レイシャルメモリー後刻

― 追い風 ―

 フォースとリディア、レクタードとスティアは、城の門まで来てメナウルの面々を見送っていた。その姿はまぶたに、まだ鮮明に焼き付いている。
 マクラーンの街を出ると馬車は速度を増し、ただひたすらヴァレスを目指して進んでいる。進行方向を向いた席にはメナウルの皇帝ディエントが腰を落ち着け、ルーフィスはその斜め向かいに座っていた。
 金糸や石を縫いつけた派手な服を着せられたフォースに違和感がなかったのは、隣にリディアがいたからだろう。お揃いの装飾がある服で寄り添うリディアを見下ろす体制が、それなりに落ち着いて見えただけだ。
 体格も筋肉が落ちていることもない。様々な勉強をさせられていると言っていたが、身体もそれなりに動かされているのだろう。自分の身を守るためには、それが一番いい。
 中身もまったく変わっていない。相変わらず父さんと呼ぶし、態度も王族と呼べるものとは違う。それがルーフィスには嬉しくもあり、心配でもあった。
 心配はいつものことだ。だが、これからは気楽に救いの手を差し出すわけにはいかない。いや、これまでの救いの手など、あってもなくても同じだったかもしれないとも思う。
 悟られないようにと小さくついたため息を聞かれてしまったのか、ディエントが顔を合わせてきた。
「ライザナルの皇帝があれほど穏和な方だったとはな。先入観とは恐ろしいものだ」
「はい。想像もつきませんでした」
 ルーフィスの言葉に一度うなずくと、ディエントは笑みを浮かべる。
「君とのやりとりで思ったのだが、悪い父親でもなさそうだったな」
「ええ。もしフォースを自分の物として扱うようなら、父としては認められないと思っていたのですが」
「サーディから過去の話は伝え聞いていたが。エレンさんのことも、記録に残る簡潔な言葉ほど、悪い状況ではなかったのかもしれない」
 ディエントの言葉に、ルーフィスは苦笑を漏らした。
「だといいです」
 エレンのことは、クロフォードに聞いたところで話してもらえはしないだろう。その事実は底のない落とし穴のように口を開けている。踏み出してはいけないのだ。だが、それでいいのだろう。聞いたところで何もならないことも分かっている。
「それにしても、君もフォースを嫁に出したようなものだな」
「嫁、ですか?」
 ルーフィスはのどの奥で笑った。だが、そうかもしれないとも思う。
「確かに、ずっと側であれを見ていられると思っていましたが、そうはなりませんでした」
 ルーフィスに向かってディエントはうなずいてみせると、いくぶん眉を寄せてから再び視線を合わせる。
「君には申し訳ないが、フォースに皇帝を継げと勧めたのは私なんだ」
「陛下が? いえ、申し訳ないなどとは。中途半端な存在でいては逆に危険でしょうし、むしろそうしていただけて、ありがたいです」
「だが、メナウルとしての処遇をどうしたらいいか。フォースは二位の騎士のままだ。さすがに皇帝を継いでしまえばそのままというわけにはいかないだろうが、しばらくはこのままでも良さそうな気がしてな」
 フォースの精神も騎士のままなのだろう。バルコニー下の人々の呼びかけすら、身命の騎士というモノだった。それでも、実際の身分を無視するわけにはいかない。
「そのままでは、いつでも帰ってこいと娘に言っているようなものです」
 確かに、と、ディエントが笑う。ルーフィスは苦笑した。
「しかし、戻られたらその時点で戦になりかねません」
「君ならそう言うと思ったよ」
 ディエントの笑みに、わずかに寂しげな陰りが見える。
除籍か。だが身分や立場は関係なく、平和を願う気持ちだけは、変わらず持ち続けて欲しいものだな」
「それは大丈夫でしょう。リディアさんが側にいてくれさえすれば」
 ルーフィスの言葉に、ディエントが懐かしげに目を細めた。
「最初に一緒にいるのを見たのは、婚姻二十周年式典の時だったか。あれから本当にいろいろあった。二人が幸せになってくれてよかった」
 その言葉にルーフィスは、たぶん一番最初に二人が出会っただろう事件を思い出していた。フォースは、リディアを助けて一緒に逃げたと言っていた。
 実際目にしたのは、その事件の後、フォースをシェダの邸宅に無理矢理連れて行った時のことだ。行きたくないと言い張っていたが、リディアに嬉しそうな笑顔で迎えられると、逆らうこともできずにぎこちない笑みを浮かべて接待を受けていた。
 結局。フォースはそれからずっとリディアを守り続けている。自分がエレンを守りきれなかった分、このままずっと守り通して欲しいと思う。
「あれは私よりも幸せだと思っているようです。子供の幸せほど幸せに感じられることなど、なかなか無いというのに」
 ルーフィスの言葉にうなずくと、ディエントは苦笑した。
「フォースが言ったのは、そういう意味だけではないと思うが」
「ええ、理解しています。ですが、それもみがないのです。これでエレンに対しても心残りは無くなりましたから。今はただ何もかも懐かしく思います」
「そうか」
 今は最初の一歩から始められる状況だ。解放された、というよりは、解放されてしまったと言った方が当たっているのかもしれないが。
「エレンにもフォースにも、してやれることは、もう何もないのだと」
 そう言った口から漏れたのは、ため息だった。ディエントはゆっくりと首を横に振る。
「いや、まだ一つだけ残っているよ」
「は?」
「存在し続けることだ」
 ディエントの言葉にハッとする。確かに、直接してやれることはなくても、この存在はフォースの世界の一部なのだ。これから踏み出す一歩も、フォースには視界の中の出来事かもしれない。ならば、フォースのために、毅然とした一歩を踏み出さねばならない。
 指針になれるなど、出過ぎた考えかもしれない。馬鹿げた見栄かもしれない。だが、精一杯のことをやっていかねば、自分も親だなどとは名乗れない。
「スティアのためにも、私は両国の友好に力を尽くさねばならない。これからも君の力を貸して欲しい」
 ディエントの言葉に、ルーフィスはしっかりと頭を下げた。



Sさまにいただいたリクエストの品です。
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m