新緑の枯樹
     ― 10 ―

 さっきから、座ったきり動く気になれない。 宝飾の鎧を着けたせいだ。 こう身体が重いと、気持ちも暗くなる。 こんな時はこうして黙っていた方がいい。 人がたくさんいても声をかけられることが滅多にないからだ。
 予行打ち合わせの後半でウィンを確保する予定があるからか、仲間であろう侵入者の死が脳裏に浮かんで離れない。 リディアが流した涙も蘇ってくる。
 小さくリディアの声が聞こえた。 そっちを向くと、人の波の向こうにソリストの衣装である白いドレスを着たリディアが目に入った。 グラントさん、グレイの二人と向き合って柔らかな笑顔を見せている。
 今日のリディアの護衛は、グラントさんと俺で手分けして行うことになっている。 宝飾の鎧を着けていると動きづらいので、その間リディアはグラントさんのところにいる。 グレイがいるのは、リディアが聖歌を歌うその部分を指示するからだろう。
 ふとグレイと目があった。 リディアに一言二言何か言うと、グレイは早足でこっちに来る。
「似合うよ」
 グレイは俺の側までくると、開口一番そう言った。
「嬉しくねぇよ」
「でも似合うよ」
 グレイは俺の隣に立ったままそう繰り返すと、含み笑いをしている。 本気で言っているんだかいないんだか。 思わずため息が出た。
「なんだ、フォースも元気がないな。 もしかしてあの侵入者のことか? リディアに聞いたよ。 階段から落ちて死んだ奴のことを、俺が殺したって言ったんだって?」
 リディアに聞いた、か。 俺は、リディアの罪の意識が少しは軽くなるのではと思ったから、そういう言い方をしただけだ。 うなずいた俺に、グレイがにらむようなキツい視線を向ける。
「まさか、まわりすべての死に、罪の意識を持っているわけじゃないだろうな」
 また何を言い出すんだか。 俺はグレイに苦笑して見せた。
「全部覚えていると思うのか? 無理だよ。 ただ、命を奪うことには慣れたくないとは思ってるけど」
 俺のその言葉に、グレイは怒ったのか、眉を寄せて目を細める。
「フォースがやってるのは、命を守ることだろう。 命を奪うために戦っているんじゃないだろうが」
「なんのためだろうが関係ない。 慣れたくない。 それだけなんだ」
 いくらグレイに言われても、これだけは譲れない。 俺がまっすぐ見据えると、グレイは視線を合わせたまま首を横に振った。
「だけどそれじゃ辛いだろう? せめてフォースがシャイア神を信仰しているとかなら、慰めようもあるってのに」
「まるきり信仰してないってわけじゃない。 けど、人の命に値する土地なんてどこにもない。 戦が神の陣地争いのせいなら俺は……」
 俺は見ていられなくなり、グレイから意識的に目をそらした。 グレイは声に出して苦笑し、俺の背を叩く。
「まあな。 俺らの目からはな」
 何を笑うのかと、俺はグレイを見上げた。 その目の前に、グレイは指を立てて突きだす。
「いいか? 考えても見ろよ。 国を信じて国のために戦って死ぬのも、それはそれで自由だと思わないか? それがメナウルのためでも、ライザナルのためでも」
 なんのために戦うか。 それを選ぶのは、本当に自由ってやつなのか。 嘲笑しながら、心のどこかではそうかもしれないと、自分を当てはめて思った。
「だけど、もしそれが自由であったとしても、誰もが死にたくて死ぬってわけじゃないんだ」
「でも、 自分の信じるモノのためならまだ幸せだろ?」
 グレイは、しかめっ面のままの俺と顔を突き合わせて、言葉を続ける。
「それにな、きっと死んだ後の世界っていい所なんだよ。 行きたがらない奴はいるけど、帰ってくる奴はいないんだから」
 帰ってこられてたまるかと思いながら、ミューアの家が脳裏に蘇る。
「滅多に、な」
 俺が吐き捨てた言葉に、グレイは吹き出した。
「滅多にって、おいおい……」
 グレイが喉の奥で笑っているのを聞きながら、俺はその家でのリディアの祈りと、流した涙を思った。
「どっちにしても、人を傷つけずに人を守るのは、俺には不可能なんだよな」
「リディアのことか?」
 いきなりリディアの名前を出されてドキッとした。 まったく、相変わらずさとい奴だと思う。
「い、いや、リディアのことだけじゃ……」
「あきらめたのか?」
 そう聞かれて、思わずムッとした顔でグレイを見上げた。 グレイはまっすぐ俺を見つめてくる。
「守るってのは、護衛をすることだけか? それ以外に方法がない訳じゃないだろ。 不可能だなんて、考えるのをやめちまったら、そこで終わりだぞ」
 考えたら何か出てくるってのか? 眉を寄せた俺に、グレイは肩をすくめた。
「ま、思い付いても実行がともなわなきゃ駄目だろうけど。 その点フォースは不器用だからなぁ」
「不器用? って、いったいどういう補い方しろってんだ? いいよな、小器用な奴は」
 本気でねたんだ俺の頭を、グレイはいきなりひっぱたいた。
「痛っ、なにすんだ……」
「フォースこそ、なんてこと言うんだ。 俺だってなぁ、いろいろ苦労してんだよ」
 グレイはケラケラと笑った。 こいつ、本当に苦労しているんだろうか。 信じて欲しかったら笑わなければいいのだ。 相変わらず脳天気だと思うが、今はそれに救われた気がする。
「よぉ!」
 まわりに最敬礼を受け、返礼をしながらサーディがこっちにくる。 サーディまで脳天気に見えるのは、俺がそれだけ落ち込んでいるからだろうか。 いや、それだけではないだろう。 俺は立ち上がってサーディを待ち、敬礼を向けた。
「フォース、鎧、似合ってるよ」
 またこれだ。 グレイが笑いをこらえている。 俺はため息だけついて、返事をしなかった。
「なに? 怒ってるのか?」
「別に」
 ぶっきらぼうに答えると、サーディは考え込むように首をひねった。
「もう少し上機嫌でもいいはずなんだけどな」
 訳の分からないことを言うと、サーディはキョロキョロとまわりを見まわす。
「なぁ、リディアさんって……、あ、あの娘か?」
 人が増えてきていて見渡すことは困難だが、たぶん白いソリストのドレスが目についたのだろう、サーディはリディアの方を指さした。 その指の先をグレイが見る。
「そうだけど? リディアがどうかした?」
「いやぁ、噂を聞いたんだ。 神殿の人間と本人の耳には入ってないだろうから」
 神殿の人間がグレイだから、もしかしたら本人というのは俺のことか?
「フォースとリディアさんが恋仲なんだって」
 サーディは、反応をうかがうように俺をのぞきこんでいる。 それにしても、グレイの前でそんなことを言われたら、リディアが可哀想だ。 俺は冷笑した。
「んなわけないだろ」
「またまた。ゴートからの帰り、しっかり抱いて帰ってきたそうじゃないか」
「抱いてたぁ? 誰がそんなことを。 あ……」
 俺は、抱くという言葉に驚いたが、眠っているリディアを支えたまま、街を抜けてきたことを思い出した。 見ようによっては抱いているように見えないこともない。
「思い当たったようだねぇ」
 サーディがしたり顔になる。 俺はため息と共に首を横に振った。
「そうじゃないって。 疲れて眠ってるから、俺の前に乗せて身体を支えてただけだ」
「だから、それを抱いたって言わない?」
「言わない」
 しっかり言い切った俺に、サーディは肩をすくめて苦笑した。 グレイが俺の肩に手を置く。
「なんだかんだ言っても、ちゃんとフォローしてるんじゃないか」
「あのな、俺がそんなことしたって、グレイが」
 ふと目の端にセンガの姿を見た気がした。 俺はグレイの手をどけて、その方向をうかがった。
「フォース? 俺がどうしたって? おい?」
「悪い、後だ」
 俺は二人を残し、センガを探しながらリディアがいるだろう方向へ急いだ。 センガは本来なら神殿警備についていて、ここで見かけるはずはない。 さっきのが本当にセンガだとしたら、何か起こすつもりか。 背筋に冷たいモノが走る。
 チラッと白いソリストの服が人の隙間を横切った。 そのすぐあとにセンガが続く。 マズイ、センガはもうリディアのすぐ側にいる。 グラントさんに知らせるために叫んでも、理解してもらうより先に行動されてしまうかもしれない。 進行方向を予測して、部屋を斜めに突っ切り、あの木を見下ろせるバルコニーの前に出た。 グラントさんと鉢合わせになる。
「フォース?」
 訝しげなグラントさんの声を無視して、俺は横にいたリディアの腕を捕まえようとした。 だが、少しの差で届かず、リディアは口と身体をセンガに後ろから抱きかかえられてしまった。 センガはリディアを拘束したまま、バルコニーの方へ移動する。
 俺はすぐあとを追った。 リディアが抵抗する分だけ手すりを乗り越えるのが遅くなる。 飛び降りるつもりか! 止められない? いや、絶対に取り返す!
 俺は手すりを飛び越え、一瞬の遅れを埋めるためにバルコニーの床を上に蹴った。 リディアの腕を掴んで引っ張り、半分気を失いかけているセンガからリディアをもぎ取る。 そしてセンガの身体を蹴り飛ばし、その反動でいくらか下にある木の中心に近づいた。 右手一本でリディアを俺の身体の上になるように抱いて両足を突っ張り、抵抗が大きくなるようにして背中側から木の枝の中につっこんだ。
 何本もの枝が、俺の背や足を容赦なく打つ。 枝の折れる音やしなる音、葉のこすれる音などが身体中に大きく響いてくる。 俺はあいている左手でぶつかる枝葉をできる限りつかんで、少しでも落下のスピードが緩くなるように努めた。 運良く太めの枝に手がかかる。 どういうわけか、木が俺の腕をとったような感覚があった。 グンとスピードが緩み、枝がしなって大きな音を立てて折れ、放り出されるように地面に落ちた。
 すぐには動けなかった。 背中から落ちたので息ができない。 目を閉じたまま、少しでも痛みがひくのを待つ。 意識はハッキリしている。
 俺はそっと浅い息をしてから、ゆっくり目を開けた。 バルコニーがひどく高いところに見えてゾッとする。 そこからこっちを見下ろして叫んでいる声も聞こえる。 話せるだけの呼吸が戻ってきたところで、手だけを動かし、リディアの肩を揺すった。
 リディアはすぐに気が付いて身体を起こした。 よかった、生きてる。 無事みたいだ。
「……フォース? フォース!」
 リディアは俺の身体を揺すろうと手をかけた。
「待って。大丈夫だから」
 俺はリディアを止めて、ゆっくりと深い呼吸を繰り返した。 少しずつだが体に自由が戻ってくる。 リディアの手を借りて、上体を起こしてハッとした。
 木の幹の側にミューアとイアンがいる。 やはり前の時のように二人とも無表情だ。 ミューアは、やはり本人としか思えない。 当時の中位の鎧を着けていて肖像画そのものだ。 イアンは、前に襲われた時に探し出せなかった、金色の短剣を手にしている。 その後ろには幻影なのか、やたらと大きな人型の影がボォッと見える。
 俺は無理矢理立ち上がってリディアを後ろにかばった。 しかし身体がまだ思うようにならず、今は立っているのがやっとだ。 しかも宝飾の鎧を着けていて、動きづらいことこの上ない。
 ミューアとイアンは距離を詰めてくる。 俺は剣を抜いた。 ミューアが振り下ろした剣を頭上でなんとか受けた。
 その時。 後ろの影が手を伸ばした。 そのでかい手が、俺の剣ごと右腕を捕む。 と同時に、ミューアはサッとかき消えた。 息をのんだ瞬間、ミューアの後ろにいたイアンがドンと正面からぶつかってきた。 左胸から身体中が急激に熱くなってくる。 イアンもボウッと薄れていった。 そして宝飾の鎧にガードが当たるほど、短剣が突き刺さっているのが見えた。
 俺はその影のようなモノに、仰向けにひっくり返された。 リディアの青ざめた顔が目に入る。 そいつは短剣の柄に手を当て、短剣をガードごと俺の身体に押し込もうとしているかのように力を込めた。
「ぐぅ、あ……」
 胸を圧迫してくる力に、思わずうめき声が漏れる。
「フォース!」
 リディアが俺の側に駆け寄ってかがみ込む。 俺はリディアまで犠牲になってしまったらと焦った。
「駄目だ、逃げ……」
 止めようとはしたが、声が息にしかならない。
「嫌っ、やめて!」
 リディアは短剣に手を伸ばした。 影は、空いている手でリディアをそっと掴んで遠ざける。
「放して! お願い、やめてぇ!」
 リディアに危害を加える気はないのか、影の手はリディアを拘束だけしている。 リディアは無事でいられると思うと、張っていた気がゆるんだ。
 短剣が光を放ちはじめ、まるで溶けるように俺の身体に染み込んでいく。 自分が燃えだしたような感覚に、俺は意識を手放した。