新緑の枯樹
     ― 13 ―

 俺は、長引いた引き継ぎを終え、重くしたと言われていた宝飾の鎧を着けに城内警備室に寄った。 いざ見てみると、宝飾の鎧は動きやすい形に作り替えられ、おまけにずいぶん軽くなっていた。 わざわざ俺がいつも鎧を頼んでいる職人に、新たに作らせたそうだ。 おかげでサイズまでピッタリだ。 これじゃあ、弁償するっていったって、どうしていいか分からない。 しかもサーディは、宝飾の鎧を使う行事があるごとに、俺を前線から呼び戻すつもりでいるらしい。 次は一ヶ月後、サーディの妹姫であるスティア様の誕生会だ。 二位になると前線と城都の行き来が激しくなると聞いてはいたが、宝飾の鎧のおかげで、その頻度も増えそうだ。 だが、その方がリディアに会う機会は増えるかもしれない。
 そして今、俺はリディアとほとんど話す間もなく式典の会場にいる。 城都で唯一の仕事だったはずの、ソリストの護衛だ。 ようやくリディアに会えたのが式典の出番直前だったので、簡単な挨拶しかしていない。 ひざまずいて最敬礼をしているので、リディアの顔は見えないが、歌声がすぐ側から聞こえてくる。 だが、いつものように安らかな気持ちになど、とてもじゃないけどなれそうになかった。
 ここにあがる前、シェダ様が俺を呼んだ。 何かと思えばまたあれだ。
「神官になる気になったかね」
 俺は当然できないと断った。 そんなことはシェダ様もいい加減承知しているはずだ。
「リディアは君の死をとても恐れている。 悲しませるようなことはして欲しくない」
 まるで、騎士はサッサと死ぬが、神官なら死なないとでも言いたげな口ぶりだ。 確かに、騎士の仕事は安全だとは言えない。 だが、そういうレベルで言われると、俺の気持ちの変化なんて、説明する気も起きなかった。 もしかしたらシェダ様は、リディアにそんなことを延々聞かせていたのだろうか。 だったら、リディアを必要以上に怖がらせているのはシェダ様の方じゃないかと思う。 それともまた、全部承知で俺をからかっているんだろうか。
 リディアの歌が終わり、手筈通りにリディアをエスコートして退出する。 これで城都での仕事は全部終わりだ。
 俺は、入れ替わりのシェダ様に無言で頭を下げた。 シェダ様は俺に薄く笑って、リディアの肩をポンと叩くと会場へ入っていった。 相変わらず何を考えているんだか分からない人だ。
「お疲れ」
 グレイが声をかけてきた。 手をあげるだけで簡単に挨拶をする。 疲れるようなことは何もしていない。 シェダ様とすれ違う時の方がしんどいくらいだ。 グレイは俺に笑顔を返すと、リディアに向き直った。
「リディア、よかったよ。 後は二人とも、会場にでもいてくれればいいからね」
「はい」
 リディアは出番が終わったからか、安心したような、肩の力が抜けた微笑みを浮かべた。 そういえば今日は化粧をしていない。 式典の時くらいは本式でと言っていたから、これが本当なのだろう。 だったら、いつもはどうして手間をかけてまで化粧なんかするのか。
「行こう」
 俺はリディアに声だけかけてドアを開け、サッサと部屋の外に出た。 リディアは小走りで追いかけてきて、グレイに向かって手を振ってからドアを閉めた。 俺はなんだかリディアをまともに見られなくて、そのまま会場の方へと歩き出した。
 リディアの足音が、黙ったまま後をついてくる。 俺の機嫌が悪くて、困っているだろうと思う。 伝えたいことはたくさんある。 言葉だけじゃなくて気持ちでだ。 でも、その気持ち自体がグチャグチャで、どうにもなりそうにない。
 階段が見えてきた。 ここを降りると、あの木の側まですぐに行ける。 俺は階段を何段か下りた。
「フォース、どこに行くの?」
 その声に振り返ると、リディアは階段の上で立ち止まっていた。 そりゃそうだ。 当然会場に行くと思っていたのだろう。
「ねぇ、会場には行かなくていいの?」
「グレイは、会場にでもいればいいって言ってただろ。 どこにいたってかまわないさ」
 そういいながら、自分でつむじ曲がりだと思った。 でも、今じゃないと話す時間なんて取れない。 そうじゃなくても、会場からあふれんばかりの人混みの中に、入っていきたくはなかった。 リディアは、困惑したように眉を寄せる。
「でも……」
 俺はリディアのところまでとって返し、手を取ってもう一度階段に向かった。
「待って」
 二〜三段下りたところで、リディアは慌てたように俺に声をかけてきた。 俺は頭だけ巡らせてリディアを見た。
「行こう」
 俺は手を放さないまま、サッサと階段を下りだした。 リディアが慌てているのが分かるが、俺は足を止めなかった。
「フォース? ねぇ、どこに行くの?」
 俺が引っ張っているから、足元がおぼつかなくて階段を見ているのだろう。 少し震える声がいくぶん下の方から聞こえる気がする。
「あの木のところ」
 俺はそんなリディアの様子に気付かぬ振りで、行き先だけ答えて先を急いだ。
 それからリディアは何も言わずに、振り返りもしない俺の後をついてきた。 ついてきたも何も、俺が手を放さなかったからなのだろうけれど。
 外に出て、木のある方へと城壁に添って歩く。 月の光が青白くあたりを照らしていて、まるで妖精の世界から戻ってくる途中のような雰囲気をかもし出している。
 木は、ここに落ちた時と同じ姿のままそこにあった。 緩やかな風に葉が擦れあって、サワサワと心地よい音を立てている。 リディアは立ち止まった俺の横を通って、木の幹の側に立った。
「ありがとう。 ごめんなさい」
 リディアはつぶやくようにそう言って、木肌をそっと撫でた。 髪が肩からサラサラと落ちて、うつむいた悲しげな顔を隠していく。
「もう、何を言っても届かないのね」
 分かっている。 残された者の気持ちには、無力感や罪悪感をごちゃ混ぜにしたような絶望しか残らない。
「フォース?」
 ふと、リディアがかがみ込んだ。 隣にひざまずいてリディアの視線を追う。 その先、折れてしまった木の根本から、まだ小さな木が育ちつつあった。
「きっと実が落ちて芽吹いたのね」
 そうかもしれない。 この小さな木は、次の世代の命なんだろうと思う。
「同じ妖精が育たないかしら」
「それは……。 彼女は死んでしまったのだから」
 リディアの白く細い指が、その小さな命をそっとなぞった。 一瞬、木がまるで呼吸をするように、微かな光をふくらませたのが見えた気がした。
「でも、輪廻ってあるかも知れないわよね」
 輪廻か。 そうだといい。 本当にもう一度、彼女が生まれてくることができたなら。 いや、そうだとしても、起こってしまったことは、何も変わりはしない。 俺は立ち上がって、リディアの様子を横からのぞき込んだ。
「ゴメン。 辛い思いばかりさせてしまって」
 リディアは、顔を上げずに、笑ったのかため息なのか、小さく息をついた。
「だけど、フォースは私を助けてくれているのよね」
 本意じゃない。 俺にはリディアの言葉がそう聞こえた。
「俺もリディアには助けられてる。 最初にドリアードに会った時、リディアが来てくれたからドリアードは逃げたんだろうし、ティオが俺を連れて行こうとした時には、それを止めてくれた。 感謝してる」
 リディアは、その時のことを思い出しているのだろうか。 視線が虚空を泳いでいる。
「それは、フォースが死んでしまうと思ったら、怖くて……」
 リディアは顔を上げて俺を見つめた。
「私もフォースに辛い思いをさせたの? 怖いって思ってくれた?」
 俺はうなずいた。 あの時、リディアがティオに殺されてしまうのではないかと思うと、とても怖かった。 何もできない自分を呪った。 リディアは俺に向き直る。
「ねぇ、だったら分かって。 もっと自分を大切にして」
 たぶんこれからは、少しずつでも変わっていけると思う。 どう変われるかなんて、ハッキリしたことは言えそうにないけれど。
「フォースを待つのはとても怖いの。 ずっとこんな風に待つのは辛いの」
 それも分かってる。 ずっと辛い思いをさせてきた。 それは後悔している。 でもこんな言葉を聞くと、どうしてもシェダ様の言葉が頭をよぎる。
「それは俺が騎士、だから?」
「それも、あるわ。 だって助けてもらっても死んでしまったら感謝のしようもない。 そんなの悲しいでしょう?」
「それも? あるって?」
 俺はリディアに逃げられないよう、その身体を挟み込むように両腕を掴んだ。
「シェダ様がどうこうじゃなく、リディアがそう思うのか? リディアまで俺が神官ならいいとでも言うのか?」
「そうだったらいいって思ったこともあるけど……」
 ズンと胸が痛む。 神官になってしまう俺なんてありえない。 それは絶対に俺じゃない。
「俺が神官だなんて死んでるのと同じだ。 そんなの、俺が生きてる価値すらどこにもないじゃないか」
「分かってる。 だからもういいの。 いいの」
 リディアは、身をよじって俺から離れようとした。 俺は掴んでいるリディアの腕を引き寄せるようにして、俺に向き直させる。
「いいって、何が!」
「だから私、せめてシャイアにフォースの無事を祈っていたいの。 フォースが幸せでいてくれればそれでいいから」
 リディアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。 いつもは暖かなそれが、今は俺を凍り付かせるほど冷たい。
「なんだよそれ……。 結局は俺と関わりたくないんだな。 俺の手が血に汚れてるから? 俺には同情してるって? 俺はそんな気持ちなんか欲しくない!」
 リディアが息をのむのが分かった。 俺はリディアの髪に指を差し入れ、背中にも手を回し、動くことも許さないだけ力を込めて抱きしめた。 そのまま乱暴に唇をあわせる。 リディアの身体がビクッと跳ね、俺から離れようと抵抗する。 だが俺は、この腕にガッチリ抱いたまま、リディアを離すつもりはなかった。
 唇を離したら、この腕の戒めを解いたら、リディアはどうするだろう。 殴ればいい、罵ればいい。 それで終わりだ。 同情とか兄弟みたいな愛情とか、リディアの想いがそんな半端な感情なら、俺もリディアも互いに傷つけ合うだけだ。 だったらそんな想いはなくなってしまえ。 すべてをぶち壊してやる。
 ガシャッ、と、すぐ後ろで鎧の音がした。 唇を離すと、リディアの視線が硬直したように俺の後ろに向けられた。 空を切る音? 左だ! 俺は剣を鞘ごと抜いて、後ろを見ないまま剣身を受けた。 力で押し切られるような格好になり、肩のプレートまで使ってようやく剣の勢いを止める。
「バックスさん!?」
 リディアの呼んだ名前に驚き、俺は振り返った。 バックスが剣を頭上に掲げる。
「なんの冗談、うわっ!」
 バックスが振り下ろした剣を、俺は鞘に収まったままの剣で受けた。 渾身の力を込めても、剣が押し戻されてしまう。 凄い力だ。 力だけならアルトスと比べても遜色ない。 バックスと目は合ったが、その視線は俺を通り越しているような気がした。 やっとのことで剣身を振り払い、体制を整える。
 間をあけずにバックスは斬りかかってきた。 今度は剣を抜いて受けた。 しかし剣身が流れる。 なんとか流しきることはできるが、その強烈な力のせいで一撃ごとに腕への衝撃が積み重ねられてくる。 こんな攻撃をバックスに教えるんじゃなかったと後悔したがもう遅い。 何とかしなければ、本当に斬られてしまう。 だが、相手はバックスなのだ。 何とかするといっても、斬り捨てるわけにもいかない。 剣身を避けようとして、折れた枝に足を取られ、俺は仰向けにひっくり返った。 目前に突き出される切っ先を転がって避け、バックスが地面に突き刺さった剣を引き抜く間に、どうにか体制を整える。
「ティオ、やめて!」
 リディアの声と同時に、振り上げようとしたバックスの剣が一瞬鈍った。 だがバックスは、次の攻撃の体制に入る。
「フォースを斬らないで! ティオよね? そうでしょう? お願い、やめて!」
 今度はバックスが完全に止まった。 腕を剣ごとダラッと落とし、前のめりに倒れてくる。 俺は焦ってバックスを受け止めようとしたが、腕がひどくだるく、体まで使って抱き留めるようにし、ようやく地面に転がした。
 枯れてしまった木の幹の横に、ボウッと空気が揺らいで大きな影ができ、ティオが形を表してくる。 人を操る魔法を使っていたのは、ドリアードではなくスプリガンだったのだ。
「いったいなんでこんな事を」
 俺は無理矢理息を整えて言った。 ティオは俺をにらみつけるように見る。
「俺は、この人を守る」
 そう言うと、ティオはチラッとリディアに視線を走らせた。
「なんだって?」
 俺だけではなく、リディアも驚いたように大きな妖精を見つめている。
「お前はこの人を守っているんだと思ってた。 でも今は違う。 全部壊すつもりだった。 この人の心まで壊すつもりだった。 だったら俺が守る。 お前はいらない」
 そう、確かにその通りだ。 俺はティオに何も言い返せなかった。 悲しげに顔をゆがめたリディアと、ティオをはさんで視線が合う。 気まずさから俺が視線をそらすと、リディアはティオの向こう側に姿を隠した。 俺は自分に嘲笑を向けた。
「俺はお役ご免ってワケだ。 勝手にしろ!」
 俺はいたたまれなくなって、その場を後にした。
 わざわざティオが説明してくれたおかげで、俺が何を考えていたか、リディアも理解したに違いない。 ティオがついていればリディアが多少危険な目に遭っても、しっかり守ってくれるだろう。 なにも心配はいらない。
 ……、これは、俺が望んだことだったはずだ。