大切な人 Parallel
   ― 嘘 ―

 バレンタインとかいうお祭りはひどく混みそうだからと、時期をずらして来たつもりだったが、店は結構な数のカップルで賑わっていた。たくさんのカップルがいることに少しホッとしながら、たぶんここが一番目立たないだろうと、リディアと二人隅の席に着く。
「両手を使っていいのよね?」
 腰を落ち着けるなり、開口一番リディアは言った。
「いいよ」
 俺も間を空けずに返事をする。
「ホントに負けた方がなんでも一つ、いうことを聞くのよ?」
「OK」
「あのバケツに入ったパフェを半分ずつ食べるって言っても、拒否権なしよ?」
 え? と思いながらリディアの視線を追った。一瞬普通のパフェに見えたが、ひどく違和感を感じる。校則違反、という大きめな声につられて目をやると、学生なのか、多少体格はいい気がするけどコレが普通サイズだろうという感覚が戻ってきた。そう、そのパフェとソイツの図体が異様にでかいのだ。半分とはいえ甘い物が好きではない俺にあの量は地獄だ。いや、最初から負ける気なんて無いんだけど。
「了解」
 視線を戻そうとして大きな男の彼女がひどく小柄な事に気付き、大丈夫なのだろうかと余計な心配をしながら返事をした俺に、リディアはクスッと笑みをこぼした。
「じゃあ、左手」
「えっ? 左?」
 そう聞きながら振り返ると、リディアはテーブルの上で遊んでいた俺の左手をサッサと取る。
「だって右手じゃ力が違いすぎるでしょう? ね?」
 満面の笑みを向けてくるリディアに何も言えないうちに、リディアは親指を立て、他の4本の指で俺の指を握ってくる。
「はじめ」
 リディアは、そう言うが早いか俺の親指を右手で押さえ付けて自分の親指を重ね、その親指を右手で覆って力を込めた。
「え? って、早っ」
「先制攻撃」
 リディアはノドの奥でクスクスと笑い声をたてると数を数えはじめた。通りがかったウエイターが足を止めこちらを向く。
「ご注文は?」
「コーヒーひとつ。他はまた後から頼むよ」
 見る限りではリディアが俺の手を握っている様にしか思えないだろうが、顔色一つ変えず、かしこまりましたと丁寧に頭を下げて去っていくウエイターに、ちょっと敬意を感じたりする。まぁ、リディアが数を数えているから、違うかもしれないとは思うだろうけど。
「フォース、ずるい。一人だけコーヒー」
 リディアは数を数えつつ、うつむいて手を見ながらそう口にした。
「だって、両手使うんだろ? 長丁場なんだし、冷めたり溶けたりしたモノ食べたくないだろ」
「そうだけど……。51、52、53……」
 実は、やっていることは指相撲だが、リディアが知らなかったらしいのをいいことに、指を押さえたまま100数えたら勝ちだと言ってあったりする。当然リディアの手に触れていたかったからそう嘘をついたのだけれど。リディアが勝ったら、俺に何を望むんだろう。ホントにあのでかいパフェを食べろと言うんだろうか。それとも。
「85、86、87……」
 少し聞いてみたい気もするが、このままだと負けてしまうので親指を動かそうとすると、リディアは慌てて両手に力を込めた。このくらいなら、逃げられない事もない。
「フォース、お願い、私から逃げないで。91、92……」
 は? 今なんて言った? そんな言い方をしたら違う意味に聞こえるじゃないか。
「リディア? なに言って」
「離れたくないの。だから逃げちゃイヤ」
 とりあえず指を外そうと力を入れた俺の顔を、リディアは悲しげな瞳で上目遣いに見上げてくる。俺は思わず言葉に詰まり、リディアに固まった視線を返した。
「……99、100。私の勝ちね」
 リディアはホッとしたように息をつくと、そっと手を離した。
「しまった。ってか、ずるいだろ。まるで痴話ゲンカしてるみたいな事を言って」
「却下。心理戦だって立派な戦法でしょう? それにね」
 リディアはうつむき加減で微笑むと、なんだか凍り付いたような笑みを向けてくる。
「10倍も数えたんだからいいじゃない」
「えっ? 知って……」
 言葉に詰まって口を隠した俺に、リディアは頬を膨らます。
「もう、嘘つき。ちゃんと言うこと聞いてくれなきゃ許さない。ウエイターさんが来た時、とっても恥ずかしかったんだから」
 マズったなと思ったその時、ウエイターがテーブルの横に立った。テーブルにコーヒーとミルクピッチャーが置かれるのを、リディアはじっとうつむいて待ち、おもむろに顔を上げる。
「紅茶のシフォンケーキとレアチーズケーキ、ローズとレモンバームのハーブティと、それからベリーのタルトもください」
 かしこまりました、とウエイターが去っていくのを呆然と見送ってからリディアを見ると、リディアはもう既に何事もなかったかのように微笑んでいる。むしろそれが怖い。
「まさかそれ、俺に全部食えとか言わないよな?」
「私だって食べたいもの、半分だけお願い。それにハーブティは私のよ。ローズとレモンバームのブレンドって美味しそうでしょう?」
 リディアが作ってくれる砂糖控え目なお菓子なら食べるが、こういう場所のは苦手だ。半分だけ食えばいいと分かってちょっとホッとする。そのくらいならコーヒーで流し込んでしまえば我慢して食えないこともないだろう。
「それからね」
「まだあるのか? 言うこと聞くのは一つだったんじゃ」
「嘘付いたお詫びは?」
 リディアの声は楽しげだが、その顔は笑っていない。
「すみません。なんなりと」
 頭で考えるより先に言葉が出た。いきなり下手に出た俺がおかしかったのか、リディアはクスクス笑うと、恥ずかしげに左手を差しだしてくる。
「いいって言うまで、しっかり両手で握っていて欲しいの。ケーキは私が食べさせてあげるわ。だから絶対に離しちゃイヤよ」
「なんだ、そんなこと……」
 そう言いながら、俺はリディアの手を握った。元々リディアに触れていたくてついた嘘なのだから願ったり適ったりだ。それにどうせここはカップルしかいない。手を握っているくらい珍しくも何ともないはず、……なのだが。なんだかイヤな予感が湧き上がってくる。
「……なぁ、コーヒーは?」
「ケーキの後ね。それとも、冷める前に飲んでおく?」
 もう2度とリディアに嘘はつくモノかと、俺は真剣に身にしみて思った。



※文中、大きな男性と小さな彼女は鈴子さん作「1.32Gの未来」のケヴィン&シホちゃん、
学生カップルはみずきあかねさん作「また、あした」の来栖君&未来ちゃんです。