レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
   5.自立

 結婚式の余韻に浸る暇もなく、接見ばかりを繰り返す数日をおいただけで、フォースとリディアはマクラーンに発った。
 九十日後に決まったレクタードとスティアの挙式と、フォースとリディアの披露目の用意、同日の終戦協定締結や条約を取り決めるための準備など、やらなくてはならないことが山積みなのだ。
 ルジェナからラジェスへ向かう行程のみ二人で移動したが、残りすべての道は、馬車にいる時間すら様々な知識の習得にあてられ、自由にはならなかった。
 マクラーンに到着してからは、また接見ばかりの日が続いた。親戚など披露目の前に会っておいた方がいい者、各機関の責任者で会う必要がある者など、クロフォードと数人の側近で話し合いがなされ、決められていたらしい。
 そしてその接見が無くなった今日が、レクタードとスティアの挙式と披露目の儀、終戦協定締結の日だ。それまでの接見にもいくばくかの緊張はあったが、フォースはこの日の一連の儀式に感じる重みから、気を張り詰めずにはいられなかった。
「メナウル皇帝ディエント様と王女スティア様が、マクラーン城にお入りになりました。ご用意、お願いいたします」
 知らせを持ってきたジェイストークは、フォースの横を通り過ぎ、クロゼットのある寝室へと入っていく。フォースはため息を一つついてからその後を追った。
 ジェイストークが出した式服は、結婚式の時に着るはずのモノだったが、いつの間にか貴石やら金糸やらの装飾がたっぷり増えている。
「重そうだな」
 ボソッとつぶやいたフォースに、ジェイストークが笑みを返す。
「いえ、陛下のお召し物に比べればまだまだ」
 その言葉はフォースにはどうしても、追々増えていく、と聞こえ、気が重くなる。
「リディアの準備は?」
「ええ。そろそろ戻られるはずです」
 ジェイストークの言葉を聞いてから、フォースは式服に着替え始めた。
 朝食が終わったあとすぐ、リディアは準備のためと、イージスに連れて行かれている。リディアなら普段の姿でそこにいるのも、着飾って側にいるのも、フォースにはどちらでもよかった。ただ、着飾るときに準備といいつつ離れてしまうのが寂しいと思う。
 おおかた着終わったところに、ドアの音が聞こえた。
「本当ですか?」
「ええ。挙式に使ったドレスはルジェナにございます」
 リディアとイージスが部屋に戻ったようだ。
「あの、余計なことをいたしましたでしょうか」
「いえ。嬉しいんですけど、なんだか凄く贅沢だから」
 開けっ放しのドアの向こうにリディアが現れた。髪は挙式の時と同じようにく結い上げ、リボンや花で飾っている。ドレスも、リディアとイージスがしていた会話によると、同じ形の違うドレスのようなのだが、やはり飾りがたくさん増えていた。フォースと目が合ったとたん、リディアの表情が微笑みに変わる。
「フォース」
 早足で側に来て目の前に立ち、見上げてくるリディアの視線に笑みを返す。目に入ったそのドレスの飾りが、フォースの衣装にある模様とよく似ていることに気付く。
「微妙にお揃いだったりするんだな」
「今までは考えられなかったわよね。鎧と巫女の服だったから」
 リディアはそう言うと楽しげに笑った。リディアが笑っているならそれでいいかと、フォースは思わず納得してしまう。
「それでは、参ります」
 礼をしたジェイストークが、先に立って歩き出す。フォースはリディアとそのあとに続き、イージスは後ろからついてくる。
 マクラーン城内を客が進む時間は、計算され尽くしているらしい。メナウルの一行がどこを通ったと、報告を受けながら廊下を進む。途中で地色が薄いグレーの衣装を身に着けたレクタードと、アルトスも加わった。
 今回対面する手筈を整えてあるのは大広間になっている。皇帝同士の会見は謁見でも接見でもない対等な立場だとのことで、謁見の間を避けたからだ。
 だがフォースにとっては、皇帝やスティアはもちろん、その護衛についてくるルーフィスやグラントなどとも、気持ちの上では接見に近かった。
 二位の騎士になった頃、騎士の中では一番年下だが、地位は上から二番目、ルーフィスの次だった頃のことが、漠然と頭に浮かんでくる。その頃と一緒だ、緊張する必要はない、と、フォースは頭の中で繰り返していた。
 クロフォードとリオーネ、ニーニアは大広間にすでに来ていた。部屋に入っていくフォースに気付くと、クロフォードが歩み寄ってくる。頭を下げようとしたフォースの腕に、クロフォードが触れた。
「お前の挙式の時、サーディ殿下の護衛をしていたのがルーフィス殿なのだそうだな」
 いきなりの言葉に、はい、と返事はしたが、フォースは何を言っていいか分からずに、ただ視線を返した。
「式が始まってしまったら忙しくて話せないだろうから、ここで話をしようと思う」
「話、ですか?」
 クロフォードがルーフィスと話すと聞いて、フォースはエレンを思い浮かべた。両方で主張すれば、間違いなくこじれてしまうだろう。
「予定は余裕なくつまっている。ここで対面している間に、エレンの墓を見ていただくといい。通り道はあまり目立たぬように警備も配置してある」
 クロフォードはそう言ってほんの少し眉を寄せると、触れていたフォースの腕をポンと叩く。
「あの時移さなくても、改めて移設を要請することになった。それだけは事実だ。角を立てないよう、もっと考えるべきだったのかもしれん」
 その言葉にフォースは黙って頭を下げた。角を立てないようにという、その言葉を頼りにするほかはない。
 何をどう考えても、墓の移設は行われただろうと思う。母エレンは王妃以上の扱いを受けていたのだ。それは自分自身が皇位継承権を剥奪されないことでも身にしみて感じている。
 頭を上げたフォースに一度うなずいて見せ、クロフォードはリオーネとニーニアの待つ方へと戻っていった。
 数歩下がった場所にいたリディアが、すぐ側に立って不安げな顔を向けてくる。フォースはできる限りの笑みを返した。
「もしも席を外すことで何か聞かれるようなことがあったら、」
「メナウル皇帝ディエント様、王女スティア様、ご到着にございます」
 その声に口をつぐんで、ドアにいる騎士に視線を向ける。ドアに手をかけたのを見て目を戻すと、リディアはフォースにうなずいた。
「説明しておけばいいのね」
 返事の代わりにうなずき返し、フォースはドアにもう一度目をやった。開いたドアの向こうに、ディエントとスティア、そしてルーフィス、グラントなどの、懐かしい騎士の面々がそろっている。
 ディエントが入室し、少し間を置いてスティアと騎士二人が入ってくる。そこにクロフォードが進み出た。
「よくぞいらしてくださった。いきなりの婚嫁受諾、感謝します」
 クロフォードが差し出した手を、ディエントが握る。
「娘には願ってもないお話です。終戦の決断も含め、こちらこそ御礼申し上げます」
 ディエントの一歩後ろにいたスティアが、ていねいにお辞儀をした。クロフォードは笑みを浮かべてスティアにうなずいてみせると、ちょっと失礼する、と、後ろにいる騎士に視線を移す。
「ルーフィス殿は」
「私でございます」
 ルーフィスはしっかりと礼をした。フォースは思わず息をひそめる。
「レイクスを立派に育ててくれたこと、感謝している」
「いえ、その必要はございません」
 ルーフィスの言葉に、クロフォードは首をかしげる姿勢で先をした。
「私は、ただ自分の息子の成長を見守っただけにございます」
 フォースはルーフィスが自分を息子と呼んだことで、クロフォードが怒ったりしないだろうかと不安になった。心配をよそに、クロフォードは笑みを浮かべて口を開く。
「そうだな、レイクスはそなたの息子でもある。では私は、ルーフィス殿を父としてレイクスの側に置いてくださった神に感謝しよう」
 その言葉に、ルーフィスはほんの少し目を見開くと、もう一度頭を下げた。
「これからは私も同じように見守らせていただくが、よろしいか?」
「はい。おっしゃるまでもなく」
 ルーフィスは頭を下げたまま笑みを浮かべている。フォースは、自分が子供のような扱いを受けていることに苦笑した。ホッと息をついて視線を落とすと、リディアが涙ぐんでいるのが目に入り、そっと背中に手を添える。
「親父の増殖決定だ」
 フォースが耳元でささやくと、リディアは顔を隠すようにうつむき、笑っているのだろう、肩をふるわせている。
 顔を上げると、クロフォードと視線があった。墓に行けといっているのだと分かる。
「神殿にお付き合いください」
 フォースが話しかけると、ルーフィスは一瞬おいて軽く礼をした。フォースはリディアに、行ってくる、と言い残すとルーフィスと大広間を出る。
 確かに、少し遠巻きに警備がついている。フォースはクロフォードの心配りに感謝した。
「元気にしているようだな」
「父さんも」
 そう返すと、ルーフィスは笑ったように息を吐く。
「サーディ様も会いたがっていらしたが、今回はヴァレスで留守を任されているよ。バックスも一緒だ」
 ブツブツと文句を言いながら仕事をしているサーディが脳裏に浮かび、フォースは苦笑した。
「婚礼と披露目、終戦協定が無事になされたらルジェナに帰ります。水路のことも話さなくてはなりませんので、近々会いにうかがいます」
「水路? そうか」
 水路と言っただけで予測がついたのだろう、ルーフィスはうなずいた。
「しかし、大きな城だな」
 内装の豪華さにも、あきれているだろうことが、その表情からうかがえる。
 神殿を通り、地下に向かう。すぐに花に囲まれているが見えてきた。ルーフィスの視線を感じ、あれがそうです、とうなずく。
「綺麗だな。シェイドの墓だからもっと……。側に行っても?」
 フォースがうなずくと、ルーフィスは棺のすぐ側まで歩を進めた。そっと棺に触れる。背中を向けられているので表情は分からない。
「ゴメン。俺のせいで……」
 その言葉に振り向いたルーフィスの顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
「いや、むしろ、よかったのかもしれん。ここなら寂しくないだろう。……、まさか、すぐ側にあるはずのエレンの笑顔を、懐かしく思う日がくるとはな」
 ルーフィスは苦笑して再び棺と向き合い、指先で棺をゆっくりと撫でている。
「私たちの息子は、想像以上に立派に育ってくれたよ」
 静寂の中、ルーフィスの小さな声が聞こえた。
「……、どんな想像してたんだよ」
 沈黙に耐えられずにそうつぶやくと、うつむいているルーフィスから、フフッと息で笑う声だけが返ってきた。

   ***

 洞窟して作られているこの部屋は、神殿の奥に位置している。中央に立っているのはレクタードとスティアだ。薄いグレーの地色で飾りを付けた衣装を身に着けている。
 薄暗い中、岩壁に老神官の声が響き渡っていた。行われているのは、ライザナルでは正式な結婚式だ。
「我が胎内にて産まれし二人を、そしてその一つの愛を、未来永劫つつがなく扶育していくよう。誓いにサインを」
 神官が渡したペンで、祭壇に置かれた誓いが書いてある用紙に、レクタードとスティアが順番に名前を記入する。
 ライザナルの胎内、つまり子宮をイメージしているらしいこの場所を、フォースはひどく独特に感じていた。もしも同じような洞窟の部屋がルジェナの神殿にあったら、自分もこの式を挙げていたかもしれない。
 リディアは隣の席から、目を細めて二人を見ている。フォースが見つめていることに気付くと、視線を合わせて微笑み、腕をからませてきた。そこから探って手をつなぐ。
「レクタード殿、スティア殿の婚姻が成立いたしました。お二人に祝福を」
 レクタードとスティアは腕を組み、ごく身内の参列者の前を、一人ずつ礼をしながら通っていく。誰もが無言のままでいるように言われているが、胎内なのだから、それでおかしくはないのだろう。
 二人が洞窟の外に出ると、参列者もゆっくりとその後に続いた。先に出たクロフォードが、おめでとう、と初めて声に出して祝福した。ニーニアがスティアに可愛らしいお辞儀をする。
 レクタードとスティアは、ディエントとも礼を交わした。よろしくお願いするよ、と聞こえたディエントの声にホッとする。
 フォースと目が合うと、レクタードは笑みを浮かべて側まで来た。
「ありがとう。レイクスのおかげだ」
 そう言って差し出された手を握る。
「俺も感謝してるよ。両国の友好を示すにはちょうどいいし、友達が側にいるってのは、何かと心強いだろうし」
 フォースの言葉に笑い合い、スティアがリディアと抱きしめあった。
「披露目の儀に移らせていただきます」
 ジェイストークがそう声を上げ、廊下を指し示す。クロフォードがディエントと肩を並べ、謁見の間へと歩き出す。何か話しているようだが、その内容までは聞こえない。それでも、並んで歩いているという事実を、フォースは幸せに思った。
 謁見の間には、先にクロフォードとディエントが入室した。中にルーフィスとグラントも見える。いったん扉が閉められた。
 気を落ち着かせるために、軽く深呼吸をする。ジェイストークがフォースとリディアに口を寄せてきた。
「くれぐれも、予定通りの行動をとってくださいますようにお願いします」
 リディアが、はい、と返事をした。フォースは、最初にこの謁見の間に入った時のことを思い出していた。予定をすべて無視して、自分がメナウルの騎士であること、戦の終結を望んでいることを発言したのだ。そんなことすら、すでにかしく感じる。
「レイクス様」
「分かってる」
 再びたずねたジェイストークに、フォースは苦笑してそう答えた。アルトスが視線を向けてくる。
「本当だな?」
「くどい」
 そう言い返しても、アルトスはじっとフォースを凝視してくる。
「だから、必要ないだろ。もうしない」
 その視線に耐えられずに付け足すと、リディアが疑わしげな瞳を向けてきた。
「フォース、何かしたの?」
 ウッと言葉に詰まったフォースに、アルトスは冷たい笑みを浮かべ、ジェイストークは声をひそめて笑う。フォースがリディアに、昔の話、と言いかけたところで扉が開かれた。
 フォースはリディアの手を取り、視線を合わせてから足を踏み出す。後ろからは、レクタードとスティアが付いてきた。
 謁見の間には、左右にたくさんの人が並んでいた。接見と言って先に合った顔も見える。フォースは隣にいるリディアを気遣いながら、クロフォードとディエントがいる場所まで進んだ。
 クロフォードにお辞儀をする。顔を上げると、クロフォードの方から二人に近づいてきた。
「お前がいなければ、ライザナルは闇にまれてしまうところだった。リディア殿にも感謝している」
 軽く礼をすると、クロフォードが腕をポンと叩いてくる。
「影から守ってくれたように、これからもこの国のために力を尽くしてくれ。ライザナルを継ぐのはお前なのだから」
 とたんにまわりから控えめなざわめきが起こった。何を言い出すのかと驚いて顔を上げると、クロフォードは笑みを浮かべて口をフォースの耳元に寄せる。
「仕返しだ」
 フッと笑ったクロフォードにフォースは苦笑を返した。
「できる限りのことをしてまいります。どうぞご指導のほど、よろしくお願いします」
 フォースがもう一度礼をして顔を上げても、クロフォードはまだ目を見開いた顔でフォースを見ていた。
「お前、継いでくれる気に……」
「モノになるようでしたら、使ってください」
 その言葉に、クロフォードは破顔した。いきなりフォースを引き寄せて抱きしめる。思わず、うわっ、と声を出してから口を閉じ、フォースは抱きしめられたまま首をすくめた。クロフォードの手がフォースの背中を二度三度と叩く。
「そうか、やっとその気になってくれたか」
 フォースを離しても、クロフォードは笑みを少しも隠そうとしない。その視線がリディアに向いた。
「リディア殿、色々大変だろうとは思うが、どうか今まで通りレイクスを支えてやって欲しい」
「はい。生涯添わせていただきます」
 リディアがていねいにお辞儀をすると、花束を手にしたニーニアがリディアの前に進んできた。クロフォードが背に手を添えると、ニーニアはお辞儀をしてリディアに花束を差し出す。
 リディアが微笑みを浮かべ、ありがとう、と言って受け取ると、ニーニアは頬を赤くしてリオーネのもとへ戻っていった。
 ふと、その向こうにいるディエントと、フォースの視線が合う。見つめてくるその目は、ルーフィスのそれと同じで優しい。
 公然と頭を下げるわけにはいかない今、フォースはお辞儀の代わりに一度視線を落とし、もう一度ディエントと目を合わせる。ディエントはそれに答え、かすかにだがしっかりとうなずいた。
 フォースとリディアがクロフォードの隣に並ぶと、レクタードとスティアが前に進んでくる。
「お前は補助を頼むぞ」
「元より、そのつもりにございます」
 レクタードの言葉に微笑むと、クロフォードはもう一つの花束を手にしたニーニアを呼び寄せる。
「スティア殿、レクタードをお願いする」
「ありがたき幸せに存じます」
 お辞儀をしたスティアが頭を上げると、ニーニアがスティアに花束を渡す。クロフォードが場を見渡した。
「レイクスとリディアが影を払拭し、戦を沈静してくれた。レクタードとスティアが両国王家を姻族としてくれた。ディエント殿を含め、私の親族だ。心に留め置くように」
 その言葉で、謁見の間にいるたくさんの人が、いっせいに頭を下げた。
「この場で終戦協定にサインを」
 机に用意されていた証書にまずはディエント、次にクロフォードが署名する。その証書の前で両皇帝は固い握手を交わす。拍手が謁見の間に響いた。
 人々に向き直ったクロフォードの手の仕草で、場が静けさを取り戻す。
「神が不在の時期に入ったのは、もすでに承知していると思う。マクヴァルが神を呪術で引き留めていたが、それと共に戦があった。無理があったのだ」
 クロフォードはディエントと視線を合わせてうなずき合い、再び口を開く。
「神は世界を創造され、そして私たちにねられた。この出来事を一番最後の章として、創世記は閉じられることになるだろう。だがしかし、神の目はいつでもディーヴァにあり、私たちを見守ってくださっている。シェイド神、シャイア神、そして大いなる神に恥じるようなことがあってはならない。皆の力にも期待している」
 人々が一斉に頭を下げた。クロフォードは後ろに身体を向ける。
「行きましょう」
 クロフォードはそう言うとディエントを促し、謁見の間の右奥、カーテンに隠れていた場所にあるバルコニーに出ていく。フォースはリディアの背に手を添え、その後に続いた。
 前方から大きな歓声がわき上がる。目に入ってくるバルコニーの向こう、城の前の広場は人で埋まっていた。
 バルコニーに並び見下ろした人々から、いくつもの名前がフォースの耳にも聞こえてきた。リディアとスティアの名前も、すでにその中にある。身命の騎士という声も聞こえ、フォースは思わず笑みを漏らした。
 ここにいてなお、そう呼んでもらえることが嬉しかった。ディエントが言っていたように、あくまでも自分が自分らしくあればいいのだと思える。
「あそこに」
 リディアに腕を引かれてその視線の先を見ると、マクヴァルを追った暗い通路で崩落にあい、怪我をした妖精が見えた。はばたいている羽がキラキラと輝いている。妖精はゆっくり近づくと、バルコニーに降り立った。フォースは妖精に礼をする。
「あの時は本当にありがとうございました。お元気そうで。よかった……」
「ありがとう。挙式の時にお邪魔しようと思ったのだが、ティオとリーシャが行くようだったので遠慮させてもらったよ。だが、今日でよかったようだ。あなたの決意を見ることができた」
 妖精の凜とした笑みが照れくさい。横から見上げてくるリディアの笑顔に苦笑を返す。
「もしもこの先アルテーリアとヴェーナが完全に閉ざされてしまっても、寄り添い、隣り合った世界にかわりはない。どちらかに何かあったときには、間違いなくもう片方にも影響が出る。神はヴェーナにおられるが、それは人間にアルテーリアをしたことに他ならない。ヴェーナは私が守る。アルテーリアは、あなたが守ってくれると信じている」
 妖精はフォースに向けてうなずくと、心配げに見ていたクロフォードに視線を移した。クロフォードに礼をし、もう一度フォースに笑みを向けて浮き上がると、妖精は空へと飛び立っていった。
「神がなぜ人の手を離したのか、真意を知ることはできないのでしょうね」
 後ろにいるジェイストークが、ため息のように口にする。フォースはチラッとだけジェイストークを見やると、バルコニー前方の人々に向き直る。
「俺は今までそうやって育てられてきた。神が人を創り育ててきたのだとしたら、これが間違いだとは思いたくない」
「信仰の存在で人間に喧嘩をさせまいと、神が手を引いてくれた、ということも考えられる」
 レクタードの後ろに立つアルトスが口を出した。ジェイストークの軽い笑い声が聞こえる。
「国と国が結びつくのは制覇ではなく和睦でしょうからね」
「どちらにしても、これから人間がどうやって生きていくかで答えが出るということだな」
「そう、神がいないんですから、これからは奇跡も起こせますよ」
 いくぶん耳元に近づいて言ったジェイストークの言葉に、フォースは苦笑した。
「そんなものに期待なんてしない。俺は今まで通り、地味にやっていくさ」
「お前は立場が派手だから、それでちょうどいい」
 冷たく言い放ったアルトスの声に、フォースはリディアと視線を合わせて笑みを浮かべた。

   ***

 ルジェナ城の前庭は、花壇からあふれそうなほど、たくさんの花が咲いている。
「これも可愛いわ」
 休憩と言って出てきた庭を、フォースはリディアと散策していた。距離を置いてイージスがついてきている。
「元気がないわ、この花」
 そう言うと、リディアはその花を心配げに見つめる。
「え? あ……」
 フォースは、ラジェスの岩盤で咲いていた花を思い出した。ここもラジェスと同じように、育たない花も植えているのかもしれないと思い当たる。眉を寄せたフォースを、リディアが見上げてきた。
「フォース? どうしたの?」
「あ、いや、誰が庭を整えてくれているのか、タスリルさんに聞かないとな」
 うなずいたリディアが、行きましょう、とフォースの腕を引いた。前に視線を向けたリディアの足が止まる。
 どうしたのかと、その視線を追ったフォースの視界に、かがんで花をのぞき込んでいるマクヴァルが入ってきた。一瞬動悸が大きくなったが、マクヴァルの意識はすでに無く、他人と同じなのだと思い直す。
「大丈夫だ」
 フォースはリディアをかばうように腰に手を回した。リディアは黙ったままうなずくと、フォースの腕を抱いて頬を寄せる。心配したのだろう、すぐ後ろまで来ていたイージスが、また少し距離をとった。
 少し近づいたところで、向こうからフォースに気付き、立ち上がった。
「レイクス様。何もせず、お世話にだけなってしまい、誠に申し訳ありませんで。現在はペスターデと申します」
 そう名乗ると、深々と頭を下げる。フォースは、お気になさらずに、と口にしながら、ペスターデという名前を頭の中で繰り返した。リディアがこわごわ声をかける。
「ペスターデさん、花がお好きなのですか?」
「ええ。マクヴァルに支配されるまでは、植物を研究していましたから。ここの花ももう少し気をつかえば活力が出ますよ」
 フォースはリディアと顔を見合わせた。ペスターデは花に目をやって、さらに口を開く。
「土と植物自体の改良で、同じ花をもっと北でも咲かせることができるようになるんです」
「じゃあ、マクラーンの北でも作物の収穫は可能になりますか?」
 フォースの問いに、ペスターデが笑顔を向けてくる。
「現在でも可能だと思います。豆や葉の野菜で、が降っても枯れなかった種類があったくらいですから」
「霜が! 本当に?!」
「申し訳ありませんっ!」
 遠くからの叫び声に視線を向けると、ジェイストークが血相を変えて走ってくるのが目に入った。
「父さん、出てきちゃ駄目だってあんなに」
 ジェイストークはそこまで言うと、に手をついて肩で息をしている。
「ジェイ、かまわない」
「ですが、リディア様には恐ろしいでしょうから」
 顔を上げたジェイストークに、リディアが曇りのない微笑みを向ける。
「ありがとうございます。でも、違う人なのだと、きちんと納得しなければなりません。いつまでも怖いままでは失礼ですから」
 リディアはそう言って微笑むと、フォースを見上げてきた。座り込みそうなため息をついたジェイストークを無視してリディアに笑みを返し、フォースはペスターデと向き合う。
「先ほどの話ですが。できれば、主食にできて輸送にも耐えられる日持ちのいいモノがあるといいんですけど」
 ペスターデは少し考え込むと、ああ、と手を叩いた。
「それでしたらマクラーンの北、ディーヴァの山裾で育つならば見たことが」
「マクラーンの北で?」
 はい、とうなずくと、ペスターデは指で 小さな円を形作る。
「こんなもんだったかな。小さいので改良が必要ですが、掛け合わせていけば、寒冷地でも耐えられる、それなりの大きさの芋が作れるかもしれません」
 フォースはもう一度リディアと視線を交わし、ペスターデに向き直る。
「それ、作ってもらえませんか?」
「はぁ。しかし時間がかかります。生きている間にできるかどうか……」
「かまいません。やってもらえるなら、あなたをいたいのですが」
「私をですか?!」
 ペスターデと共に、ジェイストークがひどく驚いた顔をした。
「ですがレイクス様、父はほとぼりが冷めるまでマクラーンへ行くわけには」
「北の環境と同じ場所までディーヴァに登れば、ルジェナにいても作業はできるんじゃないかな」
「はぁっ? そ、それはそうですが……」
 フォースはジェイストークから視線をペスターデに移す。
「大変だろうけど。経費とか労賃をどの程度出せるか詰めてみるよ。考えておいてほしいんだ」
「わ、私はすぐにでも始めさせていただきたいと」
 祈るように手を合わせたペスターデに、フォースは笑みを浮かべた。
「じゃあ、まず芋を採取して運ばせないとな。アルトスにでも」
 ブッと後ろからイージスの吹き出す声が聞こえた。ジェイストークのほうけた顔を見たリディアが、ねぇ、と見上げてくる。
「マクラーンに行く頃に芋の掛け合わせができていれば、ペスターデさんも一緒に行けるわね」
「ああ。ある程度進んでいれば大丈夫だろ。当地の方が確実に決まってるんだから」
 ジェイストークの目に涙が浮かんでいるのに気付き、フォースはリディアの腕を引いて背を向けた。じゃあ後で、と片手を挙げて歩き出す。行け、とジェイストークの声がして、イージスの足音があわてて追いついてきた。
「あとで土をどうしたらいいのかも聞かなくちゃね」
 楽しげなリディアにうなずいて見せ、フォースは城を見上げた。二階の窓のタスリルと目が合う。
「何を遊んでいるんだいっ」
「わっ、すみません、今行きます」
 フォースが慌てて答えると、タスリルはヒヒヒと笑い声を立てる。
「薬を練らなきゃならないんだ、二人で少しゆっくりしておいで」
 そう言うと軽く手を振り、タスリルは窓から離れていく。ホッと息をついたフォースの袖を、リディアが引いた。
「ファルだわ」
 その声に空を見上げると、ファルが一直線に向かってくるのが見えた。ファルは二人の少し前に降りてくると、いつものように手紙の付いた足を差し出す。フォースはファルの足に触れないように、そっと手紙を取り出した。ファルは近くの低木に飛び移る。
「グレイだ」
「ねぇ、なんて?」
 フォースは手紙の文字に視線を走らせた。
「みんな元気でいるって。それからサーディが、……、しい? なんだそりゃ」
 ええ? とリディアも手紙をのぞき込む。
「ほんと。怪しいって書いてある」
「それにアリシアが分裂予定って。あのやろ、ちゃんと分かるように」
「赤ちゃん?」
「えっ?!」
「そうよ、きっとそう」
 リディアの満面の笑みが見上げてくる。こみ上げてくるうれしさに、フォースはリディアを横抱きにして一回転した。
「すげぇ! そうだ、そうだよ!」
「産まれたら会いに行きましょうね」
「ああ。どっちに似ても、……、嫌な性格かもな」
 リディアの笑う声が、耳のすぐ側で聞こえる。
「やだ、赤ちゃんよ? 大丈夫よ」
「だといいけど。バックスとアリシアの子だからなぁ」
 クスクス笑っていたリディアの声が止まった。
「私も、……、早く赤ちゃんが欲しい」
「そうなの?」
 リディアが控えめにうなずく。フォースはリディアを抱き上げたまま歩き出した。
「じゃあ今から作ろうか」
「ええっ? 待って、まだ陽がこんなに高いのよ。それに」
「それに?」
「イージスさんが真っ赤……」
 その言葉に、フォースは思わず足を止めて振り向いた。イージスが慌てて手を横に振る。
「い、いえ、お気になさらず、どうぞ」
「いや、どうぞって言われても」
 フォースは可笑しさに声を潜めて笑う。
「せっかく出てきたんだから、もう少し庭を見て回ろう」
 うなずいたリディアをそっと降ろし、唇を引き寄せキスをする。ファルが舞い上がった音に二人で振り向き、その後を目で追った。
 陽の光がまぶしい視界の中、ディーヴァの山々は白い冠雪をいただき青空に映えている。
 神が降臨することはもう二度と無いだろう。だがフォースはその山に、確かに神の存在を感じていた。



「レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜」はこれにて完結となります。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。m(_ _)m