新緑の枯樹
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 シェダ様とリディアに正式な挨拶をするため、神殿執務室へ向かった。 サーディは城内警備室に残ったが、今度はゼインがついてきた。 ほとんど前線にも出ず、しかも割とヌケていると思うのだが、ゼインは中位の騎士だ。 俺は上位だが騎士の中では一番年下なので、誰にでも礼儀を重んじなければならない。
 聞き役に徹していた会話に、少し間が空いた。 楽しそうに話していたゼインの表情に、少し影が差す。
「なぁ、どうしてリディアさんのこと、呼び捨てなんだよ」
 予想はしていたが、やはりリディアの話しだった。 ゼインに話したいとは思わないし、今はリディアに関することで気持ちが落ち込んでいる。 できることなら話題にしたくない。
「前からの知り合いなんだ。 親同士、付き合いがあるからな」
 長い付き合いだと思われそうな口をきいて、俺は心の中で舌を出した。 リディアの母親が女神の降臨を受けていた時、その護衛が父だったそうだ。 父はいくらか行き来していたのだが、俺はずっと訪問を辞退していた。 だから初めてリディアに会ったのは遅く、しかも全くの偶然で、騎士になる直前の十三の時だ。 俺はまだ三年ほどの分だけしかリディアを知らない。
「いいよなぁ、親が偉いと。 いろいろ得なことがあって」
 ホントにゼインは気楽な奴だと思う。 親が首位の騎士で十四歳ときたら、騎士になったのは親の七光りだとでも思うのだろう。黙って従う兵士はただの一人もいなかった。 一人一人必ずと言っていいほど、剣の相手をして勝って見せなければならなかったし、不意打ちを食らうことも結構あった。 おかげで剣の腕は上がったと思うし、鎧の立てる金属音にも敏感になったが、得なんてそんなものくらいだ。
 実際リディアと会ったのは、親絡みでもなんでもない。 襲われていたのを助けたからだ。 それから父がシェダ様の家に伺う時には一緒に来いと強要されるようになった。 それでリディアに会えるようになったのは確かだが、シェダ様はまるで趣味のように俺をからかって楽しむようになった。 しかも、それはいまだに続いている。 得はあっても、損なおまけはいつも付いてきた。
 ザワザワと胸騒ぎを感じ始めた。 この廊下の壁の向こうはあの木がある場所だ。 妙な圧迫感と、壁の向こうからの視線を感じる。 ここは危険だと頭の中で警鐘が鳴っている。 なのに、すぐにでも木の側に行きたい気持ちも存在している。
「おい、どうした? さっさと来いよ」
 いつの間にか五歩ほど先にいるゼインが振り返った。 俺は急いでゼインに追いつく。
「なに壁なんかジロジロ見てんだよ」
「別に、なんでも」
「おかしな奴」
 壁の向こうにあの木があることなど、ゼインは意識もしていないのだろう。 いや、普通ならそんなことは考えもしないか。 変に過敏になっている。
 神殿警備室を通り過ぎて、神殿執務室の前で足を止めた。 ゼインは警備室へ行かずに、俺の後ろに付いてきている。 俺はノックをするつもりだった手を止め、神殿警備室の方を指さして振り返った。
「ゼイン、仕事は?」
「冷たいなぁ。 リディアさんの顔を見るくらい、いいだろう」
 ゼインは早くノックをしろと促すように、俺の背中を小突いた。 ひどくわずらわしく思ったが、断るのも面倒だったので、そのまま知らぬ振りでノックをする。
「フォースです。 ご挨拶にうかがいました」
 いくらも立たないうちにドアが開いた。 中から顔を出したのは、どういうワケかシェダ様だ。 応対するのはリディアか、そうでなければ誰か他の神官だと思っていたので、俺はいきなりのシェダ様の歓迎に面食らった。
「やぁ、久しぶりだね。 元気そうで何よりだ」
「は? はい。 このたび婚姻二十周年式典でソリストの護衛をさせていただくことになりました。 よろしくお願い致します」
 これだけはしっかりしなくてはと、俺は気を取り直して挨拶をした。 シェダ様は満面の笑みを浮かべ、敬礼をした俺の手を取り握手をした。 ポンポンと肩を叩いていた手が止まり、シェダ様は急に小難しい顔つきをして、視線を俺の後ろに向ける。
「なにか用かね?」
 呆気にとられて見ていたゼインは、条件反射のように敬礼をした。
「い、いえ。 失礼します」
 ゼインは軽く頭を下げて、神殿警備室へと向かっていった。 その背を見送って、シェダ様は俺に向き直る。
「昨日はおかげで助かったよ。 無事だったのだからこんなことを言うのはなんだが、君のことでリディアが落ち込んでいてね」
「私のことで? リディアさんがですか? どうして……」
 そういえば奴らが去った後、ブラッドが戻る前に話しをしていて、リディアの表情が一瞬悲しげに見えた。 あれは気のせいじゃなかったのか。
「ところで、まだ神官をやる気にはならんかね?」
 なぜ落ち込んでいるのか話してくれるのかと思ったら、またその話しだった。久しぶりに聞く気もするが、いまだに本気だか、からかわれているのだかサッパリわからない。 でも今回はリディアとの結婚がオプションにないので断りやすい。
「私に神官は務まりません」
「そうかね? リディアが聞いたらガッカリするだろうね」
 で、どうしてそこでリディアの名前を出すんだ? 単に茶化しているのか、それとも何か意味があるのか。 掴みかねて悩んでいると、シェダ様は俺の目の前で上を指さした。
「今、リディアに女神付騎士の部屋を掃除させている。 自宅との行き来も大変だろう。 どうせ空いているんだし、城都にいる間はそこを使ってくれ」
「ありがとうございます」
 俺が頭を下げると、シェダ様は笑顔でうなずき、執務室の方に振り向いた。
「グレイ君」
 ハイという返事と共に、グレイが顔を出す。
「案内を頼むよ。 リディアとは正式な挨拶はいらないからね」
「分かりました」
 グレイはシェダ様に丁寧な挨拶をしてから、俺に向かって親指で階段の方を指さした。
「では、失礼します」
 俺は敬礼をし、シェダ様の返礼を見てからグレイの後に従った。
 ヘマはしなかったと思う。 だが、リディアが落ち込んでいるという話しと、神官をやる気にはならんかという言葉が、妙に頭の中に残っている。 いつも俺をからかう時のノリと、少し違ったからだろうか。
「フォース、随分シェダ様に好かれてるな」
 肩をすくめたグレイに、俺は苦笑して見せた。
「ああいうの、好かれてるって言うのか?」
 グレイは可笑しそうに含み笑いをする。
「ゼインって騎士に対する態度と比べたら、一目瞭然だろう。 余計な話し一つしないんだからな」
 そう言われても、やはり俺には面白がられているとしか思えない。 まぁ、ゼインに対する態度よりは、ずっと友好的だとは思うが。
 左側の中庭への出入り口と反対側、右にある階段を上りはじめた時、リディアとアジルの何か楽しげな会話が聞こえてきた。 護衛をする時は、まわりの音にも気を配らなくてはならないため、話し込むなど論外だ。 ちょうど踊り場で二人と出くわし、リディアの笑顔がこちらを向いた。
「あ、フォース。 もうすぐ掃除も終わるから、部屋に行っててね」
 俺はリディアにうなずいて見せ、アジルの顔に目をやった。 アジルは決まり悪そうに頭を掻く。
「どうしたの? 何か怒ってる?」
 リディアは俺の顔を覗き込むように見た。
「いや、怒っちゃいないけど」
 神殿の警備の中にいるのだから大丈夫だと思いこもうとしても、俺の胸の中に払拭しようのない不安がある。 奴らは消えたのだ。 いつどこから現れるのかも分からない。
「すみません、つい」
 アジルは頭を下げた。 俺が心配していることを分かってくれていると思うとホッとする。
「行ってようぜ」
 グレイが階段を上りはじめた。 俺も後を追う。
「じゃ、頼むよ」
 すれ違いざまに言った俺の言葉に、アジルは微笑した。
「いい傾向ですよ」
 なんのことか分からずに、俺はアジルと顔を突き合わせた。 アジルの笑顔は変わらない。
「あなたにはそういうところがもっと必要だと思いますので」
 そういうところ? この不安や疑問のことか? まさか……。
「おい、フォース」
 見上げるとグレイが早く来いと手招きをしている。 俺はアジルになにも答えられないまま、グレイのところまで階段を駆け上がった。 リディアとアジルが下へ降りていく音が聞こえた。
 バルコニーのように中庭に突きだしている二階の階段ホールが目に入ってくる。 水場は中庭にある。 俺は階段を上がりながら下の音をずっと追っていた。 グレイは察しているのか、静かに、なにも話さず俺の先を上っていく。 リディアとアジルの声が聞こえないことが安心でもあり寂しくもある。 自分で護衛を頼んでおいて、嫉妬の気持ちさえ存在している。
 重たい気持ちを無視するように、三階に続く階段を上りはじめた時、歩いているのとは違う、崩れるような鎧の音がした。 何かあったのだ。 俺はグレイを置き去りにして、一度背を向けたホールに取って返し、その途中でバケツの落ちる音を聞いた。 バルコニーから半分顔を出して、下の様子をうかがう。 ちょうど真下で、男がリディアに剣を向けた。 すくんでいるのかリディアは後ろを手で探ったが動けないでいる。 俺は剣を抜きながら、その男をめがけて飛び降りた。
「フォースっ!」
 後ろでグレイが慌てたように叫び、その声で男は上を見た。 驚いた顔で剣を上に突き出したが、俺は剣身を払って逃げ腰になった男の背中に落ちた。 ひっくり返ってうめき声をたてている男に馬乗りになったまま、剣をひったくって腕を背に回し、押さえつける。
 リディアはハッとしたように、倒れているアジルに駆け寄った。 アジルの名前を呼びながら身体を揺する。 グレイが階段を駆け下りてきて、アジルの側に身をかがめた。
「グレイさん、アジルさんが」
 グレイはリディアにうなずいて見せると、アジルを調べ始めた。
「出血もしていないし、息もあるし脈も正常だよ。 気を失っているだけだと思うよ」
 リディアはそれでも心配そうにアジルを見ている。
 俺は侵入者を無理矢理立たせた。
「くそっ! 放せ、くそガキ! 信じられねぇ!」
 侵入者は首を巡らせてリディアを睨みつけた。
「俺がやらなくても他に、痛ててて」
 俺は捕まえている腕に力を込めた。 そのまま侵入者を廊下へと連れて行く。 何気なく振り返った時、グレイがリディアの肩を抱くのが見えた。
 神殿執務室から出てきたシェダ様と、ドアの前ですれ違った。 目が合うと、シェダ様は小さくうなずいて中庭へと出て行く。 侵入者はいくらかの抵抗を見せたが、両腕を取っているので楽に誘導できた。
 城とつながっている廊下の方から、ようやく警備の兵士が二人姿を現した。 二人は真っ直ぐこっちへ駆け寄ってくる。
「連行してくれ」
「侵入者ですか? 一体どこから」
「さあな」
 侵入者がどこからか湧いて出てきたのか、警備がザルなのかは分からない。 だが、この侵入者は明らかにイアンとは違う。 驚く、怒る、毒づく。 さっきの言葉から、仲間がいるらしいことも想像できる。
 俺は二人の兵士に侵入者を引き渡した。 彼らは留置場へと向かっていく。 侵入者を尋問すれば、何か分かるのだろうか。
 それよりも、今はアジルのことが気にかかる。 俺は中庭に、とって返した。
「気が付いたようだね」
 中庭に入った時、小瓶を持ってアジルの側にかがんでいたシェダ様が立ち上がった。 アジルは上半身を起こして頭を振り、目が合った俺に頭を下げる。 俺はアジルのところへ駆け寄った。
「すみません、お詫びのしようも……」
 アジルは申し訳なさそうに言った。 俺もかがみ込んで視線を合わせる。
「大丈夫か? 怪我は?」
「ないです。 いきなり当て身を食らってしまって。 それよりリディアさんは無事でしたか?」
 アジルがリディアの顔を覗き込む。 リディアはグレイに支えられたまま、ハイとだけ小声で答えた。
「よかったぁ」
 アジルは胸をなで下ろす。
「ごめんなさい。狙われているのは私なのね……」
 リディアはつぶやくような声で言い、うなだれた。 グレイは、抱いていたリディアの肩をポンと叩く。
「大丈夫、フォースが守ってくれるよ。 暇だから」
 暇だからぁ? なにも考えられず、一瞬頭の中が真っ白になる。 リディアは怒ったようにグレイを見てから、不安そうな瞳を俺に向けた。 何か言わなきゃと思ったが、言葉が出てこない。
「君に正式に護衛を頼みたいのだが」
 頭の上からシェダ様の声がして、俺は視線を合わせるために立ち上がった。
「行方不明者の調査がありますので、リディアさんを連れ回してしまうことになってしまうと思いますが」
「かまわんよ。 むしろリディアを襲ってくる奴らがその行方不明者と関係があるのなら、手っ取り早いんじゃないかね」
 そう考えるには早すぎる。 イアンとさっきの奴は、まるきり無関係かも知れないのだ。
「もし侵入者と無関係で、行方不明者が狙っているのが私だとしたら、リディアさんにその分の危険が増えてしまうことになります」
「それでも上位騎士の君に頼むのが一番安全だと思うのだが、どうかね?」
 確かに、クエイドに配置を任せたら、リディアの護衛は多分ゼインにまわるだろう。 危機回避能力がゼインにあるとは思えないので、できることならそれは避けたい。
 リディアは立ち上がって、シェダ様の神官服を引っ張った。
「でも迷惑かけちゃ」
「め、迷惑なんてことはないよ」
 俺はリディアの言葉を慌てて否定した。 シェダ様がニッコリ微笑む。
「じゃあ、お願いするよ。 手続きは神殿の方でしておくよ」
 シェダ様に肩を叩かれて、俺は半ばあきらめの気持ちでハイと返事をした。 グレイが俺に訝しげな顔を向ける。
「あんまり乗り気じゃないみたいだな」
「そんなことない」
 そう答えながら、リディアが一瞬見せた悲しげな顔が胸に蘇ってくるのを感じていた。 いったい俺の何がリディアにあんな顔をさせたのかが分からない。 このままじゃ、また同じ思いをさせてしまうかも知れない。 俺はそれが怖いのだ。 一番守りたいものを自分でぶち壊したくはない。
 アジルがゆっくり立ち上がる。 グレイと俺はアジルに手を貸した。
「それにしても、その薬は効きますね。 ほんの一口で頭がハッキリしましたよ。 まさかシェダ様が術師街で仕入れてきたなんてことはないですよね?」
 アジルの疑わしげな視線の前に、シェダ様は手にしている小さな瓶をかざした。
「これかね? これはただのスコッチだよ」
「あぁ、どうりで美味いわけだ」
 アジルはポンと手を叩いて舌を出した。 控えめだが笑いが広がる。 いくらかの緊張が身体から抜けていった。