レイシャルメモリー後刻

― 新しい一歩 ―

「サーディ、将来メナウルをう人間も、同じ学校で育っている。しっかり親睦を深めておけ」
 王族といえども特別扱いはしない。その父上の考えに添って、皇太子の俺は学校に入った。
 メナウルの学校は一般常識的な学問を学ぶこの学校と、騎士のための学校がある。騎士を目指す人はまずここで学び、十四歳になってから騎士学校へと分かれて進んでいく。
 学校に通い始めて二年、八歳になったある日のこと。同い年のフォースという奴が、途中入校してきた。
 まわりの噂によると、将来は騎士になることが決まっているらしく、やはり騎学へ進むらしい。実際ルーフィスという騎士の息子で、表向きは特待生ということになっている。なんでもヴァレスからわざわざ父上が連れてきたらしかった。
 でも、学校にいるのを数日見ていて、そいつは騎士に向いていないと思った。なぜって。誰とも付き合おうとしない上、授業までサボるからだ。

   ***

「どうしたんです? 怖い顔して」
 神殿に住んでいるグレイが、座っている俺の横に立ってき込んできた。
「あいつ、またサボるつもりだ」
 俺は荷物をまとめているフォースの背中を見ながらそう返した。グレイはただ肩をすくめる。
「そうみたいですね」
「次は剣術基礎だ。有り得ないと思わないか?」
 むような視線をそのまま向けると、グレイは困ったように苦笑した。
「そういえば彼、騎士候補でしたっけ」
 うん、とうなずいてフォースに目を向けると、ちょうど鞄を肩にかけたところだった。思わず立ち上がって駆け寄り、鞄の紐をつかむ。
「おい、待てよ!」
「……、なんか用?」
 フォースは振り返って面倒臭そうに顔をしかめた。紺色の目に一瞬ドキッとする。
「な、なにやってるんだ、ちゃんと授業に出ろよ」
「口を出すな」
 ため息混じりに返ってきたその言葉に、俺の中で何かがブチッと切れる音がした。
「剣術に出ないってことは、先生にも勝てるってことだよな? 来い!」
 俺は手にした鞄の紐を引っ張り、剣術の練習場へと足を向ける。
「おい、俺は行かなければならないところが」
「腕を見せろよ! 納得いったら許してやる」
 ため息をついたフォースを振り返らず、俺は歩を進めた。フォースも、もう何も言わずに引っ張られてくる。その後ろからグレイも付いてきた。
 練習場にはすでに先生がいた。前王の在位中は中位騎士だったそうで、そりゃいくらか歳もとっているけれど、中位騎士ってことは剣術も強いはずだ。ずっとこの学校で剣術基礎を教えている。
「先生」
 声をかけながら練習場に入った。
「サーディ様。ん? 君は……」
 一度合った視線が俺の後ろに逸れる。後ろから舌打ちが聞こえた。
「あんたか」
 あんた? 今先生のことを、あんた、って言ったか? それはいくらなんでも、あんまりないい方だろう。
「先生、コイツと手合わせして欲しいんです。剣術基礎は騎士候補が出なくていい授業じゃないですよね?」
 先生は視線をフォースに向けたまま軽くうなずくと、フッと余裕の笑みを見せた。
「元気にしているかね?」
 フォースは一度視線を合わせただけで、話したくないとばかりに顔をそらす。
「本当に必要ないのか、手合わせをしてみろとのことだが」
「必要の有る無しを決めたのは俺じゃない」
 相変わらずそっぽを向きながらフォースが答えた。フォースが決めたんじゃなければ誰が決めたんだという疑問が、俺の頭をよぎる。先生は苦々しい笑みを浮かべた。
「だが、従っているのは必要ないと思っているからだろう」
「まぁ、そうだけど」
 その言葉に、先生の笑みが妙に明るくなった。
「ならば勝負だ。タダでは面白くない。君が負けたら黙って差し出してもらおう」
けろってのか?」
 はぁ?! なんでいきなりそんな話になるんだ? いつのまにかポカンと開いていた口に気付き、俺は慌てて口を隠した。
「……、まぁいいか。あんたが負けたら二度と手を出すなよ」
 手を出すってことは、賭の対象は人ってことだ。そんなの冗談じゃない。
「ちょっ、ちょっと待って先生。人を賭けるなんてダメだ! それに君もなぜ受けるんだ、差し出される方の身にもなれよ!」
 聞いているのかいないのか、二人はサッサと練習用の剣を選び出した。フォースの選んだ剣は大人用に近い長さだけれど、先生のと比べるとやっぱり短い。体格も小さいし、それだけですごく不利だろう。二人は間を置いて練習場の真ん中に立った。
「待って、聞いてよ!」
 やめさせなきゃと思ったけれど、先生の目はすでに獲物を捕らえたかのようにフォースから離れない。フォースは信じられないことに、冷笑を浮かべた視線をこっちによこした。
「俺さ、そいつに教わる気はさらさら無いんだ。だからかえって好都合」
「てぁーーーっ!!」
 気合いを入れた奇声を発しながら、先生がいきなり剣を振り上げた。礼もしないで卑怯、と思ううちに、フォースが剣身をかいくぐり、剣の柄で先生の手の甲を殴りつける。ウワッと驚いた先生の声と共に、先生の剣が床に落ちて音を立てた。
卑怯な!」
 そう叫んだのは先生の方だ。どっちが卑怯なのかと問い返したくなる。
「もう一度だ!」
「な、何言ってるんだ、先生……」
 止めようとした声が、あまりのアホらしさに力が抜けてつぶやきになる。俺はグレイに引っ張られて後ろに下がった。先生はなりふり構わず剣を拾うとフォースに向けて構え、すぐに斬りかかっていく。
 フォースはその剣身を受け流し、基礎バリバリの正攻法で攻め込んでいる。押しているのはどう見ても身体の小さなフォースの方だ。動きが速く、的確に先生の隙を突いているのがよく分かる。先生の顔が少しずつ青くなっていく。剣の長さは長い方がいいなんて、必ずしもそうではないらしい。同い年でこれだけの腕だなんて、半端無く凄いと思う。
 今まで澄んだ金属音だった音がガキッと嫌な音に聞こえ、先生の剣が宙を舞った。その剣は放物線を描いて、板張りの床にトンと突き立つ。フォースの剣の切っ先が、まるで当たり前のように先生の喉元に突き付けられていた。
「基礎のみで付き合ってやったんだから、文句無いよな?」
「フォース、だが私は君を」
「約束だ」
 フォースのきつい視線に、先生が肩を落とす。ただ突っ立っている先生を尻目に、フォースはため息を一つつくと、床に突き立った剣を抜き、自分が手にしていた剣との二本を片付けた。置いてあった鞄を肩にかけ、サッサと練習場を出て行く。
「サーディ様」
 フォースを追いかけようとした背中に、先生の声がした。立ち止まって振り返る。
「どうか、伝えてはくださらないか。私は彼を」
「あきらめた方がいいですよ」
 不意にグレイが口を開く。
「俺たちは先生の約束を覚えています。それに、父親に頭を撫でられるのとはワケが違うんですから、彼にだって選ぶ権利はあります」
 あからさまにガッカリしている先生との間に入り、グレイが俺の肩を押した。
「追いかけるんでしょう? 行ってください」

   ***

「フォース、待って!」
 見えてきた背中にそう言っても、フォースは足を止めてはくれなかった。仕方なく全速力で走って追いつく。
「まだなんか用?」
 それでも足を止めずに、フォースは言葉だけを向けてきた。
「いや、ゴメン、謝りたくて」
「それくらいなら、どうして騎学に遅れたのか、陛下に説明しておいて欲しいんだけど」
「え?」
 騎学とか父上とか、言葉が頭の中でぐるぐるしていて何を言っているのか分からない。
「だから、こっちで何を受けて、騎学で何を受けるかの最終決定を下したのは陛下だって、あ」
 フォースが足を止めてこっちを見た。
「サボってるわけじゃないって、言ってなかったっけ?」
 ってことは、騎学も同時に通っているってことなのか?
「そんなの、聞いてない……」
 二人で視線を合わせて確認し合っているうちに、力の抜けた笑いが出てきた。だいたい、知っていたらどうして怒ったりするんだ。
「でも、人を賭けて勝負するなんて、それはいけないことだと思う」
「え。そっちも分かってなかったのか?」
 フォースはあっけにとられた顔で俺を見ている。
「な、なんだよ」
「賭けたのは俺自身だ。だから問題ない」
「フォース自身を? でも、二度と手を出すなって言ったから、守っているお姉さんでもいるのかと、……、ええっ?!」
 思わずフォースを指差した俺に、フォースはため息をつきながらうなずいた。
「そう、そういう趣味の人なんだ。目の色のせいか気に入られちゃって、面倒だから近づくなって父に言われてて」
 先生がそういう趣味の人? 確かに前王のお気に入りだったから、先生も首にならずに済んでいるのかもしれないけど。ってか、そんな人ホントにいるんだ? しかも二度とってことは。
「まままさか、襲われたのか?」
「は? 冗談。あいつ、とろいだろ。サッサと逃げたから全然無事」
 それを聞いて安心した。心の底から安心して、身体の空気全部を吐きだした。そんな俺を見ていて笑いかけたフォースの顔が引きつる。
「うわ、俺、行かないと。じゃあな。気をつけろよ」
「あ、う、うん!」
 って、気をつけろって先生にか? どうやって? フォースが走り去っていくのを見て、なんだか軽く気が遠くなる。
 そういえばグレイを残してきたんだったと思い出し、練習場に急いだ。まさか、グレイを襲っていたりしないだろうか。そうじゃなくても次は剣術基礎だ。あの先生の授業を受けなくちゃならないなんて、気が重すぎる。
 練習場から、生徒が戻ってくるのに出くわした。漏れてくる会話から、今日は休講になったと分かる。しかも、どうもグレイが先生に休講を取り付けたらしい。練習場に入ると、そのグレイが駆け寄ってきた。
「今日は休みにしてもらいました」
「それは聞いたけど。大丈夫だった?」
「大丈夫です。ああいうのって恋愛と一緒で、誰でもいいってワケじゃないですからね」
 その浮かべた余裕の微笑みに、俺はまたあっけにとられる。
「教室に戻りましょう」
「え? あ、ああ」
 グレイと肩を並べ、足を踏み出す。
 なんだかいきなり世界が広がったというか、妙に濃い一日だった。こういう人たちと出会うために、この学校に来たのかもしれない。俺は漠然とそう思った。



瀬生曲さまにいただいたリクエストの品part2です。
前のが本編同場面異視点だったので、おまけに書きました。
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m