大切な人
― 態度 ―
「フォース、リディアに愛してるって、ちゃんと言ってる?」
スティアが言った言葉に、俺は思わず唖然とした。
恋人のリディアが女神の降臨を受けてしまってから、二位の騎士である俺が陛下の命を受け、リディアの護衛を務めている。
スティアは皇帝陛下の娘、おしゃべりで頑固な姫君であり、神官長の娘であるリディアとは友人だ。スティアも一応王家の人間なので、騎士の立場としては当然、敬い、尊ばなければならない。だが俺は、スティアの兄、王位継承者であるサーディと学友の立場にあったため、この兄妹とは普段、砕けた付き合いをさせてもらっている。
「好きとか愛してるって、ちゃんと言わなきゃ伝わらないものなんだから」
スティアはテーブルの向こう側から、人差し指を立てて甲高い声を出す。言われてみれば、愛しているなんて言葉を口にした記憶は全くない。
「ちゃんと言ってる? って、聞いているんだけど?」
「いや、たぶん一度も」
俺の返事に、スティアは眉をつり上げた。
「一度も? それって一度も言ってないってこと? なにそれ、どういうことよ。だいたいなんて告白したの? 普通告白するときは好きだくらい言うでしょう?」
いや、言っていない。そのときに交わした会話といえば。
「バカ、ドジ、間抜け、意地悪、鈍感」
「はいぃ?」
「って言われた記憶なら残ってるけど」
スティアは俺に息が掛かりそうなほど、大きなため息をついた。
「無骨者どころの話じゃないわね……。リディアがそう言いたい気持ちが、よぉく分かるわ。可哀想に」
俺は可哀想という言葉に面食らった。考えたこともなかったが、リディアもそういう言葉を欲しいと思っているんだろうか。
「女の子って、好きだとか、愛してるとか、そういう言葉が心の栄養になるのよ。飢え死にさせるつもり?」
「い、いや、そんなつもりは……」
「もう。ちゃんと言ってあげなさいよ」
そう言うと、スティアはツンとそっぽを向く。
リディアにそんな言葉を言ってと求められたことはない。それとも、ねだったりできないモノなのか。俺自身はそんな言葉を聞かなくても、好きでいてくれると思っているのだが、リディアは違うのだろうか。
「スティアは言ってもらってるのか?」
「私?!」
スティアは一瞬どこか遠くに思いをはせたように見え、それからバツの悪そうな顔をする。
「どうでもいいでしょ、そんなことっ」
幾分頬を赤くしてうつむいたスティアが、可愛くもあり可哀想でもある。恋人がいることは知っている。でもスティアはそれが誰なのか明かそうとしないのだ。単純に公にしたくないだけならいいが、もしも公にできないような相手だとしたら。
「あ、リディア。お帰りぃ」
スティアが元気よく手を振った先、神殿や厨房に続く廊下から、リディアがお茶をトレイにのせて戻ってきた。別に出かけていたわけではない。お茶を入れて戻っただけだ。
「リディア、私今までちっとも知らなかったわ」
「え? 何を?」
声を尖らせて話を始めたスティアを尻目に、俺はリディアを立ち上がって迎え入れた。リディアがお茶を置いたあとの空いたトレイを受け取り、テーブルの隅に置く。リディアに話しかけていたはずのスティアの視線が、いつの間にかこっちに向いている。
「スティア、どうしたの? 何を知らなかったの?」
リディアの問いに目を向けると、スティアは大きなため息をついた。
「もういいわ。なんだか分かった気がする。あぁ疲れた、損しちゃったわよ」
その場に立ったままキョトンとしている俺とリディアを交互に見ると、スティアは席を立つ。
「神学さぼってないで神殿に行ってくるわ。あ、お茶、せっかく入れてくれたのにゴメンね」
スティアは平たい笑い声をたてて手を振りながら、神殿へ続く廊下に消えていった。思わずリディアと顔を見合わせる。
「スティア、いったい何が分かったの?」
「さあ? 俺にはさっぱり」
首をひねった俺を、リディアはすぐ側に立って見上げてくる。
「ねえ、何の話をしていたの?」
「好きだとか愛してるって、ちゃんと言葉で伝えるように説得されてたんだ」
リディアは目を丸くしたかと思うと、今度は可笑しそうに目を細めて笑い出した。
「そんな話しをしてたのね。あ、じゃあ分かったって、きっとフォースのことね」
「え? 俺?」
リディアはこぼれそうなほどの笑みを浮かべて俺を見上げる。リディアにこんな笑みを向けられると、俺はしどろもどろになって何も追求できなくなる。
「そういえばスティアの彼、愛してるってたくさん言う人なんですって」
リディアがスティアとの会話に思いを巡らせているその視線を、俺はまっすぐ見つめた。
「リディアもそういう言葉を欲しいって思うのか?」
俺の問いに、リディアは苦笑する。
「たまに言ってもらえたら嬉しいのかも知れないけど……」
「けど?」
首をかしげてウーンと考え込んでしまったリディアを、俺は腕で包み込んだ。視線が合い、息が触れ合う。
「リディア、好きだ。愛してる」
俺はまっすぐリディアを見つめたまま言った。まったく予想していなかったのか、リディアは俺の言葉に目を見張り、一瞬で顔を赤くする。上気した顔を隠すように、額を鎧の胸プレートにコツンとつけた。
「やだ、お、脅かさないで」
「え? いや、そんなつもりは……」
何か言おうとしているのか、リディアの震える吐息が首元を撫でていく。ためらいがちに見上げてくる視線が合うと、恥ずかしげに目を伏せる。一つ一つの仕草が無茶苦茶可愛くて色っぽい。俺は、おずおずと顔を上げたリディアの唇に、思わず自分の唇を重ねた。そっと唇を離すと、リディアは両手で頬を覆ってうつむく。どんな顔をしているのか少しも分からない。
「ゴメン、いきなり。その、いろいろ……」
謝った俺に、リディアはうつむいたまま首を横に振った。
「私、いつも贅沢に伝えてもらってるから、言葉はなくてもかまわないの」
「贅沢?」
リディアは上気したままの顔を伏せ気味にしたまま、はにかんだような笑みを浮かべてうなずく。
「だって、いつでも態度で示してくれる。大切にしてくれてるって分かるもの」
リディアの言葉を聞いてホッとした。具体的にどういう態度を汲み取ってくれているのかは分からないが、きちんと気持ちを受け止めてくれている、それがとても嬉しかった。頬をゆるめた俺を、リディアは不安げに見上げてくる。
「私も言葉で伝えてない」
「じゃあ態度で示してみる?」
不思議そうな顔をしたリディアに、俺は軽く口づけた。唇が離れたとたん、リディアは少し困ったような笑みを浮かべる。
「それ、ちょっと違う」
そう言うとリディアは、小さな笑い声を立てて俺の首に手を回した。
「でも、キスも態度のうち?」
リディアがくれたキスはとても柔らかく優しく、俺の心に届くまで深く染み入った。