脇道のない迷路 3


     ***

 明るい朝日を遮って影が通ったせいで、俺は眠りから覚めた。細く目を開け、すぐ側にある顔に驚いて跳ね起きた。途端、腹部の痛みが身体を襲う。
「うわっ、いてて……」
 この部屋の主、ウェルさんという人は、肩をすくめてため息をつき、俺の背中を支えてベッドに横にした。
「信用ないなぁ。昨日の今日じゃ、仕方がないのかもしれないけど」
 ベッドの横に立って俺の様子を見ていてくれたのだろうか。苦笑して頭を掻いたウェルさんに、俺は寝たまま頭を下げた。
「ごめんなさい、ウェルさん。ウェルさんって呼んでもよかったのかな」
 ウェルさんの顔が笑顔に変わり、俺の頭をクシャッと撫でる。
「そう、ウェルでいい。ま、弾みで起きられるくらいなら、昨日よりはだいぶいいな。そのぶんだと午後には普通に起きていられるだろうよ。あれ? 綺麗な色だな。紺?」
 そう言うと、ウェルさんは俺の目に顔を近づけてくる。いつものことだが、これだけは慣れることができない。見ている方は単純に目を見ているだけなんだろうが、見られている俺の方はじっと見つめられているのと同じなのだ。俺は腕を突っ張ってウェルさんを遠ざけ、そっぽを向いた。
「あぁ、ゴメンゴメン。昨日は、黒かったよな?」
「ちょっと暗いと、黒に見えるんだ」
「あれ? じゃあ、バックスが言っていた騎士になるフォースってのはお前さんか?」
 いぶかしげなウェルさんに、俺はムッとして見せる。
「俺、明日で十四。十九に見える?」
「全然」
 ウェルさんは、俺がまっすぐ見据えた目にそのまま視線を返し、平たい笑みを浮かべた。
「でも、剣技をやってる身体だ」
「ええっ?」
 俺があんまり驚いたからだろう、ウェルさんは可笑しそうに含み笑いをする。
「肉付きがそうだった。腕なんか特にな。バックスより強いかもしれん」
 そういえば昨日、筋肉が好きだとか言っていた。バレただろうか。でも、歳はまだ勘違いしたままだ。それに、いつ見たんだ?
「み、見たの?」
「声をかけても起きやしない。もし内蔵をやられてたら困ると思ってな。じっくりと見せてもらったぜ。服を脱がせれば起きるかと思ったが、それどころじゃなく着せても起きなかったから隣で寝たぞ」
「隣……」
「眠っている顔は十四どころじゃないな。まるで赤ん坊だ。しかも一緒に寝てたら犬コロと一緒だ。体温は高いわ、ブチはあるわ」
 そう言うとウェルさんはワハハと声に出して笑う。子供扱いどころの話じゃない。犬コロときた。でもそのおかげで、俺はすごく気が楽になった。
「そういえば、バックスって人は?」
「明日は騎士の称号授与式があるんだ。その手伝いの打ち合わせに行ってるよ。あさっては出陣だ。前線近辺に配置されるらしい」
 興味がなさそうに取り繕って、ふうんと返事をした。日程をわざわざ教えてくれるというのは、俺がフォース本人だとバレなかったからだろう。だが、あさってが出陣というのは、俺も一緒だ。いずれは本人だと白状しなければならない。本人だということを黙っていることとは別に、俺の中に無断欠席をした罪悪感がある。このまま騎士にならなかったら、たくさんの人を裏切ることになるんだろう。陛下やサーディ、クエイドさん、そして、父も?
「そうだ、昨日の奴な、下位の騎士だったらしいぞ」
 そう言うと、ウェルはさんは大きくため息をつく。そう、と返事をして俺は顔をしかめた。あいつが下位なら、鎧を着ていた二人も本物に違いない。
「騎士なんて……」
「気持ちは分かるが、そんな奴らは、ほんの一握りもいない」
 俺がつぶやきかけた言葉を遮って、不機嫌そうな返事が返ってきた。鎧職人なら、たくさんの騎士と交流があるのだろう。その返事は、至極当たり前だとは思う。
「それは、そうかもしれないけど」
「なんだ、どうした? 彼らが守ってくれるから、こうして普通の生活ができるってもんだ」
 ウェルさんは眉を寄せ、怒ったのを隠しているような、半端に優しい声を出した。
「分かってる。分かってるつもりなんだ。でも、それでも、人を斬るのは罪だよね?」
 予想外の言葉だったんだろう、ウェルさんは閉口した。そこまで考えたら、騎士はみんな罪人だ。そうじゃないのは分かってる。分かってるはずなのに。
「だけど誰も罪を感じているようには見えない。俺には、理解できない」
 目を伏せた俺の迷いを見透かしたかのように、ウェルさんはため息をついた。
「お前さん、自分がガキだって知ってるか?」
「知ってる。でも、ガキやってる暇なんてないんだ」
「なに言ってる。まぁ、バックスにでも聞いてみろよ。帰りに寄るって言ってたから」
 ウェルさんは、もう一度俺の頭を撫でると、下に続く階段へ向かった。その階段を下りかけて振り返る。
「メシ、できたら呼ぶからな」
「いいの? 痛いけど、腹は空いたんだ」
 ウェルさんは、俺に笑みを残して下へと降りていった。
 俺は布団をめくって、自分の腹をのぞき込んだ。打撲のあとがしっかり残っている。ブチという言葉が嫌になるほど当てはまる。
「畜生、あいつら……」
 悔しさにかみしめた歯が、ギリッと音を立てた。

 ウェルさんの仕事場で食事をご馳走になり、俺はそのままそこにいた。オレンジ色の暖かい光の中で、ボーっと鎧が形になっていくのをながめる。人の命を守る立派な仕事だと思う。
 じゃあ剣は? 剣を作ると罪だろうか。母の命を奪った剣を作った人に罪はあるだろうか。嫌でもその時の情景が胸に蘇ってくる。

(お前たちのせいだ! お前たちがいるからこんなことになったんだ!)
 剣を振り上げたカイラムの顔は、家族を失った悲しさと怒りに溢れていた。
 俺はそれから三日間、ずっと抜け殻のようだった。母を殺したカイラムの名を誰に告げることもなく、その時の状況を話すでもなく、ただボーっとして母が残した言葉を呪文のように何度も唱えていた。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
 そして四日目のことだ。カイリーがカイラムと一緒にうちに来た。毒で母親を亡くしたカイリーは、単純に俺と悲しみを分かち合いたかったのだろう。
(同じだね)
(悲しいけど頑張ろうね)
 カイリーの言葉に、俺は何も考えないようにして、そうだねとだけ繰り返した。それでも答えるたび、言葉と共に気持ちがちぎれて吐き出されていくのが分かった。カイラムはそんな俺の様子を、ただジッと見ていた。
 その日の夜、俺は初めて泣いた。父は何も聞かずに側にいてくれた。それでもことの次第を話せなかったのは、お前たちのせいだと叫んだカイラムの声が、耳から離れなかったからだ。もしかしたら本当にそうなのかもしれないそれは、俺のどこを切り落としても外れそうにないカセになっていた。誰もいないところに住みたいと父に頼んだのも、その言葉からだった。
 引っ越した先は、ヴァレスだった。国境付近では一番でかい町だ。最初はだまされたと思ったが、次第にコトは飲み込めた。人はただ居るだけで、俺を見向きもしない。目が紺色をしていることにも気付かない。一人じゃない一人がとても嬉しかった。
(強くなりなさい。誰も恨んではいけない)
 その言葉はその町の中で形をなした。俺は剣をとった。母の命を守れるだけの強さが欲しかった。カイラムが剣を手にしなくて済むように、その生活を守る力が欲しかった。五歳だった俺は、ほかに何一つ力を得る術を知らなかった。
 それから俺は、前線と町を行き来する騎士や兵士に剣を習った。いや、そのうちの半分は、習ったと言うよりもケンカをふっかけていたと言った方が当たっているかもしれない。それからは、強くなることが俺のすべてだった。
 父が首位になり、俺が陛下の目にとまり、サーディの学友となり、騎士であるためのすべてを叩き込まれ。
 とどのつまりは騎士か。結局、あの男と同じに、相手を考えずに剣を振るうのか。

「お前さん、騎士になりたいんだな」
 ずっと黙りこくっていた俺の思考をさえぎって、ウェルさんが声をかけてきた。
「そうかもしれない」
 でも、違うのかもしれない。なりたかった騎士たちとは、根本的に何かが違う。その何かが、心の中で不安となって渦を巻いていた。
「十九のフォースは無断欠席だったぞ」
 ドドッと勢いよく、バックスが入ってきた。
「よぉフォース。わがままなお坊ちゃんは困るよな」
「そうだね。早かったね。おかえりなさい」
「いや、ここは俺んちじゃないけどね」
 そう言うと、声を立てて笑う。バックスも前線に出れば、他の騎士と同じに人を斬るのだろう。
「フォース、騎士になりたいんだって」
 ウェルさんの言葉をちょっと違うと思いながら、俺は、そうなのかと喜んでいるバックスを見ていた。
「何を守りたくて騎士になりたいんだ?」
 バックスは俺に疑問を向けてくる。騎士の学校で、よく話題にのぼる質問だ。
「みんなの普通の生活かな。それと、母さんの……」
「オイオイ、お子様だな」
 最後まで聞かないうちに、バックスは俺をからかって頭をつついた。
「バックスだって、母親は大事だろうが」
 ウェルさんは俺に助け船を出してくれた。俺は苦笑でごまかした。本当は母の後ろに名誉と続けたかったのだ。まったく別の問題だと分かってはいても、騎士になって国を守れば、母と俺への疑いも消えそうな気がする。
「守りたいモノがあるなら簡単なことだ。それを守るために騎士がしなければならないことは分かるだろ? お前さんの言う、罪を忘れないで騎士をするってのは、一つの形かもしれないがな」
 俺を慰めるようなウェルさんの言葉に、バックスは興味深そうな顔を向けた。
「こいつ、そんなこと考えてるのか。難しげなことを言うガキだな。確かに、敵味方なくその生活を守れるなら、それにこしたことはないんだろうけどね」
 バックスがうなずくのを見て、ウェルさんはあからさまに不服そうな顔になった。
「だが今はダメだ。最初はそんなこと考えちゃいけない。俺がお前さんの親父なら、そんな迷いは危険だ、敵を見たらサッサと斬り捨てろって言うぞ」
 その言葉に心臓が跳ねた。俺は言い当てられた言葉に驚き、ウェルさんに見開いた目を向ける。
「どうしてそんなことが分かるの? 俺、本当に親父にそんなふうに言われた」
「バカだなぁ。分からんか? お前さんの親父がお前さんの心配をしないはずがないだろ。きっと、可愛くてたまんないんだ」
 その冷やかし半分の答えに、俺は唖然とした。心配? そうか。親だからそう言ったのかもしれない。父が手当たり次第に人を斬る騎士だと思ったのは、俺のとんだ早合点か。いくら騎士になるといっても、父にとって俺はまだただの子供なんだ。そう思うと、一気に身体の力が抜けて、あんなに頑固だった胸のわだかまりが不思議なほどあっさり溶けていく。父への信頼が、そのまま騎士への信頼だったのだろうか。俺は胸のつかえと一緒に、大きく息を吐き出した。
 ウェルさんは俺の肩に手をかけ、今は黒く見えているだろう俺の目をのぞき込んでくる。
「でも、俺はお前さんの親父じゃないからな。自分に自信が持てないのはもっと危険だ。まぁ、騎士の数だけ違うタイプの騎士がいるんだ。昨日のような奴らがいたとしても、お前さんが気にする必要はない」
「そうそう。俺は、正義の味方になる」
 ウェルさんの言葉をうなずきながら聞いていたバックスは、俺にニヤッと笑って見せた。
「今でも充分、なってると思うよ。感謝してる」
 俺はまっすぐに笑顔を向けた。バックスは喜んで俺の頭を撫でている。ガキ扱いされるのがなんだか気持ちがよくて、俺は心の底からホッとした。
「強くなりたいな。理想を地でいけるくらい、強くなりたい」
「まだ十四だろ。やればできるさ、先は長いんだから。だけど、そんなことで悩んでいるなんて悠長でいいな。俺はあさってには前線に出発だ。考えてる暇もない」
 フゥッと大きなため息をついたバックスの背中を、ウェルさんがポンッと叩く。
「まずは生き抜くことだ。それが一番大切だ」
「分かってる。任せとけ」
 今ならウェルさんの言葉に、心から賛同できる。元々は戦の存在自体が間違いなんだ。敵を切らずに、自分の命も、胸の中にある大切なモノも、何一つ守ることはできない。騎士は罪の中で生き抜く仕事なのだ。俺は目を閉じた。自分の中がハッキリ見えてくる。
 父は、国民の生活をきちんと守っている。それは父の理想かもしれないし、理想への途中かもしれない。尊敬できるし、否定もしない。
 そして、俺は俺で自分のやり方を、これから模索していけばいい。自分の理想や罪を打ち消してしまう必要はどこにもない。辛いことかもしれないが、俺はその両方を抱えていきたい。
 もう父の一言くらいで、俺が動じることはないだろう。きっと平気でいられる。
「いろいろありがとう。俺、帰るよ」
「え? 大丈夫か? 家まで送ろうか?」
 バックスの真剣な表情に、俺は本気で照れてしまいそうになる。
「もう、油断しないよ」
 ウェルさんは微笑を浮かべてうなずいた。
「油断しないだけで大丈夫なのか?」
 バックスは可笑しそうにケラケラ笑っている。でも本当に平気だ。敵の顔はしっかり覚えているし、今なら最初から逆らう元気もある。奴らに黙って負けたりはしない。
「平気だよ、ありがとう。明日は行くよ」
「おお。見に来いよ」
 バックスは、ポンと俺の肩を叩いた。見に行くんじゃなくて出るんだけどと思い、俺は可笑しさをこらえた。
「最後に一つ、言っておきたいことがある」
 ウェルさんは真面目な顔で俺に向き合う。
「なに?」
 なんだろうと俺は、真剣にその目を見て聞き返した。
「寝てる時が無防備すぎる」
 俺はウッと言葉に詰まった。バックスがブッと吹き出して、ゲラゲラと笑い出す。
「いや、人間そういうモノじゃない?」
 ウェルさんは真面目な顔で首を横に振った。
「ダメだ。あまりにもひどすぎる。早いうちにどうにかしろ。お前さんには必要なことだ」
「努力します」
 ウェルさんには、俺がそのフォースだということがバレているかもしれない。そう思いながら俺はていねいにお辞儀をして、鍛冶場を後にした。