大切な人

     ― 心構え ―

 恋人のリディアが女神の降臨を受けて巫女になってしまってから、二位の騎士である俺がリディアの護衛を務めている。護衛にいてからは、ほとんどリディアの側に居る。といっても勤務は日中だけで、夜は別の騎士が護衛についているのだが。
 勤務が終わっても大抵は一緒にいるが、皇太子であるサーディやその妹のスティアが神殿に来ている夜は、リディアとは別行動になることが多い。スティアと二人だけで話しをするのも楽しいだろうし、夜は警備の関係上、自室にいてもらった方が安全な体勢をとっているのもある。といっても、今日はケーキを焼くとかで、スティアと二人厨房にこもっているのだが。
 サーディと神官のグレイと俺は、学友として付き合いが長かったせいか、いまだにこうして集まっては色々な話しをして楽しんでいる。中でも大きな話題は、サーディの結婚に関することだ。
 皇太子のサーディは、もうに結婚相手を探さなくてはならない時期らしく、なんでもなさそうな行事でも、それにかこつけて相手を探すようにとの負荷が付けられている。だが、結婚しなければならないというサーディの気持ちは、その負荷が強くなればなるほど、がれているような気がしてならない。
「だいたいなぁ、可愛いからなんだってんだよ。そこからいきなり結婚に結びつけようだなんてありえないだろ」
 ため息混じりで行ったサーディの言葉に、グレイは目を細くして笑みを浮かべた。
「そうだよね。可愛いなんて、犬見ても思うのに」
 思わず吹き出した俺に、グレイは冷ややかな目を向ける。
「同じ次元だろって話しだ」
「いや、分かるけど」
 それにしてもなんで犬だ、と思いながら言葉をす。サーディは椅子の背に身体を預け、そっくり返って天井を見上げた。
「まぁ、選べって言われるだけ、マシだと思わなくちゃな。ほら皇太子妃だ、なんて連れてこられるのも嫌がられそうで嫌だし」
「嫌がられそうなのが嫌って。サーディがどう思うかが問題なんだろうが」
 顔をしかめた俺に、グレイはノドの奥で笑い声をたてる。
「そうそう。同じ道を通ってきたフォースが言うんだから間違いない」
「同じ道?」
 サーディのしげな顔がこっちを向く。何のことか分からずに俺が眉を寄せると、グレイは肩をすくめた。
「自分の感情を押さえ付けて、まっすぐ出してなかっただろ」
 言われてみれば、昔はそうだったかもしれない。陛下の命で城都の学校に入れられた頃は、無意識に人が話す俺という人間に沿って物事を考え、行動していた。それが自分にとって最良だと思っていたのだ。
 リディアに対してもそうだった。自分に関わらせるのは、望まれることではないと考えていた。リディアが襲われかけて、一緒に逃げた時のことを思い出させてしまうから。ごくたまに会った時のリディアはいつも幸せそうに見え、俺が側にいない方がいいだろうと思ったから。
サーディは、興味深げに俺の顔をのぞき込んでくる。
「どうして改心したんだ?」
「リディアの存在が許容量を超えただけだ」
 改心という言葉に苦笑を返してそう答えた俺に、グレイは俺の言葉をのろけとでも取ったのだろう、冷ややかな笑みを浮かべる。
「やっぱりサーディにも、そういう存在が必要だって言いたいんだ?」
「そうじゃない、サーディは俺と違って度量の広い奴だから」
 慌てて付け足した俺に、サーディはフフッと笑い声をたてた。
「照れ隠しにめてくれなくても」
「いや、違うって」
 照れ隠しなんかじゃなく、本気でそう思うのだが。どう言えば信じてくれるだろうと考えるうち、サーディが独り言のように口を開く。
「俺も本気で好きになれる相手に、出会えればいいんだけどな」
 俺のどこかが、出会うだけでは足りないと主張している。出会うことも大事だが、自分の気持ちを解放して自由に、自分らしく自然にいることが、サーディにも大切なのだろうと思う。そうでなければ、自分が恋愛感情を持っていることすら気付けない。本気になんて絶対になれないのだ。
 リディアも俺の心を溶かしてくれた。でも、人と接しようとしない、つっぱったガキだった俺を、友人として認め、許容し、側にいてくれたのはサーディとグレイだ。感謝している。それがなければリディアと付き合うことも、できなかっただろうと思うから。
 ドタドタと音を立てながら、ティオが部屋に駈け込んできた。何かあったのかと立ち上がる。
「ティオ? リディアのところにいたんじゃ」
「スティアに邪魔だって言われた」
 はぁ? と聞き返した俺に、サーディがゴメン、と肩をすくめる。いや、ティオが一緒にいなくても、廊下にはバックスが見張りについているのだから支障はない。はずだけど。
「大丈夫だろうけど、一応見てくるよ」
 勤務時間外でも責任者には変わりないし、気になりだしたら止まらない。そんなコトにならないように、普通勤務時間外は自宅に戻る事になっているのだが、あいにく自宅はサーディが使っていたりするので、結局は昼夜をかず神殿の中にいることになる。サーディもグレイも俺の性分を分かっていて、サッサと行けとでも言うように、手だけ振って寄こした。
 神殿へと続く廊下へ入ってまもなく、厨房の前に立っているバックスが見えてきた。前線に出た時期が一緒で、俺にとって兄のような人だ。バックスは、こっちに気付くと苦笑を向けてくる。
「ティオがせっかく計った砂糖を食っちまったらしいぞ」
「は? なんだ、それで」
 あまりのバカらしさに戻ろうかと思った時、厨房のドアの向こうから、ガタガタと何かを動かす音がした。
「何やってんだ?」
「さぁ?」
 首をひねったバックスと顔を見合わせる。音がしなくなると、スティアの、気をつけて、という声が聞こえた。中には二人しかいない、当然リディアに声をかけたのだろう。心配になった俺はドアを開けた。
 まずテーブルの上に乗せられた椅子が目に入った。その上にリディアがいる。
「な、何やって……」
「え? フォース?」
 リディアが振り向いたせいか、足元の椅子がガタッと音を立てた。バランスが崩れる。
 とっさに駆け寄り、落ちてくるリディアを受け止めようとしたが、足元が何かに滑った。リディアを身体で抱きとめ、その勢いのまま後ろにひっくり返り、後頭部を床にぶつける。目の前に火花が散った。
「フォースっ?! ごめんなさい、大丈夫?」
 俺の上で起きあがったリディアが、ひどく心配そうな顔で声をかけてきた。
「ちょ、ちょっと待って……」
 頭を抱え込んだまま、身体を横にする。痛みで言葉が出てこない。心配させないように無理に身体を起こそうとすると、リディアは、じっとしてて、と俺の頭を膝に乗せてくれた。
「スティア、タオル絞ってくれる?」
 分かったわ、と声がして、水音が聞こえだす。上からバックスが妙ににこやかな顔でのぞき込んできた。
「大丈夫か? よかったな。色々と」
 ホントに心配してるのだろうか。色々って何だ。リディアを抱きとめた時、胸に顔を突っ込んだことか、それともこの膝枕か。片手で頭を抱えたまま思わずみつけると、バックスは口を隠してプククと変な笑い声をたてた。
「リディアさんは平気?」
「私はどこも」
 絞ったタオルを手に、スティアが側に来る。
「四階から落ちた時よりは痛くないわよね?」
 それが比べられるようなことか。リディアはスティアからタオルを受け取ると、ぶつけた所にそっとあてがって冷やしてくれる。バックスは、俺の足元の方をのぞき込んだ。
「なんだコレ。濡れてるぞ? 何にったんだ?」
「あ、それ。ティオのヨダレよ。お砂糖を狙っていた時に、ダラダラだったの」
 スティアの答えに唖然とする。どうして砂糖を見ただけでヨダレを垂らせるのか。それでは邪魔にされてもしかたがないと思う。俺が顔をしかめると、リディアは眉を寄せ、ますます心配そうな顔になる。
「治まってきてる、大丈夫だよ」
 俺がそれだけ言うと、リディアはホッとしたように短く息をついた。
「心配だから、もう少しじっとしていてね」
 リディアの指が、髪をくように俺の頭をなでている。痛みが治まってくると、本気でこの状態をラッキーだったかなと思ってしまう。だけどリディアが落ちるなんてのは、もう考えたくもない。
「気をつけてなんて少しでも思うようなことは、全部まかせてくれないか? どんな些細なことでもいいから」
 リディアはコクンとうなずいた。その後ろでスティアが俺に向かって、ゴメンね、と小さく頭を下げる。
「そうそう。そうしてくれるとありがたいですよ。そういえば、何か取るんでしたか?」
 バックスは、ハタと思いだしたようにスティアに言葉を向けた。スティアはテーブルの横にある棚の上を指差す。
「城都から持ってきたお砂糖を置いたの」
「なんでまた、こんなところに」
 バックスは、置いてあった机に乗り、手を伸ばして袋を取った。
「他のモノと別にしておこうと思ったの。ありがとう」
 砂糖の袋を差し出され、スティアは満面の笑みを浮かべて受け取った。
「自分で置いたモノならリディアに頼まないで自分で取れよ」
 俺が憮然として言った言葉に、スティアはフフンと鼻で笑う。
「私にはフォースみたいなクッションとかベッドマットの代わりがいないんだもの、危ないじゃない」
 バックスはその言葉にワハハと朗笑しながら、机と椅子を元の位置に戻している。いや、降ってくるのがリディアだったら、俺はいつでも受け止めるつもりだけど。
「クッションでもベッドマットでもなんでもかまわないよ。リディアが必要なモノが寄り集まって形になったのが俺だったらいいんだけど」
 俺を見下ろしていたリディアの頬が、ほんのりと上気する。スティアはハァと大げさにため息をついた。
「頭を打っても、そういうところは変わんないのね」
 それってどういう意味だ。バックスは、いかにも笑いをえているんだという顔で、警備の位置に戻った。俺が顔をしかめて見せると、スティアは冷ややかな笑みを浮かべる。
「ま、一生クッションしてらっしゃい」
「クッションよりベッドマットの方が嬉しいんだけど」
「ちょっとっ。そんなとこまで頭が回るなら、もう起きなさいよっ」
 一国の王女にサクッと意味が通じるのが、良いのか悪いのか。俺はスティアに手を引かれて半身を起こした。痛みはほとんど引いている。
「リディアもそんな寂しそうな顔しないの」
「えぇ? 心配なだけよ、寂しいなんて……」
 振り返ると、ぺたんと床に座ったままのリディアと目が合った。立ち上がってリディアの手を取って引くと、リディアは俺の側に立ち、顔をのぞき込んでくる。
「大丈夫? まだ痛い?」
 心配げなままのリディアに、俺は笑みを向けた。
「もう平気だよ。リディアは?」
「私は……。ありがとう」
 ほんの少しだが、リディアが微笑んで顔を上げる。そう、この笑顔が欲しいから、リディアのことも、自分のことでさえも、大事にしようと思えるんだ。
「よかった」
 思わずんだままだったリディアの指を引き寄せて口づける。スティアがれたように肩をすくめた。
「リディアが作れば、お砂糖を入れなくても甘くなりそう」
「駄目よ。お砂糖を入れないと、玉子の泡がれやすくなって、ケーキがれちゃうんですって」
 リディアが慌てて言った言葉に、スティアは、そうなの? と聞き返す。リディアがうなずくと、スティアは目を細めてニヤッと笑う。
「じゃあたっぷり入れないとね。潰れたら困るもの。フォース」
 吹き出しそうになり、思わずリディアに目をやると、俺のことかと驚いたのか、リディアも目を丸くしている。
「泡じゃねぇし。丈夫にできてるから、俺」
 そう言って苦笑すると、リディアはクスクスと笑い声をたてて、そのままの笑顔を俺に向けた。
「ちゃんとフォースも食べられるように、お砂糖控え目で作るわね」
 いや、そうじゃなくて、ただ頼って欲しいって言ったつもりだったんだけど。リディアは分かっているのかいないのか、ありがとう、と言葉を残してスティアの所へ行った。
「フォースのために、お砂糖控え目にするの?」
「スティアだって、ダイエットするって言ってたじゃない」
「そうだけど」
 楽しげに作業を始めた二人を見て、まぁいいかと思う。厨房を出て俺はバックスに、後はよろしく、と頼んだ。
「楽しみだな、色々と」
 帰ってきた返事に、だから色々って何だ、と思いながら、俺は厨房を後にした。   



一応、これでも3周年記念のお話だったりします。
いつも来てくださって、ありがとうございます。m(_ _)m