レイシャルメモリー後刻

― 指先の口紅 ―

 ルジェナでの生活は新しいことばかりで、最初はとてもとまどった。でも、行事や謁見の時の立振舞や、訪ねてくる人々への対応など、お姫様ごっこをしている振りをしながら、それでもずいぶん覚えたと思う。
 フォースも皇位継承権一位という地位に、結構慣れたように見える。領主としての仕事をしている時も、最近は楽しそうで。
 読めばそのまま知識になる書物は数多くあるし、タスリルさんが親切に教えてくださる。楽だからこそ、単純に面白いと言っていられる段階なのだとは思う。でも、このまま知識を積んでさらに慣れていけば、皇太子妃としても、やって行けそうな気持ちになってきた。
 フォースのお父様であるライザナル皇帝クロフォード様は、なぜか最初から私を認めてくださっている。しかも、その証拠だと理由をつけて、何かと贈ってくださる。今回アルトスさんが持ってきたプレゼントの話も、そのうちの一つのようで。
 アルトスさんと一緒に寝室に入ってきた女性二人が、フォースと私に向かって頭を下げた。前に立った一人が口を開く。
「皇帝陛下のご命令で、リディア様のお好きなように、ドレスを三着仕立てて差し上げるようにとのことでございます」
 マクラーンで流行しているドレスの仕立屋さんなのだそうだ。それぞれが、たくさんのドレスを抱えている。
「え? 三着もですか? 私は今持っているだけで、充分なのですが」
「いいえ、皇帝陛下からのプレゼントです。受け取っていただかないわけには」
 仕立屋さんの言葉に、アルトスさんは大きくうなずいている。確かに、受け取らずに返してしまったら、逆に何かと面倒なことになりそうだと思う。受け取ればいいよ、と苦笑するフォースにうなずいて、私は仕立屋さんの方に向き直った。
「では、無地であまり飾りのないものを三着お願いします」
 仕立屋さんは、はぁ? と目を丸くする。
「三着とも地味なドレスだなどと。もっと着飾ってレイクス様に見せて差し上げればいいですのに」
 仕立屋さんは、アルトスさんと何か話し始めたフォースに話を振った。
「レイクス様からも、おっしゃってくださいまし」
「え? 何をどう言えと」
 キョトンとしているフォースに、アルトスさんが冷笑する。
「綺麗にして見せてくれとか、そういうことだろう」
「は? 何を着ていたって綺麗だし。どっちかって言ったら、脱いだ方が」
 バシッとフォースの頭を叩いて、アルトスさんが止める。
「考えて話せ」
 手を出したことに口を挟みたくなるけれど、いつものことだし、フォースが信頼している人なのだからと口をつぐむ。
「私どものドレスは、装飾が売りなのですよ。それが流行っているのです」
「でも、巫女の服ばかり着ていたから、あまりきらびやかなのは落ち着かなくて」
「皇帝陛下も、装飾を買ってくださったのだと思いますし」
 仕立屋さんは何か思いついたのか、あ、と手をく。
「それでしたら、会食や行事にご出席になる時に着用されるドレスをお作りになればよろしいかと」
 それだと値段も凄いと思ったけれど、皇帝からのプレゼントなのだから変に気を使うのもよくないのかもしれない。
「それでいいんじゃないか?」
 同じように考えていたのかフォースがそう言って苦笑した。仕立屋さんの顔がパァッと明るくなる。
「とりあえず数着は用意いたしておりますので、デザインをご覧ください」
 仕立屋さんは、後ろにいた女性と二人がかりで、手にしたドレスをベッドやソファー、テーブルに広げだした。寝室がどんどんきらびやかになっていく。
「お気に召したドレスがありましたら、どうぞご試着ください。これなどは、いかがですか?」
 仕立屋さんが手にしたドレスは、生地自体が金色に光り輝いている上、装飾もたくさんついている。
「きっとお似合いになりますよ」
 仕立屋さんはドレスを私の前に当てた。そのあまりのきらびやかさに困惑してしまう。
「レイクス様、いかがですか?」
 私に聞いたらもっと地味なドレスをと言われると思ったのか、仕立屋さんはフォースに話を振った。でも予想通り、フォースは苦笑を浮かべる。
「わかんねぇ」
 小さくつぶやいたフォースを横目で見て、アルトスさんが口を開いた。
「イージス、リディア様に式典用の化粧を」
 アルトスさんの言葉にイージスさんは、はい、と頭を下げ、もう一人の仕立屋さんと一緒に準備を始める。不思議そうにアルトスさんの方を向いたフォースを見て、仕立屋さんは嬉しそうな笑い声を立てた。
「そうですわね。ドレスをお選びになる時は、それ相応にお化粧していただければ、選びやすいかと存じます」
 フォースと目が合ったアルトスさんは、胡散臭そうな視線を返す。
「陛下のプレゼントだ。しっかり選んでいただかなくては」
 その言葉を聞きながら、私はイージスさんと自分の寝室へと向かった。

   ***

 後は口紅を塗るだけになった。目の前には意味がないほどたくさんの口紅が並んでいる。最初から用意してくれていたもので、ずっと置いたままになっている。
「口紅はどちらをお使いになりますか?」
「いつもならドレスに合わせるのだけど」
 イージスに苦笑を向けて、ため息をつく。メナウルにいた頃は、自分の唇に近い色と、もう少し濃い色の二色だけを持っていた。あまりいろんな色があっても、つけたらどんな風に見えるかなんて想像できない。視界の隅に、フォースとアルトスさんが入ってくるのが見えた。
「どうしようかしら。会食や行事なら、普段の目立たない色というわけにはいかないわよね」
 どれにしようかと手を出しかけて迷っていると、横からアルトスさんの手が伸びて、ひょいと一つを手にとった。
「こちらがよろしいかと」
「はぁ? 適当なことを……」
 側まで来ていたフォースが振り返り、呆れたようなため息混じりの声を出す。
「分かる」
 いつもと変わりない、低く落ち着いた声がそう答えた。そんな風に言われると、本当に間違いがないように感じる。私はアルトスさんの選んだ口紅を受け取った。私が口紅をひくのを、イージスさんも微笑みを浮かべて見ているのが鏡に映っている。
「まぁ! とてもお似合いですわ。素敵な色ですこと!」
 ドアのところから仕立屋さんが顔を出してそう言った。フォースに感想を聞きたくて振り返ると目が合った。眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。
「フォースはこの色、好きじゃない?」
「え? い、いや、似合ってる。凄く綺麗だ」
 そう言いながら微笑みはしたけれど、フォースにはどこか気に入らないような表情が残っている。仕立屋さん二人が、ドレスを抱えて入ってきた。
「せっかくですから、どうぞ試着なさってお選びください。どちらがお好きでいらっしゃいますか?」
 そう言いながら、またドレスを広げ始める。
「似合いそうなのはどれかしら」
 色々着てみるのが楽しくても、まさか全部着てみるわけにもいかない。私は仕立屋さんとイージスさんも側に呼んで、ドレス選びを始めた。
 フォースとアルトスさんはまだ部屋の入り口のところにいて、声を抑えて何か話している。気になって思わず聞き耳を立てた。
「リディア様が私が選んだ口紅をつけてくださったくらいで嫉妬されていたのではたまらないな」
「は? 何言ってる。嫉妬じゃねぇし」
「だったら、そのふて腐れた顔は何だ」
「なっ、何で口紅の色なんて分かるのかが不思議なだけだ」
 確かに口紅の色を見極められる男の人には、お目にかかったことがない。アルトスさんは軍人なのだから、なおさらそう思う。
「これなんて、よろしいかと」
 仕立屋さんは、部屋を移る前にめてきたドレスを手に取った。
「あ、もう少し控えめなのを。レイクス様もあまり派手な服はお召しになりませんので、一人で目立ってしまうようなドレスは困ります」
「そうですか? それでは……、どれもお似合いになりそうですわね。どれから着ていただこうかしら」
 迷うのを仕立屋さんに任せて、私はまたフォースとアルトスさんの会話に耳を傾けた。
「分かんねぇよ」
熟視すれば分かる」
「絶対そんなもんじゃ無理だって」
「お前はボーッと見とれているだけだからな」
「なんだって?」
「ほぉ? 違うのか」
「……、い、いや、そうかもしれないけど、でも……」
 フォースが言葉を切った。ため息が聞こえたような気がする。
「薄い葉色は、肌が黒っぽく見えたりするんですよね」
 仕立屋さんが優しい彩度をした淡い緑色のドレスを私に当てた。
「まぁ! この色がこんなに似合う方にお目にかかったのは初めてですわ。本当に人を選ぶ色ですのに!」
 すごいお世辞と思いながら、これもお召しになってくださいとニコニコしている仕立屋さんに、はい、と返事をする。
「あとは……」
 仕立屋さんは、またドレスを物色しだした。意識がフォースとアルトスさんの会話に向く。
「口紅を贈るって、そういう関係の人がいたんだ?」
「どういう関係を想像してるんだかな。お前もリディア様に贈ってみろ。似合わなかったら笑ってやる」
「大人げねぇな。だけどいつの間に結婚したんだ?」
「していない。相手は陛下がお決めになった婚約者だ」
「いいのか、その人で」
「今はな」
「今はって。長いのか? 何で結婚しないんだ?」
「婚約の後、彼女が病にかかった。だいぶよくなったようだが、治ってからにして欲しいと言われている」
 その言葉に思わず視線を向けた。目が合ってしまってから視線を戻すと、仕立屋さんはベッドに並べた五着のドレスを指し示した。
「では、ご試着くださいませ」
 いつの間にそんな数になったのかと驚いているうちに、仕立屋さんは準備を始め、イージスさんはフォースとアルトスさんに部屋から出るよう頼みに行く。文句を言いたげなフォースを追い出し、アルトスさんも部屋を出た。

   ***

「では、こちらのドレスからどうぞ」
 着ていた服を脱いで、襟元の大きく開いた薄い黄色のドレスを身に着ける。綺麗なドレスを着られるのは嬉しいけれど、アルトスさんが言った言葉が頭から離れなかった。
 病気で先延ばしにしたとしたら、結婚が前提になる治ったという言葉をハッキリ言えるだろうか。陛下が相手を選ぶほどの人なのだから、病気になってしまった自分のことさえも、不甲斐なく思ってしまっているのかも。だいぶよくなったように見えて、まだ話が進まないのなら、完全には治らない病気ということも充分に考えられる。
 一着目に着替え終わった時、ドアにノックの音がした。イージスさんが出ると、アルトスさんの声が聞こえてくる。
「一着ずつ、レイクス様にも見せて差し上げて欲しい」
 フォースが見ると言ったのか、アルトスさんが見ろと言ったのか。私はその声を聞いてドアのところへと歩を進めた。
「アルトスさん」
 呼び止めた私に、フォースのところへ戻ろうとしていたアルトスさんが振り向く。
「私、フォースが結婚してくれたことで、すべてを許された気がするんです」
 いつも変わらないアルトスさんの表情が、ほんの少しだけ動いた気がした。そのまま私を見ているアルトスさんの向こうから、フォースが近づいてくる。
「どうした?」
「いえ、何も」
 後ろに下がったアルトスさんに、本意が通じたのかは分からない。でも、これ以上言うと、それも命令になってしまうかもしれないと思うと言えなかった。フォースの視線が疑わしげにアルトスさんを追う。
「フォース、どう?」
 その視線をこっちへ向けようと、クルッと回ってみせた。フワッと広がったドレスの裾が、フォースの足に引っかかる。
「あっ」
 バランスを崩した私を、フォースが抱き留めてくれた。思わず小さく舌を出して、フォースに微笑みを向ける。
「ありがとう」
 そう言うと、フォースはまださっきの行動が気にかかっているのだろう、無理のかかった笑みを浮かべた。その視線は私の目ではなく、口元辺りを向いている。
「似合ってる?」
 顔を突き合わせたままそう聞いた。フォースは視線を合わせた後、ドレスを見るためか下を向いてから顔を上げる。
「いや。見えない。胸しか」
 下を見てドキッとした。襟元が大きく開いているので、ドレスが少ししか見えない。顔が熱くなってくる。慌てて離れてもう一度、今度は踊る時のステップをゆっくり踏んだ。
「ど、どうかしら」
 いつもならすぐに、分からない、と返ってくるけれど、フォースは何も言わずにじっと私を見つめている。動悸が胸に大きく響き、なおさら顔が赤くなりそうに思う。
「フォース?」
「うん。似合ってる。……、と思う」
 ハッキリしない言葉に、アルトスさんがフンと鼻で笑った。
「見せろと言っておいて」
「まだ基準が無いだけだ」
「普段は基準にならんのか」
「しっかり化粧をしていたら違うだろ」
「ああ。そのくらいの見分けはつくんだな」
「なんだって?!」
 顔を見ないで話をしていたフォースが、アルトスさんをむように見る。私はわざとその時をって声をかけた。
「次のドレスに着替えてくるわね」
 フォースは慌ててこちらを向くと、ああ、と返事をした。側にいて欲しい時にケンカ腰になってきたら、出端をくじくのが一番だ。放っておくと二人で剣術の練習に行ってしまう。私はフォースに手を振って自分の寝室に入り、隣の部屋に耳を澄ませた。言い争う声は聞こえないし、外に出て行ったような気配もない。
「では、次はこちらにしましょうか」
 仕立屋さんは、薄い緑色のドレスを手にした。私は仕立屋さんとイージスさんの手を借りて、次のドレスへと着替えをはじめる。
 フォースとアルトスさんの言い合いが始まると、ひどく仲が悪そうに感じてドキドキする。でも、どんなひどい言い合いをしても、話が変わったとたんに同調していたりするので、本当のところは仲がいいのか悪いのか理解できない。言い合いを止めることに失敗してもケンカならずに剣術の練習に行くくらいだから、お互い信頼はしているのは分かるのだけど。
 着替え終わって、また隣の部屋へ行く。気付いたフォースが視線を向けてきた。私は、式典の時にするような、頭を深く下げたお辞儀をして見せる。顔を上げて笑みを向けても、フォースは真面目な顔のままだ。
「形はこっちの方がいいと思うけど。色のせいかな、さっきの方が顔が明るく見える」
 そう? と返事をすると、フォースはようやく頬をゆるめた。
「でも、どっちを着てても綺麗だ」
「ドレスを見ろ」
 アルトスさんがフォースの横でツッコミを入れる。私は顔が赤くなった気がして、頬に手をやった。
「あれ? 赤くなったら、その色すっごく似合う」
 そんなことを言われても、いつでも赤くなっているわけではない。上気した顔を隠したくて後ろを向く。
「き、着替えてきます」
 アルトスさんに、真面目にやれ、とどつかれているフォースにそう言って、私はまた着替えのために隣の部屋に入った。

   ***

 ったんだの末に、ドレスはなんとか三着決めることができた。仕立屋さんとアルトスさんを廊下まで見送り、ドアの前に残ったイージスさんにお辞儀をして戻る。でも、部屋の真ん中に立っているフォースの、不機嫌そうな表情は変わっていない。
「フォース?」
「俺は真面目に選んだつもりなんだけど」
「分かってるわ」
 ドレスとか化粧とかアクセサリーには、まったく興味が無い人なのに、一生懸命になってくれた。笑みを向けた私と目が合うと、フォースはため息を押し殺したような顔で視線をそらす。
「……、口紅、落として来いよ」
「はい」
 フォースの横を通って私の寝室へと向かいつつ、フォースの言葉が普段と違う響きに聞こえたように思った。そう、いつもは、化粧を落としてこいよ、と言っていた。でも今は、口紅、と。
 ふと、アルトスさんの、こちらがよろしいかと、と言った低い声を思い出す。フォースはアルトスさんが選んだ口紅を私がつけたことを気にしているのかもしれない。そう思い当たって、あ、と声がでてしまい、口元を手で隠した。
 立ち止まって振り返ると、私が何に気付いたのか分かってしまったのだろう、フォースが顔をしかめる。私は慌ててフォースの側に駆け寄った。
「フォース? 私ね、私も決められなかったから指示されたのをつけただけで」
「バカげてるのは分かってる」
 私の言葉を切るように、フォースがそう口にする。
「でも、他の男が選んだ口紅だと思うと、嫌でたまらなかった」
 フォースは私を左腕で抱き寄せると、右手の親指で私の口紅をぬぐった。
「口紅は分からないけど、ドレスなら分かりそうな気がして。でも、ドレスも駄目だ」
「一生懸命に見てくれて嬉しかったわ」
 軽く口づけた唇が離れたその場所で、フォースは口を開く。
「全部俺のモノでいて欲しいんだ。この唇に俺じゃない奴が関係してるなんて、許したくない」
「唇の、……、関係者?」
 うなずいたフォースの髪が、おでこに触れる。そんなことでフォースがいてくれることに、思わず喜んでしまいそうになる。
「直接の関係者はフォースだけよ」
 そう言うと、フォースがようやく、でも苦笑のような笑みを浮かべた。もう一度私からキスをする。強く抱きしめられ、深いキスが返ってきた。
「今度、口紅も選んで。私の唇は一つだけなのだから、あんなにたくさんいらないわ。一緒に選んだの以外は、次女さんたちにあげようと思うの。もったいないじゃない?」
 フォースは、ああ、と返事をしてうなずいた。その顔には、いつもに近い笑顔が戻っていてホッとする。
「できるだけ前と変わらない生活がしたいわ。フォースがいてくれるだけで、贅沢は足りてるもの」
「できるだけ、って言ってくれるのが、ありがたいよ」
 そう言って、フォースはため息混じりの笑みを浮かべた。


 そして。贈ったドレスくらいに装飾のついたドレスを普段から着るように、という陛下からの手紙に絶句したのは、また後のお話。



璃翠サラサさまにいただいたリクエストの品です。
フォース視点にしたら鬱陶しくなりそうだったのでリディアで。(^ ^;)ゞ
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m