大切な人
― 花束 ―
子供の頃に姉弟のように育ったフォースが、巫女であり、恋人でもあるリディアちゃんを連れて戻ったこともあって、神殿は賑やかで穏やかな時が流れている。大所帯になったため、台所で夕食の片付けを手伝わされたあと、私は居間兼食堂に戻ろうと廊下を歩いていた。
シャイア神の力で前線が遠ざかり、ヴァレスの街も落ち着いているため、勤めている治療院に怪我で運び込まれる兵士も少ない。たまには剣の練習をしていて刃のない剣で怪我をする兵士や、殴っただの殴られただの、騒ぎながらくる怪我人もいるわけだけれど。
「え? お、俺に?」
神殿の居間兼食堂に差し掛かった時、フォースの大声が聞こえた。外へと続く扉のところに立っているのが見えてくる。
「ええ」
フォースは呆気にとられた顔で、深紅のバラを抱えた女性を見ているようだ。
「でも、やっぱり駄目です……よね?」
その言葉にフォースは少し考え込むと、その娘に苦笑を向け、頭を掻いた。
「あ、いや。いいですよ」
「え?! ほんとですか?! 嬉しい! じゃあこれ、受け取ってください」
その女性は満面の笑みを浮かべ、手にしたバラの花束をフォースに差し出した。フォースはそのたくさんのバラをそっと受け取っている。深紅のバラのせいなのか、フォースが赤面しているようにも見える。
扉を閉め、部屋に身体を向けたフォースと目が合った。
「あ、アリシア、……っ」
フォースは私の名を呼び、あからさまに、マズい所を見られた、という顔をした。私はニッコリと笑顔を作る。
「何かしらね? それ」
「何って。バラも知らないのか」
「知ってるわよ!」
サッサと通り過ぎようとするフォースの耳元に向かって大声を上げた。さすがに無視できなかったらしく、フォースは立ち止まって私に向き直る。私はため息を一つつき、フォースに顔を寄せた。
「そういうこと聞いたんじゃないってことくらい分かるでしょ?」
「分かんねぇよ。なんだよ」
不機嫌な顔になったフォースに、私は人差し指を突きつける。
「今の娘、誰よっ」
「花屋の娘だろ」
「え」
キッパリ言われ、そうえいばそうだったと思い出した。実際花屋で見た記憶もある。でも、問題はそこじゃない。
「どういう関係かって聞いてるの」
「花屋の娘を、どう言い換えろって言うんだよ。店員?」
間を置かずに帰って来た答えに、思い切り冷たい笑みを浮かべて見せる。
「そうじゃなくて。あの娘に何を頼まれて何を喜ばせてるのかって話しなんだけど?」
そう返すと、フォースはウッと言葉を詰まらせて口をつぐんだ。バラのせいではなく、本気で顔が少し赤い。
「言いたくないんだ? へぇ。リディアちゃんに言っちゃおうかしら」
「ばっ、バカやろっ、絶対言うな!」
フォースが真剣な顔で荒げた声に、私は思わず息を飲んだ。私が驚いている隙に、フォースはバラを抱えたまま階段を三段抜かしで駆け上がる。
「言うなよ!」
階段の一番上から念を押すようにそう言うと、フォースは二階廊下の奥へと入って行く。部屋に入ったのだろう、その奥からドアの音が響いた。
あの異常なまでの拒否は、どう考えても変だと思う。どんな関係なのか色々な状況を考えてみたい。でも、どうしてもその辺りを全部通り過ぎて、浮気、という言葉が浮かんでしまう。
まさかホントに浮気しているわけじゃないよね? それが私が持つただの希望だったらと思うと寂しいけれど、自分がまったく知らない面をフォースが持っていても不思議ではない。どんどん本気で心配になってくる。
二階からドアを開け閉めする音が、二度聞こえてきた。何があったのかと見ていると、階段をナシュアという、この神殿のシスターが降りてくる。思わず目で追った私に、ナシュアが視線を向けてきた。
「どうかなさったんですか?」
「いえ、あの」
聞いていいのだろうかと思いつつ、それでも気になりだしたら止まらない。
「……、フォース、どうしてました?」
「私はリディアさんの所にいたので、ご一緒してはいなかったのですけれど。バックスさんと部屋を出た時に、水を入れた大きめな花器が欲しいとおっしゃっていました」
軽くお辞儀をして去ろうとするナシュアを、私は思わず追いかけて引き留めた。
「それ、私が用意します」
***
目にした花束にちょうどいいような花器を探した。両手に抱えるほどの本数だったのだから、大きくなくてはいけないだろう。ずいぶんかかってようやく良さそうな花器を見つけ、水を入れて二階に上がる。
リディアちゃんのいる部屋の前には、がたいの大きなバックスという騎士が見張りを務めている。バックスとは騎士になった頃からの知り合いだと、フォースには聞いていた。
確かに今までも何度か見かけた気はする。でも、バックスが神殿に来たことではじめて、お互いに会話を交わすようになっていた。
そのバックスとお辞儀だけの挨拶をしてリディアちゃんの部屋を通り過ぎ、斜め向かいにあるフォースの部屋のドアを叩く。
はい、と返事が聞こえ、ドアはすぐに開いた。ナシュアが来ると思っていたのだろう、応答に出てきたフォースは驚いた顔をしている。どこに置いたのか、バラは一本も見えない。
「ちょっと、あれどこに」
その声で我に返ったのか、フォースはムッとした顔で花器を奪い取ると、無言でドアを閉めた。そのドアが顔を直撃するのが怖くて一歩下がったせいで、追求することができないままになってしまう。思わずその場で深いため息をついた。
「どうしました?」
太い声に振り向くと、バックスがこっちを見ていた。相談してみてもいいかもしれない。
「フォース、真っ赤なバラを山ほど持って部屋に入ってるんです」
「リディアさんの部屋でフォースが戻った音は聞きましたが。バラ、ですか」
バックスは、フォースと真っ赤なバラという場面が想像できなかったのか、呆けたような顔をしている。
「ドアが開いた時も、ここからは見えませんでしたよ?」
「ええ。だからなおさら心配で。普通なら机に置きますよね? わざわざ見えないように置いてあるなんて」
「はぁ、まあ。変かもですが」
バックスは気の抜けた返事を返してきた。いかにも無骨そうな雰囲気に、恋愛のことなど聞かない方がよかったと後悔させられる。
「あのバラ、花屋の娘に送られたんでしょうか」
そうつぶやくと、バックスは、アハハ、と、いかにも本心からではなさそうな笑い声をたてた。
「笑い事じゃないです」
ムッとしてそう言うと、バックスは肩をすくめる。
「花屋の姉さんから受け取ったってことですよね? 配達じゃないんですか?」
「でも、どうして自分の部屋に?」
そう聞き返すと、そうか、とつぶやき、バックスは難しげな顔つきになる。
「それに、なんだか押し切られて受け取ったみたいな話しをしていたんです。顔まで赤くして」
「はぁ。あなたにそう見えたのなら、そうかもしれません。ですが」
バックスは言葉を切り、眉を寄せて考え込んだ。
ですが、ということは、バックスは反論するつもりなのだろう。そうしてくれたら、少しは安心できるかもしれない。
「奴も男だからなぁ。絶対無いとは言い切れない」
だが、思い切り意外な言葉が返ってきた。
「そ、そんな。まさか……」
吐く息と共に出た言葉に、バックスは優しい微笑みを浮かべ、顔をのぞき込んでくる。
「そう思うなら、信じていればいいじゃないですか」
その言葉にハッとした。返す言葉がない。なにか言い返さなくてはと、ただその微笑みに見入る。
コンコン、とリディアちゃんの部屋の内側からノックの音がした。うるさかっただろうかとバックスと顔を見合わせ、肩をすくめあってから戸を開ける。
すぐそこにリディアちゃんが立っていた。ちゃん付けが奇妙だと思うほど、この娘はいつ見ても綺麗だ。琥珀色の髪は薄暗い中、少ない光をすべて吸収しているかのように艶やかで、その光を受けた肌は、どこまでも白く透き通って見える。こんなに側で見たらなおさらだ。
「なにかあったんですか?」
その不安げな瞳がこちらを向いた。胸の動悸が痛いほど大きくなる。
「な、無いわよ? なぁんにも無いわよ?」
焦って大げさな返事を返してから、しまったと後悔した、だがすでに遅い。リディアちゃんは苦笑を浮かべて首をかしげる。
「……、あったんですね」
その仕草も、女の目でさえとても可愛いと思う。あきらかにリディアちゃんにベタ惚れなフォースが、嫌われるかも知れない危険を冒してまで浮気なんてするだろうか。
「どう考えても、こんなの二度と手に入らないわよね……」
リディアちゃんを見つめたまま言ったその言葉が、そのままリディアちゃんのことだと察したのだろう、バックスがブッと吹き出した。
「ちょっとっ」
「いや、こんなのってアリシアさん」
大笑いしているバックスを見ていると、なんだかすべてがどうでもよくなってくる。リディアちゃんの視線がバックスと私の間を、不思議そうに交互に往き来した。
斜め向かい側の部屋のドアが開き、フォースが出てきた。三人の視線が一斉にフォースに向く。
「え? ……、何?」
フォースに不審そうに問われて我に返る。
「あ。まだ何も言ってないわよ?」
思わずそう返して、フォースが一瞬凍り付いた顔をするのを楽しんでしまう。プクッとバックスが笑いをこらえるのが聞こえた。フォースは胡散臭そうな目でこっちを見ると、すぐにリディアちゃんに視線を向ける。
「まだ寝てなかったんだ、よかった。ちょっといいかな」
フォースはバックスと私を無視すると、リディアちゃんの手を引いて部屋へ戻っていく。
「ええ? 綺麗! 素敵!」
開け放たれたドアの陰から、リディアの声が聞こえてきた。
「これ、どうしたの?」
「プレゼント。リディアに」
フォースの言葉に、私は思わずバックスの顔を見た。
「こんなにたくさん? すごい! ありがとう!」
「いや、花屋のおまけ込みでこれだから」
バックスは満面の笑みを浮かべながらフォースの部屋の方へ目をやっている。
心配する必要なんて無かったのだろうか。でも、フォースはどうしてあれほどの勢いで、言うな、と怒ったのだろう。プレゼントを秘密にするなら、そう言えば通じることくらい分かるはず。どこか不自然だ。
そういえば。花屋の娘に何を頼まれて何を喜ばせていたのかは分からないままだ。やっぱりそこが引っかかる。
「どこに置く?」
「ベッドの棚がいいわ。……、あ。でも、虫がいたりしないかしら」
「いなかったよ」
その言葉に、一本ずつ全部見たのかと突っ込みたくなる。振り返るとバックスはうなずき、フォースが通りやすいようにとリディアちゃんの部屋のドアを大きく開けた。
フォースが運び出してきたバラは、もう少し開いたら満開だろうというとても良い状態で、かげりのない深紅がとても美しい。目の前を通り過ぎる花からフォースに視線を移すと、フォースはまたムッとした顔をして通り過ぎた。
私は二人が部屋に入ったのを見届けてから、人差し指を口に当ててバックスに黙っているように頼み、フォースの部屋に入った。
寝るためだけの部屋なので割と綺麗に片付いている。でもそのせいで、床になにかプツンとひとつ、小さなモノが落ちているのが目立った。それを指先でつまみ上げ、手のひらに乗せて見入る。
「これ……」
間違いなくバラのトゲだ。もしかしてと思いゴミ箱をのぞくと、バラのトゲがたくさん入っている。
ということは。頼まれたのはバラのトゲを取ることで。花屋の娘が喜んだのは、その手間を省けたから、ということなのだろう。なんて人騒がせな。……、いや、騒いだのは私なんだけど。
私はそのトゲを持って部屋を出た。バックスに駆け寄って、黙ったままトゲを見せる。手の中をのぞき込んだバックスは、キョトンとした顔でそれを見つめた。
「これって」
「トゲよ。バラのトゲ」
顔を寄せ、小さな声で口にする。
「こんなモノをちまちまと?」
気の抜けた笑みを浮かべたバックスに、ウンウンと何度もうなずいて見せた。バックスもホッとしたのか、大きなため息をつく。
絶対無いとは言いきれない、とかなんとか言っておいて、この人も安心したのだ。自分でも心配しながら、それでも私を勇気づけようとしてくれたのかと思うと、その優しさが嬉しい。自然と笑みがこぼれてくる。
「じゃあ、おやすみ」
そう言いつつ部屋から出てきたフォースが、足を止めて振り返る。後ろにいたリディアちゃんが、フォースの鎧に手を掛けていたのが目に入った。
「なに?」
振り返ったフォースに、リディアちゃんの不安そうな視線が向く。
「ねぇ? 虫がいなかったって、わざわざ全部見てくれたの?」
「え? あ……」
言い淀んだことで、フォースはやはりリディアちゃんに言うつもりは無かったのだと分かる。
「秘密はよくないわよ」
「ああ。よくない」
結託したバックスと私に交互に目を向け、フォースが何か言おうと口を開きかけた時、リディアちゃんが後ろから唐突にフォースの右手を取った。
「フォース、これ」
リディアちゃんが大切そうに引き寄せたフォースの指先に、ほんのわずかなひっかき傷がある。
「あ、いや、そ、それは、……」
その指先を見つめていたリディアちゃんがフォースを見上げたその笑顔に、フォースは言葉を詰まらせた。
「嬉しいわ。ありがとう」
その言葉でバレてしまったと察したのだろう、一瞬で顔を赤くし、フォースは恥ずかしそうに苦笑を浮かべる。
バックスが吹き出すのをこらえつつ向こうを向いた。同時に、私も笑わない我慢をしている振りをして、フォースに背を向ける。
でも本当は。単純に弟と思っていたフォースをリディアちゃんに取られたような気がして少し寂しい、なんて顔に出ていたら困るからなのだけど。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
パタッとドアの閉じる音で、フォースに向き直る。
「リディアちゃん、あんな小さな傷によく気付いたわね。私が何も言わなくても、バレたじゃない」
「は? 秘密はよくないとか言ったからだろうが」
「そうだっけ?」
私が聞き返した言葉に、フォースは赤味の残る顔でブツブツ文句をいいながら、自分の部屋へ歩いていく。
「リディアさん、可愛かったなぁ」
「本当に」
そうバックスに返事をして、フォースがドアを閉めるために、一瞬だけこちらを向くのを待ち、目があった瞬間に言ってやろうと思っていた言葉を投げかける。
『フォースも』
図らずもバックスの声と重なった。硬直したように手を止めたフォースの前で、バックスと握手する。
「気が合うな」
「本当に」
バックスと目を合わせて笑い合ううちに、フォースはため息をついて部屋のドアを閉めた。
3周年のひとつあとが4周年のお話って一体;
(しかも4周年から約半年ずれてるって; 申し訳ないです)
いらしてくださるみなさまに大感謝。m(_ _)m