― 差し出された手 ―


「来るんだ」
 紺地に金の装飾が映える甲冑の腕が差し出される。もう片方の手には父王の血で染まった剣。抵抗しようにも、スカートの下に隠した短剣を取り出しているうちに斬られてしまうだろう。
「嫌ですっ」
 剣や甲冑がたてる金属音の中、キッパリと拒否の言葉を投げつける。
「来るんだ!」
 さっきより冷たい声。の隙間から無理矢理微笑んでいる瞳が見える。思わず父王の亡骸に取りすがりながら、それでもその目から視線を逸らせない。
「どうか、殺して……っ」
 その言葉を聞いた怒りからか目が細くなる。伸びてきた手が私の二の腕をつかんで引いた。その力で一瞬にして担ぎ上げられる。
 歩を進める揺れが身体に伝わってくる。そこから見えた光景はい有様だった。兵が助けてくれないのは、自分の身を守ることすら絶望的な劣勢だからだったのだ。この派手な甲冑すら視界に入っていないのだろう。もっと速く歩いて、私をここから遠ざけて欲しい。どんなに早く離れても、絶望からは逃れられないけれど、それでも。
「フェルディナント様」
 呼びかけられたその名前は、隣国の王子のものだ。聡明で戦術にもけ、王に劣らぬ指導者だと聞いたことがある。戦術に長けているというところだけが事実で、他は噂に過ぎなかったということなのだろうか。
「その女は? どうされます?」
 ぎらぎらした目を向けられ、心臓が縮む思いがした。冑からクッと笑い声が漏れる。
「これは俺のだ」
 俺の、だ? それって、もしかして。
「嫌っ、嫌ぁ!」
 思わずこぶしで背中のプレートを叩いた。何度叩いてもガンガンと音が響くだけだ。ニヤニヤと笑いながら敬礼している敵兵も遠ざかる。
 もはや、すれ違うのは敵兵ばかりだった。敬礼を向け、足早に奥へと駆け込んでいく。私の国の兵は、一人として助からないだろう。
 でもただ一つ、を取るチャンスが残っている。スカートの下には短剣が隠してあるのだ。ずっと甲冑を叩いていたせいで手の感覚がおかしい。力を緩め、プレートを叩くのをやめた。これで全てをめたと思ってくれたら。
 剣を鞘に収める音が聞こえた。安心したのもつかの間、その空いた手がスカートの中に入ってくる。
「な、何するのっ、変態!」
「心外だ」
 手が出ていくとガチャッと耳障りな音がして、何かが床に落ちた。廊下に取り残されたのは、最後の望みの綱である短剣だ。歩を進める甲冑の音だけが廊下に響いている。
「短剣があるって、どうして……」
「返礼で振り返った時に面頬が引っかかった」
 そう言いながら、フェルディナントがドアを開けた。聞こえてくる歓声で、前庭に続くバルコニーのある部屋だと分かる。もし何かしようとしたら、舌をかみ切ってやる。そして血を顔に吐き付けてやるのだ。それだけでもきっと、何もできないよりはましだろう。そんなことしか考えられない自分が悲しいけれど。
 部屋の真ん中で床に降ろされた。腕が回されたままなので逃げられない。でも、いくらなんでも甲冑を着たままで私を好きにはできないだろう。精一杯の虚勢を張って、見下ろしてくるその目をにらみつける。
「君の父上は、酷い圧政をひいていた」
 思いも寄らない言葉に目を見張った。フェルディナントは小さく息を吐くと、眉根を寄せる。
「やはり知らなかったんだな。これは元々謀反だったんだ。様々な計画の噂が入ってきた。そのどれもが酷い物で、私は手を貸さずには」
「嘘! 父上が圧政をだなんて、そんな」
 そう言いながら、自分が何も知らないことに気付く。謁見や舞踏会。自分が果たしていたのはこの国の飾りだったのだから。でも。
「信じたくないのは分かる。だが、証拠もある」
「じゃあ、見せて。今すぐ見せてよ!」
 フェルディナントは腕を解くとバルコニーを指し示した。勝ちどきを上げる兵士たちの前に出ろと言うのか。いや、それでいいのかもしれない。父上の仇に抱かれるよりは、石つぶてに打たれて死にたい。圧政が本当なら、父上の罪を少しでも引き受けたい。
 バルコニーに出る前に一度だけ深呼吸をし、意を決して足を踏み出した。
「ベアトリーセ様!」
「ベアトリーセ王女、万歳!」
 そこは敵兵ではなく、民衆で埋め尽くされていた。隣国に落とされたはずの民なのだが。その歓声の大きさ、聞こえてくる自分の名前に愕然とする。
「これで分かっただろう。君も民を救った一人ということになっている。いや、本当に救えるかはこれからの君にかかっているのだが。今から表向き、君は私の妻だ」
 フェルディナントが横に立った。歓声がフェルディナントの名前に変わる。
「面倒なことをしたものね、策略家が聞いて呆れるわ。進んで妻に仇として狙われる立場になるなんて」
「前王の敵を取りたければ、いつ挑んできてもかまわない。だが、仇を討つより先にこの国の民衆を救え。それが君の義務だ」
 義務。その言葉にずっと縛り付けられてきた。それが変わらずそこにあるのは、もしかしたら私にとって幸せなことなのかもしれない。そしていつかきっと仇を。フェルディナントはククッとのどの奥で笑い、を外した。思いの外整った顔が現れる。
「俺は策略家だ。ちゃんと君も手に入れた」
 その言葉に思わず目を見開いた。その隙を突いて唇が重なる。歓声が大きくなった。
「次はどうやって惚れてもらうか計画を立てないとな」
「……、バカじゃない?」
 返す言葉は、もうそれしか浮かばなかった。




「差し出された手」は「うなぎのねどこ」の上庄巧馬様が出されたお題、
『国敗れて敵国に嫁ぐ姫君』に沿って書いた掌編です。