新緑の枯樹
     ― 9 ―

「なるほどな」
 神殿の不法侵入者とウィンのことを一通り説明すると、バックスは大仰にうなずいた。
「で、昨日の報告書になるわけか。 グラントさんがよく突き止めたって褒めてたぞ」
「だけど単に偶然かもしれないからな。 あいつの隠れ家がミューアの家じゃなきゃ、無駄足だったんだし」
「そりゃそうだけど、いたのは事実だろ。 そいつらがみんな仲間なら、偶然じゃないかもしれない」
 ミューアの家にあの侵入者がいたことで、ウィンとイアンが仲間なのではないかという説が強くなってきた。 まわりの誰もが、ミューアに似た親類縁者が、あの家を隠れ家として提供したのだろうと推測している。
 だが、俺にはウィンらとイアン達が仲間だとはどうしても思えなかった。
 残念ながら、まだ奴らがどういう関係なのかは分かっていない。 すぐに話すとは思えないが、それはウィンを調べていくうちに分かってくるだろう。
 バックスは訝しげな表情を向けてくる。
「それにしても、どうしてウィンのことをゼインに伝えないんだ?」
 バックスのでかい声が格技場に響いた。 ゴートに後始末に行っているゼインに、聞こえるはずがないとわかっていても、この音量は気にかかる。 所属の兵がいないとも限らない。
「声がでかいって。 隠さなきゃならないことくらい小声で話せよ」
 バックスは、そうかと苦笑して頭を掻いた。 ブラッドはリディアの横に立って笑いをこらえている。 リディアは考え事でもしているのか、ずっと椅子に座ったままボーっと窓の外を眺めたままだ。 昨日のことでも考えているのだろうか。 俺は上の空のまま、さっきの質問に答える。
「ゼインはウィンの直属の上司だから、何かないとも限らないしな」
 ゴートでのことが蘇ってきて、俺の声に思わずため息が混ざった。 バックスはますます混乱したのか、俺の顔を覗き込んでくる。
「だったらなんでゼインをゴートにやったんだ?」
「もしあの侵入者と知り合いなら尻尾を出すかもしれないと思ってね。 ちゃんと事情を説明した俺の隊の兵が一緒に行ってるんだ。 こっちに残ったウィンにはアジルが付いているし、問題ない」
「抜け目ないなぁ」
 真面目な顔で言うバックスに、俺は苦笑を向けた。
「まあ、そうじゃなくてもゼインがウィンに黙っていられるとは限らないだろ?」
 俺がリディアの様子を気にしているのを悟ったのか、バックスはリディアをチラッと見た。
「恋敵だから関わらせたくないとか?」
 今度はちゃんと声が小さい。 あまりにもバカバカしくて俺は呆れ返った。
「好きに言ってろ」
 俺が誰に言うでもなく吐き捨てると、バックスはニヤッと笑った。
「ホントだな? おーい、リディアちゃーん!」
「うわっ、ちょっ、待っ!」
 俺はリディアの方に行こうとするバックスの腕を慌てて掴んで、なんとか引き留めた。
「ふざけんな。意味が違うだろ」
「そうか?」
 とぼけて見せたバックスの向こう側から、リディアが不思議そうにこっちを見ているのが目に入った。 立ち上がって、少し不安げな笑顔を向けてくる。
「あの、何か?」
 そりゃそうだ。 もし眠っていたとしても、あれだけ大きな声で名前を呼べば、気付いて当然だ。
「ゴメン、なんでもないんだ」
 俺はリディアにそう言って、バックスに真面目な顔を向けた。
「バカやってんじゃない」
「じゃあ、よそ見するなよ」
 バックスは薄笑いを浮かべる。 俺はうんざりして首を横に振った。
「よそ見じゃないって。 護衛をしていたら、普通は気になるだろう? もう少し頭使えよ」
「フォースはなんでもちゃんと説明してくれるからな。 考えるより聞いた方が楽なんだ」
 そう言うとバックスは一笑した。 俺にとっては面倒なだけなのだ。 頭を抱えたくなる。
 いきなり格技場入り口の方から声が響く。
「なまけ癖が着くぞ」
 グラントさんだ。 開け放してあったドアの向こうまで、話しが聞こえていたのだろう。 バックスはごまかすように舌を出した。 グラントさんは俺の肩を軽くポンと叩く。
「明日、予行打ち合わせの際にウィンを確保する。 あの場所なら逃げられる確率が少ないからな。 センガは神殿の警備についているから、時間を合わせてそちらで確保させる」
「はい」
 俺はバックスと同時に敬礼をした。 グラントさんは俺とバックスを交互に見る。
「それはそうと、まだ始めていなかったのか」
「何をです?」
 バックスは不思議そうに俺と視線を合わせた。 俺はバックスに、親指で部屋をグルッと指し示す。
「どうしてわざわざ格技場に来たと思ってるんだ?」
「もしかして、剣の練習でもしたいのか?」
 訝しげなバックスに向かって、俺はうなずいて見せた。 バックスは大げさに驚いた振りをする。
「マジか?」
 バックスは思い切り浮かない顔をした。 俺はかまわず言葉を向ける。
「アルトス流の攻撃を覚えて欲しいんだ」
「俺がか? ウィンも使うっていうあの。 俺がそれを?」
 バックスの表情が引き締まった。 俺の脳裏にあの漆黒の瞳が、嫌でも蘇ってくる。
「力がいるんだ。 バックスの力であれができれば、アルトスの攻撃と近いものになると思う」
 バックスは腕を組んで考え込んでから、ヒョイと顔を上げて俺を覗き込んだ。
「で? フォースは俺をアルトスに見立てて練習して、もう一度アルトスに会う気か?」
 その言葉にドキッとした。 もし会ってしまったら生きて帰ることができるのか、単純にそれを不安に思った。
「会うもなにも、前線に出れば向こうが勝手につけ狙ってくるんだ。 俺が自分で何とかするしかないだろ」
 なんとかなるモノでもないだろうと、自分で突っ込みを入れたくなる。 毎度あんなのを相手にしていて、無事でいられるとは思えない。 なんだろう、怖いのだろうか。 アルトスが? それとも死が?
「フォース? どうした?」
 気付けば、バックスが心配げに俺を見ていた。 俺は思わずバックスから目をそらした。
「いや、別に」
 慌てて否定をしたが、バックスはなんでもないとは思わなかったらしい。 眉を寄せて不満げな顔をした。 グラントさんがバックスの背中を叩く。
「バックス、強くなりたいとは思わないか?」
「そりゃ、そうですが」
 バックスの気が逸れたことで、俺はホッとした。 俺の不安に気付いて、話をそらせてくれたのだろうか。 グラントさんは俺を気にもとめずに言葉を続ける。
「だったら覚えて損はないぞ。 確かにアルトスは独特な剣の使い方をする。 それがあの強さの裏打ちなのだからな」
 グラントさんはバックスに大きくうなずいて見せ、オレに向き直った。
「フォース、その攻撃を受けさせてはもらえないか? ずいぶん昔のことになるが、私も一度アルトスと剣を合わせたことがある。 その時の疑問を晴らしたいのでね」
「はい、分かりました」
 俺は練習用の剣を二本手にし、一本をグラントさんに渡した。 部屋の中央に出てグラントさんと対峙して礼をし、剣を前に差しだして剣身を一度ぶつける。 俺は素直にそのまま攻撃に出た。
 俺の剣は攻撃を受けたグラントさんの剣身の切っ先に向かって流れた。 グラントさんの口元に笑みが浮かぶ。
「逆にも流せるか?」
「はい」
 俺は間を取ってもう一度構えに入る。
「行きます」
 俺は声をかけてから攻撃に入った。 今度は剣身を柄に向かって流すように剣をぶつける。 グラントさんは、その攻撃を振り払うように流した。
「確かにアルトスの癖、というよりも剣技だな。 間違いない」
 グラントさんは、練習の体勢を解いて俺の肩をポンと叩いた。
「教えてくれるか?」
「はい。 ことは単純なのですが」
 俺はグラントさんとバックスに、手にした練習用の剣を使って、インパクトの瞬間に剣身を少しひねること、その方向によって無理矢理相手に剣身を流させることができることを説明した。
「なるほど、それで妙な力が加わってくるわけだ」
 グラントさんは、何度もうなずくと、持っていた剣を切っ先の位置が変わらないように気にしながら何度もひねって確かめている。
「しかしアルトスの力は相当だな」
「ええ、だからこそ腕ごと持って行かれるような錯覚が出てくるのだと思います」
 一方バックスは、俺の話が終わると、黙ったまま練習用の剣を手にして素振りをはじめた。 風を切る音に力を感じる。 俺はその剣を受けに入った。 キーンと音がして、剣は流れずに止まる。
「あれ?」
「遅い」
 バックスはフンと鼻をならすと、もう一度剣を振り下ろしてくる。 俺はその剣を簡単に払った。
「早い、か?」
「ああ」
 遠慮をしていたバックスの剣に、回を増すごと力がこもってくる。 俺は剣で受ける高さを変えて、何度もバックスの攻撃を受けた。 注文も付け続ける。
「どっちに流れるかバレバレだ」
「切っ先の場所は変えるな」
「もっと小さいズレでいい」
 その度に無言で振り下ろされるバックスの剣が、少しずつアルトスの攻撃を受けた感覚に近くなってくる。
 アルトスが、死が。 怖いなら、その分強くなりたい。 そうじゃなきゃ向かってはいけない。 逃げるのは嫌だ、絶対に嫌だ。
 そのままどのくらい続けたか。 バックスがグラントさんに肩を叩かれて、攻撃の手を止めた。
「なにも一度に覚えんでもいいだろう」
 バックスが息を切らしながらハイと返事をする。 俺は顔をしかめたのだろうか、グラントさんがこっちを向いて微笑した。
「あまりリディアさんを待たせるのもな」
 すっかり忘れていた自分にハッとした。 リディアを見ると、いきなり目があってドキッとする。 バックスがドンと背中をどついた。
「普通は気にかけるんじゃなかったのか?」
「ブラッドがついてるんだ、大丈夫さ」
 俺は言い返してしまってから、自分の言葉に矛盾があることに気付いた。
「ブラッドなら、さっきもついてたよなぁ?」
 キッチリ気付いたのか、バックスは俺をからかうように笑う。 放って置いたらマズイと思ったが、俺は冷笑でごまかしてリディアのところへ駆け寄った。 ブラッドの敬礼に返礼してから、俺はリディアに向き直った。
「ゴメン、退屈させちゃって」
「ううん、そんなことないわ」
 リディアは、ただ首を横に振って微笑んだ。 退屈しないはずはないだろうと思う。 でも、ただ暖かでホッとできるその笑顔に、嘘は少しも見えない。
「もういいの?」
 リディアの問いに、ああ、と俺は返事をしてうなずいた。
「フォース、私、歌の練習がしたいの。 明日は歌うどころじゃないかもしれないけど」
 明日ウィンを確保するという話しを聞いていたのだろう、リディアは不安げに言った。
「いいよ。どこで?」
 俺が尋ねると、リディアは少し困ったような顔をする。 俺が顔を覗き込もうとするより先に、リディアは顔を上げた。
「あの木のところは、やっぱり駄目よね?」
「え? あそこは……」
 あの場所が嫌になったわけではない。 だが、呼ばれているような、引きずられているような、妙に気障りな感覚が気にくわない。 行きたいと思うくせに、気持ちのどこかでは拒否しているのだ。 城と神殿をつなぐ廊下を通った時の、木の存在感が身体に蘇ってくる。
 バックスが俺をからかおうと思ったのか、俺の右隣に立った。
「怖いんだろ」
 その問いに、自然とため息が出る。
「そうかもしれない。 見えない道がありそうな気がして」
 俺が真面目に返事をするとは思っていなかったのか、バックスは考え込んでしまった。
「だったら、神殿の中庭は?」
 リディアは不安げに小声を出した。 どちらも襲われた場所だ。 いつもあの木の場所か神殿の中庭で練習をしていたのだろうか。 リディアがいることを見込んで、あの場所を選び現れたのだとしたら、やはり避けるべきだろうと思う。 だが、神殿の中庭なら、ライザナル人の現れた場所だ。 あの木の場所よりは数段いい。
「いいよ。そうしよう」
 俺の返事を聞いて、リディアの表情がパッと明るくなった。 逆にバックスが顔をしかめる。
「そっちは怖くないのか? あいつらがみんな仲間じゃないって、まだ思ってるのか?」
「とにかく彼らは違うんだ。 実際見ていないから分からないだろうけど、そうとしか言いようがないんだ」
 俺はまっすぐにバックスと視線を合わせて言った。 バックスはますます眉を寄せる。
「フォースが言うんだから、信じたいとは思うんだけどな」
 バックスは、俺の腕を取ってリディアから少し離れ、耳元に口を寄せた。
「つじつまが合わないこと言ってるようじゃなぁ。 何か悩んでるんだったら力になってやるぜ、青少年」
「ホントに?」
 俺は思いきり青少年らしく明るく聞き返し、バックスの手を取った。
「じゃあ、今日の護衛、手伝って」
「ええっ?」
 逃げ腰のバックスの手を、俺は放さなかった。
 結局。
 俺はリディアの歌声を、ゆっくり鑑賞することができた。 ついでに、不機嫌そうにフラフラ行ったり来たりしているバックスは、クマみたいで面白かった。
 すべては、明日だ。