脇道のない迷路 4


     ***

 家には誰もいなかった。父は忙しい人なので、たいてい家には帰らない。称号授与式の前日に家を留守にするのは毎年のことだ。今日もきっと帰らないだろう。だから俺が帰ったからといって、父と話ができると思ってはいなかった。でも今日は、誰もいない家が妙に寂しいと思った。あまりの手持ちぶさたに、お茶でも飲むかとお湯を沸かしはじめる。
 そういえば、年相応以上にガキ扱いされたのは初めてだった。昨日の晩からあの場所を出るまで、まったく自分の身の心配をせずに済んだ。ウェルさんとバックスが、なんでも先回りして考えてくれていたからだろう。身体の余計な力が抜けている。深呼吸をすると、今までよりもっと奥深くまで、空気が届いている気がした。
 玄関に下げたベルが音を立てた。思わず様子をうかがってシェダ様が見え、慌てて玄関の戸を開ける。そこにいたのはシェダ様だけではなかった。リディアって子も、その母親もいた。
「あ、あの、どうぞ」
 俺はそう言っておいてサッサと部屋に入り、椅子の上にあったシャツやらタオルやらを隣の部屋に放り込む。ドアを閉めて振り返ると、ちょうどシェダ様が入ってきた。
「いきなりで申し訳ない。早いうちに謝ってしまいたくてね」
「謝る、ですか?」
 いぶかしげな顔をした俺に、シェダ様は頭を下げた。その後ろから、リディアとその母親も部屋に入る。
「君を疑ってしまったことだ。すまなかった」
「いえ、そんなことは、もう」
「ルーフィス殿ともケンカをさせてしまって」
 いいえと首を振って、俺は後ろの二人に目をやった。シェダ様がそれに気付いてリディアを自分の前に出し、その母親を横に立たせる。
「妻のミレーヌだ。それと、お世話になったリディア」
 俺は頭を下げて挨拶をした。顔を上げた時には、ミレーヌさんが悲しげな微笑みをたたえていた。
「エレンに、生き写しなのね」
 そんなことを言われても、俺は自分の顔で母を懐かしむなんてことはできない。俺が苦笑すると、ミレーヌさんは慌てたように口を押さえた。
「ごめんなさい。懐かしくて」
 俺はもう一度、いいえと言って少しだけ頭を下げた。
「今度のことは本当にありがとう。助けてもらえなかったら、私たちはリディアを失っていたかもしれないわ。感謝します」
 失っていたかもしれない。ひどく重たい言葉だったが、奴らならやりかねないとも思う。
「俺はただ、連れて逃げただけですから。あ、お茶くらいしかないですけど、お持ちします。座っていてください」
 俺はサッサと台所に立った。家族という一つの単位が、俺にはまぶしい。その中にいると息苦しい。もしかしたら、ただ羨ましいだけかもしれないが。要は台所に逃げてきたのだ。さっき火にかけた、ほとんど沸いているお湯を見て、思わず苦笑する。
「あの」
 声に驚いて振り返ると、台所の入り口にリディアが立っていた。
「私がします」
 そう言うとちょこちょこと入ってくる。キョロッとまわりを見まわすと、俺に確認を取りながらサッサとお茶の用意をはじめた。
「嬉しかったです」
 リディアは向こうを向いたまま、お茶を入れながら話しだす。
「なにも言わないでいてくれて。父も母も、私も全部忘れられたらって思っていたの。でもダメだったみたい。ごめんなさい。私が話さなかったから、父が……」
 少しうつむいたので、琥珀色の髪がさらさらと肩から落ちていく。コポコポとお茶の注がれる音が、妙に大きく聞こえる。この子にあのことを話させるくらいなら、俺が話せばよかったのだろうか。
「別に、話したくなければ、そのままほっといてもよかったのに」
「よくないです! きゃ!」
 リディアはカップを持ったまま勢いよく振り返り、お茶をこぼしそうになってカップを両手で支えた。
「大丈夫か? 手にかからなかった?」
 俺がのぞき込むと、リディアは頬を赤くしてカップを台に戻した。
「だ、大丈夫です」
 リディアは髪を耳にかけると、トレーにカップを移している。耳まで少し赤い。
「ゴメンな。君が話すくらいなら、俺が話した方がよかったかもな」
 俺がそうつぶやくと、リディアは驚いたのか目を見開いてこっちを振り返った。フッと目が細くなり口元がほころぶ。
「ありがとう」
 いきなりリディアの手が首に掛かり、顔が近づいたと思ったら頬に柔らかい感触があった。
「お茶、運びますね」
「え? あ、頼むよ」
 俺の返事にニコッと微笑むと、リディアはトレーを持って歩き出した。今の、キス、だよな? シェダ様の子だよな? どういう育て方しているんだろう? 家族の中にいたら、こんな風に普段からキスもするんだろうか。
 リディアの後について居間に戻った。テーブルにお茶を置くリディアを、ミレーヌさんは優しい目で見つめている。
「なんだか、嫁にでも出した気分だな」
 シェダ様がリディアに笑いかけた。リディアは少し眉を寄せる。
「変なこと言わないで」
 そりゃあ、怒りもするだろう。リディアの反応に笑い声を立てて、シェダ様は俺に向き直った。
「フォース君、神官になってリディアと結婚しないか?」
 何を言い出すかと思ったらこれだ。いや、冗談にもほどがあると思うんだけど。
「いえ、俺は騎士になります」
「人を斬るのは嫌だと言っていたではないか?」
 シェダ様は、いくらか挑戦的な目で俺の表情をのぞき込んだ。
「ええ、嫌です。でも、騎士になります」
 俺はまっすぐシェダ様の目を見返した。シェダ様は微かに口元をほころばせる。
「吹っ切れたんだね?」
 はい、と俺は大きくうなずいた。


     ***

 この時期、前線から帰ってきている騎士は、ほとんどが称号授与式に参加する。リディアを襲った奴らはこの会場にいた。鎧はやはり奴ら自身のモノだったのだ。
 こうして見ていると、普通の騎士に見える。だが中身は別だ。奴らはただの罪人なのだ。このまま国の鎧を着せておくなんて許せない。
 奴らが俺に気付いた。顔色が変わる。そりゃそうだ、今なら俺の目も濃紺に見えるだろう。
「お前、ルーフィスの!」
 一人が声を上げ、もう一人が振り向いて驚きの表情を見せる。
「覚えてろって言ってましたよね」
「で? お父さんに言いつけたってわけだ。とんだお笑いぐさだ」
 父の名を叫んだ奴が、俺に向けて鼻で笑った。その言葉に、俺は思いきり嘲笑を向ける。
「そんなことしたら、ケンカもできないじゃないですか」
「やろうってのか? 俺たちと? いい度胸だ」
 どこで見ていたのか、俺の後ろからバックスが慌てて駆けつけてきた。仲間が増えたかと、奴らは腹立たしそうにこちらをにらみつけてくる。
「フォース! なにやってるんだ!」
 息を切らせたバックスを振り返らず、俺は奴らに視線を据え続けた。
「見つけたんだ。黙ってられるか!」
「間違いないのか?」
 バックスは、中位と下位の鎧の奴らを交互に見た。
「俺はこの目で見ているんだ。間違いない」
 俺は一瞬だけバックスに視線を向けた。目の色が見えたのだろう、バックスは狼狽している。
「お前! その目の色!」
「うるさいな。俺の父はルーフィスっていうんだ。十九の兄なんていないけどな」
 バックスはプッと短く笑った。
「母さん?」
「うるさい!」
 思わず叫んでから、俺はバックスに下がっているように言い、奴らに向き直ってその距離を縮めた。
「お待たせしてすみません。あなた達の本性を知っている人間は、一人でも少ない方が安心でしょう? 剣の練習をしませんか? その方が何かと都合がいいんだろうからな!」
 その言葉に触発されたのか、いきなり一人が剣を抜きざま斬りかかってきた。切っ先の左に身体をかわして、剣を抜きながらその柄で相手の手の甲を思い切り打つ。その手を離れた剣は、少し離れた地面に突き立った。剣は剣身だけが武器じゃないのに。バカな奴。
「剣の練習って、礼に始まって礼に終わるんじゃなかったでしたっけ」
 奴らの動きをうかがいながら土から剣を抜き取り、俺は持っててとバックスに放った。呆気にとられてみていたバックスは、足元に剣が落ちる音で我に返り、慌ててそれを拾っている。剣をとばされた奴は、殺気立った顔を俺に向けたまま横に下がった。
 もう一人が剣を抜いて胸の前に立てるのを見て、俺もそれにならった。そしてお互いに剣身をまっすぐ前に差し出す。本当ならこの形で剣を一度合わせ、試合開始の合図にする。だがそいつは合わせるはずの剣に力を込め、払うように斬りつけてきた。後ろに下がってそれをかわし、真上から打ち込まれた剣を一歩踏み込んで剣で受けた。一瞬動きが止まったのを見て、横にいた奴が隠し持っていた短剣を投げつけてくる。俺は剣を流し、腕をひいて剣を合わせている奴の背中のプレートでそれを受けた。悲鳴を上げた男の首筋に、剣の柄を叩き込んで意識を奪う。
「どこ狙ってるんだ」
 俺は倒れた奴の上をまたいで短剣を投げた奴をにらみつけながら足を向けた。途中、剣を鞘に収める。一対一なら剣がなくても、絶対にのしてやると思った。剣を手にしていない俺に怯えるように、丸腰になったそいつは後退って壁を背にする。そいつの視線がふと横にそれた。そっちをうかがうと父がいる。
「子供のケンカに口を出すなよ」
 そう言った俺に、父はフッと含み笑いをした。
「すまないが、先日捕まえた奴が仲間の名を吐いたんだ。ずいぶんと余罪があるようでな。もう仕事の範囲なんだよ」
 それなら後は任せればいい。ケガでもさせて、こっちが処分の対象になってもバカバカしい。不満が残る俺は目の前の罪人に、わざと残念そうに土を蹴って見せた。
 バラバラと寄ってきた騎士たちが二人の罪人を連行していく。彼らが見えなくなる前に、父は俺に向き直った。
「どこへ行っていた、この放蕩息子」
 一晩の行方不明で、もうこの言いざまだ。俺はふてくされて父の顔を見上げた。
「昨日の午後にはちゃんと帰ってたよ。おとついの夜にさっきの奴ら三人と、鎧職人のワーズウェルさんとそこにいるバックスさんにお世話になってたんだ」
「フォース! 一緒くたにするな!」
 バックスが血の気がひくほど驚いて駆け寄ってくる。父を前にすると、バックスに冗談は通じなくなるらしい。
「奴らに襲われたのを助けてくれて、介抱してもらったんだ」
 父は、言い換えた言葉に安心したようにそうかと答え、俺の頭にげんこつを落とした。大げさに頭を抱えてかがみ込んだ俺を放っておいて、父はバックスに頭を下げる。
「バックス君といったな。ありがとう、感謝する。ここのところ、これに元気がなくて心配していたが、必要以上に元気になったようだ」
「はぁ、スミマセン」
 なんで謝るんだ。バックスの言葉に吹き出した俺に、父が二度目のげんこつを落とした。
「バカ者。恩人にたいして失礼だぞ。それに騎士にとって最初の打ち合わせをいきなり無断欠席など、お前が初めてだ。クエイド殿がずいぶん心配して下さっていたんだぞ。きちんと謝罪してこい。せっかくお前を買って下さっているというのに」
 俺は分かりましたと真面目な顔で立ち上がり、二人にきちっとした敬礼をした。
「そうだ。お前、家の中を片づけておいてくれ」
 人が真剣に敬礼してるってのに、いきなりなんなんだ。バックスにも意外だったのだろう、固まっている。
「またかよ。仕事仕事言ってないで、嫁さんでも探してくれればいいのに」
「余計なお世話だ。私はエレンを愛している」
 余計じゃないだろと、俺は肩をすくめた。背中を見せようとして父の視線を感じ、俺はまだ何か用かと目を合わせた。
「お前、ずいぶんエレンに似てきたな」
 一気に身体の力が抜けた。
「それ、頼むからエレンを愛してるってのと並べて言うなよ」


     ***

 次の日、俺とバックスは出陣式の後、パレードの中にいた。ちょうど隣り合っていて、バックスは声をかけたそうに横目でちらちらと俺を見ている。聞きたいことでもたまっているのだろう。
 バックスと目が合って、俺はやんわりと微笑んで見せた。途端、小さな子供に指を刺され、カワイイなんて言葉が飛んできてげんなりする。こんな風に笑うと、俺はまだガキに見えるらしい。バックスがケタケタ笑っているのに腹が立つ。凄味がないとなめられるよな。でも、最初は見下されていた方が、何かと楽かもしれない。しばらくおとなしく猫をかぶっていよう。
 そんなことを思っていて、少し離れた噴水の側にいる、白いドレスの子が目についた。あれはリディアだ。
 リディアに出会った日、助けようと思ったワケでもないのに、気がついたら手を出していた。俺の中に、そう言う衝動があったのだ。今はそれを信じようと思う。この気持ちがある限り、俺は騎士をやっていける。
 今なら母を守れなかったあの時の自分と同じ弱さを、カイラムの中に見ることができる。俺が剣をとるのは、カイラムが家族を守れなかった悲しさに剣を手にしたのとは違う。俺は決して恨みで人を斬ることはしない。そう心に誓う。
 これから始まるのは、騎士として命をかけた戦いの日々。この胸に自分の大切なモノをしっかり抱いて、この手の剣で守っていけばいい。自分の気持ちに逆らわずに正直に。そしてまずは生き抜くことだ。
 そして少しでも強くなって、いつかは理想を形にしたいと思う。