大切な人

     ― 寝言 ―

 恋人のリディアが女神の降臨を受けて巫女になってしまってから、二位の騎士である俺がリディアの護衛を務めている。実は、あまり時間のかからない神殿警備への指示などが結構大切な仕事だ。その神殿を警備してくれる騎士や兵士たちのおかげで、神殿の中では自由に過ごせる。
 本当はもう一人というか一匹というか、リディアには、スプリガンという種類の妖精がくっついている。普段は子供の姿をしているが、本当の姿は緑色のずんぐりした体型に長い腕、目がギョロッとしていて口はけたように大きく、怪物のような容貌だ。
 そいつは名前をティオといい、リディアを守ると言い張って側から離れない。だが最近、俺がいる間は部屋のソファーに寝転がっているので邪魔にならず、逆に俺が付いていられない時にはリディアの側にいるので安心していられる。実はティオは人の心の中をけるらしく、結構くせ者だったりするのだが。
 俺が外の様子を見て戻ると、いつものようにティオがリディアの隣からソファーへ走っていって寝転がった。部屋には甘い香りが漂っている。リディアがテーブルの隅から手を振ってきた。
「フォース、お帰りなさい。これ、アリシアさんが」
 リディアの微笑みに笑顔を返してテーブルを見ると、クッキーが入った皿が置いてあった。ふとソファーを見ると、持てるだけ持って行ったのだろう、ティオがサクサクとクッキーを食べている。俺は小振りなクッキーを一つつまんで口に入れた。
「げ。甘っ」
 そう言ったとたん、ゴンッと後頭部に衝撃が走った。
「分かってて手を出してるんだから、文句言わないのっ」
 振り返ると、アリシアが片手にお茶、もう片方の手にトレイを構えて立っていた。衝撃はそのトレイが原因らしい。わざわざお茶をどけてまでるなんて。
「人が作ったモノに失礼な。だいたい、クッキーが甘くなくてどこが美味しいのよ」
「甘くてもいいけど、せめて素材の味が分かる甘さに」
「じゃあ小麦粉でもめていればいいでしょ」
 この可愛げのない奴はアリシアといって、ヴァレスに住んでいた時に使用人をしてくれていたマルフィさんの娘だ。四つ年上で、そのころ一緒くたにコロコロと育てられたので、今は実の姉のような付き合いをしている。
「太るぞ」
 アリシアにそう言ってリディアに目をやると、リディアは苦笑を浮かべただけで、アクビをかみ殺した。俺とアリシアの口喧嘩にはすっかり慣れてしまったらしい。アリシアはフフッと鼻で笑う。
「あんた、ドリアード振るくらいだから妖精みたいに華奢なのは好きじゃないんでしょ? こういうので補給すれば、もぉっと大きくなるわよ」
「はぁ? 別にめるくらいの大きさがあれば、それなりでいいんだけど」
「なんてこと言うのよっ!」
 アリシアが振り回したトレイを、腕で受ける。バンッという音にリディアが目を向けた。そう何度も殴られてたまるか。
「話を振ったのはテメェだろうが」
「言い方ってモノがあるでしょう? このスケベっ。リディアちゃん、ホントにこんなののどこがいいのよっ」
 いきなり名指しされ、リディアはアクビしかけていた口を無理矢理閉じた。
「え? どこって、嫌いな所なんてどこにも……」
 リディアの気にしていないような素振りに、ちょっとホッとする。俺がそれなりにスケベだってことも、少しは分かってくれていると思うんだけど。アリシアがリディアの顔をのぞき込んだ。
「それにしても随分眠そうね。どうしたの?」
「昨日の夜、考え事をしていたら眠れなくなっちゃって。ずっと起きてたんです」
 そう言うと、リディアは両手で口を隠して、またアクビをしている。
「そうなの? 可哀想に。こんなのが側にいると色々大変よね」
 アリシアは、リディアが首を振っているのを無視し、ニヤッと笑って横目でこっちを見る。さっきからリディアは一つも同意していない。俺はアリシアを一瞥してから、ひたすら眠たそうなリディアに向き直った。
「昼寝する?」
「いいの? 護衛付きで昼寝って、なんだかくとんでもないことみたいで」
「そんなガチガチに考えていたら無理がくるよ。普通に生活していると思っていいんだ」
 リディアは、眠そうに細めていた目を、微笑みでさらに細くする。
「ありがとう」
「じゃ、おやすみ」
 声をかけたアリシアに、リディアはヒョコッとお辞儀をした。
 二階の部屋に上がり、リディアがベッドに入ったのを見て、俺はその部屋の窓をあけて左側を見た。そこには雨樋があるのだが、前に登れると言ってバックスとグレイに笑われたのだ。笑われはしたが、それでもやっぱり気になるモノは気になる。やはりこの距離だと、雨樋から窓に手が届くだろう。何か音を立てたのか、下で見張りをしていたブラッドという兵が見上げてきた。
「あれ? あなたがそこにいたんじゃ、ここを見張る意味が無いじゃないですか」
「はぁ? てめっ、誰を見張ってんだ」
 バカ笑いをはじめたブラッドをみつけて窓を閉じる。俺は、ベッドに横になっているリディアとおやすみのキスを交わして部屋を出た。

   ***

「フォース……」
 背にしていたドアの向こう側の声にハッとして振り返る。呼ばれたというよりは、ボソッと名前をつぶやいてみたような声だろうか。俺は様子をうかがおうとドアを薄く開けた。
「もう駄目、こんなのひどすぎるわ」
 一体何のことだ? 俺はそっとベッドに近づいた。リディアは眉を寄せて眠っている。
「絶対間違えてる。もう、こんな……、たくさん……」
 なんだか寝言ではすませてしまえないような言葉ばかりな気がする。しかも、俺を呼んで言ったのなら、俺を非難した言葉だろうか。でも寝言なんだし、気にしても仕方がない。
 だけどリディアは、考え事をしていたら眠れなくなったと言っていたのだ。もしかしたら、気にしていることそのままを夢に見ているのかもしれない。
「んん……」
 リディアは、眉間にしわが寄るまで眉を寄せる。思わずその顔をのぞき込むと、リディアの瞳が開いた。まばたきをゆっくり二度繰り返してから視線が合い、リディアはその瞳が隠れるくらいに目を細めて微笑む。微笑みを返したつもりで、幾分顔が引きつった気がした。
「フォース? どうしたの?」
 それに気付いたのだろう、リディアは身体を起こして、俺の正面に立つ。
「別に、何でもないよ」
 俺は苦笑してリディアを抱き寄せ、唇をあわせた。
 リディアのこととなると、何でもまっすぐに受け止めようという体質ができてしまっているのだろうか。普段はそうでもないと思うが、思いが顔にまで出る。こうして抱きしめていると顔が見えないから、リディアを不安にさせなくてすむだろうか。
 寝言を聞いたくらいのことで持った不安を、まさか口にできるかと思う。しかも、いきなり目の前にいたのに思い切り微笑んでくれて、こんな風に心配までしてくれる。分かっている、こんなのは杞憂だ。
「私、なにか夢見てたの」
「知ってるよ。名前を呼ばれて入ってきたんだけど、寝言だった」
 腕の中からリディアが見上げてくる。
「そうなの? ねえ、他に何か言ってた?」
「え。間違えてるとか、たくさんとか。よく聞き取れなくて」
 本当はそんなの嘘だ。一字一句覚えている。でもそれを伝えたら、リディアは何を思い出すのだろう。それとも、俺に聞かれちゃマズイ寝言を言ったのかを確かめたかったから、こんな質問をしたのだろうか。
「う〜ん、何だったかしら。普段からずっとしたかったことをしてたような気がするの」
 しっかり思い出して不安を吹き飛ばして欲しいような、夢ならキレイに忘れて欲しいような。いや、夢だけキレイに忘れられてもマズイのか? でも、いまさら寝言を全部伝えるわけにもいかない。
「じゃあその、したかったことがなんだか思い出せば」
「あ、それは」
 リディアは笑顔を浮かべかけて、また眉を寄せる。
「でも、そんなに楽しい夢じゃなかったと思うの」
 一度気にし出すと、色々なことがどんどん気になってくる。
「その、したかったことって、なに?」
「え? それは……、後でね」
 一瞬リディアの笑顔が凍り付いた気がして、心臓がはねた。やはり俺を非難したいと思っていて出来ずにいるんだろうか。リディアは俺の腕の中から抜け出すと、ドアに向かって歩を進めてから振り返る。
「アリシアさん、いるかしら」
「いると思うけど」
 支えを無くしたようにその場に突っ立っていた俺の所まで戻り、リディアは手を取って引いた。
「下に行きましょう」
 そうだ、ここの見張りをしていたので、外の警備を見に行くのが遅れている。俺はなんとか笑顔を取りって、リディアの後に続いた。

   ***

 特に何事もなく見回りを終え、扉の前に戻った時、中からリディアの声が聞こえてきた。
「問題の無いように、どうにかして一人になれないかしら」
「そんなの無理。考えてもごらんなさいよ、相手はフォースなんだから」
 一人になりたい? その言葉に、中に入ろうと扉の取っ手にかけた手が凍り付く。相手の声はアリシアだ。
「黙っていることの方が問題なんじゃない? 早く言っちゃった方がいいわよ」
 そう、別れ話にしろ何にしろハッキリ言ってくれた方がいい。リディアの返事はなかなか聞こえてこなかった。ノドの辺りで暴れている心臓を落ち着かせるためにゆっくり深い息をついて、ドアを開ける。リディアとアリシアの視線がこっちに向いた。
「やっぱり相手があんたじゃ大変だわよね」
 アリシアは俺に向かってそう言うと、リディアに手を振って廊下の奥へと消えていった。いつの間にかティオまでこっちを見ている。俺がどんな不安を抱えているのかまで全部見えているのだろうと思うと、り飛ばしたくなってくる。
「お帰りなさい」
 リディアは、いつもならすぐにかけてくる言葉を思い出したように口にして、俺の前に立った。俺を見つめてくるリディアを抱きしめてキスを落とす。唇が離れると、リディアは表情をうかがうように見上げてきた。
「さっきからホントに元気がないみたい。どうしたの?」
 どうしたもこうしたもリディアの言動が。いや、そのわけを聞けない俺が原因か。リディアは俺の腕の中でぴょこんと頭を下げる。
「ゴメンね。怒られると思って言えなかったんだけど」
 その言葉にドキッとする。リディアは力の抜けた微苦笑を浮かべた。
「面倒臭いこと、言ってもいい?」
 申し訳なさそうなその表情に、俺はなんとかうなずいて見せる。リディアは肩をすくめて微笑んだ。
「あのね、ホントはフォースに秘密でクッキーを焼いてプレゼントしたかったんだけど」
「はぁ?」
 想像もしていなかった内容に、思考が付いていかない。呆気にとられている俺を尻目に、リディアは言葉をつなぐ。
「だって、前にお砂糖控えめで作った時、たくさん食べてくれたでしょう? 好きなのかと思って」
「そりゃ、美味かったけど……」
「今、アリシアさんに相談したら、秘密で作るなんて無理って言われて。だったら、作っている間くらいは台所に入っちゃ駄目って、お願いしてもいい?」
 じゃあ、問題の無いようにどうにかして一人にってのは、別れ話とかそんなんじゃなくて、クッキーを焼く間ってことか? リディアは返事を待っているのだろう、祈るように手を組んで俺を見上げている。
「今、アリシアに相談してたのって、それ?」
「え? そうよ? なぁに?」
「い、いや、いいよ、いいんだ、そんなの全然わない」
 動揺を隠そうとして、声が震えた。リディアは単純によろこんだらしく、満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。俺はいくらか安心して両腕に力を込めた。
「あ、そうだ、それでね、夢!」
「思い出したのか?」
 俺の不安をよそに、リディアは可笑しそうにクスクスと笑う。
「あのね、クッキーを作ってるんだけど、どこで間違えたのかスッゴク変な形ばっかりたくさんできちゃった夢なの。でも分量を間違えるくらいじゃ、プクプクふくれたりしないわよね」
 あの寝言は、俺に対して言ったのではなくて、クッキーのことだったのか? 言われてみれば確かに、もう駄目も、ひどすぎるも、絶対間違えてるも、たくさんも、全部しっかり当てはまる。
「じゃあ、普段からずっとしたかったことってのも……」
「え? だから、内緒でクッキーを作ってフォースを驚かしたいなぁって。え?」
 思わず身体中の力が抜け、俺は息を乾いた笑いにして吐き尽くした。いくらか前屈みになったので、リディアは胸プレートを押さえるように手を当てる。
「フォース?」
「すげぇ驚いたよ。もう無っ茶苦茶」
「どうして? まだなんにもしてないのに」
 いきなり後ろでティオがケケケケと変な声で笑い出す。そりゃ可笑しいだろうよ。だが反撃する元気も出ない。わけの分かっていないだろうリディアは、ただ不思議そうに俺とティオの顔を交互に見ていた。