新緑の枯樹
     ― 6 ―

「メナウルはシャイア神の御身体そのものなのだ。 そのためにこの土地はどうしても守らねばならん。 だから、戦に手を抜くなんぞもってのほかなのだ。 そこのところをきちんと理解していてくれなくては困る」
 俺とリディアが座っている後ろで、クエイドはうろうろしながらゴチャゴチャ言い続けている。 俺はクエイドをまるきり無視して、机の上に積んだ資料から抜き出した、四枚の身上書を見比べていた。 その資料の山に手を置いて、リディアは心配そうな顔を向けてくる。 俺はリディアに苦笑を返した。
「生まれも育ちも勤務地もバラバラだ」
「聞いているのかね!」
 クエイドが声を張り上げた。 こっちもこれ以上邪魔をされたのではかなわない。 俺は立ち上がってクエイドに向き直った。
「仕事をさせてはくださいませんか? 今は少しでも時間を無駄にしたくない」
「これはけして無駄ではない。 いいか、メナウルにとっての戦は」
 またこれだ。 こっちの話なんて聞いちゃいない。 だが俺も似たようなモノだ。 クエイドの声だけは、右から左へと抜けていくように習慣づいてきている。
 ドアの向こう側で鎧の音が近づいてくるのが聞こえてきた。 俺はクエイドの後ろにあるドアに一歩近づき、剣に手を添える。
「な、何をする!」
 青くなったクエイドが身体を引いた次の瞬間、ドアのノックの音が大きく響いた。
「ひっ!」
 驚いたクエイドが横に飛び退く。
「ブラッドです。護衛のお手伝いにまいりました」
「どうぞ」
 ドアを開き、部屋に入ってきたのは、間違いなくブラッドだ。 前に会った時と様子も変わらない。 が、その視線を部屋の隅に向け、疑わしそうに眉を寄せた。
「何してたんです?」
 振り返ると、部屋の隅にある、資料が詰まった棚の陰から、クエイドが顔だけ出してこっちを見ていた。 逃げ足がえらく早いじゃないか。
「お、脅かさないでくれたまえ」
 まったく、勝手に驚いておいて、なにを言っているのだろう。
「クエイド殿を脅したつもりなど毛頭ありません。 私はリディアさんを守らなければなりませんので」
 クエイドは少し考え込んでから、堅い、作ったような笑みを浮かべた。
「しかし、今のようなやり方は乱暴すぎやしないか? もう少し私のことも考えて動いてもらわないとな」
「私の仕事はリディアさんの護衛です。 敵が一人とは限りませんし、クエイド殿のことは二の次にせざるをえません。 今は、いつ何が起こっても不思議じゃない。 関わりにならない方がよろしいかと存じます」
 クエイドは明らかにムッとした顔をして俺の側を通り抜け、ドアの前に立った。 何か言いたそうにこちらを振り向く。
「ご用の時は、ご自身に護衛を付けていらしてください」
 俺がサッサと先陣を切った言葉に、クエイドはフンと鼻を鳴らして部屋を出て行った。 思わず大きなため息をつく。 ブラッドは、俺とクエイドの対立を知っているのだろう、冷めた笑い声を立てた。
「ホントに護衛を付けてきたりしませんか?」
「今、城都にいる上位騎士は、グラントさんと俺だけだ。 プライドの高い人だから大丈夫だろう」
 ブラッドは、なるほどとばかりにポンと手を打った。 リディアは、まだ心配そうな表情のまま、俺を見上げている。
「でも、偉い人なんでしょう? あんな風に追っ払っちゃってもよかったの?」
「あれじゃ邪魔なだけだろ」
「そうだけど、あまり角の立つやり方はよくないわ」
 リディアはそう言って苦笑した。 返す言葉が見つからない。 確かにその通りだ。 これ以上対立する種を、わざわざ増やす必要はないのだ。
「ゴメン、不愉快な思いさせちゃって」
 ブラッドは俺が謝ったことにだろう、意外そうな顔をし、リディアはクスッと笑い声を立てた。
「ううん、スッキリした」
 その笑顔に、安心したというか、気が抜けたというか。 追い出してしまうなら、角が立とうが立たなかろうが、同じような気はする。
「フォースさん、護衛のお手伝いなのですが、何をしましょうか」
 ブラッドは、穏やかな笑みが残る、少し緊張した顔で言った。 リディアと俺とのやりとりを聞いて、なごんでいたのだろう。 ちょっと癪に障る。
「俺の後方の見張りを頼むよ」
「分かりました」
 ブラッドは、リディアの隣の椅子に背を向けて立った。 俺はその椅子に座って、もう一度資料を手に取る。
「ここ一年半ほどで、騎士の行方不明者は古い順に中位騎士ラルヴァス、新人のノルトナ、上位シェラト、下位イアンの四人。 内三人が城の敷地内で忽然と姿を消している。 シェラトはどこでいなくなったか分かっていない。 資料の上では四人に共通する要素はないな」
「あのぉ、ちょっといいですか?」
 ブラッドが後ろを向いたまま声をかけてくる。 その時、ドアの向こうで微かに鎧の音がした。 それは歩いて来るというふうではなく、立っているから聞こえる、上半身の大きめなプレートがぶつかって立てる音だった。 多分ウィンだろう。俺は気を配りつつ放っておくことにして、ブラッドに先を促した。
「なんだ?」
「四人とも騎士だってことが、すでに共通する要素だと思うのですが」
「まぁな。 ……、ちぇっ、仕方ないなぁ。 移動から出張から全部調べてくれ」
「えぇ? 私が調べるんですか?」
 頭の上から声がした。 振り返るとそこにブラッドの顔がある。 俺はうなずいて見せた。
「でも、いいんですか? 後ろの見張りはどうするんです?」
 俺は、俺と向かい合わせになった椅子を指し示した。
「いいも何も、そこからでも俺の後ろ側は視界に入るだろ」
 やっと気付いたのか、あ、と声を出して、ブラッドは前に回って椅子に座った。
「そういうことは先に言ってくださいよ」
「さっき、俺とリディアのやりとりを聞いてなごんでたろ。 腹が立ったんだ」
 少し不機嫌な口調で言うと、ブラッドはごまかすように乾いた笑い声を立てた。
「それに、こういう状況は観察されているみたいでイヤだったし」
 俺はドアを指さした。 ブラッドは訝しげに首をひねる。 俺は二人と顔を寄せた。
「あいつもだけど」
 俺はそうつぶやいてから、音を立てないように立ち上がった。 そっとドアに近づき、勢いよく開ける。 そこに立っていた兵士は、驚いたように目を見張り、それから堅い笑みを浮かべた。
「気付いていましたか、失礼しました。 ウィンです。 フォースさんが話しを聞きたいとのことでしたので」
 俺は部屋に入るようにと促した。 ウィンは俺と視線を合わせたまま軽く頭を下げて入室すると、座ろうという気配も見せず、そのまま俺に向き直った。 初っ端からやる気満々だ。 このままじゃ、質問の答えが真っ直ぐ返ってくることはないだろう。 俺は近くの椅子を引いて、その向かい側の椅子に腰掛けた。 ここからだとリディアとブラッドも見える。
「まず、掛けないか? 突っ立ったままじゃ、落ち着いて話もできない」
 ウィンはチラッと椅子に目をやって、また俺に視線を戻した。
「失礼します」
 ウィンは椅子に腰掛けると、しっかり俺と向き合う。 これは本当に話しどころじゃないかも知れない。
「侵入者の話を聞きたくて呼んだんだけど、あまり話す気はないみたいだな」
「最初から疑ってかかられると、こちらも素直に話す気にはなれませんよ」
 ウィンは微かに笑みを浮かべる。 俺は苦笑した。
「俺が疑っている? あなたの何を?」
 消えたという報告を疑われていると思ったのか。 これだけ神経過敏になるのは、本当に嘘だからかも知れないなどと、ふと思う。 ウィンは一瞬目をそらしてから俺に冷笑を向けた。
「いや、疑っているのは私の方かもしれませんね。 会っていきなり信頼はできませんでしょう。 剣を合わせたことがあるとでもいうのならともかく」
「なにも信頼してくれとは言ってないよ。 ただ、侵入者が消えた時の状況をあなたの口から聞きたかっただけだ」
「フォースさんは話を聞くだけでことは済むのでしょうが、私には疑われているようで苦痛です」
 ウィンは、やはり俺と腕比べをしたいらしい。 まぁ、こっちも最初からそのつもりではあったのだが。
「話すのに信頼がいるって言うのなら、やる?」
 俺は剣を鞘の中で少しだけ動かし、カチャッと金属がぶつかる音を立てた。
「自分より弱い騎士なんて認められないってんだろ? 俺はこれが信頼につながるとは、あまり思えないんだけどね」
 ウィンは意外だとでも思ったのか、眉を上げてホォッと口先を丸くする。
「いいんですか? こうも簡単に受けてくれるとは思っても見ませんでしたよ」
 ウィンはサッサと立ち上がった。 何気に口元がゆるんでいる。 よほど自信があるのだろう。 望むところだ。
 俺とリディア、ブラッド、ウィンの四人は、人事考課の資料室を出て、すぐ側にある小さな中庭へのドアをくぐった。 ここなら、あの木のある場所とは離れているし、動けるだけの空間もある。 壁には練習用の剣も掛けられていて、自由に使えるようにもなっている。
「コレでやるんですか?」
 ウィンは練習用の剣にチラッと目をやった。だが、それを使う気はないように見える。
「いや、消えた奴らがいつ現れるかも分からない、自分の剣でいいだろう」
 俺はリディアとブラッドに、背中を城壁に預ける態勢で待つように伝えた。 リディアは、俺が剣を合わせるのを今まで何度か見ているせいか、普段通り、あまり怖がっている様子もない。 ただ、気を付けてと言って、少しだけ笑みを見せた。
 俺はウィンと対峙した。 始まりの合図に、お互い軽い礼をしてから腰の剣を抜き、前に差しだして剣身を一度ぶつける。
「じゃ、遠慮なく」
 ウィンはそれだけ言うと、間を置かずに斬りかかってきた。 その剣身を素直に受け流し、様子を見るために型通りの攻撃と防御を繰り返す。 ウィンの攻撃は特に重いわけでもなく、早いわけでもない。 ただ、人より少し器用な気がした。
 ふとウィンが冷笑を浮かべた。 しっかり受けたつもりの剣が流れ、思わずアルトスの顔が頭に浮かぶ。 そのまま剣を流しきって、俺は少し間を取った。 アルトスと同じ剣技? まさか。 だがひどく似ている。 刃が流れる時の力がもっと強ければ、アルトスの攻撃と同じになるかも知れない。
 どっちにしても、ウィンも今まで様子を見ていただけらしい。 面白い。 どうして剣が流れるのかじっくり見て、ついでに練習もさせてもらおう。
「笑っていられなくなるぜ」
 俺の思いが顔に出たのか、ウィンは腹立たしげに顔をゆがめた。 こんな時に笑うのは悪い癖だと思うが、それがウィンを挑発できたのならラッキーだ。
 その剣を受けるにつれ、剣身がどっちに流れても、自然に流しきることを体が覚えていく。 俺が申し訳程度の攻撃をするだけで、受けに徹していたため、ウィンはだんだん疲れてきたようだ。 こっちはその分、少しずつ見る余裕も出てくる。
 そしてついに見えた。 インパクトの瞬間、剣にほんの少しひねりが入り、そっちに剣が流れる。 もう一度。 そうか、そういうことか。 間違いない。 ほんのわずかなズレが、予期せぬ方向へ流れる力になっていたのだ。
 理論が分かると、次にどう攻撃すべきかが見えてくる。 とにかくやってみるに限る。 俺は流れる剣をその方向に力を込めて振り払い、ウィンの体勢を崩した。 そこにウィンの真似をして、ひねりを加えた一撃を浴びせる。 ウィンは、受けたはずの剣身が流れてヒヤッとしたのか顔色が変わった。 体勢が完全に崩れた剣の柄は、絶好の的になる。 俺はそこを突き上げた。 手を離れた剣は、ウィンの後ろに飛んで地面にザッと突き立った。 アルトスの力で攻撃を受けたとしたら。 それでも同じように剣身を振り払えるだろうか。
 呆然として俺から目を離せずにいるウィンの横を通り抜け、俺は土に潜った剣先を引き抜いた。
 ウィンの剣技は間違いなくアルトスのそれと同じだ。 ライザナルからの移民だとか、逃亡兵だったとか、もしくは今現在諜報員だということも充分にあり得る。 とにかくウィンには、どこかに必ずアルトスとの接点があるはずだ。 今暴いてしまうよりも、やはりウィンの行動や交際範囲を観察するのが得策だと思う。 俺は、こちらが警戒していることを悟られないように、ウィンに剣を手渡した。
「ありがとう。 面白かったよ」
「面白かった? いや、そんなことより、どうしてフォースさんがこの攻撃を知ってるんです?」
 ウィンは訝しげに俺を見ながら、手にした剣をクイッとひねって見せた。 そう、アルトスの剣技だからこそ、ウィンは不思議に思うのだろう。
「今、あなたに習ったじゃないか」
 驚いたようにウィンは目を見開き、あきれ返ったか、何かをあきらめたかのように首を横に振った。 俺はウィンが剣を鞘に納めるのを見てから、剣を腰に戻した。
「調べたいこともあるし、資料室に戻ろう。 話を聞かせてもらえるよね?」
「ええ、お話ししましょう」
 ウィンはそう言うと、サッサと城の中へとドアをくぐっていった。
 俺がリディアのところまで行くと、リディアはいつものように笑顔を向けてくる。 こんな風に剣を合わせた時もだ。 信頼してくれているから変わらずにいてくれるのか、どうでもいいことだから変わらないのか。
 いったい俺は、なんでまたこんな時に、余計なことを考えているんだろう。 わざわざ落ち込んでいることに自分で呆れる。
 ウィンは敵かもしれない、気を許してはいけない。 暗に気を引き締めつつ、俺はリディア、ブラッドと一緒に、資料室へと向かった。
 ウィンはもう部屋に入って待っていた。 ウィンには椅子に座るように促し、ブラッドには調べ物の続きをするよう、リディアには必ず見える場所にいるよう指示をした。 リディアがブラッドの向かい側に座って手伝い始めたのを見て、俺はウィンと向き合った。
「報告書は読ませてもらったよ」
「では、他に話すことなど特にありませんが」
 だからてめぇの口から聞きたいんだって言っただろうと、心の中で悪態をつく。
「消えた、のあたりを、詳しく聞きたいんだ」
「はぁ」
 結局最初と何も変わっていない。 話す気はないらしい。 だとしたら、聞き出せるだけ聞き出すまでだ。 どこかでしっぽを見せるかも知れない。
「姿がぼやけてきた時は、まだ連行している最中だったんだろう? 消える時、押さえた腕はどんな感じだった?」
「身体が透け始めて、驚いて手を放してしまいましたので、どんなと言われましても」
 ウィンは、慎重に言葉を選ぶようにしてボソボソと声にする。
「じゃあ、透け始めた時は、まだ腕を掴んでいたってことだよね? なにか変化は?」
 ウィンは難しい顔をして考え込んだ。
「掴んでいたはずなんですが、正直、手の感触までは覚えていないんです」
 本当に正直だかどうだか。 掴んだ腕が、ふと無くなったり、だんだん消えていったりすれば、気味の悪い体験として記憶に残らないはずはないと思う。
「その時、周りに人はいたか?」
「いいえ、いませんでした」
「他になにか気付いたことは?」
「いえ、何も……。 すみません」
 このまま知らぬ存ぜぬで通されると、こっちの方が腹を立ててしっぽを出しそうだ。 実際、ウィンはライザナルの人間ではないかという疑問の方が大きくて、消えたことに関する質問に支障が出ている。
「いや、実際目の前で消えられたら、俺だって冷静じゃいられないだろうからな」
 俺は大きくため息をついて、ウィンに笑顔を向けた。
「休暇なのに、わざわざ来てくれてありがとう。 参考になったよ」
 違う面で、と思いながら、それはまだ言葉にはできない。俺は立ち上がってウィンに敬礼を向けた。 ウィンも席を立って返礼したが、何か言いたそうにその場を離れないでいる。
「なにか?」
「不躾な質問かもしれませんが。帰城してまでリディアさんの護衛というのは、何か訳ありで?」
 ウィンは疑問をぶつけてきた。 そういえば、ウィンが俺に興味を持っているとゼインが言っていた。
「たまたま帰城した時に護衛の仕事があった。 それだけだよ、訳なんてない」
 ウィンはハァと、気の抜けたような返事をした。 本当のところ、何を知りたいんだろう。
「今、神殿警備に就いているアジルなら、俺のことはよく知ってる。 俺への好奇心なら、彼と話すだけでだいたいのことは解消されると思うよ」
 そう、アジルなら支障なく、上手く話してくれる。 詮索されることを嫌う俺が紹介したとなれば、それ相応に疑問も持ってくれるだろう。
「もう一つ、いいですか?」
 俺はうなずいて、どんな質問を向けられるかとウィンの言葉を待った。
「行方不明者には、他にも共通点がありますよ。 四人ともなかなかの二枚目なんです。 あなたも気を付けないと」
 ウィンは、言葉に詰まった俺に笑顔で敬礼をして部屋を出て行った。 ブラッドが机に向かったまま肩をすくめる。
「言われてみればそうですよね。 みんなわりと整った顔立ちをしてる。 リディアさん、どう思います?」
 ブラッドは身上書に付いている肖像をリディアに向けた。 リディアは少し首をかしげてその肖像に見入っている。
「そうかも。 どの人もモテそうだわ」
 俺はリディアの言葉に関心がないふりをして、ウィンの履歴が載っているゼインの隊の資料を探しにかかった。
「だけど、そんなモノは彼らのつながりに、なりえないだろ? 顔がいいから仲良くしましょうってか?」
 俺の腹立ち紛れの言葉を聞いて、ブラッドはケラケラと笑い出した。
「で、もっといい男をやっつけようって思ったんでしょうかね」
 怒っているはずが思わず吹き出し、あまりのバカバカしさに可笑しさがこみ上げてくる。
「ふざけんな! ったく」
 半分笑いながらの俺の一喝にすいませんと謝り、ブラッドは笑いをこらえながら資料に目を落とした。
 俺は、リディアとブラッドに何を調べているのか分からないよう、少し離れた机に資料を置いてページをめくった。 ウィンの履歴はすぐに出てきた。 そこには生まれがアイーダで、十歳からは城都を離れていないという簡潔な記述があった。 それが本当なら、あの剣技はアルトスのモノではないことになる。 だが、そんなはずはない。 あれは間違いなくアルトスの剣技だ。 だとしたら、やはりこの履歴は作られたものということになる。
 リディアが立ち上がった。 俺はサッサとゼインの隊の資料を棚に戻した。 こちらに来ようとして、リディアは棚からはみ出した薄い資料にぶつかった。 その側にあった何冊かの資料が床に落ちる。 リディアはそれを拾おうとして屈み込み、なぜかそのまま資料に見入っている。
「どうした?」
 俺は近づいていって初めてリディアの身体が震えていることに気付いた。 駆け寄って片膝を突き、リディアを覗き込む。 血の気が引いた唇から、つぶやくように言葉が漏れてくる。
「フォース、これ、この人……」
 俺は、リディアの白い指が指し示した資料に目をやった。 その肖像は、イアンと一緒にいた奴の顔をしていた。
「こいつ、あの時の! 名前と所属は?」
 俺はその資料を拾い、読みあげながら所属を探した。
「名前はミューア、ゴートに家があって」
 リディアが俺の腕を引っ張って、首を横に振った。 長い髪が輝きを含んで揺れる。
「違うの、生年月日が……」
「えっ? 百年前だぁ? そんな馬鹿な……」
 言われて見たその欄には、今からピッタリ百年前の年数が書かれていた。 思わず呆然としてリディアと見つめ合う。
「肖像ですよ? 鏡じゃないんですから。 それに、そっくりな子孫がいるのかもしれないじゃないですか」
 ブラッドは資料を前にしたまま、頭だけ上げて言った。 確かにそうかも知れない。 あれが本人な訳がないのだ。 他人のそら似でこれだけ似るのは珍しいだろうから、子孫というのは当たっているかも知れない。 幸いゴートなら日帰りが可能だ。 俺は心を決めた。
「ゴートに行こう。何か掴めるかもしれない」