レイシャルメモリー後刻


   ***

 タスリルの店のある細い路地に、多くの兵士が出入りしているのが見える。いつもなら閑散としている場所だ。何かあったのかとよく見ると、荷物を運び出していると分かった。もう引っ越しを始めているのだ。メナウルとライザナルの兵士が混在していて、声を掛け合いながら作業をしている。
「あ、グレイさん」
「え?」
 声をかけられて、思わず顔をまじまじと見た。メナウルではフォースの隊にいたブラッドが、ライザナル式の鎧を着けている。その後ろから、さらに見覚えのある顔、アジルが同じようにライザナルの鎧を身に着けて歩いてきた。
「グレイさん、お元気そうで」
「お二人もお元気そうでなによりです。勤務はフォースのところに?」
 グレイはそう聞いて笑みを向ける。
「ええ。もう容赦なく下っ端からですよ。それでもすぐ下で働いている時と、なにも変わりないんですけどね」
 そう言うと、アジルはブラッドを促して、荷物を馬車へと運んでいった。ライザナルへ行ったとは聞いていたが、本当にフォースの元で働いているんだと分かって安心した。
 所属どころか、二つの国の兵士までもが無理なく混在していることが、グレイにはとても自然に感じた。ほんの少し前まで長い戦が続いていたことが、軍でさえも微塵も感じられないのが嬉しい。グレイは、混雑はしているが雰囲気のいい路地に足を踏み入れた。
 タスリルの店の扉は開け放たれていて、その横にはナルエスが立っていた。グレイを覚えていたのだろう、顔を見ただけで、どうぞ、と中を指し示す。グレイは一礼して中に入った。
 中にも兵士が数人、荷造りをしていた。棚や机はそのままだが、その上にあった細々したものはおおよそ運び終えていて、部屋は随分と広く見える。奥にある棚の影から、フォースが顔を出した。グレイには、大国の皇太子が引っ越しの手伝いをしていることが可笑しく、逆にフォースらしいとも思う。
「ああ、グレイ。手伝いに来てくれたのか?」
「そんなわけないだろ。バックスが楽しみにしてるって言ってたから伝えに来たんだ」
 速攻で返した言葉に、フォースは乾いた笑い声を立てた。
「何をだ。ライザナルの酒とかお菓子とか、赤ん坊の服とか」
 そんなモノを並べながら、フォースは幾分引きつった表情をしている。
「や、フォースの考えている通り、違うと思うぞ?」
「やっぱりか。行きたくねぇ」
 フォースは目の前にある棚に突っ伏し、顔だけ上げる。
「……グレイ? 顔色が悪いんじゃ?」
 グレイが思わず顔に手をやった時、奥のドアからタスリルが出てきた。
「おや、二人連れで」
 その言葉に、フォースは怪訝そうな顔をしているが、グレイはヤーラが居るのだろうと納得した。
「そのことでお話しがあるんですが」
「いいよ。ちょっとそこで待っておいで」
 奥に戻りかけて、タスリルはフォースに向き直った。
「その棚の中身、覚えておいてくれるかい? しっかり元に戻したいんだよ」
「これ? 中が軽いから」
 フォースが引き出しを開けると、柔らかそうな布やら紙やらが詰めてある。
「こうやって中身が動かないようにして、引き出しが開かないように縄をかけて、一度に運ぶってことで」
 タスリルは、いつもより少しだけ見開いていた目を細めた。
「変なとこで役立つ子だね」
「褒め方間違えてないか?」
 フォースの言葉に、タスリルは朗笑しながら奥の部屋に入っていく。
「リディアは元気にしてる?」
 二人連れの意味を聞かれる前に、グレイは先陣を切った。フォースは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべる。
「ああ、元気だよ。あとは出産を待つだけだそうだ」
「よかった。アルトスさんもジェイさんもイージスさんも来ていないから、もしかして悪いのかと心配したよ」
 グレイの言葉に、フォースは縄に手を伸ばしながら苦笑した。
「心配なら軍の一つでも付ければいいとか言われて呆れたはずだったのに、テグゼルの隊も含めて上から四人三つの隊を付けてきちまった」
 グレイは思わず吹き出しながら、笑いを押し込める。
「いや、いいんじゃない? リディアは皇太子妃なんだし、今は二人分なんだし」
「グレイ、入っておいで」
 隣の部屋からタスリルの声がした。フォースはグレイに手を振って棚を縛り始める。グレイは軽く深呼吸をしてから奥の部屋に足を踏み入れた。幾分身体が軽くなったような気がして、グレイは後ろを振り返る。
「大丈夫、ここなら彼女には声も聞こえないし、入ってくることもできないからね」
 それならそれで後から色々聞かれそうだとグレイは思った。振り返った視界はいつもと変わりないが、棚を縛っているフォースをのぞき込んでいるヤーラが見える。
「全身ってのは初めて見たな」
 しみじみ言ったグレイに、タスリルは冷ややかな笑みを浮かべた。
「好みかい?」
「まぁ好みだけど。愛情じゃなくて同情だよ」
 グレイがそう答えると、タスリルはホッと息をついた。
「それはよかった。付きまとわれているだけで、取り憑かれているわけではないようだ」
 取り憑かれるという言葉に、グレイの背筋が冷たくなる。
「あの薬で亡くなった娘かい?」
 タスリルの疑問にうなずいてみせると、タスリルは机に一冊の本を広げ、指で文字を追い始めた。
「亡くなった後に、例の惚れ薬の効き目が出てきたのかもしれんね」
「身体じゃなく、精神に効くなんて……」
「身体と精神はアルテーリアとヴェーナのように表裏一体だからね」
 そういうモノかと思いつつ、グレイは疑問を口にする。
「効き目が続く期間は?」
「分からん。危ない薬だけあって、効き目が切れない事もある」
「解毒剤も無し?」
「あっても飲めんだろう」
 あ、と理解したグレイは、ため息を吐きつつ天井を見上げた。身体と精神は表裏一体でも、ヤーラにはすでに身体はないのだ、薬を飲めるわけがない。
「相手は妖精だ、キッパリ振ってやった方がいいと思うよ」
「君は嫌いだ、ってのは?」
「それで意地になって取り憑かれてもね」
 タスリルの苦笑に、グレイはため息をついた。
「納得させて突き放せってことか」
「後は任せるよ」
 その言葉にグレイは、放心した目でタスリルに視線を向ける。
「あたしゃ、色恋沙汰には無縁だからね。聞かれても分からんよ。アレは見本にならんかい?」
 タスリルの横を向いた視線の先にはフォースがいた。グレイは笑いたくなるのをこらえる。
「俺にリディアのような関係の娘がいるなら、他に目は行かないって分かるんだろうけど。睨んだところで怖がってもらえそうにないし」
 そう言いながらグレイは、恋愛感情の話しにフォースを引き合いに出すようでは、タスリルは本気で分からないんだろうと思う。
「どう断るか考えてみます」
「そうしてくれ。まぁ、こじれたら相談においで。妖精を消滅させるならできるらしいからね」
 シャイア神の迎えを待っているのに、消滅はあまりにも可哀相だ。なんとかしなければならないとグレイは思う。
「分かりました。ありがとうございます」
 ヤーラになんと言えば納得してくれるのか想像も付かなかったが、とにかく断らなければならないのは理解した。グレイはていねいにお辞儀をして部屋を出た。
 戻ったらヤーラがうるさくなるだろうと予想していたが、ドアを超えるとグレイには見えなくなった。フォースは一瞬グレイを見ただけで、作業を続けている。
「何かあったのか?」
 棚に紐を掛けながら真剣な声を出したフォースを見ていて、不意に城都の中庭にいたというドリアードの記憶が頭をよぎった。ティオのこともあるし、フォースは自分より妖精に詳しいかもしれないと思う。返事をしないグレイを不思議に思ったのか、フォースは手を止めてグレイを見上げてきた。
「何かあったんだな?」
「ちょっと来てくれ」
 グレイはそう言いながら、フォースの首の後ろ、服をつかんで引っ張り上げる。
「おい、ちょっ」
 慌てているフォースを、グレイは強引にタスリルのいる部屋へ連れ込んだ。ドアの向こう側にヤーラが取り残され、出入りする兵士に目を向けるのが見える。
「どうしたんだね?」
 キョトンとしているタスリルに、グレイは隣を指差して見せた。
「まだそっちの部屋には聞こえないんですよね?」
「聞こえんよ?」
「少しだけ話しをさせてください。色恋沙汰は無理でも、妖精のことなら知ってるかもと思って」
「そうか。そうだね」
 うなずきあう二人に、フォースがしげに眉を寄せる。
「どういう事だ?」
「教えて欲しいんだ、妖精のこと」
「妖精の何を?」
 そうたずねられ、グレイは思わず言葉に詰まり、それから無理やり口を開く。
「女の子の、……、れ、恋愛感情について?」
 思わず言葉に冷めた笑いが混ざった。
「無理って分かっていて聞くなよ」
 フォースの苦笑を見て、グレイはタスリルと顔を合わせてため息をつく。
「俺、嫌われたいんだよね」
「妖精の恋愛感情って言われても。ティオならともかく、女の子だなん……、あ」
 言葉を切ったフォースを、タスリルがのぞき込む。
「何か思い出したかい?」
「そういや、ティオは今リーシャって娘と一緒にいるんだけど、リーシャ……、だけじゃなく、妖精はみんな人間の変化を嫌うって言ってたな」
 グレイは、変化、と口の中で繰り返した。フォースはうなずくと言葉をつなぐ。
「俺とリディアのことも、知り合ってほんの数年で子供まで作るなんて信じられないとか言ってるらしいし。その数年が、どれだけ長かったと思ってるんだ」
 幾分力がこもった言葉に、タスリルがクックとノドの奥で笑っている。フォースはタスリルをチラッと横目で見て、グレイに視線を戻した。
「他の奴らもだけど、とにかく性急なのは苦手らしい。他は……、何か思い出したらでいいか?」
「ああ。ありがとう。とっかかりにはなるだろうし、どうにかできそうな気がするよ」
 無理に笑みを浮かべたグレイに、フォースは真剣な顔を向けてくる。
「悩んでるならサッサと言ってくれ。なにか思いつけるかもしれないのに」
「いや、いくらなんでも、わずらわしいかと思っ……、それだ!」
 グレイは思わず叫び声を上げた。その声の大きさに、フォースは目を丸くして身を引いている。
「な、何が?」
「いや、納得させて突き放す台詞が見つかったんだよ!」
 そう言うと、グレイはフォースの手を取って、もう片方の手でポンポンと肩を叩く。
「ありがとう。さっそく試してくるよ」
 キョトンとしているフォースとタスリルを残し、グレイは神殿の懺悔室へと急いだ。

   ***

「さっきの人、ライザナルの皇太子じゃない?」
 懺悔室に入るなり、ヤーラがそう口にした。
「そうですよ」
「それなのに荷造りだなんて。それもあんなに一生懸命に」
 楽しそうに笑みを浮かべたヤーラに、グレイは微笑を返した。
「そういう奴だから」
「そういえばね、あの人の命令で騎士や兵士が道の脇の木を切ったらしいんだけど、ちゃんとドリアードのいる木は残してあるのよね。人間のくせに面白いわ」
「うん、それも色々あってね。あいつはそういう奴なんだ」
 グレイが浮かべている控えめな笑みを、ヤーラは小窓からじっとのぞき込んでくる。
「何?」
 グレイがたずねると、ヤーラは頬をゆるめて大きく息をついた。
「そういう奴、親友なのね。よかった」
「よかったって、何を疑ってたんだよ」
 ヤーラはその言葉に目を見開くと、含み笑いをする。その笑顔を、グレイは口をつぐんだままで見ていた。笑わないグレイに、ヤーラはうかがうような表情を向けてくる。グレイはため息をついた。
「俺のフォースに対する気持ちを見たのなら、他の気持ちも見えたんじゃない?」
「え? 見ようと思ったところしか見えないわ?」
 ヤーラは疑わしげに顔をしかめ、ハッとしたように小窓から顔を引っ込める。
「やだ、見ちゃったじゃない。まだ一日も経ってないのに、もう私じゃ駄目って決めちゃったの?」
 ヤーラの暗い声にグレイは、納得させて突き放す、という言葉を心の中で繰り返した。少しでも甘かったら、きっとヤーラに後悔を残してしまう。
「最初にヤーラを見た時、可愛いって言っただろ。こんな恋人がいたらいいなと思ったんだ。でも、生きている間ずっと付きまとわれるのはごめんだし、ヤーラと逝くとあいつらと顔を合わせられなくなってしまう。それは俺にとって、とてつもなく大きな損害で」
「あいつら……。他にもいるのね」
 グレイはその言葉にうなずきはしたが、小さな窓からはヤーラの顔は見えない。
「それが結論?」
 弱々しい声で問いかけられた。グレイは、ああ、とハッキリ声に出してうなずく。
「もう少し前に、ヤーラに出逢えていたら。そうしたら俺……」
 グレイはそう言いながら、頼むからこれで納得してくれ、と願っていた。小窓から見えるヤーラは、微塵も動かずに黙ったままだ。
「……、ヤーラ?」
 名前を呼ぶと、ヤーラが少しだけ身体をグレイに向けた。
「そっちに行ってもいい?」
「いいよ」
 グレイは間を開けずに答える。言われるかもしれないと思っていた言葉だった。シャイア神の元に送ってやれなかったら、それは自分の責任だと思う。そのために神官をやっているのだという覚悟があった。
 壁から手が見えてくる。グレイはその手を取って引いた。壁を通っているのに、ちゃんと感覚があるのが凄いと思う。少し身体を縮めた格好で、ヤーラは壁を通り抜けてきた。同じ部屋にいてもヤーラが見えているのは、その身体がさっきまで無かった虹色の光をたたえているからなのだろう。
 狭い懺悔室の中でグレイの目の前に立つと、ヤーラは顔を見上げてきた。グレイがほんの少し笑みを浮かべると、ヤーラはホッとしたように息を吐く。
「人間にしては線が細くて、いい男だと思ったんだけど」
「それはどうも」
 すぐに返したグレイの返事に、ヤーラはクスクスと笑う。
「でもやっぱり人間なのね。サッサと一人で決めちゃって」
「妖精は二人で決めるんだ?」
 ヤーラは首を横に振って苦笑する。
「時間を掛けてゆっくり作っていくの。何も決めたりしないわ。あなたは人間だから私たちと違って長く生きられないし、朽ちたらまっさらな魂に戻ってしまう。私が望んだこと自体、無理な話だったのよ」
 ヤーラはフフッと息で笑うとうつむいた。身体から発する光が真っ白く、強くなってくる。
「お願い。抱きしめてくれる?」
「いいよ」
 律儀に答えてから、グレイはヤーラを抱き寄せた。腕に力を込めると、細いからだが胸にすっぽりと収まる。ふう、と息を吐いたヤーラの身体が、少しずつ光に溶けていく。
「私はあなたが好きだけど、あの人たちもだし。あなたがいなくなったら、あの人たちにも損害だものね。残しといてあげる」
「ありがとう」
 グレイが苦笑して言った言葉を復唱するようにヤーラの声が胸に響き、ヤーラを包み込んだ光と一緒に消えた。ヤーラがいなくなり、シンとした懺悔室の空間が広く感じる。
「……、寂しいじゃないか」
 グレイはそうつぶやくと、吹っ切るように顔を上げ、思い切り深呼吸をした。ヤーラはシャイア神の元に行けたのだろう、よかったと思う。でも、本当にもう少し早く出会えていたら、生きて楽しい時間を過ごせたのではないだろうか。
 その思いを断ち切ろうと、グレイは首を横に振った。ヤーラの気持ち自体が惚れ薬のせいなら、生きていようが死んでいようが、どちらも無い方がいいに決まっている。これがシャイア神の決めた道なら、ヤーラにとって最良だったと思いたい。
「シャイア様を疑ったこと、お許しください」
 グレイは、シャイア神の決めた道が最良だとしても、それでもヤーラに生きていて欲しかったと思う気持ちに気付いていた。ここが懺悔室の神殿裏側だと思い出して苦笑する。
「後ほど改めて懺悔にうかがいます」
 グレイはそう口にしながら、ヤーラを包んで消えた虹色の光を思い出していた。
 講堂側の扉が開いた。男が一人、ひどく暗い表情で入室してくる。それでもこの人は生きていて、ここに来てくれたのだ、それだけでこんなに幸せに思えるのは、ヤーラのおかげだろうとグレイは思った。
「どうか私の話を聞いてください」
「うかがいましょう」
 グレイはいつものように、その言葉を男に返した。



wandererさまにいただいたリクエストの品です。
グレイなのに真面目な話しに; でもグレイらしさは出ているかと。
リクエスト、ありがとうございました。m(_ _)m