アルテーリアの星彩シリーズ

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― 新緑の枯樹 ―

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     ― プロローグ ―

 切っ先を左に受け流し、そのまま剣を薙いだ。 俺の馬に流した剣が届く前に、対していた兵士が背中から落馬する。 その向こう、兵が落ちて広がった視界の中に、背の高いダークグレーの鎧が跳び込んできた。 また奴だ。
 これで三度、連続で顔を合わせることになる。 ぶつかる隊を決めて戦っているわけではない。 同じ相手に当たることすら、まず無い。 それなのに、こんな前線の中心から離れた何もない草原にまで姿を現すとは。 間違いない、奴は俺個人に用があるのだ。
 十四で騎士になって三年になるが、上位騎士になってここ一年程、戦いに勝っても敵の騎士を殺さずに帰している。 もしも反戦の精神を持つ騎士に会えれば、我が国メナウルと敵国ライザナルを繋ぐ糸が出来る。 実際、何人かのそういう騎士も見つけた。 しかし良い事ばかりではない。 微々たるものだが向こうの騎士を削れないし、しかも、敵のお偉方の印であるダークグレーの鎧を着けた騎士に、こんな風に目を着けられる事にもなる。 それだけ成果を上げているのだと思いたいが、それは推測の域を出ない。
 前の二度とは違って、奴はまっすぐこちらに馬を走らせてきた。 奴の黒いまっすぐな長髪が風になびいている。 何本かの剣をかい潜りながら、俺も奴をめがけて馬を進ませた。 お互い隊を率いる騎士同士、さっさとケリを付けた方が傷つく兵も少なくて済む。
 奴の振り下ろした剣を、剣で受けた。 ガシャンと大きな音を立てて、その切っ先は肩のプレートの側でようやく止まった。 見た目の体格からは考えられないくらいすごい力だ。 半端じゃない。
「上位騎士の鎧、紺色の瞳にダークブラウンの髪。 お前がフォースだな」
 低い声が響いた。 特徴だけじゃなく、名前まで覚えてきたのか。 そう思うと、思わず笑みが口をついて出た。 笑ったことに腹を立てたのか、奴の剣に力がこもる。 ヤバイ。 俺には奴を挑発できるだけの余裕は全然無い。
 俺は受け止めていた剣を横に流して振り払い、いきなり横方向に馬を駆った。 そのまま空いた場所をめがけて馬を走らせる。 この乱戦の中でこいつを相手にするのは俺の腕では自殺行為だ。 一対一でもあの力にかなう気がしない。
 だが、奴は当然のように追いついてきた。 馬の能力差も結構なものらしい。 それなりに体格のいい奴を乗せているのにこのスピードだ。 俺は速度を唐突に緩めて、奴を見送る形で馬を止めた。 奴は走る勢いの分だけ前方に離れてから馬首を向けてくる。
「相手になる気になったか。 いい度胸だ」
 俺もそう思う。 だが、もしこいつから逃げ切ることができたとしても、兵を置き去りにするわけにはいかない。 こいつに戻られたら被害は甚大だ。 全滅させられるかもしれない。 ただ、ここで俺がこいつを止めることができなければ、同じことなのだが。
「馬を下りろ」
 奴の言うことを聞くのは腹立たしいが、馬を下りることについては異存はない。 情けないがその方が小細工が利くからだ。 俺は口をつぐんだまま馬を下り、剣を握り直した。 奴は馬をその場に置き去りにし、さっさと俺との間を詰めた。 漆黒の瞳がスッと細くなる。
「こんなところで反戦運動か」
 俺にとっては願ってもない言葉だ。 それがいくらかでも影響を及ぼしたからこそ、こいつが出てきた。 そう思いたかった。
 奴が剣の構えに入ると、その力が切っ先まで行き届いていくのを感じる。 こいつの強さは尋常じゃないのだろう。
「甘いな」
 そう言うと奴はいきなり攻撃してきた。 さっき一度剣を合わせただけで、もう俺の腕を見切ったとでも言いたげな余裕がある。 奴の口の端が笑ったような気がした。
 剣が何度も火花を散らす。 奴の力が強いのは覚悟していたが、剣の重さは力以上の何かがあった。 剣で受けた時、妙な方向からの力が腕に伝わってきて、いつも以上に神経を使わされる。 剣を受け流そうとしてきっちり受けたつもりが、剣身が思った方と逆に流れてヒヤッとすることも度々ある。 おかげでこっちの調子は狂いっぱなしだ。 攻撃にスピードも出ない。
 奴がいきなり突きに出た。 突きは外すと大きな隙ができる。 俺はその切っ先を右に見送って剣の柄側から奴の身体の下に潜り込んだ。 剣を握った手の甲を柄で殴りつけ、すれ違いざまに手首を返して斬りつける。 しかし、殴った方は幾らかの感触はあったが、斬りつけた方は完璧に剣で受け流された。
 逆に俺の充分な体制がとれないうちに次の攻撃が来る。 振り返りざま右から薙ぎ払われた剣をかいくぐり、俺も突きを出した。 しかし奴は、至近距離からの突きもあっさりかわし、剣を両手で握って振り下ろしてくる。 マズイ、俺の力ではこの攻撃を受けきれない。 だがもうそれしか方法はない。
 覚悟を決めてもう一歩前に出て、剣のガードになるべく近い部分を受けた。 ガキッと嫌な音がして、身体に痛みが走る。 膝をつく程のクッションを使ってもなお、奴の剣を止めることが出来なかった。 肩を守る為の厚めのプレートが割れて、刃が左肩に薄く食い込んでいる。 馬に乗ったままこの攻撃を受けていたら、こんな軽い怪我ではすまなかっただろう。
 奴は剣を逆手に持ち替え、剣身を右斜め下に力を込めて、捻るように引いた。 黙っていたら串刺しにされてしまう。 俺は身体を引きながら奴の腰当てのあたりを蹴り飛ばして、肩の中を移動する刃の気色悪さから逃れた。 大きく振り下ろされた剣をかわして、どうにか体制を整える。
「フォース!」
 俺の背後から、メナウルの正騎士の鎧を付けた誰かが走り寄って来る、ガチャガチャという金属音が聞こえてきた。
「退け!」
 奴は低いが良く通る声でそう叫ぶと、剣を横に薙いで俺が下がった隙に身を翻した。 後ろ姿が遠ざかっていく。 奴の隊はその声に無理矢理従って撤退を始めた。
 身体から一気に力が抜けた。 まだ生きていると思うと、半ば呆然としてしまう。
「フォース」
 いきなり後ろからどつかれた。 斬られた肩がズキズキする。
「生きてるか」
 聞き慣れた声に、俺は心の中で舌打ちをした。 父だ。 体格は俺より一回り大きいのだが、まだこの人に守られているのかと思うと、何だか少し腹立たしい。
 父と言っても、俺は俗に言う連れ子というやつだ。 血の繋がりはない。 髪の色が俺と同じなのは単なる偶然だ。 当然瞳は紺ではなく、普通にブラウンの目をしている。 母が生きていた頃は中位の騎士だったが、今では騎士長だ。 首位、もしくは一位の騎士と呼ばれている。 単に力という意味から母に付けられたフォースという名前を四世と勘違いしている人も多く、連れ子という事実が不思議なほど広まっていかないため、俺は世間ではいい跡取り息子で通っているようだ。
「今のは誰です? 知ってますか?」
 俺が普通に口をきいたことで、父はホッとしたらしい。 柔和な表情に変わった。
「ライザナルの総大将で、アルトスという奴だ。 よく無事だったな」
「なんだ、強い訳だ」
 俺は袖を少し切り取り、剣を鞘に収めてから、布切れを傷に押しつけた。 たいした怪我じゃないので、これで血も止まるだろう。
「城都に戻れ」
 その声にハッとして父を見た。 どういうつもりで言った言葉なのかその表情を探る。
「連続でぶつかって、またアルトスに出くわす可能性が高いと分かっていながら何故出た? 判断が甘すぎる」
「だけど」
「お前のしている事の結果を知ることと、お前自身の命と、どっちが大事だ? こんな無駄なことは国の為にはならない。 同じ無駄なら城都に行って働いてこい」
 俺はグッと言葉に詰まった。 悪いのは俺だと分かっていても、無性に腹が立ってくる。 だが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、父は俺に背を向けた。 状況を見るように回りを見渡す。
「陛下が、婚姻二十周年式典でのソリストの護衛をお前にと望んでいらっしゃるそうだ。 どうしても宝飾の鎧を着せたいらしいな」
 そう聞いたとたん、今ここで宝飾の鎧を着けているのではないかと思うほど気が重くなった。 ゴテゴテと石やら飾りやらが付いていて、ひどく重い鎧なのだ。 あんな物を着けていて敵に襲われたら、真っ先に斬られるに違いない。 その喉当て下に付いているサファイアとかいう濃紺の石が、俺の目の色と同じらしい。 似合いそうだからと前に頼まれた時には鎧がデカくて話にならなかったが、三年経って俺の方が育ってしまったというわけだ。 陛下のご希望では断れない。俺が思わずついたため息に、父は向こうを向いたまま喉の奥で笑った。
「お前の隊は城内警備や神殿警備につくことになる。 休暇ではないが、少しは骨休めにもなるだろう。 ただ、城都ではここ一年ほどで、騎士が三人行方不明になっている。 まだ何も分かっていないらしいが、気を付けるといい」
 何も分かっていないんじゃ気を付けようがない。 俺はブスッとしたまま形だけキチッとした敬礼をし、ハイと生返事をした。
「では後ほど辞令を受けに参ります。 よろしいでしょうか?」
 父がこっちを向き、頷いて敬礼を返したのを見てから、俺は敵が去って一息ついている兵士達の元へと急いだ。
 このまま城都へ帰るのは、アルトスから逃げるみたいで嫌だ。 だがまた会ったとしても到底勝てるとは思えない。 いくら悔しくても考えるだけ無駄なのは分かっている。 でも腹立たしさは収まらない。
 兵士達は傷を受けた者の手当をしたり、談笑をしたり、それぞれ思い思いの行動をしていた。 兵士達は、駆けつけた俺に気づいた順から、パラパラと敬礼を向けてくる。
「隊長? どうしました?」
 ロングソードを背負ったアジルという兵が、息切れのひどい俺に声をかけてきた。 背は俺より少し小さいが、ガッチリした体つきをしている。 兵歴が長く実力もあり、その風貌のせいもあってか、俺の隊の中では親分みたいな存在だ。 俺は深呼吸で息を無理矢理整えた。
「みんな、無事か?」
「怪我したのはいますが、生きてますよ。 強かったのは、あの騎士ぐらいですかね」
 確かに、見たところ情けないが俺の怪我が一番酷いくらいだ。 俺は浮かんでくるアルトスのイメージを頭の中から振り払って、みんなを見回した。
「しばらく城都勤めになりそうだ」
 その言葉はため息混じりで小声だったが、聞いちゃいないと思っていた奴らまで喜びの反応を示した。 こっちでさんざん飲んでいるはずの奴が酒が飲めると喜んでいたり、遊べるだの休めるだの好き放題言っている。 ここでの勤務に比べたら、城都勤めは楽に違いない。 父が言うように、彼らの息抜きにはちょうどいい機会なのかもしれない。
「それにしてもあの騎士、こんな所まで三度も出てきて、いったい何しに来たんでしょうね」
 アジルは衝突の後の安心感とは違う、妙にニヤけた顔をしている。 蒸し返されたアルトスの話に、俺はムッとした。
「戦なんだ。 何でも有りだろう」
 近くの兵の間に、なぜか失笑が広がる。 訝しげな顔をした俺に、アジルのニヤニヤがますます酷くなった。
「隊長に惚れて襲いに来たんじゃないですかぁ? あそこで騎士長が来なかったら、どうなってたでしょうねぇ?」
 事情を知っているのにそこまで言うか、それともただの冗談か。 その脳天気さに開いた口が塞がらない。 しかし俺にはもう、その言葉に抵抗するだけの気力は寸分も残っていなかった。