脇道のない迷路 2


     ***

 家を飛び出したからといって、行く当てはなかった。ただ城を目にしたくないので、町の外へ向かって歩いた。
 まさか、父からあんな言葉を聞くなんて、思ってもみなかった。当然、人を斬らずに騎士をやっていけるとは、俺も思っていない。でも、戦の中にも必要のない殺生はあると思う。それを避けたいと思う俺の気持ちを、余計だと言うのか。父はただ剣を取り、何も考えずに敵を斬ってきたって言うのか? それで首位なのなら、騎士なんかくそくらえだ。もう、何も考えたくない。このままどこかに消えてしまえればいい。

 いきなり後ろから回された大きな手が口を覆い、首に腕が巻き付いた。そのまま後ろ向きに路地へ引きずり込まれる。息が苦しい。視線の端に、リディアを襲った騎士の一人が見えた。鎧姿のままだ。
「今日自分が何をしたか、もう忘れたのか?」
「こんな日に、陽が落ちてから歩き回るなんて、いい度胸だな」
 もう一人の声が左横で聞こえた。やはり鎧の音がする。くそったれ、ちゃんと三人いやがる。これじゃあ逃げ出すのも大変だ。
 引きずられるまま、建物の中に入った。床ではなく地面だ。足音が立たない。なんだか妙に暖かく、ゴーゴーと大きな音が地鳴りのように響いている。申し訳程度の小さな明かりで、壁一面に鎧のパーツが積んであるのが浮かんで見えた。鍛冶場? この音は窯を熱する炎の音だろうか。思い切り叫んでも、これでは壁の向こうに聞こえるか分からない。
 ふと腕が離れたと思いきや、仰向けに地面に叩きつけられた。後頭部を打った俺は、頭を抱えて転がった。丸めた腹部に足が飛んできて、俺はグッと力を入れてその蹴りに耐える。
「今日あったことは、忘れてもらわなきゃならない。分かるな?」
 できることなら俺だってそうしたい。騎士にこんな奴らがいるなんて。父があんな騎士だったなんて。もう一度腹に蹴りが入る。足で俺を仰向けに転がすと、図体のでかい鎧のない奴が、俺の上腿にドンと勢いをつけて座り込んだ。左手で体重をかけて俺の口を押さえ込み、真上から目をのぞき込んでくる。
「忘れられなくても、俺らを思い出すたびに震え上がってくれないと困るからな。少し痛い目にあってもらうぜ」
 そいつはそのままの体勢で腹に拳を叩き込んだ。膝を立てられないので身体を縮めることができない。しかも背中は地面なので衝撃がもろにくる。激痛に声が出ても、それはそいつの手の中にこもるだけだ。そいつはにやけた顔をしながら、一度打っては俺の反応を楽しむようにながめている。手は自由だが、圧倒的な力の差とこの体勢ではどうにもならない。口を押さえつけた手を引きはがそうともがいていて、頭の少し上にある高く積んだプレートが目に入った。気付かなかったふりをして目を閉じる。少しでも隙を見せたら反撃してやる。こいつらに屈服するなんて絶対にイヤだ。
 黙って見ていた奴だろう、俺を殴っている奴の肩を叩くような振動が口に伝わってくる。
「おい、殺してしまったら面倒だぞ」
「そうそう。そんなガキ、怖がらせときゃ充分だ」
 見張りなのか出入り口の方からもう一人の声が聞こえ、その声の主が笑い出した。外に向かっての声だ。あそこで笑えるのは、まわりに人がいないからだろう。やはり自分でどうにかするしかない。
 腹部を打っていた手が止まり、グッと口をふさぐ手に体重がかかる。顔をのぞき込んでいるに違いない。俺が目を閉じたままでいると、そいつはふと口から手を放した。そのまま右頬を平手で打たれる。
「こら、俺の顔を覚えておけって言ってる。目を開けろ」
 忘れて欲しいのか、覚えていて欲しいのかどっちなんだ。俺はゆっくり目を開いて視線を合わせ、できる限りの嘲笑を向けた。そいつの顔色が変わる。
「このガキ!」
 そいつは俺の襟首を掴み、腰を浮かせた。今だ! 俺は地面に手をついて左膝を立て、右膝に反動をつけて浮いた腰を蹴り上げた。そいつは前につんのめるようにバランスを崩し、バンとプレートの壁に手をつく。とたんにプレートが崩れてきて、部屋中に盛大な音が響いた。崩れてきたプレートは、そいつと俺を覆っていく。上半身がそいつの下敷きになったおかげで、俺はプレートの直撃は免れた。
 ガラガラと崩れる音が収まり、俺の上にいる奴は動かなくなった。重くて起きあがれない。腹に力も入らない。
 ガタッとドアの開く音がした。
「バカ野郎、だからしっかり縛っとけって言ってる」
 気配が近づいてくる。縛っとけって、もしかして奴らの仲間だろうか。だったら状況はなお悪くなる。
「足だ!」
「どうしたの?」
「崩れたプレートの下に人がいるっ!」
「なんだって?」
「バックス、手伝え!」
 駆け寄ってくる音がして、プレートをどかしているのだろう音がしだした。よかった。奴らの仲間ではないみたいだ。
「生きてるかな」
「やめてくれ、死亡事故はゴメンだ」
 少し経ち、ヨイショというかけ声と共に、上にいた奴がどけられた。脇からプレートがいくつか崩れてきて、俺はあわてて腕で頭をかばう。崩れる音が止まって、俺は腕の間からまわりを見た。
「こっちはのびてるだけだ」
 そう言ってあいつを地面に寝かせた奴は、新しくて傷のない下位の鎧をつけている。
「下のは元気みたいだぞ」
 もう一人、俺をのぞき込んだ奴は三十歳前後だろうか。作業着のような服を着て、その上に厚い前掛けをしている。他に人はいない。残りの二人もいない。プレートが崩れている間に逃げたのだろうか。
 下位の奴は寝かせた男のそばにしゃがみ込むと、頬を軽く叩きだした。
「おい、大丈夫か?」
「そいつを起こさないで」
 俺は振り絞るように声にしたが、ひどく腹が痛い。転がったまま腹を抱えて背を丸くした。こうすると少しだけ痛みがやわらぐ気がする。作業着の奴が俺をのぞき込んだ。
「守ってもらってそれはないだろう。お前さんの恋人か?」
「ち、違っ、全然違う」
 俺は焦って否定した。作業着の奴は、アハハと可笑しそうに大口を開けて笑う。
「じゃあ、なんだ?」
「そいつ、女の子を襲ってて、その子は助けたんだけど、捕まって襲われて」
「なんだ、やっぱり襲われてたんじゃないか」
「ええ? 違う、そうだけど、なんか違う。いっ、いてて……」
 息をたくさん吸い込むと腹が痛いので、俺は細切れな息の中で言葉をつなげた。そいつは腕を組んでウーンとうなると、止める間もなくいきなり俺のシャツをめくりあげた。
「うわ、こりゃまた随分……」
 そんなにひどいのかとそいつの顔を見ると、なんだかニコニコしている。
「お前さん、凄くいい身体してるなぁ」
「なっ?」
 俺がシャツを引っ張り返すと、鎧の奴が笑い声をあげた。
「大丈夫だよ。そのおじさんはただ筋肉が好きなだけだから」
「おじさんじゃない。ワーズウェルだ。鎧職人ってのは少なからずそういうモノだ」
「そうかなぁ」
「そうだ」
 その職人は騎士に返事をすると、俺に向き直った。
「そのくらいのブチなら、一週間もあれば消えるだろ。鍛えておいてよかったな」
 その言葉に、とりあえずはホッとした。だけどブチだなんて言い方はあんまりだ。
「じゃあ俺、こいつを騎士の詰め所にでも突き出してくる。その子、少し休ませてあげてよ」
 鎧の人はのびている奴に手を伸ばす。俺は慌てて引き留めようと声をかけた。
「自警団にして」
「はぁ? 自警団だ? 名ばかりの集団だぞ?」
 鎧の人は振り返って素っ頓狂な声を出した。
「自警団にして。仲間が二人いて、騎士の鎧を着けてたんだ」
 俺が訳を話すと、二人は驚いた様子で顔を見合わせた。鎧の人はこっちを向く。
「じゃ、交代だ。騎士の立場で自警団には頼りたくないよ。俺がこの子見てる。ウェルさん、行ってきて」
「あぁ、分かった」
 二人は途中でポンと手を合わせると、鎧の人がこっちに来て、ウェルさんという人は、のびたでかい奴を軽々とかついで出ていった。
「立てるか?」
「たぶん」
 差し出された手をとって、俺は起きあがろうとした。腹が痛くて顔が歪む。
「無理なら無理って言え」
 その騎士は、俺をヒョイと抱き上げた。なんだか妙に腹が立つ。入ってきたところと反対側のドアを足で開けると、中に入った。正面に作業場があり、窯の火の照り返しで作りかけの鎧がオレンジに輝いて見える。壁に沿って左に曲がり、突き当たりにある階段から二階に上がりはじめた。
「家に帰った方がよかったか?」
 俺は首を振って見せた。
「ま、そうだよな。担ぎ込まれるより、一日行方不明の方が心配されなくて済む」
 本当かどうかは分からないが、そう言うとその騎士は自分でうなずいた。
 二階は居住空間だった。明かりが控えめについていて、テーブルや椅子、大きめなベッドなどがある。家財道具一式が置いてあるようだが、部屋が広いのと、隅々にまで明かりが届いていないせいもあってか殺風景に見える。俺は、そのベッドの上におろされた。
「まさか家出じゃないよな?」
 顔をのぞき込まれて、俺は思わず眉を寄せた。その騎士は困り切った顔で両手を広げる。
「まいったな。そうなのか? 家はどこだ?」
「すぐ側なんだ。親父が……、とんでもない奴で。泊めてくれるかな」
「きっと一日くらいなら大丈夫だろ。そうだ、俺はバックスって言うんだ。お前は?」
「フォース」
 言ってしまってからハッとした。だが、名を聞いたバックスという騎士は、ブッと吹き出した。呆れたような顔つきになり、冷えた笑みを浮かべる。
「お前ねぇ、親父がとんでもないとか言いながら、よりによってその名を語るか? フォースってのは首位の騎士ルーフィス殿のご子息だぞ? 目が濃紺で、今年一緒に前線に出るって言うから十九歳のはずだし。お前、ルーフィス殿には全然似てないし。それに目の色だって、あ? 真っ黒だな。これはこれで珍しい」
 俺はジーッとのぞき込んでくる視線から顔をそらした。このくらい暗ければ、俺の目は黒く見えて当然だ。しかも、ルーフィスの息子は十九歳だと決めつけている。きっと正式な手順で騎士になると、前線に出るのは十九歳なので単純にそう思いこんだのだろう。ルーフィス殿ルーフィス殿って、俺のことも含めてラッキーな方向に誤解されている。
「でも、俺もフォースっていうんだ。十四だけど」
「ま、いいよ、それでも」
 バックスは、困ったように苦笑した。
「嘘じゃない」
 なんだかムキになって、俺は言い返した。身体を起こそうとして、腹に痛みが走る。俺は背中を丸めて痛みを抱えた。バックスの手が伸びてきて俺の髪をなでる。
「分かったから。寝ろ。一晩泊めてくれるようにウェルさんに頼んどいてやるから」
 見上げると、バックスは優しそうな微笑みを浮かべていた。俺はうなずいて目を閉じた。俺は眠ってしまうまで、バックスの手を側に感じていた。