脇道のない迷路 1
アルテーリアの星彩シリーズ

アルテーリアの辞典、他、付録などのある
シリーズContentsはこちら→


― 脇道のない迷路 ―

ダウンロード版はこちら→


 悲鳴が聞こえた気がした。店が並ぶ表通りの誰もが、足早に通り過ぎていく。気のせいだったのだろうか。でも、俺の前を行く一人だけが、右手の細い路地を一瞬だけ振り返った。
 その背を見ていた俺は、つられるように路地を見た。建物の石壁に挟まれて薄暗い中、路地をふさぐように中位騎士と下位騎士の鎧を着た二人の後ろ姿が並んでいる。俺は思わず足を止めた。鎧の向こう側、人形を抱えた奴が建物の中に消えた。人形? いや違う。人形だったなら、口を押さえられた手をつかんだりはしない。
 同じ家に入ろうとした中位の鎧の奴と目が合った。下位の奴は気付かずにドアをくぐる。俺は路地に入り、中位の奴に駆け寄った。そいつはいかにも面倒だと言いたげに顔をゆがめる。
「なんだ?」
「おじさん、騎士だよね?」
 俺は努めて明るい声を出した。その騎士は俺の肩にポンと手を置く。
「おじさん、じゃないがな」
 そう言って笑った騎士を、俺は扱いやすいタイプだと確信した。俺は肩をすくめてから、そいつに苦笑を浮かべてみせる。
「なんだ、じゃあ、やっぱりさっきのは人形か」
「なんだってのは事件でも期待したか? どうした?」
 可笑しそうに笑い声を立ててから、そいつはガキに言い聞かせるような態度で俺と向き合った。背の高さが首一つ違う。ガキに扱われても当然か。まだ十三歳だし、癪に障るけれど今はその方が都合がいい。
「茶色い服を着た人が、人形ならいいけど人さらいかもしれないって騎士を捜してたんだ。人形だって教えてあげたほうがいいよ」
 俺は表通りを指さしてそれだけ言い、騎士に手を振って路地の奥へと向かった。そいつが戸をくぐった音でとって返し、中の声に耳をそばだてる。
「おい、聞こえたか? 場所を変えよう。ネルギア、一緒に表通りに顔だけ出すぞ。ユヴォスはそいつを連れて、もう一つ先の空き家に行っとけ」
 奴らの返事を背にして、俺は数軒先の戸口のへこみに身体を隠した。ラッキーなことに相手は一人で済みそうだ。しかもこの路地は、俺の家の裏側に面している。ここからだとそう遠くはない。
「いやぁ」
「おい、ちゃんと押さえとけ」
 女の子と男の声で、奴らが出てきたのが分かった。
「命をかけて国を守ってやってるんだ。お嬢ちゃんも、ちゃんと俺たちに報酬を払ってくれないとな」
 奴らのせせら笑う声が聞こえてくる。やはり本物の騎士なのだろうか。まさかと思いたい。
 ふっと目の前を影がよぎる。俺はその背中をめがけ、身体ごと思い切り肘を叩き込んだ。グゥッといううめき声とともに、そいつは前に抱えていた子供を離した。俺はその子の手をつかんで、路地の奥へと駆けだした。
 みぞおちの裏側への打撃は結構効くモノだ。奴が叫ぶまで一息あった。
「セルバード、ネルギア、戻れ!」
 俺は、ゴミバケツやらなにやら手当たり次第ひっくり返しながら走った。叫んでから追ってきたのだろう、それを蹴り飛ばす音はまだ少し遠い。
 うちの生け垣が見えた。その手前、石の壁との間に潜り込み、俺は手を引いていた子を胸に抱いた。そして少し木の間隔に余裕がある場所に背を向けて、中に突っ込む。
「どっちに行った?」
「向こうだ、くそっ!」
 鎧を着てその生け垣の隙間は狭いのだろう、バリバリと木がきしんで折れる。木の悲鳴を耳にしながら、俺はそこから陰になる左奥の裏口に、音を立てないよう滑り込んで鍵をかけた。
「大丈夫だから音を立てないで」
 俺はそれだけ言うと、その子を抱きしめて戸の下に屈み込んだ。扉の上三分の一ほどはガラスになっている。そこを黒い影が覆った。ガチャガチャと戸が揺れ、その子の震えが俺の身体に伝わってくる。俺は片方の手でその子の髪をなでた。
「中に入ったのか?」
「いや、見てねぇ。誰も見えないぞ?」
「表に逃げたか? まわるぞ」
「おい、ここルーフィスの家だ!」
「なんだって? 首位の騎士のか?」
 ガラスに光が差し、家のまわりにひいた砂利の上を走る音が遠ざかっていく。ここが父の家だと気付いてくれたなら安心だ。表からはここが見えない。玄関は最初から鍵がかけてあるし、父の家だと分かった以上、いきなり入ってこられることはないだろう。
 俺はホッとして、大きく息を吐いた。とたん、抱いていた子が抑えた声で泣き出し、俺は慌ててその子を放した。
「あ、ご、ゴメン。うちにいればもう、!」
 離れて初めて気付いた。服の前が破れて、白い肌がのぞいている。その子はその裂け目をかきむしるように爪を立てていた。指の隙間に内出血の跡が見え、爪が通った後にピンク色の筋が残る。
「やめろよ。傷になっちまう」
 俺は思わずその手を掴んだ。その子の目が驚いたようにこちらを向く。上気して目を見開いた顔は思いのほか整っていて、よくできた人形のように見えた。その瞳が歪み、涙がいくつもこぼれる。
「だって、気持ち悪い……」
 しゃくり上げるたびに琥珀色の髪が揺れ、また涙がポツポツと落ちた。
 あいつらは本物の騎士だろうか。鎧は間違いなく国のモノだった。あさってには俺もあいつらの仲間なのか? そう思うと吐き気がする。俺は立ち上がり、掴んだままの手を引いた。
「おいで」
 その子を連れて、俺は洗面所からタオルをとって台所へ行った。思った通り、沸かしっぱなしだったお湯がぬるくなっている。俺はその湯でタオルを絞ってその子に渡した。
「これで拭いて。何もしないよりはマシだろ」
 こくんとうなずいて、その子はタオルで身体を拭き始めた。それから四〜五回、タオルを洗って渡した。このままだと、きっと際限なく繰り返しても気が済まない。白かった肌が赤くなっているのが分かる。俺はこれが最後だと、絞ったタオルを広げて渡した。
「顔も拭いて。家はどこ? 明るいうちに送っていくよ」
 その子は微かにうなずいたが、不安げに俺と視線を合わせてくる。
「でももし、あの人たちが外にいたら……」
 奴らが外にいたとしたら。でも、明るい表通りなら俺の目は紺色に見える。それは俺が首位の騎士、ルーフィスの息子であるフォースだと限定する事実だ。何をしてくるにしても迷いは絶対に生まれるから、その分こっちにも対処のしようはある。安心させようと思い、俺は笑顔を浮かべて見せた。
「もしいても、表から出れば人通りも多いから、そうそう手出しはできないさ」
「表通り……?」
 その子は両手で隠すように服の破れを合わせた。そうか、確かにそのまま表通りは歩きたくないだろう。俺は手っ取り早く居間の椅子にかけてあったシャツをとって、その子の肩にかけた。
「でかいから、服の上からでも大丈夫だよ」
「でもこれ、このうちの人の……」
「あぁ、それ俺のだ。ここは俺の家だよ」
 その子の顔に、ほんの少しだが笑顔が浮かんだ。それからシャツに袖を通す。長すぎる袖を何度か折ってようやく出た指で、シャツの前をしっかり閉じた。
「いい? いこう」
 俺はその子がうなずくのを見てから玄関に向かった。玄関を出たが、まわりに奴らは見えない。俺はその子の背中に手を当て、その子が指し示す方向へ歩を進めた。
 人通りはまだある。ちょうど家路につく人が多い時間帯だ。何かあっても知らんぷりをする奴らばかりでも、何か起こす方の精神的なカセにはなる。
 その子の家は、思いのほか近かった。城都の中でもわりと大きな邸宅だ。その家の前に差しかかるなり、中から女性が姿を現した。
「リディア! どこに行ってたの!」
 その声に視線を向け、その子はその女性に駆け寄っていく。
「お母さん……!」
 その子はその人の腕の中に、すっぽりと収まった。俺は、その子を優しく抱きしめるその人に、思わず懐かしい母の姿を重ねた。
「エレン……?」
 一瞬耳を疑った。だが、その女性がつぶやいたのは、確かに母の名前だったのだ。
「あ、ごめんなさい」
 その名前に、俺はよほど驚いた顔をしたのだろう、その人は俺に謝った。俺はその人にきちんとお辞儀だけして、その場所から逃げ出した。背中に引き留めようとする声が聞こえたが、俺は足を止めなかった。
 彼女は母を知っているのだろうか。どんなことでもいいから母の話を聞きたかった。でも今は。今の俺は。


     ***

 夕日に染まる表通りを、まっすぐ家に戻った。部屋はどんどん暗くなってくる。明かりをつけなければと思いながら、そんな気になれなかった。
 さっきから母のことが頭から離れない。名前を聞いたから、なおさらなのかもしれない。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
 寂しげな笑顔で母が残した最後の言葉が、騎士になる俺を責めている気がするのだ。

 俺が二歳になる少し前に、母は今の父と結婚したらしい。そして前線に程近いドナという村に住んでいた。メナウルの人間は、濃淡はあるが、たいてい茶髪で茶系色の目をしている。だが母と俺の目だけがメナウルにはない濃紺だったため、一部の村人からはよそ者扱いされていた。だがドナで俺が覚えている母は、いつでも笑顔だった。だから多分幸せだったんだと思う。ただ俺に向ける笑顔が、ひどく寂しげな時があった。その時に限って言われ続けたのが、強くなりなさい、という言葉だ。
(強くなりなさい。フォースには他の人にない力があるのよ)
 これといって病弱でもなく、いじめられっ子だった訳でもなかった。しかも、他の人にないのは、この目の色だけだ。母が何を思って俺にそう言い続けたのか、今となっては分からない。
 俺が五歳の時だ。ドナの村の中心にある井戸に、毒を入れられるという事件が起きた。ちょうど父が村の外の仕事に出かけていて留守の時だった。大勢の村人と同じに、母も俺もその水を飲んだ。だが、俺が少しぐあいが悪くなったくらいで、毒というほどの影響は出なかった。逆にそれが不幸だった。村人の三人が家を訪ねてきた。その中に、いつも一緒に遊んでいたカイリーの父親カイラムもいた。
(お前たちのせいだ! お前たちがいるからこんなことになったんだ!)
 そう叫ぶと、カイラムは手にしていた剣で母を斬った。
(お願い、この子だけは殺さないで)
 母はその言葉を何度も口にして、倒れてしまうまで俺をかばった。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
 そして母が最後に残した言葉がこれだった。俺は無理だと思った。剣を振り下ろしたこの人を、恨まずにいるなんてきっとできない。カイラムは、事切れた母をさらに傷つけようとして剣を振り上げた。俺はただ遺体となった母に取りすがった。このまま母と一緒に殺してくれればいいと思った。でも、その剣が振り下ろされることはなかった。

 戦をやめなければ、いつかはドナのような悲劇を繰り返してしまうだろう。はじめは、戦の当事者になれればそれでいいと思った。そうしなければ何もできないし、口さえ出せない。俺にとっては、騎士が一番手っ取り早かった。
 でも。結局俺は、あの時のカイラムと同じに剣を振るうのか。二度と見たくないと思ったドナのような惨劇の中へ、自分から足を突っ込むのだ。いったい俺は、どこで道を間違えたんだろう。
 だけど、もしこの国で騎士をやって、功績を挙げることができたら。カイラムが悪かったと言ってくれるかもしれない。誰もがドナの事件を、母と俺のせいだと言えなくなるかもしれない。忘れてくれるかもしれない。
 明日は騎士の称号授与式打ち合わせ、あさってにはその本番がある。その次の日には出陣式があり、城都を発って前線に行かなければならない。俺にはもう、迷っている暇などないのに。

「何をしている。明かりもつけずに」
 振り返ると父がいた。玄関の方でもまだガタゴトと音がする。
「別に、何も」
 シェダ様が入ってきた。こんな遅くに? 俺は立ち上がって出迎えた。父が灯していく明かりで、シェダ様の顔色がよくないことに気付く。
「君に直接聞きたいことがあってね。お邪魔させてもらったよ」
 そう言うとシェダ様は、俺にシャツを差し出した。目を疑った。これは、あの子に貸したシャツだ。俺がシャツを受け取ると、シェダ様は口を開く。
「君がうちに連れてきたのは、リディア、私の娘だよ」
 あの子がシェダ様の? そうか。だからあんなに大きな家で、俺の母を知っていて。リディアという子の泣き顔が思い出され、胸が痛くなる。顔をしかめた俺をシェダ様はいぶかしげに見た。
「リディアに何があったのか、教えてくれないか?」
「何がって……、話していないんですか?」
 リディアは、たぶんまだ十一、二歳だろう。でも、悪い人がいたと親に言いつけることができないほどショックだったのかもしれない。
「君が送ってくれたあと、部屋に閉じこもってしまってね」
 シェダ様は大きく息を吐いて眉を寄せた。心配なんだろう。それは分かる。でも。
「そういうことでしたら、話せません」
 俺はシェダ様に面と向かって言った。俺の対応を予想していたのか、父のため息が背中から聞こえる。シェダ様は俺に一歩近づいた。
「なぜだ?」
「リディアさんが話したくないのなら、俺が話す訳にはいきません」
「リディアはまだ子供だ。私はリディアの親だよ? 知る権利はあるだろう」
 だんだんとシェダ様の顔がきびしくなってくる。それと同じだけ、俺も意固地にならざるを得なくなる。
「でも、話せません」
「原因が君だから、話したくないととられても仕方のないことなんだよ?」
「どう取っていただいてもかまいません」
 あんな奴らと一緒にされたくないと思ったが、俺は変わらずに返事をした。だが、これには父が表情を引きつらせた。俺の襟元をグッと掴み、顔をつきあわせる。
「話しなさい」
「イヤです」
「話せ」
「イヤだ」
「お前が疑われるんだぞ」
「好きに疑えばいい」
 眉根を寄せて、父は俺を突き飛ばした。後ろの棚に背中をぶつけ、置いてあるモノがガタガタと揺れる。
「もう数日で騎士だというのに。少しは誇りを持ったらどうだ」
 誇りだって? そんなモノがあるから、あいつらはあんな愚行をするんだ。
「うぬぼれた騎士になんか、なれなくてかまわない! どうせ人を斬るのはイヤだったんだ!」
「何を考えている! 人を斬らずに戦などできん。敵は斬ればいいんだ。お前は余計なことを考えるな!」
 敵は斬ればいい? 余計なことだって? 父も結局はカイラムと同じなのか? もうイヤだ、顔も見たくない。そう思った時には、俺は家を飛び出していた。