新緑の枯樹
     ― 5 ―

「女神付きの騎士の部屋だって?」
 ゼインが素っ頓狂な声を出す。 神殿警備室に響いた声に、俺は顔をしかめた。
「なにをそんなに驚いてるんだ?」
「女神の部屋にリディアさんを寝泊まりさせるんだろ?」
 前衛の部屋を通らないと行けない部屋でリディアが生活をするのは、護衛に最善の態勢を取るためだ。 ある物を利用しない手はない。
「だからなんだってんだ」
「確かに前衛の部屋だから奥が見えないようにはなってるけど、女神の部屋との間にはドアもないってのに」
 え? ってことは、なにも隔たりがないってことか?
「だから女神付きの騎士は妻帯者じゃなきゃいけないって規則があるのに、なんでフォースが」
「でも、リディアは女神の降臨を受けているわけじゃないから、そんな規則は関係ないだろ?」
 ゼインはものすごく不機嫌な顔で、俺を指さした。
「なおさら危険じゃないか」
 そうか。 降臨を受けていないってことは、女神が去ってしまうとか、戦が厳しくなるとか考えなくてもいいってわけだ。
「……、そうだな」
 俺が返事をするなり、ゼインは俺の頭を思い切りひっぱたいた。
「なにすんだ!」
「そうだなってなんだよ!」
「ちょっと客観的に考えてみただけじゃないか!」
 身体の力が一気に抜けたように、ゼインは肩を落としてため息をついた。
「紛らわしいことを言うなよ。 リディアさんに手を出したら承知しないからな」
「馬鹿言え、俺は護衛なんだぞ? そんなことできるか。 ゼインだってリディアになにかしたら逮捕だ、逮捕」
 実際、護衛を頼まれた時、リディアに手を出すなとシェダ様に言われた気がした。 護衛に乗り気になれなかったのは、そのせいもあるのかもしれない。 まったく、俺は何を考えていたんだろう。
 ノックの音がした。 俺は膨れっ面のゼインを放っておいてサッサとドアを開けた。 そこにはグラントさんとリディアがいた。 一瞬視線があったが、リディアは目を伏せてしまった。 イヤな予感が胸をよぎる。
「ちょっとお邪魔するよ」
 グラントさんはリディアをエスコートして部屋に入り、ドアを閉めた。
「何かあったんですか?」
 俺は話しを急いだ。グラントさんはゆっくりうなずく。
「侵入者が消えたよ」
「消えた?」
 俺は思わず不躾に聞き返した。 グラントさんは訝しげに俺を見る。
「予想していたのではなかったのかね? イアンの事件の当事者である君が、そんなに驚くとは思わなかったよ」
 グラントさんは、隣でうつむいているリディアにチラッとだけ視線を向けた。
「侵入者がイアンらと何らかの関わりがある可能性が高くなったわけだ。 君はリディアさんの護衛を第一に考えてくれ。 行方不明者の調査は、できる範囲でかまわない」
 俺は不審な思いを払いきれないまま、ハイと返事だけをした。 グラントさんはそんな俺を訝るように見ている。
「なにか疑問があるのかね?」
「イアンらには表情もなく、感情の欠片も感じることができませんでしたが、侵入者は人間そのものでした。 ですから一括りに犯人グループとして見ることができないんです」
 俺はイアンの不自然さを思い起こしながら言った。 グラントさんは苦笑を浮かべる。
「まるでイアンが人間じゃないようないい方だな。 同じように消えても、侵入者は別だと思うのかね?」
「消えた状況がいくらかでも同じならば、仲間、と言うより操り人形と元締めという気がしないわけではありませんが」
 グラントさんは、手にしていた書類から二つを取って俺に渡した。
「報告書だ、読んでおくといい。 まあ、どんな可能性も考えておかなければならないことは確かだ。 もう一つは君の隊の勤務予定だ。 リディアさんの護衛の補助に、私の隊からブラッドを当てようと思う。 好きに使ってくれ。 夜は神殿警備の者を部屋の前に付けるようにする」
「ありがとうございます。 助かります」
 俺はグラントさんに頭を下げた。 個人的に護衛を頼まれたといっても、その個人が神官長のシェダ様なだけに、さすがに待遇が違う。 グラントさんはうなずいて、席に戻っているゼインの元へ行った。 リディアは緊張が少し緩んだのか、ため息をついた。 目が合うと控えめに笑う。
「疲れた?」
 俺の問いに、リディアは首を横に振った。
「私は平気。 それよりフォースのほうが」
「俺は全然。 仕事が増えてラッキーだよ」
 リディアはヒョコッと頭を下げる。
「ごめんなさい。 他にもお仕事があるのに」
「そんなこと気にしなくていい」
 俺はリディアに笑って見せた。 リディアは俺の視線を避けるように目をそらす。
「それに……、護衛でいつも一緒にいたら、あの人に悪いわ」
「あの人? って、ああ、あれ」
 思い当たるのは一人しかいない。 やはりキスを見られていたのだ。 リディアは不満そうに眉を寄せ、俺を見上げた。
「あれって、そんな言い方」
「知らない人なんだ」
 リディアの目が、驚いたように大きくなる。
「え? だって、キ……」
 リディアは上目遣いで俺を見たまま、慌てて自分で口を押さえた。
「いや、そうなんだけど、知らない人なんだ。 ボケッとしてたらいきなり……」
 どう説明していいか分からず、俺は口をつぐんだ。 今度は目をそらさず、リディアはジッと俺を見ている。
「……ホントに?」
 俺はリディアにうなずいて見せた。 横からゼインが顔を出す。
「読んだのか?」
「いや、まだ」
 リディアが信じてくれたか聞きたかった。 信じてくれたからといって、状況が変わるわけではないけれど。 書類に目を通さなくてはならないのは分かっているが、邪魔をしたゼインを鬱陶しく思う。
「サッサと読めよ。 護衛をする人間がそんなにボーっとしてちゃ、マズイだろ」
「この警備室はボーっとできないほど危険な所なのか?」
 俺は腹立ち紛れにつっけんどんないい方をした。
「かわいくないなぁ」
「別に、かわいがってくれなくていい」
 俺は書類に目を落とした。 ゼインは俺にブツブツ文句を言いながら、近くの椅子を引く。
「リディアさん、どうぞ。 座って待っていてください」
 リディアは俺と視線を合わせ、俺がうなずくのを確認してからゼインに笑顔を向けた。
「ありがとうございます」
 リディアはその椅子に浅く腰掛けた。 ゼインはグラントさんの所に戻っていく。
 俺は報告書に視線を戻した。 これを書いたのは俺が侵入者を引き渡したウィンで、同行していたのはセンガ、どちらもゼインの隊、神殿警備の者だ。
 留置所へ連行中に、その手前で消えてしまったとある。 姿がボヤケてきて、不敵な笑みを浮かべながら消えたらしい。
 やはりどこか異質な感じがする。 それに、消えるなら俺に確保されていた時の方が、よほど利点は多かったのではないだろうか。 消えるにしても、敵は少ない方がいいだろうし、もし再度現れるつもりなら、顔は知られていない方が動きやすい。
「ゼイン、ウィンとセンガに会わせてもらえないか?」
 俺はゼインに報告書を渡しながら声をかけた。 ゼインはそれを受け取って答える。
「会う? 取り調べたいのか?」
「いや、ただ話を聞きたいだけだ」
 ゼインは苦笑した。
「どう違うんだかな。 仕事中なら面倒だけど、ウィンなら今日が休みだ。 フォースが帰城すると聞いた時、いろいろ質問攻めにあったから、フォースが呼んでいると伝えれば、すぐにでも来ると思うぞ」
 また俺が騎士になったのは親の七光りだとでも思っている奴なんだろうか。 どっちにしても、俺のことをゼインに聞いたところで、たいした話を聞けちゃいないだろう。
「じゃあ、これから人事考課の資料室に行くからそっちに頼むよ」
「気を付けた方がいいぞ、ウィンは腕が立つからな」
 脅すつもりで言ったのだろうか、ゼインはニヤッと笑った。 だが俺は単純に嬉しかった。 このところ移動と事務的なことばかりで、剣を合わせたのはイアンくらいだ。 腕がいいなら絶好の練習相手になる。
「ホントか? そりゃ、楽しみだ」
「喜んでやがる」
 呆れたようにゼインは手のひらを上に向けた。 俺はリディアの所に戻った。
「行こう」
 俺が差しだした手を取って、リディアは立ち上がった。 グラントさんに向き直って敬礼をする。
「失礼します」
 グラントさんの返礼と、ゼインの苦々しげな顔を見て、俺はリディアと部屋を後にした。