新緑の枯樹
     ― 3 ―

「ソリストを神殿からエスコートし、歌っている間側でひざまずいて待ち、聖歌終了と共に神殿にエスコートして戻る。 ほんっとに、それだけなんですね?」
  いろいろな質問をし続けるサーディと一緒に、城内警備室へとやってきた。 俺は二位の騎士であるグラントさんから受けた命令を、一字一句そのまま復唱して確認した。 グラントさんは含み笑いを返す。
「たまにはこういう楽な仕事もいいだろう」
 苦笑した俺の手を取って、ゼインは笑いながら大きく握手をし、バックスは俺の背中を強く四度バンバンと叩いた。 ゼインは俺より少し大きいくらいだが、バックスは上背もあって力も強いので、甲冑の上から叩かれても結構身体に響いてくる。 サーディは彼らの手荒な祝福を見て、グラントさんの椅子に座ったままケラケラと笑った。 ここに顔を出すことが多いのか、下手をしたら騎士仲間に見えそうなくらい馴染んでしまっている。
 それにしても、なごやかな雰囲気だ。 前線での忙しさが嘘のように感じる。 楽な仕事と言うよりは、あまりにも手持ち無沙汰で逆に落ち着かない。
「君の隊は、城内警備と神殿警備に借りるよ。 勤務は明日からだ。 後で名簿を渡そう」
 俺はグラントさんにハイと返事をして敬礼をし、同意を示した。
「ところで、どうしても礼を言いたいというのでな、私の隊のブラッドだ」
 グラントさんが部屋の隅を指し示すと、控えていた兵士がキチッとした敬礼をした。 茶色の髪が揺れる。 襲われた時、加勢に入ってくれた兵士だ。 わざわざ礼を言うために、ここで待っていてくれたのか。 ちょっと気が重い。
「あの状況で助けて頂いて感謝しております。 助けに入ったつもりで、すっかりご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
 ブラッドは丁寧にお辞儀をした。 俺も軽く頭を下げる。
「いや、ゴメン。 あのあと、あなたを助けたことをすごく後悔したから、あんまり感謝されても困るんだ」
「は?」
 俺の言ったことに対して、ブラッドだけではなく、まわりのみんなが怪訝そうな顔を向けてくる。 俺は思わず苦笑を浮かべた。
「首を絞められて、本気でもう駄目だって思った時、短剣を投げたりしなきゃよかったって思、ぶ」
 いきなりバックスに口を後ろからふさがれ、俺は最後まで話せなかった。
「馬鹿正直な。せっかくなんだから、恩でも売っておけばいいのに」
 俺はムッとしてバックスの腕を押しのけ、文句を言うために振り返った。
「何言ってる。 そんなことをして俺にまだ余裕があると思われたら、今度は命に関わるんだぞ?」
「そ、そうか。 スマン」
 バックスはバツが悪そうに頭を掻いた。
「しかし、助けていただいたのは事実ですから。 ありがとうございました」
 ブラッドはキチッとした敬礼を向けてきた。 俺はあまり気が乗らなかったが、とりあえず返礼をした。
 サーディが、ふと思い付いたように視線を向けてくる。
「そういえば怪我は大丈夫なのか? 見た感じでは、普通に動けてたみたいだけど」
「左肩だし、軽いからな。 剣を持つ分には、ほとんど支障はないんだ」
 フーンと一度うなずいてから、サーディは不思議そうにまた俺の顔をのぞき込んだ。
「なんで肩なんか怪我したんだ? 鎧は着ていたんだろう?」
 ゼインがニヤニヤした顔で、横から鎧をぶつけてくる。
「寝込みでも襲われたんだろ」
「馬鹿言え、鎧ごと斬られたんだ」
 俺が弾みで言い返した言葉にサーディは眉を寄せてグッと口を結んだ。 戦を知らない人間には、恐怖に聞こえるかもしれない。 安易に言ってしまった言葉を後悔したが、もう遅い。
 グラントさんがサーディの側へ行き、肩に手を置いた。
「サーディ様、残念ながら万全な武装は存在しません」
「そんなことは分かっている。 いや、分かっているつもりだっただけなのかもしれないけど。 あの騒ぎも、自分の目で見たのに、現実じゃないみたいで」
 サーディは一息ついてから、不安げに俺の顔を見上げた。
「さっき、今度は、って言ったよな? あれはあれで、終わってはいないと思うのか?」
「俺もリディアも無事だったからな。 襲うことが目的だったならこれで終わりかもしれないが、奴らの望みが他にあるなら油断はできない」
 今度はできるだけ耳障りのいいように言葉を選んだつもりだった。 でも、その事実は不気味に重くのしかかってくる。 奴らのことは何一つわかっていない。 こっちは対策を立てることもままならないのだ。
 急にゼインが俺を指さす。
「そういえば、リディアさんに護衛をつけたほうがいいんじゃないか?」
 俺は、今頃気がついたのかと罵りたい気持ちをグッとこらえた。
「今はアジルがついている。 これからのことは、シェダ様とリディアに相談してみるつもりだ」
 ゼインは、ホッとしたのか、がっかりしたのか、複雑な表情で俺にうなずいて見せた。
「フォース、どうして襲われたのか心当たりはないのか?」
 バックスが珍しく真面目な声を出した。 俺は思考を巡らせてみたが、命を狙われるほど恨まれるようなことは、やはり思い出せない。
「考えてはみたけど、何も思いつかないんだ。 それこそクエイド殿が言っていた、相手の騎士を斬らないってことくらいで」
 ゼインが両手を広げて首を横に振る。
「それはないと思うけど?」
 バックスも納得できるのか、大きく何度もうなずいた。
「俺もそう思うな。 フォースがやってることと奴らがやってることの規模が違いすぎる」
 その意見はもっともだと思う。 ただの殺意なら、わざわざ姿を隠したり消したりなどという面倒なことをせずに、さっさと俺を殺してしまえばいいことだ。
「その点は私も同感だな」
 グラントさんも同意した。 これに関しては疑いの余地はないように思う。 バックスは腕組みをして眉を寄せた。
「じゃあ、リディアちゃんの方になにか原因が? って、これも考えにくいんだよなぁ」
「リディアさんに原因なんて絶対ない」
 ゼインはそう言い切った。 好きなんだか信者だか知らないが、リディアの話しになると俺に対して妙につっけんどんになる。 そしてまた不機嫌な表情で、俺と顔を突き合わせた。
「フォースがフッた女性が騎士に復讐を頼んだんじゃないか?」
 俺は呆気にとられてゼインを見返した。 そんなことが本当にあったら面白い。
「一番もっともらしい理由だがな」
 グラントさんの言葉に、思わずため息が出た。 真面目な顔でそんな話しをされたら、身体の力が一気に抜けてしまう。 いきなりバックスが忍び笑いを始めた。
「フォースに限ってはありませんね。 騎士に成り立ての頃、フォースをとある店に誘ったら、自分が脱ぐのは嫌だと断ったくらいですから」
 サーディがブッと吹き出した。ゼインもケラケラ笑い出す。
「てめ、いい加減忘れろ! その時はまだ十四だぞ!」
 もう三年も前の話しだ。 しかも何でこんな時にそんな話しを持ち出してくるんだか。
「へぇ、じゃあ、もう十七になったフォース君は誘ったら行くんだな?」
 バックスのニヤニヤした顔に、俺は冷たい視線を向けた。
「馬鹿言え、もうじゃなくてまだ十七だ。 それにそんな暇があったら他にやらなきゃならないことがたくさん」
「じゃ、俺が替わりに、行」
 俺の話を遮ったサーディの言葉に、みんなの視線が一気に集まり、サーディは驚いたように言葉を切った。 まわりの目を見回してからおそるおそる話を続ける。
「行こうかな、なんて……」
 バックスが慌ててサーディの前にひざまずく。
「絶対いけません、あなたがそんなところへ行くと後腐れどころの問題じゃなくなってしまいます。 そのまま妃にしなくてはならなくなったらどうするんですか」
 サーディは、まわりがこれほど驚くとは思わなかったのか、うろたえてごまかし笑いをしている。
「そんなに本気で止めてくれなくても。 冗談なんだから」
 バックスは安心したように、大きな息をついて胸をなで下ろした。 グラントさんは控えめな笑顔をサーディに向ける。
「あなたがおっしゃると冗談になりませんよ。 そろそろ皇太子妃になられるお方を捜していただかなくてはならない年齢になりますものを」
 サーディは、きまり悪そうに肩をすくめた。
「そろそろじゃなくて、今度の式典で候補を集めるらしいんだ。 気に入った娘がいたら話しを進めてみるとか言ってたよ。 こういうやり方は品物を選ぶみたいで嫌なんだけど、簡単に承知する娘がいるとも思えないからやってみるさ」
「断られるからやってみるんですか」
 そう言ってゼインは苦笑した。
 前にサーディが、恋愛なんてさせてもらえないと言っていたことを思い出す。 結婚も仕事のうちだと半分あきらめているらしい。 それを思えば俺にはとても笑える話題ではなかったが、バックスは口元をゆるませた。
「探してくれるっていうんだから楽でいいじゃないですか。 俺は自力で見つけなきゃならないのに」
 楽だからいいというわけではない。 バックスの言葉が妙に気に障り、イヤミを言いたくなってくる。
「遊んでばかりで探してもいないくせに何言ってる」
「どうせ探すまでもなく寄ってくるほどモテる奴にはわからないだろうよ」
 言われたほどモテるわけでもなんでもないが、バックスの言葉に、どこか何かが引っかかった。 バックスは俺に構わず話を続ける。
「それにしても、用意された娘が相手だと、迂闊にキスもできませんね」
 俺はキスと聞いてハッとした。 そうだ、あの木の場所で消えた人間はもう一人いた。 騒ぎですっかり忘れてしまっていたのだ。 俺はその人にキスをされた後、リディアを放っておきたくなくて、追うことも探すこともしなかった。 今思えば、あの状況で隠れるところは太い木の幹の陰くらいしかなかったのだが、金色の短剣や俺の短剣を探した時にはすでにいなかった。 どさくさに紛れて、あの場を離れたのだろうか。 果たしてそんなことが可能だったろうか。
「フォース?」
 バックスが腰を曲げて俺の顔を覗き込んだ。
「何か思い当たったのか?」
 俺はバックスに返事もせず、サーディの前まで行った。
「サーディ、あの時、女の人見なかったか?」
 サーディはキョトンとして俺を見上げる。
「女の人? 襲われた時のことか? いや、お前ら二人だけしか見ていないけど」
「奴らが現れる前も?」
「ああ。 だけど、上からだと木の陰になる部分が大きいから絶対とは言い切れないよ。 騒ぎになってからはそっちに気を取られて、あの場所から出て行く人がいても気付かなかったのかもしれないし」
 サーディの言うことはもっともだった。 これ以上聞いても意味はなさそうだ。
「そうか……。 そうだな」
 結局、疑問はそのまま残った。 解決を期待していなかったはずが、何も解明されないことに少しの焦りと失望を感じる。
 ゼインが気味の悪い薄笑いを浮かべた。
「女の人だぁ? ほら、そいつが犯人だ」
 それを聞いたバックスは、ケタケタとおかしな笑い声を立てた。
 今こいつらにキスの話しなんかしたら、ますます変な方向に話しが行ってしまうだろう。 こっちが真剣な時に、ふざけている奴らを相手にするのも面倒だ。 俺は彼らの騒ぎを放っておいて、グラントさんの前に立った。
「行方不明者の調査をさせていただきたいのですが」
 俺の顔を見て、グラントさんは口元に笑みを浮かべた。
「やってくれてかまわないよ。 君なら今までの視点と違ったところから調べてくれそうだ」
「ありがとうございます」
 調査を許されて、なんだか少しホッとした。 忙しければ余計なことをいろいろ考えずに済むだろうし、もしかしたら何か手がかりが掴めるかもしれない。 今はどんな小さなことでもいいから奴らのことを知っておきたい。 それは間違いなく、今度があった時のためにもなるのだから。