大切な人
     ― あなただから ―

「ええ? じゃあ、リディアは本当に言葉は要らないって思うの?」
 スティアは驚いて目を丸くする。
「愛してるって言ってもらえないと、絶対寂しいと思うんだけど」
 私が降臨を受けてしまってから、二位の騎士のフォースが護衛をしてくれている。フォースは、出会った時からずっと私が片思いをしていた人で、恋人になってからまだ一ヶ月と半分くらいしか経っていない。
 スティアは王女だけれども、私の父が神官長をしているらか、前から親しくさせていただいている。そして、誰にも内緒の恋人がスティアにできてから、こんな風にお互いの恋人のことを話題にすることが多くなった。内緒と言っても、フォースにはバレてしまっているけれど。
 ホントに? と不思議そうな顔でのぞき込んでくるスティアに、私は肩をすくめた。
「寂しくなんかないわ。むしろ、どうしたらいいのか分からなくなっちゃう」
「やぁね、別に何もしなくていいのよ。あ、でも、私も愛してる、くらい言ってあげればいいのに。すっごい喜びそう」
 スティアは、言葉で伝えなければいけないとフォースを説得したらしく、フォースは初めてその言葉を口にしてくれた。でも。
「私、頭に血が上ってボーっとしちゃって」
 思わずその時のことを思い出し、顔が赤くなった気がして、両手でを隠す。
「それでそれで?」
「思い切り驚いて、うろたえて、フォースにらせちゃった」
 一瞬の間をおいて、スティアは大笑いをはじめた。
「嘘ぉ?! ありえないぃ」
 そんなこと分かってる。自分でもそう思うから、なおさら恥ずかしい。
「でも、もしかしたら凄く二人とも、"らしい"かも」
「それ、あんまり嬉しくない」
 眉を寄せた私に、スティアは満面の笑みを向けてきた。
「私が男だったら、恋人はリディアがいいな。一途で可愛くて優しくて、声は綺麗だし胸はおっきいし」
 スティアの並べる言葉をあっけにとられて聞いていると、廊下からグレイさんが笑いながら入ってきた。スティアが口をらせる。
「何が可笑しいのよ」
「そうじゃなくてね、やめとけって。フォースと張り合うと怖いよ。下手したら、その言葉だけでヤキモチかれるかも」
 グレイさんは、神官長をしている私の父が信頼している神官で、サーディ様の学友でもあるので、フォースとも仲がいい。長い銀髪と赤く光る銀の瞳を持ち、真っ白な肌をしているので、グレイさんにはとても豪華な雰囲気がある。
 スティアは隣にきたグレイさんをでつついた。
「ヤキモチが怖くて、リディアに手を出せないでいるとか?」
「いやいや、俺の理想はシャイア様だから」
 シャイア様というのは、今私に降臨している女神様で、メナウルの土地を所有する神様だと言われている。スティアは眉を寄せてグレイさんを見上げた。
「シャイア様って、リディアの中にいるのよね? グレイさんって、真面目なのか、ふざけてるのか分からない」
「心外だな。俺はいつでも真面目だよ。理想はシャイア様。分かるね?」
 グレイさんが立てた人差し指を、スティアは難しい顔で見ている。グレイさんがシャイア様と私を別に思うのは、実は当たり前のことで、それは随分前から兄と妹みたいに仲良くさせてもらっているからだと思う。
「それより、面白そうな話をしてたじゃない。フォースに愛してるって言わせたって? 似合わねぇ」
「え? 聞いてた?!」
「すぐそこで片付けしてたんだ。スティアの声は大きいから筒抜けだよ」
 スティアは驚いて目を丸くしている。私は何も言えず、言葉の代わりにただ長いため息をついた。スティアは何か思い当たったような顔で、声をめて笑っているグレイさんの袖を引っ張る。
「ねぇ、どうして似合わないって思うのかしら。似合う人とどう違うの?」
 グレイさんは少しだけ首をひねった。
「んー、そうだな、愛してるって言葉、どんなときに言う?」
「ええと、気持ちを盛り上げたい時とか、う〜んと気持ちが盛り上がっている時とか?」
 スティアは興味津々にグレイさんの顔をのぞき込む。
「なんだか問題発言な気もするけど、ま、いいか」
 グレイさんの言葉に、スティアはハッとしたように口を押さえた。グレイさんはノドの奥で笑い声を立ててから、わざとらしく咳払いをする。
「その思い切り気持ちが盛り上がっている時に、それを伝える行動って二種類あるだろ?」
 スティアと私は、思わず顔を見合わせた。それからスティアは口を開く。
「まず、愛してるって言葉にするのがそうよね?」
「そう。それから? もう一つは?」
 グレイさんは私の方に話を振った。愛してるって気持ちでいっぱいになったら。
「キス?」
 グレイさんはフフッと笑うと、人差し指を立ててみせる。
「ご明察。フォースは間違いなく激情型だろ? リディアを見たら、まず抱きしめないと気が済まないみたいな。よって、似合わない、となるわけ」
 そうか! とスティアは思い切り何度もうなずきながら、感心しまくっている。グレイさんが楽しげに微笑んでいて、なんだかやっぱり答えない方がよかったかもしれないと思う。
「ついでに、言葉なんて要らないって言うリディアも激情型かな?」
 グレイさんの言葉に、私は思わず唖然とした。グレイさんが顔をのぞき込んでくる。
「あれ? 違うのかな?」
「だって私は、フォースがいいから……」
 言ってしまってからハッとした。一瞬で身体中の血が頭に集まってきたような気がする。
「んもう! リディアったら!」
 いきなりスティアが抱きついてきた。グレイさんは声を殺して、というよりは、声が出なくなるくらい思いっきり笑っている。
「フォースのすることなら何でも許しちゃうの? イヤン、私もそんな風に思われてみたいわぁ」
 スティアはそんなことを言いながら、私を抱きしめたまま飛び跳ねたり揺すったりする。
「スティア、苦しいってば」
 背中の方で、扉の開く音がした。スティアは腕を解かずに私を扉から遠ざける。開いた扉が目に入り、フォースが入ってきた。全身に鼓動が広がっていくのを感じる。
「なにやってんだ?」
 フォースはこちらを見るなり開口一番そう言った。グレイさんは相変わらず大笑いしているし、スティアはニコニコしながら、まだ私を抱いたままでいる。フォースはしげな顔のまま側まできて、グレイさんとスティアと私の顔を順番に見た。
「グレイ、またリディアに変なこと吹き込んでたんじゃないだろうな」
「そりゃ誤解だ。リディアがあんまり凄いことを言うから」
 グレイさんは、笑いをえながらそう言うと、また背中を向けて笑い出す。フォースの眉を寄せた視線がこっちに向いた。
「凄いこと?」
「あ、あのね、フォース、私……」
 どうにか説明しようとしたが、でも、言葉が出てこない。フォースは疑わしげにスティアの顔をのぞき込む。
「スティア、何の話を?」
「もしも私が男に生まれてたら」
「いつでも受けて立つけど」
 フォースがスティアをって返した言葉に、スティアは呆れたように息を吐き出した。
「駄目。やっぱり全然冗談通じない。怖すぎ。返す」
 スティアは私をフォースの胸に押しつけると、私を支えるように腕を回したフォースの顔を見上げる。
「ホントにもう。自分がどれだけ幸せな奴だか分かってるのかしら」
「分かってるよ」
 フォースは、スティアの言葉に即答して私に優しい瞳を向けると、笑顔が張り付いたような顔をしているスティアにもう一度視線を戻す。
「で、何?」
「分かってればそれでいいのよっ」
 スティアは歯をいて噛みつくように言い放つと、身体の中の空気を全部はき出すような、大きなため息をついた。