、抑止力だ。この場合はちょっと種類が違うけれど、俺の抑止力が必要だろう。あんたが止まれ。
「や、よくないですって」
「お父様、勝手に入ったら怒ります!」
 奥の部屋から声だけが返ってきた。目一杯隠したつもりだろうけれど、ちょっとシュンとしたのが分かる。俺が必ず幸せにするから何も心配はいらないと分かってもらえれば、リディアが呆れるほど来なくてすむと思うのだが。
「ここで待たせてもらうよ」
 シェダ様がこっちを向いた。思わず身構えそうになる。安心してもらおうと心の中で復唱した。
「男か女か、どっちがいいと思う?」
 シェダ様はニコニコした顔で、いきなりそう切り出す。
「は? いえ、別にどちらでも」
「表情がきつくなるとか、腹がって見えたりすると男らしいぞ」
 そうなんですか、と感心した振りをしながら、どこをどう見ればリディアの表情がきつく見えるのか、腹が尖って見えるのか、有り得ないんじゃないかと思う。
「私は女の子がいいと思うんだ」
 そう言うとシェダ様はニヤッと笑った。やっぱり根に持っている。これは一生続くのだろうと思いながら、みみたいなモノは甘んじて全部受け止めようと思う。
「そう言っていただけると嬉しいです。まわりはどうしても男の子を望みがちですから」
「そりゃあ、男の子も産んで欲しいがね」
 男の子と口にしても、シェダ様の幸せそうな表情は変わらない。俺に対して同じ気持ちを味わえと思っているのとは、違う笑顔な気がするが。
「リディアの子供だ、男でも女でも可愛いだろうねぇ」
 あ、そうか。シェダ様は親バカなんてとっくに通り越しているのだ。すでに、孫のことで頭がいっぱいなのだろう。
 子供の存在に目が向いている間くらいは、自由になれる。なんてことを思ったら、子供が可哀相だろうか。でも、子供ほど勝手気ままな行動を許される存在もない。もしかしてシェダ様とでも、いい勝負をしてくれるかもしれない。
「こういう環境にいると大変だろうが、子供は自由奔放に育てるのが一番だと思うよ」
「できる限り、そうするつもりです」
 俺は力を込めてそう返し、シェダ様に満面の笑みを向けた。



ちぇこま。さまにいただいたリクエストの品です。
おっしゃっていたのはこんな感じかと。でも、夢見ただけでオチてないです;
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m