新緑の枯樹
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 城内の執務室は、特に陛下のご趣味が反映されている場所で、あまりきらびやかな装飾はなされていない。 天井が高いのは他の部屋と変わりないが、壁は全面アイボリーで目に優しく、家具はマホガニー製で統一されている。 現在陛下は城都を離れておいでなので、執務は当然ながら皇太子のサーディが遂行していた。
「城内警備はグラント、神殿警備はゼイン、周辺警備はバックスが担当している。 当日の警備についてだが、グラントから直接指示を受けてくれ。 父上の希望で宝飾の鎧を着けてもらう事になるが、それだけは承知しておいて欲しい」
 俺はサーディにひざまずいたままで最敬礼をした。 上位騎士になると直接陛下に命令を下されることが多い。 執務室に二人だけなら、こんなにかしこまることはない。 しかし今は騎士の人事考課責任者であるクエイドがいるので、サーディは型通りの命令を下し、俺もごく真面目に命令を受けた。
 サーディは、この国に多い茶色の髪と瞳を持ち、普段は身分など感じないくらい一緒に笑いあえる普通の友人だ。 だがこういう時のサーディは、ちゃんと典雅な雰囲気を持っている。
「申し上げたいことがございます」
 クエイドが顔を上げた。 サーディは手を差し出して話すように促す。
「昨日の騒ぎについての報告書をお読みになりましたか?」
 クエイドはやっぱりその話を持ち出した。 いいかげんうんざりだが、俺だって報告書を読んだだけならきっと文句を言いたくなる。
「一応、目は通したが。 それが何か?」
 サーディも同じ気持ちなのだろう、聞き返した言葉にため息が混ざった。
「尋常な報告書としてお受けになったのでございますか? ご学友の起こした事件をなあなあに済ませてしまいたいお気持ちは分かりますが。」
 報告書を読んでも、俺が起こした事件だと思うのか、このタヌキ親爺。
「普段ならともかく、公の場でなれ合っているつもりは微塵も無い」
 俺が文句を言うまでもなく、サーディはサーディで別のことに腹を立てたらしい。
「だいたい異常だろうがなんだろうが、この報告書はそのまま受けざるを得ない。 そこに名は載せなかったが、私も一部始終を目撃したんだ。 そこに嘘は無いんだからな」
 サーディの口調が少しキツくなったことに驚いたのか、クエイドは慌てたようにサーディと俺との顔を交互に見た。
「しかし、そんなことが起こるのは、フォースが反戦運動などしているからではないでしょうか」
「反戦運動?」
 初耳だったのか、サーディはチラッとこっちに視線をよこした。 何もそんな話をこんなところで持ち出してこなくてもいいと思うが。
 クエイドはまるで演説でもするかのように声を大きくする。
「敵の騎士を斬ってこないんです。 生かしたまま逃がしてしまう。 味方の騎士にうとまれても仕方がないと思うのです」
 サーディは、手をクエイドの頭上にかざして話を遮り、あきれたように苦笑した。
「もし、うとまれるようなことがあったにしても、四人もの騎士が身を隠してまですることだろうか。 第一、それは憶測に過ぎないのだろう」
「それは、そうですが。 そんなことをしているからライザナルのお偉方に目をつけられたり、怪我までするようなことになるのです。 まぁ、自業自得ですが」
 怪我という言葉で、サーディは顔をしかめてもう一度俺を見た。 怪我のことは嫌な奴を思い出してしまうので話したくなかった。 それにわざわざ治りかけた怪我で、余計な心配をかけなくてもいいと思う。
 クエイドはそんな思いとは関係なしに、とどまることなく話を続けている。
「しかし、最近になって子供達が妖精を目撃したという報告が増えてきていますので、シャイア神の降臨も近いと思われます。 降臨さえあれば、反戦運動など考える必要のないほど戦も楽になることでしょう」
 俺が反戦運動をしていることを知ってから、クエイドは俺を敵視するようになった。 戦に勝つことに強い執着心を持った人だから、当然といえば当然かも知れない。 だが、得意げに話を続けるクエイドが、だんだん疎ましくなってくる。 しかも、もしもそうだったら、こうだったらと、仮定の話しばかりでひどく耳障りだ。 いい加減頭にくる。
「随分単純に見られたものだな」
「なんだと?」
 俺がボソッとつぶやいた言葉に、クエイドは目の色を変えた。 俺はひざまずいたまま独り言でも言うように言葉をつなげる。
「降臨と俺がやっていることとは全然別の話だ。 楽だろうが辛かろうが関係ない。 戦の実態がどんなモノだか知らないとしか思えない」
 クエイドは、俺を見下すように鼻先で笑った。
「本当に戦を理解していないのはお前の方だろう。 なんのための騎士か、シャイア神にとってどれほど大切な事か、いい機会だからソリストに教えて貰うといい!」
 だんだん語調を荒げるクエイドの方をチラッと見て、俺は口の端で笑った。
「戦場がそんなことを考える余裕のあるところかどうか、連れて行ってあげましょうか?」
「フォース、言葉を慎め」
 サーディは期待通りに俺を止めに入った。
「申し訳ございません」
 言いたいことはすっかり言ってしまったので、俺はあっさり退いて頭を下げた。 しかし言われた方のクエイドが、簡単に引き下がろうはずはなかった。
「余裕がないというなら、何も考えずに従えばよかろう。 お前の罪悪感なんぞどうでもいい、敵は斬ればいいのだ。 十四のお前を騎士に推挙したのも、敵を斬れる腕があると思ったからだ。 これまで積み重ねてきた恨みを晴らすにはそれしかないのだからな。 それともその特異な目のせいか? メナウルの血じゃないからそんな馬鹿げたことができるのか!」
 その言葉には、俺より先にサーディが反応した。 クエイドに向かってあからさまに不機嫌な視線を向ける。
「クエイド殿も少し控えていただきたい。 メナウルに住みメナウルに生きる民はどこの血であれメナウルの人間だ。 それに、この戦は恨みを晴らすための戦ではない」
 言われて初めて自分の言葉の矛盾に気付いたか、クエイドは小さくなってかしこまった。
「弁解の余地もありませんが、挑発に乗ってしまい、とんだ失礼を」
 俺が何も言わないうちからベラベラしゃべっていただろうが。 それとも俺の存在自体が挑発だとでもいいたいか。 しかもさっきの言葉が弁解じゃないのなら、いったい何だというのか。 俺は下を向いたまま嘲笑を浮かべた。 俺の笑みにクエイドが気付かなかったのをいいことに、サーディはさっさと会話を引き上げにかかる。
「フォースは式典が終わるまで父上直属の部下ということになる。 それを念頭に置いて他の配置を願いたい。クエイド殿への用件は以上だ。下がってくれ」
「承知致しました。 では、私はこれで失礼します」
 クエイドは最敬礼をして、部屋を出て行った。 サーディは大きなため息をつきながら、ひざまずいたままの俺の前に立った。
「あのな、こじれてるならこじれてるって、先に言っとけ」
「悪い、あの報告書から話がそっちに逸れるなんて思ってなかったから」
「それに初めて聞いたぞ、反戦運動だぁ?」
 サーディは立てとばかりに俺の左腕を引っ張った。
「痛てて……」
 今回受けた傷は妙に治りが遅い。 その肩の軽い痛みも手伝って、俺はサッサと立ち上がった。 ほんの少し俺より背は低いが、サーディは不機嫌そうな顔を難なく突き合わせてくる。
「しかも、怪我してることまで隠しやがって」
「いや、たいした怪我じゃないから」
 サーディはほとんど怒っているような顔で俺の目をジーッと見ている。 こんなに濃い紺色の目は見たことがないなどと、意味無く覗き込まれることが多いので、黙って目だけを見られるのは好きじゃない。
「わかったよ、悪かったって。 ちゃんと話すから」
 耐えられなくなって俺が折れると、サーディはホッとしたように息をついた。
「クエイドが同席させて欲しいだなんて言うから、何かあるなとは思ってたけどな。 反戦運動ねぇ。 お前への敵意はそのせいか」
 クエイドは最初から反戦運動のことをサーディの耳に入れるつもりだったのだ。 反対されれば、俺が止めざるをえないと思ったのかもしれない。
「やっていることは、騎士を斬らないってだけなのか?」
 俺のやっていることは、サーディには重要視されていないようだ。 残念と言うよりは、このくらいが普通の反応だと思うし、サーディにはその方が有り難い。 一国の皇太子が反戦なんて唱えたら、国の半分が敵になってしまうかも知れないのだ。 俺はうなずいて見せた。
「だとしたら、さっきのクエイドの言いようは随分おおげさに聞こえるな。 実際成果はあるのか?」
「この戦は意味がないと公言した騎士は何人かいたけど、どうだかな。 彼らに行動を起こせと命令できる立場でもないし。 やってて自分でも不毛だと思うよ」
 俺は頭の中を横切ったアルトスの陰を振り払って苦笑した。 あんな奴に目をつけられたら、反戦の芽が出る前に踏みつぶされてしまうかもしれない。
「本人がそんなこと言ってるんじゃな。 だけど、さっきの話しを聞いていたら、俺にはどっちも正しく聞こえるよ。 情けないけど」
「だけど、きっとどっちも間違ってるんだ」
 俺がつぶやくように言った言葉に、サーディは口をつぐんで眉を寄せた。
「戦なんてやってること自体が間違いなんだ。 根本的に間違っていることの中に正しい理論なんてあるはずがない」
 サーディは視線を落として考え込んでいる。 何を考えているのか、少しの間黙っていたが、大きなため息をついて口を開いた。
「本当に、俺は何も知らないと思うよ。 戦や街の実態を知るどころか、ろくに話も聞けないでいるってのに、まわりは一体どんな仕事を俺に求めているんだろう」
 危ない目に遭わせるわけにはいかないので、前線には視察に出られない。 街にもごくたまにしか行けない。 サーディはそんな生活を送っている。 誰もがサーディを守ろうとするように、本当は俺もサーディに都合の悪いことは全部隠しておきたいと思う。 でも、それでは駄目なことをサーディはちゃんと分かっているのだ。 それがまた、安心だったり不安だったりするのだが。
「お前、そろそろ神殿警備の方に行かないとな」
 サーディの言葉に、俺はうなずいてドアの方を向きかけた。
「じゃあ」
「俺も行くよ」
 振り返ると、サーディは俺のすぐ後ろまでやってきた。
「まだ話しは終わってないだろ」