レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     3.宴

 申し訳程度に縮小されはしたが、王女の誕生会は例年とほとんど変わりなく行われている。直前になって招待客を断る訳にはいかなかったこともある。だが表向きに変化がない方が、いくらかでも混乱を招かずに済むという思いが、メナウルの関係者にあったのは間違いない。
 日頃あまり飾り気のない城内だが、今日は華やかだ。随所に色とりどりの花が飾られ、いつものよりも若い招待客が様々な色合いの礼服で、緩やかに流れる曲に合わせて踊っている。日が落ちると、いつもの倍に近いだけの明かりが灯された。
 フォースはその中にいた。金地に宝石がいくつもはめ込まれている鎧を着けているのと、二位という騎士の位を示す赤いマントのせいで、ひどく目立つ。しかも宴の主役であるスティアの相手なのだ。
 フォースと、スティアの兄である皇太子サーディとは、学友としての付き合いが長い。そのためスティアとも馴染みがあるので、その点での緊張はなかった。だが目立つ格好で宴の主役と踊るのは、必要以上に人の視線を浴びる。フォースは、自身が王女スティアの装飾品なのだと、気持ちをはぐらかしていた。そうでも思っていないと、やっていられない。
 仏頂面に近いフォースの表情と対照的に、スティアは楽しそうに笑みをたたえていた。会の主役らしく栗色の髪を綺麗にまとめて花飾りを付け、ふんわりと膨らませた白いオーガンジーのドレスを身に付けている。
「ホントに綺麗な紺色よね。鎧のサファイアと変わらないわ」
 スティアは、鎧の胸プレート中央に付いた宝石を指で突いた。大粒なだけに、深い紺色をしたサファイアがある。フォースは思わずその石に目をやった。スティアは身体を寄せ、石を見下ろしているフォースの目を、そのブラウンの瞳で見上げる。フォースは口をつぐんだまま、迷惑そうに視線をそらした。
「話しかけるな。踏むぞ」
「私の相手をするのが面倒なんでしょ。顔にそう書いてある」
 スティアはツンと口を尖らせて見せた。
「リディアはいいわよね。じっくりその目を見ていられるんだもの」
 ギョッとしたようにフォースはスティアを見た。フォースは今まで、リディアと目の色の話をしたことがない。どう思われているのかと不安になる。フォースの驚き様に、スティアは苦笑した。
「やだ、知らないと思ってた?」
 付き合いがあることは間違いなく知られていると思っていたが、フォースは首を縦に振った。リディアがこの目だけを見ているのではなどというバカげた懸念を、スティアに悟られたくなかったからだ。
「兄がましがっていたのよ。その話を聞いたら私、リディアとは友達だから、いろいろ問いつめてみたくなっちゃって」
 イタズラな笑顔を向けて、スティアはクスクスと喉の奥で笑い声を立てた。フォースは何も言わずにため息を返す。
 実際、知られて困るようなことは何もなかった。リディアとは、一ヶ月前の出陣の時に、想いを打ち明けあっただけだ。しかもリディアはその時のまま、聖歌のソリストを続けている。立場的にはシスター見習いと同じなのだ。結婚は許されていない。何かあったら、それこそ問題になる。
「ねぇ、いつリディアを連れて行くの?」
 スティアの問いに、まだそんな状況じゃないと思いつつ、フォースはスティアを見下ろした。スティアは好奇心いっぱいの目でフォースを見上げている。
「まだずっと先の話だ」
 フォースはぶっきらぼうに言うと、自分まで問いつめるつもりだろうかと眉を寄せた。お構いなしにスティアは話し続ける。
「さらってっちゃえばいいのに。駆け落ちするとか」
 何を聞かれても冷静に威圧的に答えるつもりだったはずが、フォースは思わず動揺した。喉に詰まった言葉を、やっとの思いで吐き出す。
「む、無理だ、そんなことできるかよ」
「なぁんだ、フォースもそうなのね。つまんない」
 そう言うとスティアは肩をすくめた。実際、つまらないなどという問題ではない。お互いが想いを寄せていることは、双方の親にまですっかりバレている。しかも、フォースの父ルーフィスは首位の騎士、つまりは騎士長であり、リディアの父親シェダは神官長なのだ。何か一つでも段取りを省略したら、もめ事が起こるどころの話しではない。
「たまには強く出ないと。女って優しいだけの人には飽きがくるモノよ」
「それ、駆け落ちしないことと何か関係あるのか?」
 サッサと返したフォースの言葉に、スティアは首をひねって考え込んだ。
「関係ない、こともないと思うんだけど……」
 うつむいたスティアの表情は、フォースにはまるきり見えない。このまま黙っていれば話しをしなくていいだろうという気安さはあった。だがスティアの言葉から、公にしたくない恋人を隠しているのだろうことは想像できる。
「へぇ、駆け落ちしたいんだ」
 フォースがつぶやくように言うと、スティアはフォースを見上げ、ケラケラと笑って見せた。
「なに面白いこと言ってるのよ。そんなこと、できる訳ないじゃない」
 スティアの言葉は、その存在を肯定しているように思え、フォースは思わず苦笑を浮かべる。
「誰に強く出て欲しいんだ?」
 その言葉にスティアはハッとして目を丸くし、何か言いかけて唇をギュッと結んだ。フォースは、なぜ隠さねばならないのかと不愉快に思い、眉を寄せたスティアをジッと見据える。
「言えないような人なのか? だったら陛下に進言した方がいいかもな」
 スティアは困惑した顔に、無理に笑みを浮かべた。
「フォース、だったりして」
「ふざけるな」
 ぶっきらぼうに返したフォースに、スティアは身体を寄せ、イタズラっぽい笑顔を浮かべて視線を向ける。
「あら、私、フォースのこと好きよ?」
「へえ? じゃあ」
 フォースは雑踏の外側へと、スティアの腕を取って引いた。スティアはその場に踏みとどまろうとしたが、力に負けて少しだけおぼつかない歩を進める。
「どこ行くのよ」
「人気のないとこ」
 表情の変わっていないフォースに、スティアは慌てて手を振り払おうとした。
「ちょっとっ! リディアに言いつけるわよ!」
「目的が違うって。どうして隠すのか訳を聞かせろ。それともここで話すか?」
 フォースは足を止めて振り返った。スティアはまわりにサッと目をやると、うつむきかげんでジッと考え込む。そしてあきらめたように短いため息をつくと、フォースと視線を合わせた。
「分かったわ。行きましょう」
 そういうとスティアは、フォースの先に立ってバルコニーへと歩き出した。
 フォースはバルコニーの両側に立つ兵士に客を入れるなと指示を出し、人混みから抜け出してスティアとバルコニーへ出た。心地よい柔らかな風が頬を撫でていく。たくさんの視線からの解放感に、フォースは思わず深呼吸をした。ひんやりとした空気が、身体と気持ちを静めていく。
 フォースの深呼吸で、逆にスティアは狼狽した様子を見せた。誰もいないことを確認するようにバルコニーを見渡してからフォースに向き直り、怖々声をかける。
「怒ってる?」
「当たり前だ。今日だって、そいつにエスコートしてもらえばよかったじゃないか。そうできない理由をキチンと話せ」
 怒っている訳ではなかったが、そう言った方が話すだろうと思い、フォースは幾分威圧的な言い方をした。スティアは目をそらすとボソッとつぶやく。
「んもう、リディアと一緒にいられなかったからって」
「茶化すな」
 フォースが変わらず真剣なのを見て、スティアはしかたなく話す決意を固めた。
「分かったわ。ちゃんと話す。……恋人がいるの。新人の兵士の知り合い」
 知り合いという言葉に、フォースは苦笑した。これでは結局、恋人の存在しか話していない。
「また微妙な紹介だな。言えないような仕事なのか?」
「そうじゃないけど……」
 言いよどんでスティアはうつむいた。フォースは話すつもりになっているスティアの機嫌を損ねないよう、言葉を和らげる。
「陛下は身分で人を判断するようなことはなさらないよ。仕事や地位なんかは気にしなくてもいいんじゃないのか?」
 スティアはフォースと一瞬だけ視線を合わせると、手すりに身体を向け、日が落ちてほとんど何も見えない中庭に目を移した。
「分かってるわ。でも、彼が誰にも言うなって」
「言うな? それで誰にも言ってないのか?」
「リディアには、彼の話しをしたの。エスコートもフォースを貸してって頼んで……」
 スティアの声が、質問のたびに弱々しくなってくる。フォースはスティアに並んで顔をのぞき込んだ。
「俺を身代わりに立てておいて、そいつは表に出ないつもりか。でも、スティアはそれじゃ嫌なんだろ?」
 スティアは言葉もなくうなずいた。フォースと視線を合わせることもせず、うつむいたままだ。フォースは皇帝に全幅の信頼を置いている。そのためかフォースには、スティアの恋人は怖じ気づいているのではなく、何かよくない事情があるように思えてならなかった。
「なぁ、そいつと会わせてくれないか? その分じゃ他人の方がまだ紹介しやすいだろ」
 その言葉にビクッと肩を揺らすと、スティアは小さくため息をつく。
「……そうね。相談させて」
 背中に兵士のどうぞという声が聞こえ、フォースとスティアはそちらに目をやった。皇太子サーディがバルコニーに出てくる。少し明かりの押さえられたバルコニーに出ると、サーディのブラウンの髪に濃さが増した。サーディはメナウル人に最も多い茶色の髪と瞳をしている。兄妹だけに、スティアとまったく同じ色だ。
 サーディは手を挙げて簡単な挨拶をした。敬礼で返したフォースに並ぶと、バルコニーの外側を指さす。
「木、無いからな」
「分かってるって」
 フォースの即答を聞いてサーディは苦笑し、しげな顔をスティアに向ける。
「こんなとこで、何してたんだ?」
「な、何って、リディアの取扱説明詳細とかいろいろと……」
 うろたえて言ったスティアの返答に、フォースはブッと吹き出した。サーディはのどの奥で笑い声を立てる。
「嘘はいけないよ。お前、もしかしてフォースを口説いてたんじゃ?」
「ちょっとっ! どうして私がそんなコトっ」
 スティアはサーディがさも心配そうに言った言葉に抗議するように、頬を膨らませて身体を寄せた。サーディはスティアの勢いに驚いて、待て待てと両手のひらを向ける。
「最近ため息が多いし、誰か好きな奴でもできたのかと思ってね」
 スティアは目を丸くしてサーディを見つめた。フォースは苦笑しながらサーディの背をトンと叩く。
「口説かれたりしてないよ」
 フォースは、振り返ったサーディに宴の会場を指さして見せた。
「あそこにいたら、視線が凄くて。ちょっと外の空気にあたりたくて、付き合ってもらったんだ」
「視線?」
 サーディはフォースの格好を上から下まで見て、肩をすくめる。
「そうか。宝飾の鎧に二位のマントじゃ、なおさら目立つか」
「主役の相手だしね」
 フォースの駄目押しの言葉に、サーディは納得してうなずいた。
「それにね」
 スティアがサーディに軽く肩をぶつける。
「リディアが相手ならまわりが目に入らないのかもしれないけど、私が相手だとよそ見してるから余計に気になるみたい」
 そう言うと、スティアは薄笑いを浮かべた。サーディは、さも可笑しそうにアハハとおおらかに笑う。スティアが追求されないように話をそらした結果がこれだ。フォースはため息をついて、左手で顔の半分を覆った。その顔をスティアがのぞき込む。
「神殿の中庭にね、リディアがいるの」
 フォースはその言葉に息をのんだ。
「え? いるって、どうして」
「途中で解放するって言ってあるの。今日はもう、お兄様といるからいいわ」
 そう言うと、スティアはにっこり笑ってサーディの腕を取る。サーディは肩が揺れるほどの苦笑をした。
「俺とか? 寂しい誕生日だな」
「人のこと言えないでしょ。いいわよね?」
「そりゃ、駄目だなんて言ったら、リディアちゃんが可哀想だよ。へぇ、一応考えてるんだ」
 サーディの言葉に、スティアは大きなため息をついた。
「いくらなんでも、ただ借りてるのは心苦しいでしょ」
 得意げなスティアに、フォースは眉を寄せる。
「もしかして、具体的な時間の指定無しにか?」
「してないわよ。だって、どうなるか分からないじゃない」
 スティアの言葉に、フォースは呆気にとられ、サーディと顔を見合わせた。サーディがスティアの顔をのぞき込む。
「じゃ、待っているかどうか分からないじゃないか」
「待ってないわけ無いじゃない」
 スティアとサーディは、難しい顔で見つめ合っている。このまま二人の言い合いを聞いていても、気が滅入るだけだとフォースは思った。
「とにかく行くよ。じゃ」
 フォースは不安を押し殺すと、ろくに挨拶もせずにバルコニーを後にした。