レイシャルメモリー後刻

― 気力能力適材適所 ―

 領主になってしまえば、誰をどこにけるなど、完全に人任せになってしまうのだろう。だが今は見習いの立場だ。俺は、軍の生活が分かっていても城の生活にはい。むしろ、人員の配置に関わって、どれだけの人員が必要なのか把握できるようにしなくてはならなかった。
 もちろん兵をうための面接にも顔を出している。ここ、ルジェナ・ラジェス領を発展させるためにも、できる限りそこに住む人間を雇おうと、タスリルさんと話が付いていた。
「お世話になっております。ノルドの兄でオルニと申します。いつも弟を気に掛けてくださり、ありがとうございます」
 面接の際、そう言って頭を下げた兵士の態度は、非常に真面目に見えた。
 ノルドといえばペスターデの下で、山の中腹にある畑や、城の庭を世話をしている十四歳の男の子だ。最初に会った時、リディアの手を振り回すような勢いで握手をしていたので、嫌な印象を持った。だが今は、真面目に働く子だと分かったし、リディアに接する時の礼儀も覚え、そこそこ信頼を置いている。
 そのノルドの兄だというオルニは、手元にある資料に二十歳と記載されているように、外見は俺とあまり変わらない歳に見え、態度も真面目だった。その上初めから礼儀作法もしっかりしているので、イージスの下に就くことが決定した。
 だが、時が経つにつれて気になってきたことが一つだけあった。行動や視線がリディアに向きすぎていることだ。憧れだの尊敬だの、そういった感情ならかまわない。だが最近は、オルニの俺に対する敵意のようなモノを感じるようになったのだ。
 それは間違いなく恋愛感情だ。他になにも分からなくても、危ない匂いには敏感にできている。俺はこういう奴らからリディアを守ってきたのだから。
 だが、何も落ち度がないうちから移動を決めてしまっていいものだろうか。なんだか俺が単に嫉妬しているようにさえ感じる。
 それでも、ことが起こってからでは遅いのだからと、オルニはペスターデの研究所に通ってもらうことに決めた。城への出入りは俄然少なくなるだろう。俺自身が人事に関わっていて幸運だったと心の中で舌を出した。オルニの配置を換えるための書類が揃ったその時、慌てたイージスが執務室に入ってきた。
「リディア様の行方が分かりません。現在捜索しております」
 リディアは疲れたから少し休むと言って、部屋に向かったはずだった。それがその報告だ、とっさには息もつけなかった。怖々顔を上げたイージスを見て、やっと声が出る。
「部屋を見張っていなかったのか?」
「兵士をつけていたのですが、いつの間にやら、もぬけの殻に……」
 聞こえていたのだろう、奥の部屋のドアが開き、タスリルさんが顔を出した。
「城内には居るよ」
 視線を向けると、タスリルさんは斜めにうなずく。
「今は無事だが、体調がねぇ」
 この城はタスリルさんの術で守られているといわれ、敵意のある人間は入れなくなっているらしい。だが術が目に見えないだけに、信頼だの人望だのが根にあるような気がして怖い。しかも、横恋慕は基本的に好意だ、などとタスリルさんは言っていた。完全に安全とは言い難い。
「オルニはどうしている?」
「は? なぜオルニのことなど」
 名前を出したことで意表を突いたのか目を丸くすると、イージスは眉を寄せて考え込む。
「確かにオルニから他の兵士に交代はいたしましたが。……、まさか、連れ出してから交代を」
 イージスはオルニが怪しいなどと、想像もしていなかったようだ。
「ノルドを探すと言って交代したという報告を受けておりましたが」
 その言い訳めいた理由に、なんだか背中がゾワゾワする。もしオルニが連れ出したとしたなら、イージスが裏をかかれていることになり、悪意があることも充分に考えられるのだ。リディアの行方が分からないうちは、心穏やかでいられない。
「リディアを探してきます」
「行っておいで」
「何か分かったら連絡をお願いします」
 俺はタスリルさんにそう言い残して部屋を出た。イージスも後から付いてくる。廊下をいくらか進むと、掃除をしに来てくれている女性が目に入った。こっちに気付いて頭を下げたその人の側へ行く。
「リディアを見ませんでしたか?」
 顔を上げたその女性は、見ました、とうなずき微笑んだ。
「オルニと一緒に部屋から出ていらっしゃいましたよ。ノルドを探さないとと言いながら」
 当たりだ、と心の中で舌打ちする。
「その時交代の兵はいましたか?」
「いえ、まだ。一人でいては危険だから、一緒にいらしたのですよね?」
 女性の問いを苦笑でごまかす。危険なのは勝手に部屋から連れ出すその男の方なのだ。
 他の兵が居ないところを狙ったということは、オルニが単独で動いている可能性が高い。大掛かりな犯罪でないなら少しは安心、などとは思えないが。
「どっちへ?」
 俺は話を修正して先を促した。
「庭の方へ歩いていかれました。オルニったら、心配だとか言いながら、凄く嬉しそうに」
「どうも」
 黙って聞いていられずに、話を切り上げた。そのまますぐ庭へ出る扉へと向かう。
 リディアとオルニの様子を詳しく聞いておいた方がいいのかもしれないが、その女性が笑って伝えられるのだから、まだ危険な状況ではないのだろう。それよりも一刻も早く探し出さねばならない。
「城を閉鎖して、兵にも捜索の命を出してまいります」
 俺がうなずくと、イージスは廊下を奥へと駆けだしていった。あまり騒ぎ立てたくはないが、リディアに何かあってはたまらない。イージスを止めることはしなかった。
 庭に出ると、一人の庭師が目に付いた。庭師なら上下はあってもノルドと所属が同じだ。何か知っているかもしれないと駆け寄る。
「レ、レイクス様っ!」
 俺に気付いて驚いたのか、庭師は深く頭を下げた。こんな姿を見ると、自分がライザナルの皇太子なのだと改めて思い出してしまう。でもそんなことを言ってる暇はない、庭師の態度を気にせずに問いを向ける。
「リディアを探しているんです。オルニが一緒かと思うのですが」
「はい、ここを通って行かれました」
 庭師が何か話してくれると思ったが、緊張しているらしく、頭を下げたまま固まっている。
「どこへ行ったか知っていたら、教えてくださいませんか?」
 そう言って顔をのぞき込むと、庭師は跳ねるように真っ直ぐになって口を開いた。
「ノルドのことを聞かれましたので、馬小屋にいると伝えましたら、そ、そちらの方へ」
 目を見ながら絞り出したような震える声は、嘘をついているようにも聞こえない。
「ありがとう。行ってみます」
「あ、あの」
 形だけの会釈を返して離れようとした俺に、庭師が声を掛けてきた。
「前にノルドが、リディア様がオルニの嫁になるとか言ってい」
「そんなわけがないだろう!」
 思わず大声で言い返しながら向き直ると、庭師は身を守ろうとしてか、腕で顔をって身体を引いた。
「いえ、で、ですから、言っていたのをき、聞いただけで、本気にしたわけでも……」
 尋常じゃない怖がり方に、脅かしてしまったかと、俺は軽く頭をさげる。
「すみません、申し訳ない。教えてくださってありがとうございます。後でまたお話をうかがわせてください」
 敬礼が出そうになるのをこらえ、きちんと頭を下げてから、俺は馬小屋へ向かって急いだ。オルニがリディアを狙っていることは間違いない。サッサと見つけ出さないと、とんでもないことになりかねない。落ち着いていようと思いつつも、身体は勝手に駆けだしていた。
 馬小屋の前には女性が二人、水桶を側に置いて立ち話をしていた。
「まぁ領主様、どうなさいましたか?」
 息を切らせて駆け寄った俺に、女性たちは不思議そうな顔を向けてくる。
「リディアを探しているんだけど」
 女性たちは笑顔を向き合わせると、にっこりと笑いかけてきた。
「ほんの少し前にいらっしゃいましたよ」
「いろんな道具を置いている倉庫の方へ、ノルドと手を繋いで行かれました」
「ええ。オルニに馬を一頭引かせて」
 馬を必要とするということは、リディアを連れて逃げるつもりなのだろうか。だが一頭で三人は無理だし、二人で乗るにしても一緒に乗る人間の協力がないと無謀だ。リディアが協力するなんて有り得ない。
 だが、女性の言葉にイライラする。手を繋いで歩くほど、ノルドは子供じゃないだろう。しかも、馬を一頭引かせて、という言い回しも気になった。馬を引いてくるように言ったのはリディアなのだろうか。だったら本気でオルニに付いていくつもりでいるのかもしれない?
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、なんでもない。ありがとう」
 いつの間にかのぞき込んでいた二つの顔に笑みを向け、俺は倉庫の方へと駆けだした。
 リディアが黙って出て行こうだなど、あるはずがない。城外に出る手は結構あるのだが、湖の真ん中に建っているような城なので、目に付かない出入りは難しい。もし連れ出そうとされたとしても、見張りに少しでも引き留められたら追いつけるだろう。
 城の扉の側、道の脇に植えた低木の陰で何かが動いた。素知らぬ振りで通り過ぎてから振り返ると、ノルドと目が合った。ノルドはしまったとばかりに口を手で覆っている。
「そこで何をしている。リディアをどこにやった?」
「レ、レイクス様、顔色が悪いよ?」
 リディアの名を口にしたとたん、ノルドの顔からサッと血の気が引いた気がした。
「お前もだ。何か知っているんだろう」
「ご、ごめんなさい……」
「は? なんでる? ごめんなさいってのは、やっぱり何かんでいるからかっ」
 詰め寄ろうとすると、ノルドは両方の手のひらをこっちに向けて後退りする。
「もしかして、リディア様の心配してる?」
「当たり前だろ!」
「じゃ、じゃあ、大事にしろよ」
 なんだかノルドは胸を張って目一杯虚勢を張っているが、俺が怖いのか声が震えている。
「何言ってる。俺がリディアを大事にしていないように見えるのか?」
「だって初めて会った時、すげぇ怖い顔で引っ張っていったじゃないか」
「そりゃあの時はケンカしてたし、お前に嫉妬してい、」
 慌てて口を押さえたが、しっかり聞こえてしまったらしい。ノルドは目を丸くして俺を見ている。
「嫉妬? って、俺に?」
「そ、そんなことはどうでもいい、お前の兄貴はどこに行った。リディアといるんだろう? 教えろ!」
「そ、倉庫に。って、あ」
 言うつもりはなかったのか、ノルドは口をつぐんだ。だが、女性達の言っていた方向とも一致するので、多分間違いない。
「行くぞ!」
「待って!」
 声を無視して走り出す。ノルドの靴音が後から付いてきた。
「お前の兄貴は何を考えているんだ」
「何って?」
 振り返りもせずに聞く俺に、ノルドは返事をしてくる。
「リディアのことだ。何か言ってなかったか?」
「助けてやるって」
「助ける? 何から」
「レイクス様から」
 ノルドの言葉に思わず吹き出した。早さを少しだけめると、ノルドが横に並ぶ。
「なんでそんなことを」
「すげぇ怖かったから、きっと嫌だと思ってるって兄ちゃんに言ったんだ。そしたら権力を振りかざしてモノにしたんだろう。かわいそうだから助けてやらなきゃって」
 しゃべっているせいか、ノルドは息を切らして足を止めそうになる。
「先に行くぞ」
「待ってよっ、引き留めろって兄ちゃんに言われ、あ」
「冗談じゃない」
 話を聞いてしまったらノルドにもう用はない。俺は足を速めた。オルニにことを起こさせる前に止めなくてはならない。
 見えてきた倉庫は、一見何も変わりがないように見えた。だが近づくにつれ、少しだけ開いている扉の内側に人影が見えてくる。その扉に手が届くか届かないかのところで、扉が閉められた。すぐに取っ手を引っつかんで力の限り開け放つ。
 木製の扉がんだことに驚いたのか、人影が飛び退いた。
「うんわ……」
 驚いている割には、冷静に驚く声が聞こえる。
「お前は。オルニか」
 倉庫に一歩踏み込むと、こっちを見ていた人影が肩をすくめた。
「確かに、これじゃあな」
 オルニだ。思わずまわりを見回すがリディアはいない。
「リディアをどこへやった」
「やった? いえ、俺は何もしていませんよ? 彼女が彼女の意志で動いているだけで」
 思わずオルニの表情をうかがう。オルニはいくらか引きつった顔で、かすかに笑みを浮かべていた。
「どういうことだ」
「だーかーらー。分からないですか? 彼女、あなたから逃げているんですよ」
 思いもよらない言葉に、返事が出なかった。オルニは俺と正面から向き合う。
「彼女の意志を無視して引きずっていったり、横暴な態度がよくないんじゃないですか? 今だって、ほら、そんなだ。普通じゃないでしょう」
 一刻も早く見つけ出さなくては危ないと思っている時に、普通とか異常とかは関係ない。
「それに、酷く地位が高いのも大変なのでしょうね。彼女は縛り付けられたくないようですよ」
 リディアは、そんなこと充分に分かっていて一緒にいてくれている。オルニの言葉は、体裁を整えるためのれ言としか思えなかった。
「リディアはどこにいる? 隠したのか?」
「とんでもない。まぁ、待ち合わせしていますけどね。用事を済ませたら俺の元に戻ってくださることになっています」
 待ち合わせ? オルニの元に戻る? これも嘘だと思う。でも今度は根拠が浮かばない。顔をしかめた俺に、オルニは冷ややかな笑みを浮かべた。
「突然のことで驚かれたでしょう。少し頭を冷やされた方がいい。リディア様を呼んでまいりますよ」
「いや、一緒に行く」
 ムッとした顔をして俺の横を通り、オルニは扉に向かいながらため息をついた。
「仕方がないなぁ。では、彼女の気持ちを優先してくださいね?」
「当然だ」
「では、案内します」
 オルニは、そう言って手を掛けた扉を、急いで閉めた。駆け寄った時には鍵が下ろされた音が響く。
「くそったれ、ここを開けろ!」
「やなこった!」
「開けやがれ!」
 扉を拳で叩いて声を掛けたが、今度は返事がない。いざとなったらこんな扉は蹴り飛ばしてやると思いながら扉に耳を寄せると、蹄の音と同時に小声のやりとりが聞こえてきた。
「兄ちゃん、いいの? 怒られるよ?」
 やっとたどり着いたのだろう、幾分疲れたようなノルドの声がする。
「そんなことを言っていられないだろ。リディアさんを救い出さなきゃならないんだから」
「はぁ? 何が救い出すだ!」
 思わず叫んで後悔する。思った通り、オルニの勝ち誇った笑い声が響いた。
「まぁ、俺とリディアさんが城外に出るまでそこにいろよ。ノルド、行くぞ!」
「あ、兄ちゃん、待って!」
 二人分の足音が遠ざかっていく。
「くそ、開けろって言ってる!」
 焦れた俺は一歩離れ、扉の鍵のある辺りをめがけて思い切り蹴りを入れた。木製の扉は鍵などちぎれてしまったのだろう、簡単に勢いよく開き、壁の向こう側へとぶつかった。その音に振り返った二人が目を丸くしている。
「乗れ! 早くしないと殺されるぞ!」
 オルニはノルドを馬に押し上げると、自らも騎乗する。俺が追いつく前に動き出したが、人の駆け足と同じくらいの早さしか出ていない。
「待て、止まれ!」
「できるかっ、おととい来やがれ!」
 言葉の割に、馬の速度は上がらない。ろくに乗れもしないのに馬を使おうだなどと、なぜ考えたのか。
 それにしても、このままだとこっちの体力が保たない。他に手は無いかと考えを巡らせ、イージスが城を閉鎖してくれていることを思い出して足を止める。
「ざまあ見ろ! これでリディアさんは俺のモノだ!」
 追ってこないことに気付いたのか、そう叫んだオルニが遠ざかっていった。
 城が閉鎖されていたとしても、まだできることはありそうだ。何も知らないと思ってか散々バカにした態度から、この城を出ようとするなら一番目立たない出入り口を使うだろうと推測できる。ここからなら逆方向だから、裏をかいたつもりでいるのかもしれない。
 オルニは馬でもあの速度だ。少し急げば先につけるだろうと、俺はその出入り口を目指した。
 はたして、馬の一頭足りない馬車が見えてきた。やはりここから出るつもりだったのだろう。その側にはイージスと兵士が五人いて、こっちに気付くと一斉に敬礼をした。
「リディア様は外にいらっしゃらないようで、現在は城内を探しています。城は閉鎖済みです」
「閉鎖しなくても、あのバカが使うとしたらここだろう」
 イージスにそう返しながら、この間抜けな計画が罠だったらマズいと思い直す。
「こっち側にいてくれ」
 多分俺が来た方角の反対側から来ることになるだろうと、俺は一人で馬車の反対側に回った。
 まずは落ち着こうと大きく深呼吸をして、馬車に背を預ける。すぐに、本当にオルニとノルドの乗った馬が見えてきた。
「何であんたがここに!」
 オルニは側まで来て馬を止めた。
「お前の行動から、察しくらいつく」
 俺の言葉に目を丸くしてから、オルニは慌ててまわりを見回す。
「リディアさんが来ていない? なんで?」
「来るか、バカ」
「そうか! 俺からリディアさんを隠したんだな?」
「あれからまだ会っていない。隠しようがない」
 オルニが知らないところを見ると、リディアはまだ城のどこかにいるのだ。捜索が行われているのに、見つからない場所に。
「そんなわけがないだろう。来てくださるって言ったんだ、あんたが隠したに決まってる!」
「お前相手に隠す必要も、あ」
 そうか、そういうことだ。今のオルニの言葉で、リディアがどこにいるか分かった気がした。
「ほら見ろ、あんたが隠したん、!」
「オルニ! どなたに向かってあんたなどという口の利き方を!」
 我慢できなくなったのか、イージスが兵を連れてこちら側に回ってきた。兵士三人が馬を囲み、他の二人がオルニを引きずり下ろす。ノルドは一人で馬にしがみつきながら下りてきた。
「なんてことだ、リディア様を自由にして差し上げられなかったなんて!」
 イージスは、ほとんど叫ぶように言ったオルニの前に立ち、顔を突き合わせる。
「リディア様はいつでもご自由であらせられる。一体どうすれば、そのような誤解が生まれるんです」
 ふと目の端に、ノルドが俺を指差したのが見えた。それに気付いたイージスが、俺に視線を向けてくる。
「え、いや。もしかしたらそうかもしれないけど」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を出したイージスに、俺は、ゴメン、とった。
「ノルドにケンカしているところを見られたことがあって、たぶんそれで……」
「ケンカ、ですか」
 イージスは緊張が解けたように、ハァとため息をつく。
「誤解は今すぐ解くよ」
 そう言うと、ノルドが疑わしげな目で見上げてきた。
「そんなこと、できるの?」
「ああ。一緒に来て欲しい。オルニもだ」
 城へ向かって歩き出す。ノルドとイージス、兵士二人に両脇を固められたオルニも付いてきた。
 向かう先は自分の寝室だ。そこなら自分の側近以外の人間が入ることはない。リディアの寝室とは奥で繋がっているが、リディアを捜索し始めたのは外に出ている間だったのだから、わずかなに入れ違いになったのだと考えられる。イージスも途中で気付いたのだろう、納得したような顔をしていた。
 寝室のドアの前で足を止め、ノルドやイージスが後ろにいるのを確かめるために振り返った。オルニが不審げに眉を寄せる。
「ここは」
「俺の寝室だ」
 リディアがいそうな所は、もうここしか残されていない。どうか居てくれと祈りながらドアを開けた。部屋はガランとしていて人影は見えない。だが、整えられているはずの寝具にふくらみが見えている。
 ドアを開け放ったままで静かに自分のベッドへと近づくと、フワッと沈み込んだ枕の端にリディアの頭が見えた。
 ホッとして体中の息を吐きだし、ドアを振り返る。その表情で分かったのだろう、イージスの肩から力が抜けたのが分かった。
 リディアのすぐ側まで行き、顔にかかっていた寝具をどける。
「リディア」
 耳元に口を寄せて、その名を呼んだ。リディアは、んん、と声に出して息をらし、身体を少しだけ動かす。
「リディア、起きて」
「ん……、フォース?」
 リディアの腕が伸びてきて、俺の首にみつく。引き寄せられるままに口づけた。
「フォースだって?」
 オルニの驚いた声に目を見開き、リディアは顔を隠すように俺に抱きついた。ノルドがオルニの袖を引っ張り、知らなかったの? などと聞いている。
「ドア、開けてたのね」
「ああ。みんなでリディアを探してたんだよ。無事でよかった」
 そう伝えるとリディアは腕をゆるめ、俺と顔を突き合わせた。
「あ。連絡しないうちに寝てしまって……」
「連絡?」
 横に座って聞き返した俺に、リディアは半身を起こし、ええ、とうなずいた。
「最初はノルド君を探していたの。見つかったらオルニさんと三人で、鳥を見に行くって話になって」
 なんだそれは。やはりリディアをして連れ出そうという魂胆だったのか。俺はオルニに視線を移した。
「へぇ、鳥をね」
「誘われたのだけど、やっぱり具合が悪くて。その場では言い出せない雰囲気だったから、誰かに断りに行ってもらおうと思ったのだけど。ごめんなさい、私、寝ちゃったんだわ」
「そんなのかまわないよ。なぁ、そうだろ?」
 俺はオルニに問いを向けた。口を開けたままボーッと見ているオルニに冷笑してみせる。
「罪人にならずに済んだんだし」
 オルニはヒッと息を吸い込んだ。
「と、とんでもないっ。って、え?」
「処分なさらなくてよろしいのですか?」
 イージスの不機嫌な視線が、オルニと俺を行き来する。
「いや、そいつの移動の書類が執務室に揃えてあるから、通してくれればそれで問題なしだ。あ、城の出入りも禁止にしておいてくれ」
御意
 イージスはにっこり微笑んで敬礼をよこした。自分をれようとした男を部下にしておくつもりは、やはり無かったのだろう。
「ってことは、ちょ、ちょっと待て!」
 オルニが慌てた声を出す。
「なんでもう揃ってるんだ? 何もなくても移動だったってのか? そんなの横暴だ!」
「俺にも危機管理能力ってのが備わってたんだな」
 俺がノドの奥で笑っていると、オルニは兵士の手をふりほどきそうな勢いで激高した。
「リディアさん、止めてくださいっ。レイクスの嫉妬で移動させられるだなんて、あんまりです。そんなことになったら、もう二度と会えなくなってしまいます! さぁ、リディアさんっ!」
 その様子をキョトンとした目で見ていたリディアは、俺と目を合わせると温和に微笑み、その笑みをオルニに向けた。
「オルニさん、大丈夫ですよ。夫は適材適所をしっかり見抜ける人ですから、今の職にい続けるよりも、必ず人の役に立てるようになります」
 大丈夫ってのは、そういう意味か。衝撃を受けたオルニの顔を見て、俺は吹き出すのをこらえた。
 確か前にもこんなことがあった。気付いているのかいないのか、極上の微笑みで突き放すのはリディアの特技なのかもしれない。自分がそんな目にうのはご免だが。
「タスリル様にリディア様のご無事を報告いたします。それでは失礼いたします」
 イージスは敬礼を残してドアを閉めた。リディアの名を呼んでいるオルニの耳障りな声が遠ざかり、寝室が完全に二人だけの空間になる。
「本当に無事でよかった。本気でリディアを連れ去るつもりだったらしいし」
「そうなの? 罪人って、そういうことだったのね」
 それを聞いて、リディアに少しも説明していなかったことに思い当たった。
「だけど、具合がよくてもフォースとでなくちゃ外に出たりしないから大丈夫よ」
「嬉しいよ。安心できる」
 リディアの微笑んだ唇と唇を軽く合わせる。
「けど、その具合が悪いのは一体どうしたんだろうな。風邪にしては全然俺にうつらないし、いやに眠そうだし。タスリルさんには診てもらったのか?」
 そう言うと、リディアはフフッと笑い声を立てた。
「適所に移動させられない適材じゃなきゃ困っちゃう家臣がいるみたいなのよ」
「え?」
「ここに」
 そう言った手は、リディアのおなかに触れている。
「……、ええっ?!」
 思わず立ち上がって叫んだ声がかすれた。正面から向き合うと、リディアが自分でおなかを撫でている手が、酷く緩やかに優しく感じる。
「子供ができたのか?!」
 立ったまま顔を寄せて聞いたその問いに、リディアは満面の笑みを浮かべた。やはりそうなのだ。喜びとか期待とか不安とか、色々な気持ちが一気に押し寄せてくる。
「と、とにかく大事にしないとな」
 混乱したまま、だがそう口にしただけで、笑い出したいのをこらえなくてはならないほど自分が喜んでいることに気付いた。なんだか変な顔をしていそうでリディアに背を向け、悟られないように陰で拳を握り、力を込める。
「あぁくそ、オルニ呼んできて教えてやりたい!」
 リディアが俺のモノだと示す事実で、これ以上のモノはない。どれだけ悔しがるだろうと考えると笑いが止まらなくなる。
「フォース。そんな追い打ちかけなくても」
 もう一度リディアと向き合い、苦笑した頬にキスをして、すぐ横に座った。
「触ってもいいか?」
「ええ。でも、ここにいるだけで、まだ何も変わりないのよ?」
「いいから」
 手をリディアのおなかに添える。その手の上からリディアの手が重なった。感触は何も変わっていないのかもしれない。でも、そこにあるだろう存在は、痛いほど嬉しかった。



とうこさまにいただいたリクエストの品です。
私の脳味噌ではラブコメを書けそうにないので(〃∇〃)、
せめて「キリキリ舞い」だけは外さないように心がけてみました。
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m