― 二度目の出会い ―


 なだらかな丘を下から見ると、視界のほとんどがピンク色の花で埋め尽くされていた。大きく息をすると、花の香りが身体に溶け込んでいく。
 約束していた友達が来られずに一人になってしまったけれど、ここの花を見に来てよかったと思った。花畑の奥まで歩を進めてかがみこみ、足元の一輪だけを見つめる。なぜか、ピンク色のはずの花弁が赤く見えた。
「痛っ」
 花に触れようとした手を慌てて引き寄せ、人差し指を見た。見た目小さな切り傷が、心臓の鼓動と共に存在を主張する。みるみる膨れあがった血液が、雫となって落ちた。ポツッと音を立てたそこにはすでに花は無く、代わりに見えたのは鋭利な刀の切っ先。
「お、女っ?」
 その刀の前に、誰かの足が割り込んだ。見上げたそこには剣道の防具に似た暗色のを着た人が、教科書でなら見たことのある飾りの付いたまで被って立っていた。
「立てっ!」
 その鎧の人に腕をつかまれ、思い切り引き上げられる。まるで夢から覚めたように、轟音が体中に響いてきた。刀のぶつかる金属音に怒号、土を踏む地鳴りのような音。
「な、何?」
「お前こそ何だっ、いきなりいて出てきやがって」
 そう言ったその人の後ろに刃が振り上げられた。思わず悲鳴を上げながら、腕を引っ張り返す。空を切った刃が土を叩く音が聞こえた気がした。
「逃げろ、あっちだ!」
 彼が方向を示した指の先も、たくさんの鎧が見える。死の恐怖が身体をすくませ、動きが取れなくなった。
「くそったれ! 来いっ!」
 また腕をつかまれ、引っ張られるままに走る。今度は素直に足が動いていた。相変わらず怒号が襲ってくるが、身体を抱えるように回された腕が心強い。
「どこから来たんだ」
 走りながら彼が聞いてくる。
「どこって、……」
 分からないものは返事のしようがない。いきなり映画で見たような戦の中だったのだから、説明のしようもなかった。
「じゃあ、名は何という?」
「江上美穂」
「女神?」
 何を言うのかと立ち止まって振り返ったそこに、振り上げられた刃がきらめいた。思わず堅く目を閉じる。
「うわぁ!」
 今まで問い詰めていた声で、悲鳴が聞こえた。目を開けると、私の代わりに血に染まった身体が覆い被さってくる。悲鳴も上げられないまま、その身体の下敷きになった。とどめを刺そうとしたのか、切っ先が彼の背に突き立てられる。飛び散った血が花に見え、さされる痛みに耐えようときつく目をつぶった。
 その痛みが来ることはなかった。目を開けると手には赤い花。花をむためにかがんだ、そのままの体勢だった。夢でも見ていたのかと思いながら立ち上がり、体中が疲れ切っていることに気付く。
 人差し指の先には、刃でできた傷が残っている。その刃を軽く探してみたが、目に見える範囲には存在していないようだ。
 妙にリアルな夢を見た、そう思うことにする。こんなことを追求していたら、頭のおかしな奴と思われてしまうだろう。すっかり忘れてしまうためにも、いつまでもここにいることはできない。日が傾いてきたその丘に背を向け、止めてある車に向かった。
 ふと道ばたの小さな石碑に気付く。刻まれた文字の中にある、戦地跡、という漢字が目に飛び込んできて、心臓が音を立てた。
「古戦場?」
 手の中には、戦場には似合わない、でも血の色をした美しい一輪の花がある。その花を見て安らぐというよりは、痛みが胸を支配していた。
 私は彼にとって女神なんかじゃなかった。後ろ髪を引かれる思いを振り切って、車のドアに手をのばす。
「あの」
 かけられた懐かしい声に視線を上げ、その顔に驚いた。
「決してナンパじゃないんです。けど、どこかでお会いしたことがありませんでしたか?」
 兜はないけれど、ほんの少し前に私を助けようとして斬られた顔が、苦笑を浮かべて恥ずかしげに頭をかいた。
「ごめんなさい、私あなたの死神です」