大切な人
     ― 火種 ―

 恋人のリディアが女神の降臨を受けて巫女になってしまってから、二位の騎士である俺が陛下の命によりリディアの護衛を務めている。護衛に就いてからは、ほとんど一日中リディアの側に居る。
 女神が降臨すると、兵士同士がぶつかるような戦闘がほとんど無くなるので、戦はかなり楽になる。とはいえ、戦は続いているので、喜んではいられないのだが。
 ヴァレスに来て数日で、俺とリディアがデキているなんて噂が聞こえ始めた。実際護衛をすると、結構な割合でこういう噂は出てくる。だが、どういうワケか今回の噂は、数日で本人の耳に入ってくるほど知れ渡るのが早かった。でも噂が立つのはいつものことなので、俺はなんの対策もとらず、わざわざ反論もしていなかった。
 俺とリディアがテーブルの角をんで、いつものように話をしていると、背の低いふくよかな女性が、神殿に続く廊下から部屋に入ってきた。マルフィさんだ。マルフィさんは、俺が子供の頃、ヴァレスに住んでいた時に使用人をしていた人で、今はヴァレス神殿でまかないをしている。ほとんど俺の母代わりのようで、とても気さくな人だ。
「フォース、なんでしょ。二人で行ってらっしゃいな」
 そう言ってマルフィさんは、二枚のチケットを俺に差し出した。
「今、チケットをとるのが大変なくらい人気の大衆演劇なのよ。凄くロマンチックなラブストーリーなんだから」
「ラブストーリー?」
 リディアと視線を交わして思わず顔をしかめた俺の手に、マルフィさんはチケットをらせる。俺はマルフィさんにチケットを返そうと、その手を伸ばした。
「でも、大変な思いまでしてチケットをとったのなら、マルフィさんが行ってくればいいんじゃ?」
「リディアちゃん連れて行ってもいい?」
「は? いや、それは」
「ほら、駄目なんでしょう?」
 ほらって、なんのために俺がいると思っているんだろう。いったい何を考えているんだか。
「実はね、主演の俳優さんと知り合いなの。チケットもその子から貰ったのよ。リディアちゃんに観せてあげたくて」
 得意そうに言うと、マルフィさんは俺の隣にいるリディアに目配せをする。
「リディアちゃん、行きたいよね? フォース、連れて行っておあげよ」
 マルフィさんは、やっと口を開きかけたリディアの返事をろくに聞きもせず、一押し、とかなんとか言いながら、ホラホラと俺とリディアを神殿から追い出した。

   ***

 他に行くところもなく、俺とリディアは素直に劇場へ向かった。劇場はあまり遠くない場所にある。神殿自体が街の真ん中に立っているので、どこに行くにも便利だ。
「フォースは演劇って観たことあるの?」
「俺は全然」
「そっか。そうよね」
「リディアは?」
「三回。父が連れて行ってくれたの」
 父が、と聞いて、吹き出しそうになるのをえる。リディアの父親は神官長なのだ。面白い人なのだが、とても演劇を観に行くような人とは思えない。ネタでも仕入れに行ったんだろうか。
「父だと変?」
「いや……」
「ホントに? 変でしょう? 母との方が、まだ違和感ないと思うんだけど」
 思わずうなずいた俺を見て、リディアは可笑しそうにフフッと笑う。
「行こう」
 俺は、照れ隠しにリディアの肩を抱いて、会場へと入った。
 いくら観に来たとはいえ、俺はリディアの警備をしなければならない身だ。一番後ろに席を取り、演劇そっちのけで人の出入りを見張っていた。どうせラブストーリー、興味はない。リディアが楽しめればそれでいいのだ。
「フォース……」
 開演して少し経った頃、リディアが後ろを向いていた俺の袖をツンツンと引っ張った。リディアを見ると、舞台を観るわけでも俺を見るわけでもなく、ただうつむいて顔を赤くしている。
「全然観てないでしょう」
「え? そんなことな、い?」
 俺はわけが分からないまま舞台に目をやり唖然とした。そこには、騎士の鎧に二位の印である赤いマントをつけた俳優と、巫女の服を着た女優が向き合って立っていた。
「なっ? なんだこれ」
「やっぱり観てなかったの」
 もちろん舞台の二人は衣装を身に着けているのだろうが、確認するまでもなく俺とリディアの格好とまったく一緒だ。俺とリディアのことが、こんなところでちゃっかりネタになっていたらしい。
「いや、観てたとか観てなかったとか、そういう問題じゃ」
「名前は違うんだけど、でも」
 舞台に目を戻すと、しっかりラブシーンになっている。
「お願い、その姿でキスしないで……」
 リディアが両手で顔を覆ったのを横に感じながら、俺は思わず舞台の上のキスを凝視していた。この場所の空気や舞台の上の二人の雰囲気に、ひどく違和感を感じる。
「出ようか」
 俺の言葉に、リディアは黙ってうなずく。俺はリディアをして出口へと向かった。途中、すれ違った二人の娘がこっちを振り返り、本物? などとゴソゴソ口にする。俺は気付かないふりで、リディアを支えるように抱いたまま劇場を出た。
 劇場を出ただけでは落ち着けなくて、そのまま側の公園に足を向ける。隠れるように木々の中に入って、ようやく一息ついた。思わず冷めた笑いが口をつき、リディアもつられるように笑い出す。ひとしきり笑うと、今度はため息が出た。
「噂が広まるわけだよな」
 リディアが小さくうなずく。
「ホントね。ビックリしたわ。マルフィさん、きっと知ってたのね」
「そうだろうな」
「なんだか物凄いモノ見ちゃった気分」
 リディアの言葉に、俺は思わず苦笑した。確かに気味が悪くて妙な感じだった。自分が夢の中で悪さしているのを、何もできずに見ているような。
「私たちって、あんな風に見えるのかしら」
 つぶやくように言うと、リディアは不安げに俺を見上げてくる。
「見えないよ」
「ホントに?」
「ああ、見えない」
 俺はうなずいて、リディアを抱き寄せた。
「アレは偽物だ、同じに見えてたまるか」
 柔らかに微笑んだリディアの唇に、俺はそっとキスを落とした。

   ***

 ある程度、時間をつぶしてから神殿に戻った。それでも予想していたよりは随分早かったらしく、マルフィさんは目を丸くして俺たちを出迎える。
「あら、リディアちゃん、随分早かったわね。ちゃんと観てきた?」
 その言葉に、リディアは頬を染めてうつむく。
「観ていられなくて……」
「そうなのかい? あの子、リディアちゃんが歌ってるのを観てファンになったって言ってたんだよ」
 なるほど。話を作るのに手っ取り早い相手役が俺だったってわけだ。すいぶん安易な考えだと思い、逆に、お気楽に恋人同士になったのだと思われそうでため息が出る。
「おや、いてるのかい?」
「いや、他の娘にリディアの格好させてキスするなんて、薄気味悪い奴だなと思っ」
 バシッとマルフィさんが俺の腕を叩く。
「俳優さんはそれが仕事なんだよ。命かけてるんだから」
「い? 命って……」
 実際戦に出ている騎士に向かってそこまで言われたら、さすがに反論する気力も出ない。
「ところであんたたち、いつ出会ったんだい?」
「いや、それは……」
 いきなりの方向転換と、これだけは答えられないという質問に、俺は言葉をした。
「じゃあ、いつから付き合ってるのか教えておくれよ」
 マルフィさんの言葉に思わず苦笑して、俺とリディアは視線を交わした。マルフィさんは、ああそうだ、とポンッと手を叩く。
「フォース、リディアちゃんを助けるために、お城のバルコニーから飛び降りたって聞いたんだけど、詳しく教えてくれないかい?」
「マルフィさん、そんなこと聞いてどうするんですか?」
 リディアの問いに、マルフィさんは、え? と一瞬真顔になる。
「そりゃ、フォースは息子みたいなモノだからね。色々知りたいんだよ」
 そう言うと、マルフィさんは笑い声を立てる。だがその声は俺の耳に、どうしても空笑いに聞こえた。
「そういえば、その俳優と知り合いって言ってたよね? もしかしてマルフィさん、俺たちのことそいつに……」
「え? ま、まさか私がそんなことするわけないだろ?」
 マルフィさんは、慌てて手をパタパタと上下に振る。そのうろたえた様子に、マルフィさんがその俳優に知らせたことは間違いないと思いながら、俺は笑顔を保とうと努力した。
「あ、そろそろ夕飯の下ごしらえの時間だね。疲れてるだろうからリディアちゃん、今日はお手伝いはいいからね」
 マルフィさんは、張り付けたような笑顔で、神殿へと続く廊下へと入っていった。
「逃げたな」
 つぶやいた俺の袖を、リディアが引っ張る。
「マルフィさんだったのね」
「ああ。強力な火種だよなぁ。道理でヴァレスに来て数日なのに、本人の耳にまで噂が入ってくるほど広まるはずだ」
 俺の苦笑につられるように、リディアは笑みを漏らした。
「じゃあ私たちのことは全部秘密ね。劇場の人に知れて、そのまま舞台にされちゃったら嫌だもの」
「ぞっとするな。まぁ被害が及ばないうちは放っておくしかないんだけど」
「でもね、周りの人たちは楽しそうだったのよ。あの時はそれどころじゃなかったけど」
 見上げてくる優しい笑顔が愛しくて、俺はリディアを腕に包むように抱いた。腕の中で胸のプレートに頬を寄せるリディアの髪を、くようにでる。
「そういえば、ハッピーエンドかバッドエンドかくらいは知りたかったわ」
「どうせそれも偽者がやってることだよ。それに俺はどっちにもしたくない」
 俺の言葉に、リディアは不安げな瞳を向けてくる。
「ハッピーエンドにも?」
「エンドなんてゴメンだ。そうだろ?」
 リディアは一瞬目を見開いてからコクンとうなずく。俺は、上気して薄紅を差したようなリディアの唇に、自分の唇を重ねた。