レイシャルメモリー後刻

― 煮ても焼いても鴨の雛 ―

 黒く腐ったような怪物がいなくなり、ライザナルにも平穏が戻ってきた。いや、戻るどころか戦まで終わっている。諜報部を首になって以来、傭兵もどきをやっていたウィンの仕事は、完全になくなってしまった。
 だが、数枚の着替えと短剣しか入っていない荷物の真ん中に、非常に高価な宝を一つだけ大切にしまってある。怪物を倒した時にえられる目玉、それが希少価値の高い宝飾品として取引されているのだ。
 ウィンの手元には、思ったような値を提示されなかった一番大きな目玉が残っていた。ウィン自身が倒した怪物のではなく、フォースが倒したモノだ。そのフォースとは、いつか絶対、センガとダールの敵を取ると言い残したまま分かれている。
 センガはバルコニーから巫女を抱えて飛び降り、結局殺し損ねてセンガだけが死んだ。それは百歩譲ってセンガ自身の落ち度だったとも言える。だが、ゴートの古屋敷でダールを殺したのは間違いなくフォースなのだ。それはフォースも認めている。
 怪物から自分を救い出したくらいでは、帳消しにできる恨みではない。ライザナルの皇太子だと分かった今も、その思いは残っている。恨みを果たすためには、ルジェナ城に攻め入ることができる私設の軍隊を組織する必要があるのだ。
 目玉はその資金源だ。怪物そのものが現れなくなったため、さらに価値が上がるかと思い取っておいたのだ。だが、目玉であることも知れ渡ってしまい、欲しがるのは一部の物好きな人間だけになっている。取り引きをする相手が減ってしまったため、探し出すのも容易ではない。ウィンはなんとか少しでも高く売ろうと、東奔西走していた。
 ウィンはルジェナ・ラジェス領に一箇所だけ残っている、その目玉を渡すかわりに退治料という名で国から報酬をもらえる交換所へと向かった。もともとの怪物がいなくなったのだから、そろそろ閉めてしまうだろう。それどころか、すでに無くなっていてもおかしくないとウィンは思う。だが、値段だけでも聞いておいて損はないし、欲しがっている人の情報が手に入る可能性もある。
 はたして、その交換所は残っていた。扉を押すと、内側に付いていたのだろうベルがカランと軽い音を立てる。中に入ってみると、カウンターの向こう側にドアがあるが、どこにも人影はなくガランとしていた。少しっぽいような気もする。もしかして看板だけで、すでに終わっているのかもしれないとの思いが頭をよぎった。
「誰かいないのか?」
 大声を出し、耳を澄ました。ドアの向こう側でガタガタと物が崩れる音がして、音がおさまってから、おもむろにドアが開く。
「い、いらっしゃいませ!」
 出てきた十四、五の若い女が、顔を引きつらせた笑みを浮かべた。お辞儀ついでに足元を撫で、いたぁい、とつぶやく。顔を引きつらせていたのは自分が怖いわけではなく、何かぶつけたからだったのだろう。こんなのに店番をさせていいのかと、ウィンは疑問に思った。女は栗色の髪をかき上げ、大きな同系色の瞳をウィンに向けてくる。
「あ、あの、換金でいらっしゃいますか?」
 明るく高い声が換金所に響き渡る。
「いや。いくらになるか知りたくてな。金に替えるかはそれから決める」
 そう言いながら、ウィンは荷物から目玉を取り出してカウンターに置いた。女は大きさに驚いたのか、目を丸くしてその目玉を見つめている。
「あ。今測ります。ちょっと待ってくださいね」
 自分が何をしなくてはならないのか思い出したのだろう、大きさを測るを取り出して、目玉に巻き付けた。値段表を取りだし、その紐の長さを見比べる。
「ええと。失礼ですが、ウィン様でいらっしゃいますか?」
 なぜここで自分の名前が出てくるのか。だが、相手は警戒するのもバカらしいほどの子供だ。
「……、そうだが?」
 ウィンがそう返すと、女はにっこりと微笑む。
「この大きさの品物をお持ちになった方には、お名前をうかがうようにと、レイクス様にせつかっております」
「あ? レイクスだ?」
 はい、という元気な返事を聞いて、ウィンは心の中で舌打ちをした。レイクスはフォースの本名、ライザナル皇太子の名前なのだ。換金した金は、私設の軍隊を作るための資金になるはずだった。だが、フォースの自衛のために、換金すら渋られるかもしれない。
「こちらの大きなのは、ご希望があれば城と交換していただくようにと、レイクス様が」
「あのやろ、やっぱり手を回し……、?! しっ、城だとっ?!」
「はいっ」
 ウィンの素っ頓狂な声に、女はまたハキハキと返事をした。
「こちらをご覧ください」
 女は後ろを向いて、棚から一枚の地図を取り出した。丸まっている地図を一生懸命広げているのを見ていられずに、ウィンは地図の端を押さえた。
「ありがとうございます! ええと、城はルジェナ・ラジェス領内、ラジェスにほど近い場所に立っておりまして」
 ウィンは、女が地図を指差した先をのぞき込んだ。城のある場所は、ルジェナにもあまり遠くなく、ラジェスで私設の兵を集めるのによさげに見える。攻め込むための拠点には最適だと思われるくらいの立地条件だ。レイクスは自分を遠ざけるどころか、暇つぶしに側に置いておきたいのかもしれない。だが、目玉で城を手に入れてしまうと、傭兵を集める資金が足りないだろう。城の維持費もかかる。
「あとですね、これだけの金額をお付けしろとも」
 女は地図をウィンに預けたまま後ろを向き、紙を一枚取り出した。地図の上に置かれたその紙には、あまり綺麗とは言い難い字で契約書との文字と城のこと、そしてその金額が書かれている。ウィンは数字のゼロの多さに思わず吹き出した。
「金額って、この数字か!」
「はい。それとも、規定通りの金額にいたしますか?」
 女は相変わらずにこやかにウィンを見ている。規定通りでは、付録の金額より少ない。こんなにいい条件を出されたせいで、ウィンは何か罠にはめられているような気がしてきた。
 だが。罠だとしたら何の罠なのか。金だけでも多いのだ。もしかしたら城という拠点を寄越して、軍資金まで付けたつもりか。これでは攻めてこいと言っているようなモノだ。軍隊ごっこでもする気だろうか。それならそれで受けて立ってやろうと思う。この金額なら私設の軍をすぐにでも組織できそうだ。
「城にする」
「わかりました、せのままに。それでは今から私がご案内させていただきますが、よろしいですか?」
 ウィンがうなずいてみせると、女はヒョコッと頭を下げた。
「私はケティカと申します。ウィン様、少々お待ちくださいね」
 そう言うとケティカはドアの向こうに消えた。またガタガタと何かを蹴飛ばした音がした。

   ***

「ここを右に入ります。あと少しで見えてきますよ」
 右前方を指差したケティカにウィンは、へぇ、と気のない返事をしつつ、ルジェナ城からのだいたいの距離を考えていた。ケティカの父親が御者をしている馬車は、ケティカの言った通りに右の脇道へと入っていく。
 進行方向を向いているのはケティカの方だ。どっちが客なのだか分からないが、酔うから前を向いて乗らせて欲しいと頼まれたのだ。右も左も木々で埋め尽くされていて、とても静かな場所だ。右側には多分ディーヴァ山脈に繋がるのだろう山が見えてきた。
 この方角からなら森の中を移動すれば、大きな通りに出ることなくルジェナ城へとたどり着ける。獣道を利用する手もあり、あらかじめ少しでも道を付けておくという手もあるだろう。あとはルジェナ城の城壁の中を一度見てこなくてはならないとウィンは思った。
 ケティカが窓から顔を出しかけて、膝に乗せていた契約書が落ちた。ウィンはそれを拾い、じっくりと眺める。
「汚いな」
「何がですか? あ、返してくださいよぉ」
 伸びてきた手に、ウィンは契約書を渡した。ケティカは紙を抱きしめて、ホッと息をついている。
「その字だ、字。もしかしてレイクスの字か」
「そうですよ。汚いなんてこと、……、綺麗ではないですけど」
 ブツブツと付け足した言葉に、思わずノドの奥で笑う。
「惚れてんのか」
「ええっ? そんなんじゃないですっ、尊敬って言うか、憧れって言うか、そんなんですよっ。皇太子様なのにとっても気さくだし言葉も丁寧だし、真剣になってるのってカッコよかったし、笑ったら可愛いし」
 早口でまくし立てたケティカの言葉に手のひらを向け、ウィンは、分かった分かったと止める。思わずため息が出た。
「あいつ、ガキだからなぁ」
「そんなこと無いですよ!」
 ケティカは、キュッと眉を寄せた不機嫌な顔をする。
「お前がもっとガキだから、少しマシに見えるだけだろ」
「ええー? ウィンさん、ひどいですっ」
 ケティカが頬を膨らませたのを見て、ちょっとは静かになるだろうとウィンは思った。
「あ、見えました! ウィンさん、ほら、あそこです!!」
 ケティカは腕を伸ばし、馬車の右前方を指差す。ウィンは振り返って、ケティカの指差した方向を見た。チラチラと見える尖った屋根が近づいてきて、少しずつ城が全容を現してくる。
「大きなお城ですよね! それにとっても可愛いし。こんなお城をレイクス様からいただけるなんて、ウィンさん凄いです!」
 どうもケティカがやかましいのは変わらないらしい。ウィンは小さく息を吐いただけで、ケティカの言葉をやり過ごした。
 城は白く大きめの石でできていて、角の部分を赤い石で飾り付けてある。ちょっと見た感じは可愛らしくも見えるが、日が当たっていないせいか幾分暗く見えた。馬車は扉のない門をくぐって中へと入っていく。入り口なのだろう、堅い木でできたアーチ型の扉の前で馬車が止まった。
 ウィンは馬車の扉を開けて外に出た。建物も大きいし、前庭も結構広い。どのくらいの人数を集められるだろうと、思いを巡らせた。
「どうぞ中をご覧になってください」
 ケティカが扉をコンコンと叩くと、中から扉が開けられた。お辞儀をしたまま下がったその人物を見て、ウィンは息をのんだ。間違いない、母親だ。もう随分前に家を出ているのだが、面影が残っている。
「い、今のは」
「レイクス様が管理を任せているご夫婦です。できれば続けてって欲しいとおっしゃってました。いい方たちですので、是非そうされてくださいね」
 ケティカは母親に、私が案内しますので、と下がらせた。母親はお辞儀をして、すぐ側に生けてある花を直してから中に消えていった。ウィンは顔を合わせずに済んで安心したが、残念だったような気もした。だが、これが偶然だなどということは無いだろう。レイクスがそうしたのだろうか。あのジェイストークなら、難なく探してきそうだと思う。
 もしかしたら、あの高い金額は本当に城の維持費のつもりなのだろうか。両親と会わせれば、攻めるのをあきらめるとでも思ったのかもしれない。それはいくら何でも甘いだろうと思う。だが、そう思いながらも、確かに国にたてつくところを親には見せたくはないと考えてしまう。
 やってくれる、とウィンは思った。だが同時に、あきらめたくないという思いも湧き上がってくる。これを罠だと思って仕掛けたのなら逆効果になるとは考えなかったのだろうか。
「ウィンさん、こちらにどうぞ」
 ケティカはまるで自分の家のように、城へと入っていく。ウィンも後に続いた。
 玄関に入ったところの空間は天井も高く、大きめな階段が描く曲線が優雅だ。ただ、誰のだか分からない女性の肖像画が目に付いた。
「あ、中にある物も自由に使ってくださっていいそうです」
 そう言われ、ウィンは改めて部屋の中を見回した。見るからに高そうな家具や調度品が品よく置かれている。
「食器類からなにから、すべて揃っているそうですよ。いらない物は処分して構わないとおっしゃってました」
 金持ちという人種は、こういう物を金に換えられるとは思わないのだろうか。自分がフォースの立場なら、相手を把握するために、余計な金を持たせることは避けるだろう。いや、金に替えられることすら知らないかもしれない。これだけでも、結構な額になるだろうとウィンは思った。
 だが、花を直していた母親が脳裏をよぎった。使用人としてではなく城主の親として、ここで暮らさせてあげたいとも思う。ましやかな人だから、自分から望んで贅沢な暮らしはしそうにない。こんな機会は二度と訪れないだろう。
 そう考えてから、ウィンは思いを振り切るように首を振った。自分の目的はそれじゃない、を討つことなのだ。そうしないと、ダールもセンガも浮かばれない。
「これが城の見取り図、これが鍵ですからね。お金は二階の書斎に置いてあるとおっしゃってました」
 おっしゃってました、おっしゃってましたと、ケティカは相変わらずやかましい。そう言われるたびにフォースが頭に浮かぶのも鬱陶しい。
 ウィンは無言で見取り図と鍵を受け取った。その見取り図を広げてみると、ウィンが思っていたよりも城は大きいようだった。道に面した分よりも、敷地が奥に広がっている。
 この分なら、すぐに行動に移してもよさそうだ。戦が終わり、実際はどうであれ人々は幸せを感じている。だが、それを頭から信じられない奴も多いはずだ。もちろん今ならば、直接フォースに恨みを持つ者もいるだろう。そういう奴を探すなら、メナウル寄りのルジェナよりはラジェスだ。
「ちょっと出てくる。馬を貸せ」
「え? 駄目です。これからウィン様に城をお渡ししたと、報告に行かなくてはならないんですから」
 ケティカは、まるで優しく子供をしかるように人差し指を立て、ウィンに言い聞かせるように言葉にした。ウィンは疑問を直接口にする。
「報告って、どこにだ」
「ルジェナ城ですよ、決まってるじゃないですか」
「中に入るのか!」
「お城に入らないで、どうやって報告するんですよぉ」
 まずはラジェスと思っていたウィンだったが、ルジェナ城の中を見るには、滅多にない良い機会だ。
「俺も行く」
「どうしてですか? あ、お城を見たいんですか?」
 攻めるために知っておきたいのが真実なだけに、ウィンはその言葉に動悸を覚えた。だが、それを悟られるようなことはしていないはずだと考え直す。
「違うだろ。城をもらったんだ、礼くらい言いたいだろうが」
「でも、レイクス様にお会いできるかは分かりませんよ?」
 本当ならフォースに会わずに済ませたいとウィンは思う。だがもし会ってしまったとしても、どんな反応を返すかを見てみたいのも事実だ。それによって、本当に攻めて欲しいのか、敵意はあるのか、など色々と判断できるだろう。
「直接会えなくても、側近の者に伝言くらいできるさ」
「あ、そうですね。じゃあ、一緒に行きましょう。すぐでいいですか?」
 笑みを浮かべて聞いてきたケティカに、ウィンは、おお、と返事をした。