新緑の枯樹
     ― 8 ―

 ゴートは思ったより静かだった。 家と家が離れて建っているせいか、まるで別荘地のようなたたずまいだ。
 いくつかの家を通り過ぎると、小さな店が見えてきた。 あまり大きくない店だが、この町ならこれで充分足りるのだろう。 店番でもしているのか、その前で編み物をしている人がいる。 俺は馬を下りて手綱をブラッドに任せ、リディアと一緒にその人に近づいた。
「すみません、このあたりにミューアという騎士の家はありませんか?」
 チラッとこっちを見ただけで、その人はまた手元に視線を戻して編み物を続ける。
「幽霊でも見に来たのかい?」
 幽霊と聞いて、俺とリディアは顔を見合わせた。
「遊び半分で、あんなところに入っちゃいけないよ」
 遊び半分? この鎧を見ても遊びに見えるほど、俺はガキに見られているんだろうか。
「いえ、仕事で調査に来たんです。 知っていらっしゃるなら、家の場所を教えていただきたいのですが」
「仕事だって?」
 編み物の手を止めて、その人は初めてじっくりこっちを見た。
「じゃあそれ、ホントにあんたの鎧なのかい?」
 顔が引きつったかもしれないが、俺はなんとかハイと返事をした。 その人は立ち上がって俺の目を覗き込んでくる。
「その目の色、もしかしてルーフィス殿の息子さんかい?」
 目を覗き込みながら近づいてくる顔を避けたくて、俺は手のひらをその人に向けて後ろに下がった。
「そ、そうですけど、あの、あんまり側には」
「そんなに怖がらなくても、彼女の前でキスしたりしないよ」
 そういうとその人は豪快な笑い声をたてた。 なんてまた微妙なことを言うんだ、この人は。 ふと見ると、リディアは一生懸命笑いをこらえている。 悲しそうな顔をされるよりはいいが、この人に感謝なんて絶対しないからな。
「で、あの、幽霊ってミューア本人のですか?」
 俺は、まだ笑っているその人に声をかけた。 その人は仕方なさそうにため息をついて、真面目な顔つきになる。
「他に誰がいるんだい? 城のどこかで亡くなったんだろうね。 ようやく骨まで朽ち果ててやっと家に戻ってきたんだろうって話しさ」
 なんだか、もっともらしくて嫌な話しだ。 でも、城内に骨が見つからないほど使われていない場所なんてなかったと思う。
「家には他に家族が? 配偶者とか、子供とか」
「たしか、ご両親が二人で帰りを待っていたとは聞いたよ。 もっとも、とうに亡くなっているから今は廃屋だけどね。 夜中に窓がボォっと明るくなったとか、足音やドアの音が聞こえたとかって噂だよ」
 明かりや物音は、単に人が隠れている可能性もある。 いくら気味が悪いからといって、ここまで来て寄らずに帰るわけにもいかない。 子供がいたかくらいは調べなければ。
「それで、家はどこに?」
「やっぱり行くのかい? この道の先、町のはずれさ。 大きな邸宅だし、この道沿いじゃ廃屋は一件だけだからすぐに分かるよ」
「そうですか。 ありがとうございます」
 俺はていねいに挨拶をした。 その人は俺の肩をポンポンと叩く。
「いいんだよ。 気を付けてお行きよ。 幽霊は剣じゃ切れないだろうからね」
 気味が悪いが、真理かもしれない。 俺はもう一度その人に軽く頭を下げた。 不安げな顔のリディアを促してブラッドのところへ戻る。
「幽霊には見えなかったわ」
 リディアはつぶやくように言った。
「昼でしたしね」
 ブラッドも考えられないといった風に首を横に振った。
 確かにあれが幽霊だとは思えない。 剣も合わせたし、蹴り飛ばしもした。 剣と鎧だけが本物だったとしても、首筋を剣の柄で殴った時にも手応えはあったのだ。
「あれは幽霊なんかじゃない。 行こう」
 俺は馬にまたがってリディアを後ろに乗せた。 ブラッドも浮かない顔で馬に乗る。
「でも、その家にいるってのは、幽霊かもしれませんよね」
 冗談じゃない。 そんなモノ、真っ昼間からいてたまるか。
 嫌な気分を抱いたまま、通りを進んだ。 ひっそりと湿ったたたずまいの屋敷が見えてくる。 それがミューアの家だと、すぐに分かった。 雑草は茂っていたが、家自体は造りがいいのか、思っていたほど荒れているようには見えない。 俺は騎乗したまま敷地内に入り、馬をつないでおけそうな立木の側まで行ってから馬を下りた。
「見せ物の幽霊屋敷よりは物々しくないですね。 どこから入ります?」
 ブラッドは手綱を木に縛り付けながら屋敷を見回している。
「別に、正面からでいいだろう」
 俺はリディアを連れて玄関へ向かった。 扉はカギも掛かっておらず、ギギギときしんだ音を立てながら、それでも思ったよりは簡単に開いた。 重たい空気が身体を包み込んでくる。
 そこは広いホールになっていた。 真ん中から二階に向かって階段が伸び、その二階部分の壁が大きな窓になっているので、思ったよりも明るい。 しかも床にはホコリを踏んだ足跡がたくさんついている。 その足跡はホール中央に集まり、そこから八方に散っている。 幽霊を見に来た奴らの残骸なのだろう。 リディアが後ろから俺の袖を引いた。
「あそこに」
 リディアが指をさしたそこには、騎士の鎧が飾ってある。 そこへ行こうとすると、リディアはもう一度袖を引っ張った。
「動かないわよね?」
 その言葉に思わずゾッとする。
「不気味なこと言うなよ。 こういうことは考える前にやっちまわないと」
 俺はサッサと鎧に近づいた。 リディアは俺の袖を掴んだままついてくる。
「下位の鎧だ。 今のとあまり変わらないな」
 俺はノックをするようにコンと胸のプレートを叩いた。 乗っていたホコリがゆっくり落ちていく。 リディアの後ろから、ブラッドが鎧を覗き込んだ。
「あの時の鎧は中位のでしたけど、体型もこんなもんでしたよね。 それに、今思えば古かったような……」
「でも、ミューアが生きているはずはない。 だったら他の誰かってことだろう。 とりあえず子孫とか、親類縁者に関すること、なんでもいいから探そう」
 そういうモノが一番ありそうなのは書斎だ。 だったら上の階から探した方が早く見つかるだろう。
「上から、だな」
「そうですね」
 同じことを考えたか、ブラッドはそう返事をして、早く行ってくださいとばかりに道を空けた。 俺はブラッドの前を横切って、幅は広いが、踊り場がないためか傾斜がきつく見える階段を上りはじめた。 上に行くにつれ、二階ホールの左右、直射日光を避けるためか窓の端から少しへこませた壁に肖像画が見えてくる。 右はミューアだ。 左は両親? リディアはミューアの肖像を見上げた。
「新しく肖像を見るたびに、本人だったような気がしてくるわ」
 賛同したくても、それを認めることほど気味が悪いことはない。 俺は何も言えずにドアへ向かった。
 思考を意識的に麻痺させたまま開けたいくつか目のドアで、書斎らしき部屋にたどり着いた。 中央に大きめの机が置かれ、その上にはペンやインク壺がのっている。 その後ろ、二台の棚には本が整然と並べられていた。
 中に入って、俺は机の物色を始めた。 リディアは本棚を眺め、ブラッドはドアの側にある小さめの棚を覗いている。 一段目の引き出しをしめて二段目を開けた時、そこにアドレスの並んだ紙を見つけた。
「住所録だ」
 俺は机の上にそれを置いた。 リディアはこちらを振り返り、ブラッドは棚にあった分厚い本を持ったまま頭を寄せてくる。 最初のページはゴートばかりだ。 次のページの中ほどに一行開け、その下に違う住所が並んでいる。 しかし、そこからすべての名前には、丁寧に所属が書かれていた。 どうも騎士や兵士の住所らしい。
「親戚らしいのは一つも無いな」
「二階のホールに、あんな風に肖像画を飾るのなら、家族みんなの肖像を飾ると思うわ。 奥さんがいないんだもの、子供もいないのよ。 きっと……」
 リディアの顔色が、心なしか青く見える。
「でも奥さんがいなくても、子供は作れるだろ?」
 言い終わるか終わらないかのうちに、リディアは俺をどついてツンと後ろを向いた。
「やだもう! 信じらんない!」
「なに怒ってるんだよ」
 俺が眉を寄せると同時に、ブラッドがブッと吹き出した。
「どこで子供作るんですか」
「ええっ? 俺がそんなことするだなんて言ってないだろ!」
 カランとドアの外で何かが転がって音を立てた。 思わず三人で身体を硬直させ、息を潜める。 今の音はドアの左だ。
「今の、なに?」
 静寂に耐えられないといった風に、リディアは小声で言った。 俺は喋るなと首を横に振って見せた。 不用意に立てた音なら音を立てた主は左にいるだろうが、今の音は何か投げて転がった音だ。 明らかに左に注意を向けるよう誘っている。 俺は音を立てないように剣を抜いてドアの右側の壁に近づき背を当てた。 ここから見た限りでは、ドアの左には誰も見えない。 人がいるならこの壁の向こうだ。
 俺は手振りで、ブラッドが手にしている本を壁にぶつけてくれるよう頼んだ。 体勢を低く整えてそれを待つ。 できればそこにいるのが幽霊じゃないことを願う。
 バンという盛大な音と共に飛び出した。 そいつは一瞬身をすくめてから剣を振り下ろし、俺はその剣を余裕で受けることができた。
 目の前に、神殿でリディアを襲った奴の顔がある。 その顔は目を見開いてから苦笑いを浮かべた。
「あん時のガキか! 脅しとハッタリだけは相変わらずだな」
「でも、あんたは消えられないだろ」
「どうかな」
 俺は受け止めていた剣を、腹立ち紛れに思い切り払って突きに出た。 奴は後ろに飛んでそれを避ける。
 攻撃を仕掛けながら、どうしてリディアを狙うのか聞き出さなければいけないと思う。 だったらサッサと優位に立たなければならない。
 奴の剣技はあまり巧いとは言えない。 最初の一撃で俺を切れると思っていたのだろう、奴は焦りを見せ始めた。 敵は一人とは限らないので、俺はドアを一つ超えるごとにそれを蹴り開けて人がいないのを確かめた。 俺に余裕があることに恐怖でも覚えたか、奴はだんだん逃げ腰になってきている。 こっちから仕掛けようとすると、奴は後ろに下がって体制を整える。 すぐ後ろは階段だ。
「いったい何が目的だ」
 俺は少しずつ間を詰めた。 奴はジリジリ下がっていく。
「何がだって? 分かってるんだろう?」
 そう言うと奴は嘲笑といったような笑みを浮かべた。 分かっている? 何をだ? 俺が本気で思い付けないのを悟ってか、奴から笑みが引いていく。
「本当に分からないのか? じゃあ、お前はいったい何のために……」
 奴は眉間に縦皺を寄せると、意を決したように身を翻した。 階段を駆け下りるつもりだったのだろう。 ところが奴は、膝を階段の手すりにぶつけ、体勢を崩したと思うと、盛大な音を立てて頭から階段を落ちていく。 俺はその手すりを滑って間に合いそうな場所で飛び降り、身体をぶつけて奴を止めた。 だが、もうほとんど下まで落ちてしまっている。 途中まで剣を放さずに持っていて刃をぶつけたのか、首も切れていた。 出血がひどい。 これでは助からないだろう。
 俺は味方の兵にするように、そいつの半身を抱き起こした。
「おい、しっかりしろ!」
 声をかけると、奴はいくらか目を開けて俺に手を伸ばしてきた。 奴の顔に、なぜか笑みが浮かぶ。
「クロフォード陛下……」
 消え入りそうな声だが、一文字ずつしっかり声にしてそう言うと、差し伸べていた腕がパタッと落ちた。 その身体から力が抜けてズシッと重みが増す。 その腕を取り脈を確かめてみたが、もう動きはなかった。
 クロフォード。 それはライザナルの皇帝の名前だ。 間違いない、こいつはそう言った。 俺を見間違えるのか? とんだ忠誠心だな。 ……、いや違う。 命を落とす時にさえ、なお、名を呼んだんだ。 この人は心からライザナルの皇帝を敬愛していたのだろう。 ライザナルのために、最後までライザナル人として生きたのだ。 国は違っても、その思いはすごいと思う。 俺がこんな風に死ぬ時が来たら、なにか言うのだろうか。 誰かの名前を口にしたくなるだろうか。
 リディアとブラッドが階段を降りて来た。 俺はブラッドに手伝ってもらい、階段の下に遺体を横たえた。
 リディアは黙ってついてきて、遺体の横にひざまずいた。 彼の手を胸に組ませ、シャイアの祈りを捧げる。 もしかしたら取り乱すのではと思ったが、リディアは俺の想像以上に神殿の人間になっているようだ。
 俺は複雑な思いでリディアの祈りの声を聞いた。 彼はライザナルの人間だから、シェイド神を信仰していただろう。 彼にとっては意味のないことかもしれない。 それと、これはたぶん嫉妬だ。 戦場で死ねば、こんな風に祈りを受けるなんてことはできないだろう。 ましてやリディアにはなおのことだ。
 祈りを終えて立ち上がったリディアに、ブラッドは当惑した表情を向けた。
「命を狙われたんですよ? もしかしたらライザナルの人かもしれないのに」
「でも、同じ命です」
 無表情に見えるリディアの瞳から、涙が一筋だけ流れ落ちた。 同じ命。 そう、分かっている。 それを奪ったのは他でもない、俺だ。 あんな風に追い込まなければ、彼は階段から落ちなかったかもしれない。 でもどうすればよかったのか、俺には分からない。
 神官と騎士は、人を守るという点では同じ仕事だ。 だが、その内容はあまりにも両極端だ。 騎士は心まで傷つけないと守ることもできないのか? 神官がそうするように、騎士では心を守ることはできないのだろうか。 だとしたら、こうして罪を重ねていく限り、リディアの救いにはなりえない。
 リディアと目があって、俺は思わず視線をそらした。 神殿を目の前にした時の罪悪感と似た思いが沸き上がってくる。 俺はジッと死体を見つめているブラッドの肩を叩いた。
「ここにいてくれ。 下の部屋を全部見てくる」
「え? でも」
「助けに出てこなかったんだ、もう誰もいないさ。 何かあったら呼んで」
 サッサと逃げようとした俺の腕を、リディアが掴んだ。
「ありがとう」
「何が?」
 俺はリディアの言葉に思わず強い口調で返した。 リディアはその声に驚いたように手を引いてうつむく。
「助けてくれたから……」
 助けた? でも、心は傷つけたんだ。 人が死んだから、殺傷沙汰なんて見せたから、だから泣いたんだ、涙が出たんだろ?
「すぐ戻る」
 俺は階段下右のドアを開けてホールを後にした。 目についたドアを片っ端から開けていく。 角を曲がって、またドアを開ける。 頭の中は空っぽだ。 何も考えたくなかった。 今襲われたりしたら、なんの抵抗もなく斬られてしまうかもしれない。 それでもいい気がした。
 突き当たり一つ手前のドアを開けたとたん、突然目の前を影がよぎった。 条件反射のように剣に手をかけてから、それがネズミだと気付く。 冷や汗が出た。
 ここは台所のようだ。 火を使った後がほこりをかぶっていない状態で残っている。 ネズミがいたってことは、なにか餌があったということだろう。 あいつはここに隠れ住んでいたに違いない。
 あいつはライザナルの人間だった。 そう、普通の人間だ。 消えたと言ったのは、たぶんイアンの事件に乗じてのことだ。 消えるなんてことが嘘だったのなら、あいつを逃がしたウィンも十中八九ライザナルの諜報員だろう。 もう一人は、確かセンガとかいう名前だった。 最初から仲間なのか、懐柔されたか。 脅されて片棒を担がされたとも考えられる。
 問題はもう一つの方だ。 ウィンらと関係がないとしたら、イアンらは、あれきり何も起こしていないということだ。 神出鬼没の何者かに狙われたということについては、何も変わっていない。
 俺はいったい何をやっているんだ? 罪を重ねてリディアに嫌われるのがそんなに怖いのか? こんなことをしていて、もしもリディアに何かあったら? とにかく生きていてくれなくては、あの笑顔を見ることさえできなくなる。 それが俺に向けられた笑顔じゃなくても、俺にとっては大切な宝物なんだ。 全部手放してしまったら、一番後悔するのは俺だ。 こんな胸の痛みなんか、比べものにもならないほどの悔いが残るだろう。
 俺はこれが最後のドアだと思い、通路突き当たりにあるドアを蹴り開けた。 とって返そうとした足元に、剣の切っ先が降ってくる。 反射的に飛び退いて剣を抜こうとし、その相手を見て呆気にとられた。 そこにいたのはブラッドだ。
「す、すみません! てっきり幽霊か何かだと思って」
 平謝りのブラッドの方に乾いた笑いを向けてドアを出ると、そこは階段下、入った方と反対側の左のドアだった。
「あ、あれ? 俺、ぐるっと回ってきたのか?」
「そうみたいですね」
 ブラッドはあきれ顔でため息をついた。 リディアが側に来て、心配そうに俺を見上げる。 シャイアの祈りを唱えていた時の顔とはまるきり違う、いつものリディアだ。
「大丈夫?」
「平気だよ。 そういえば角を左に二回曲がったような気が……」
「曲がったような気がって、何考えてたの?」
 何って、そんなことを聞かれても絶対に言えない。
「ゴメン、脅かしちゃった?」
「ものすごーく!」
 リディアはそう言って口をとがらせる。 俺は思わず苦笑して、リディアにどつかれた。
「悪かったって。 もう帰ろう、これ以上は何も……、なくていいや」
 音を上げた俺に、リディアとブラッドが反論するはずもなく、三人でサッサと外に出た。 ドアを閉める時、嫌でもあいつが目に入る。 ブラッドは暗く寂しげな顔をした。
「帰ったら処理の要請が必要ですね」
「ああ。 しかもまた報告書だ」
 馬をつないでいた手綱を外し、その場で騎乗する。 リディアを後ろに乗せて門まで行き、手間取っているブラッドを待った。 振り返って家を見ると、正面に日が当たっているせいか、入った時よりもずっと立派な豪邸に見える。 だが、幽霊さえいない、帰る人もない家だと思うと、目にひどく物寂しく映った。
 ブラッドがこちらへ来るのを確認し、門を出て城都方面へ馬首を向ける。
 ミューアの幽霊がいてくれた方が、まだよかったかもしれないと思う。 幽霊なら殺さずにすむ。 と言っても、こっちが殺されてしまうのではたまらないが。
 あいつの声が、まだハッキリと耳に残っている。
(何がだって? 分かってるんだろう?)
(本当に分からないのか? じゃあ、お前はいったい何のために……)
 あいつはここに隠れて、いったい何をくわだてていたんだろう。
 分かっているんだろう。 そんな風に言えるほど、簡単な理由なのか。 いったいそんな理由がどこにある?
 俺が何のために。 何をしている、か? リディアの護衛のことだろうか? だとしたら、俺が何のためにリディアの護衛をしているかってことか?
 そうか! もしかしたら、奴らはリディアにシャイアが降臨したと勘違いしたのかもしれない。 上位騎士がいきなり前線から戻って見習いのソリストと接触したり、偶然にでも守るような形になったりしたら、そう思われても不思議はない。 降臨した人間を殺してしまえば、また降臨があるまで時間を稼げる。 ライザナルにとっては、一番最初に打てる手なのだ。
 背中から何度目かのため息が聞こえた。 振り返ると一瞬だけ視線が合ったが、リディアは目をそらすようにうつむいた。 その表情は、瞳の色がいつもよりも深く潤んでいて、ひどく悲しげに見える。
「リディア?」
 俺はリディアを覗き込むように見た。 リディアは何度か唇を動かしかけてから、ようやく言葉を口にする。
「私のせいね……、あの人が死んだの」
 その言葉にドキッとした。 俺が罪悪感を持ったのと同じように、リディアは自分を責めていたのだ。 リディアは俺のしたことに対して涙を流したのではなかった。
「なにバカ言ってる、俺が殺したんだ」
「フォースは私を助けてくれただけだわ。そうじゃなくて、何か訳があって狙われたのは私で、だから」
「それは違う」
 リディアはうつむいたまま目を見開いて、そのまま驚いた顔をこちらに向けた。 そう、リディアの罪悪感はたぶん見当違いだ。
「狙われたのはシャイアだ。 リディアは降臨を受けたと勘違いされただけだよ」
「どうしてそんな……」
 当惑したように、でもそうであって欲しいように、リディアは俺を見つめた。
「たぶん間違いない。 帰ってウィンに聞けばハッキリするさ」
 リディアは、小さくため息をついて目を閉じた。
「疲れた? 少し休もうか?」
「でも、早く帰って眠りたいの。 なにも考えたくなくて……」
「それなら眠っていけばいい。 前なら落とさないから。 嫌か?」
 リディアは、ほんの少しの笑顔を見せて首を横に振った。 俺は馬を止めてリディアを抱き上げ、前に移動させて腕の中にそっと包み込んだ。 リディアはゆっくり瞳を閉じ、俺に寄りかかるように身体を預けた。