レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     4.降臨

 最近になって神殿中庭の入り口に、旧型の宝飾の鎧レプリカが置かれた。古典的な作りで、あまりにも重くて動きづらく、新たに作り替えられたため、その形を残す目的でわざわざ作成されたのだ。鎧に付いていた数々の宝石類や金は、現行の鎧に移し替えられてはいるが、真っ白で装飾の少ない神殿の壁に映え、充分過ぎるほど豪華に見えている。
 中庭の入り口と向きあった階段の途中、出入り口左にあるその鎧は、自然とリディアの視界に入ってきた。いつもとは違う様子に足が止まる。
 鎧にまとわりつくように、ピクシーと呼ばれる虫のような妖精が浮いていた。肩に乗り、鈴を転がしたような声で話しかけていたかと思うと、胸のプレートに寄り添ってキスをする。まるで鎧を口説いてでもいるような妖精の行動から、リディアは少し緑を帯びた薄いブラウンの瞳をそらした。頬がほんのり赤らんでくる。
「あ、ティオ」
 リディアの横を、ティオと呼ばれた五〜六歳に見える男の子が、駆け抜けていった。その勢いで、リディアの腰まである琥珀色の髪と、白く長い神官服がフワッとあおられて揺れる。ティオを引き止めようとして差し出した色白の腕が、そこに残された。リディアは小さくため息をついてから、ゆっくりと後を追う。
 ティオは階段を下りる間にみるみる巨大化していき、中庭入り口に着いた時には、入り口がふさがってしまうほどの大きさになった。振り返ったその顔は既に人間のモノではない。目はギョロッと丸く、口が裂け、耳が尖っている。ティオはスプリガンという種の妖精なのだ。短い足が緑のずんぐりした体を支え、異様に長い腕が通せんぼをするように左右の壁を押さえた。鎧に手がぶつかり、ガシャッと音を立てる。
 鎧にまとわりついているピクシーが、睨むように怪物のような妖精に視線を投げた。文句でも言っているのか、甲高い音が聞こえる。ティオはそれを無視して、すぐ側まで来たリディアに大きな目を向けた。
「どうして来ないかもしれないのに、待ってるなんて言うんだよ」
 図体に似合わない拗ねた声が廊下に響く。とてもリディアを守ると言って側にいるガーディアンとは思えない。リディアは微苦笑して、憮然とした緑色の顔を見上げた。
「だって来るかもしれないのよ? 中庭に出ましょう。ほら、邪魔みたいだし」
 リディアの言葉に、ティオがピクシーを見た。鎧に抱きついたままの妖精が、そうよとばかりに顔をツンと背ける。それを見て、ティオは頬を膨らませた。
「邪魔したっていいじゃないか。リディア、この鎧がこんな奴に言い寄られるのは、嫌だって思ってるだろ。中身が入ってるわけじゃ無いのにさ」
「ティオ!」
 リディアはティオの口を止めようと、眉を寄せる。
「そうやって心を覗いたことを口にしちゃ駄目っていつも」
 聞いているのかいないのか、ニッコリ笑っていたティオが、不意にリディアから目をそらした。城へと続く廊下の先を見ている。
「ちぇっ、中身だ」
 リディアは訳が分からないまま、ティオの視線を追って振り返った。そこにフォースがいた。リディアの表情がほころびていくのを見つめたまま、ティオはもとの可愛らしい子供に変わっていく。まるで怪物の姿が嘘だったかのように人間らしく小さくなると、ティオはリディアの陰に隠れた。
 フォースは、レプリカの鎧にからみついている妖精にチラッとだけ視線を向けたが、その妖精もティオも目に入っていないかのように無視して、リディアの前に立った。ずっと抱えていた愛しさが、フォースの体中にわき上がってくる。リディアの笑顔の瞳を、涙がっていく。
「無事で……」
 それだけ言うと、リディアは涙を隠すようにうつむき、フォースの鎧の胸プレートにコンとを付けた。フォースはリディアの髪を撫で、そのままそっと背に腕を回す。フォースにはリディアの身体が、手に力を込めるのがためらわれるほど、柔らかでおぼつかなく感じた。
「待っていてくれると思ったら、一ヶ月がひどく長くて」
 フォースはリディアの頬を指でなぞるようにして上を向かせ、その潤んだ瞳を見つめた。
「会いたかった」
 視線を合わせたまま、フォースとリディアは、どちらからともなく唇を寄せる。
「ねぇ!」
 ティオがいきなり大声を出した。その声に驚いて、二人は思わず視線を向けた。フォースはリディアを支えるように抱いたまま、ムッとしてティオを見下ろす。
「てめぇ」
「俺とも会いたかった? 見えてるのに、無視はよくないよ」
 そう言うと、ティオは何度もうなずいている。うんざりしたように、フォースは鎧の端をんだままのティオを見据えた。
「隠れたのはお前だろ。まったく、お前のこと気にしてたら、なんにもできやしない」
「何する気なんだよ」
 ティオは、ふてくされた顔をフォースに向ける。ウッと言葉に詰まってから、何か返事をしようとフォースは口を開いた。
「え? あ、ええと……」
 言いよどんだフォースと定まらない視線を交わし、リディアは赤みが差した頬を両手で包み込んだ。ティオは不機嫌そうな顔のまま、リディアをじっと見つめる。
「どうして嫌じゃないんだよ」
 その言葉にキャアと短い悲鳴を上げ、リディアは慌ててかがみ込んでティオの口を押さえた。
「そんなこと言っちゃ嫌っ」
 呆気にとられて見ていたフォースは、ティオの言葉がリディアの気持ちを指したモノだと気付いて苦笑した。人の気持ちが見えても口にしてはいけないと、ティオに最初に教えたのはフォースだ。だが、よくないことだと分かっていても、リディアの気持ちを知ることは単純に嬉しかった。
 リディアはティオと向き合って、キチンとごめんなさいを言わせてから、後味が悪そうにフォースを見上げた。
れた?」
「どうして?」
 フォースが返した問いにうろたえたように、リディアは視線を外してうつむく。
「私、一応まだソリスト見習いだから……」
 ソリストはシスターと同じで結婚はできない。当然見習いでもそれは固く守られる。フォースは寂しさを隠して分かったとうなずき、リディアに手を差し出した。リディアがその手を取ると、フォースは仲間を助け起こす時のように力を込めて引き上げた。リディアは思ったよりずっと軽く、余った力で身体を引き寄せる格好になる。フォースはリディアの身体を支えて、慌てて離れた。
「わざとじゃ、……ゴメン」
 ばつが悪そうに謝ったフォースに、リディアはほんの少しだけ苦笑して、うつむき加減な首を横に振った。
 バンと勢いよく神殿警備室のドアが開いた。中から、背が低めで恰幅のいい男が姿を現す。騎士の人事考課責任者であるクエイドだ。地位に差はないが、フォースは条件反射のように敬礼を向けた。
「だけど、最初にそんな話は」
 部屋の中から、文句を言っているような声が聞こえ、クエイドは返礼しようとした手を止めて振り返る。
「黙れ!」
 クエイドは部屋の中に大声で叫ぶと、力を込めてドアを閉めた。中から聞こえたのは神殿警備についている、最近中位になったばかりの騎士、ゼインの声だ。ゼインに向けた不機嫌そうな茶色の瞳を、クエイドはそのままフォースに投げた。
「スティア様のエスコートはどうした?」
「終了しました。今はサーディ様とご一緒であらせられます」
 フォースの報告に、クエイドはフッと呆れたように眉を上げる。
「十六になっても、ワガママは直っていらっしゃらないようだな」
 今回のことは自分のせいだと思ったが、フォースは言い返したい気持ちをグッと押さえた。何かにつけて意見が合わない相手なのだ。早くやり過ごすに越したことはないと思う。だがそんなフォースの願いもしく、クエイドはリディアに視線を向けた。
「ソリストのアテミア殿は、随分回復されたようだね」
 リディアは口元にだけ微笑みを浮かべ、ハイと返事をした。
「今日は本職ソリストの歌を久しぶりに聴いたよ」
 そう言うとクエイドは、チラッとだけフォースに視線を投げ、愛想笑いをしたリディアの側に立つ。
「見習いでもソリストならば、この騎士がどれだけシャイア神のためにならない戦をしているか分かるだろう?」
 よりによってこの話かと、フォースは眉を寄せた。クエイドはリディアの肩に片手を乗せる。
「シャイア神にとって、相手の騎士を斬り捨てることがどれだけ大切か、教えてやってくれないかね」
 その言葉にリディアは思い切り顔をしかめた。リディアの横に立ち、クエイドは反対側の肩まで手を伸ばしてくる。それを避けるように、リディアはクエイドに向き直った。
「シャイア様は、けして殺生を好まれるような女神ではありません」
 リディアは言葉でもクエイドをきっぱり拒否した。クエイドは目をスッと細くする。
「見習いは見習いなりの解釈しかできないのだな。斬らねば戦力を削れないのだぞ? シャイア神の土地も取り戻せないのだ。優位に立っておいて生かして帰すなどもってのほかだ!」
 声を大きくするクエイドに、リディアが幾分青ざめた。かばうようにフォースはあいだに入る。
「リディアと俺のやり方は関係ない」
「関係ないだと? 万が一ライザナルで反戦運動が起きたとしても、それが一体なんの足しになる? お前のような騎士がいるからヴァレスが落ちるようなことになるのだ!」
 その言葉に、フォースは耳を疑った。気持ちがひどく狼狽している。斬らないで帰せた騎士は数えるほどだ。それだけのせいでヴァレスが落ちたなどというのは、詭弁にしかならない。だがそれを口に出すことができず、フォースは唇を噛んだ。クエイドはあざ笑うように頬をヒクッと動かし、フォースと顔を突き合わせる。
「これで二位の騎士だとはな。自分の国に帰ったらどうだ? そこでなら神に忠誠を尽くす良い騎士になれるぞ」
 言葉を返さないフォースを笑い飛ばし、クエイドは背を向けて去っていった。
 自分の国と言われても、フォースに思い当たる国はメナウル以外どこにもない。メナウルに濃紺の目を持つ人間は他にいないため、クエイドには他国の人間だと言われるのだ。実際はフォースの母親が同じ瞳をしていた。だが、もともとメナウルにいたのか、どこかからメナウルに来たのか、ほとんど明かすことなく母は亡くなってしまった。父も知らないと言うのだから、フォースにはもう確かめようもない。
 クエイドが完全に見えなくなってから、リディアはフォースの顔をのぞき込んだ。フォースの表情は硬いままだったが、リディアと視線があうとかに作り笑いを浮かべた。
「ゴメン、こんな話」
 フォースに首を横に振って見せ、リディアは小さくため息をつく。
「クエイドさんは、目にする騎士みんなに斬れ斬れって言うのかしら。もしも、みんながうなずいてしまったら……」
 心配げなリディアを見て、フォースは仲間の騎士達の顔を思い浮かべた。
「いや、大丈夫。少なくとも俺のまわりにそんな騎士はいないよ。大丈夫」
 フォースを見上げて聞いていたリディアの表情が、フワッと微笑みに変わる。と同時に、フォースは自分の気持ちの波がいでいくのを感じていた。リディアの笑顔はいつも、フォースのこごった気持ちを解かし、安らぎや安堵を与えてくれる。それはフォースにとって唯一であり、かけがえのないものだ。
 急にティオが中庭に走り出た。リディアが呼び止めようとしたが、もう既に随分遠いところに背中が見える。
「どうしたのかしら。ずっと離れたことって無かったのに」
 リディアは困惑した顔でフォースを振り返った。ティオはリディアを守ると明言してから今まで、片時も側を離れずにいたのだ。リディアが心配するのも理解できる。フォースは中庭を親指で示した。
「行ってみようか?」
 うなずいてリディアは歩き出した。フォースが横に並ぶ。
 中庭といっても結構広い。いろいろな種類の木が植えられ、散策するためにつけられた道の両脇には花が咲いている。そこに踏み出して、フォースは思わず足を止めた。五、六匹のピクシーが目に入ってきたのだ。手のひらくらいの大きさから、子供の大きさくらいまでいる。羽根も個性的で、蝶のようだったりカゲロウのようだったり、いろいろな形、さまざまな色の光を放っている。美しい光景だとは思う。だが、これまで数えるほどしか妖精を見たことが無いフォースには、少し不気味に感じた。
「いつもと違って、にぎやかでしょう?」
 フォースより二、三歩先に進んで振り返ったリディアが、フォースの思いを察したように言う。
「最近、とても多いのよ」
 リディアは楽しげな微笑みを浮かべてまわりを見ている。妖精達が向けてくる珍しいモノを見るような視線がうるさくて、フォースは苦笑でごまかした。この光景に慣れているのか、リディアはさっさと中庭の奥へと歩を進めていく。フォースは慌てて後を追い、リディアと肩を並べた。
 横からのぞき込むように飛んでいるピクシーに、リディアは手を差し出した。小さな妖精は何度かリディアの手をかすめて行き来し、ほんの少しだけ指先に触れて逃げるように飛び去っていく。
「とても綺麗よね。見えるようになるのって嬉しいわ」
 それを見送って、リディアはフォースに笑顔を向けた。そのあいだをピクシーが横切り、フォースは顔をしかめる。
「でも、ちょっと多すぎる」
 まわりを改めて見ると、たぶんピクシーだけではなく、まだまだ結構な数の妖精がいそうだった。葉の陰から光が見え隠れしているところが何カ所かある。
「ティオったら、どうしたのかしらね」
 中庭の真ん中、女神像がある少し広くなった場所で、リディアは中庭の奥をのぞき込むようにしてため息をついた。フォースは心配げなリディアに微笑して見せる。
「知り合いでも、いたのかもな」
 フォースは、さらに奥に進もうと足を踏み出した。リディアは腕をとってフォースを止める。
「もしそうなら邪魔になるわ。待っていた方がいいんじゃない?」
「俺、ものすごく邪魔したい気分なんだけど」
 イタズラな笑みを浮かべて振り返ったフォースに、リディアは苦笑して眉を寄せた。
「駄目よ。相手が妖精なら驚いていなくなってしまうわ。可哀想」
 ムッとした顔をして、フォースはリディアの頬に触れる。
「お互い様だろ」
「え? あ」
 キスの邪魔をしたティオを思い出し、リディアは口を押さえた。その手をフォースがむ。
「行かないか? 一緒に」
 虚をつかれたように、リディアはキョトンとした顔をフォースに向けた。フォースはリディアをまっすぐ見つめる。
「明日の午後には、城都を発たなきゃならないんだ」
 フォースが城都に滞在する時間はいつも短い。そして行き先は戦の中なのだ。実際の距離より精神的な距離が、さらに遠い。リディアは寂しさと悲しさで顔をゆがめた。
「次に戻れるのは、二ヶ月以上あとになる。それもヴァレスがあんなことになったから、確実に戻れるのかも分からない」
「でも、アテミアさんが……」
 リディアはそこまで言葉にしたが、あとは声にならなかった。本当は自分がどうしたいのか、もう自覚してしまっているのだ。フォースは掴んでいた手を引いて、リディアを抱きしめた。
「ただの一ヶ月があんなに長かったんだ。それ以上だなんて考えられない」
 見つめ合ったリディアの瞳に涙が溢れてくる。フォースはリディアと唇を合わせた。リディアのすべてを包み込むように、腕に力を込める。
「もう、離したくない」
 息がかかる距離のフォースの言葉に、リディアは身体を寄せた。
「私も、側にいたい」
 小さな声だったが、それはフォースの耳にしっかりと届いた。
 大きな影が二人を覆った。フォースが顔を上げると、そこには妖精の姿をしている大きなティオがいた。またお前かと思いながらフォースはティオを見上げたが、すぐいつもと違う様子に気付いて眉を寄せた。ティオはボゥッとまっすぐ前を見て、何も考えていない、ほうけたような顔をしている。リディアもフォースの視線を追ってティオを見上げた。
「ティオ? どうしたの?」
 リディアの声が聞こえたのか聞こえていないのか、ティオはゆっくりと視線を落とし、二人を見た。
「ティオ?」
 リディアはフォースの腕から離れて、ティオの方へと足を踏み出した。途端、ティオの大きな手が、リディアの身体を掴んだ。剣の柄に手をかけたフォースを、もう片方の手で払い飛ばす。側にあった木の幹に、凄い勢いで背中をぶつけ、フォースは地面に両手をついてうめき声を上げた。
「ティオ! なんてことを! 放して!」
 そう叫んだリディアを両手のひらに乗せ、ティオは腕を高く突き上げた。
 空が急激に明るくなり、目を開けているのが辛いほどのまぶしい光の球が、まっすぐティオの手のひらに落ちた。ドンという音がして、辺りが光に溢れ、何も見えなくなる。
 少しずつ光がおさまり、目が慣れるにしたがって、白い布切れがゆっくりと辺りに降ってくるのがフォースの目に入った。
「リディア?!」
 その布切れがリディアの服だったことに気づき、フォースは剣を抜いて少しずつ見えてきたティオに駆け寄ろうとした。草が急激に伸びて足にからみついてくる。
「くそっ!」
 フォースは剣を足元に向けた。草に刃を当てる直前、今度は剣を持った腕に後ろの木の枝が巻き付く。剣を引き留める枝に驚き、振り返ろうとしたその首にも枝が伸びてきた。苦しさに剣を取り落とし、首に絡んでくる枝に手をかける。だがそれは千切れるどころかドンドン成長して鎧の隙間から入り込み、身体まで締め付けて息をする自由までをも奪っていく。意識が遠のきかける中で、フォースはただリディアの身だけを案じた。
 ティオの掲げた手のひらに吸い込まれるように、光がひいていく。と同時に、フォースを拘束している枝の力も抜けていった。フォースはそれを待っていたように、手の枝をほどき、首をつなぎ止めた枝を折る。
 ほとんど元通りに、夜の中庭の空気が戻ってきた。ティオの腕がゆっくりと降ろされ、その手のひらに気を失ったリディアが横たわっている。フォースは剣を拾ってからみついている草を切り、ティオの方へ駆けだした。
 ティオはをズシッと地面につけ、膝の前にリディアを乗せた手を置いた。焦点の合わない目を虚空に向けて、身体をユラユラと揺らしている。フォースはリディアの服がほとんど残っていないことに驚いたが、ティオの身体が前に傾きつつあることに気付き、慌ててリディアを抱いてティオの陰から逃れた。ティオはそのまま前に倒れ、ドドッと大きな音を立ててひっくり返る。フォースはその重たそうな音で、下敷きになっていたらと思い、背中に冷たいものを感じた。
 フォースはリディアをいったん柔らかな草の上に寝かせた。マントを外して裸同然のリディアをそっと包み込み、抱き上げる。何が起こったのか分からないが、とにかく手当が必要だと思った。
「フォース!」
 中庭の入り口をくぐり、背中までまっすぐに伸びている銀の長髪をなびかせ、神官のグレイが走り寄ってくる。フォースはリディアを抱いたまま、グレイの方へと急いだ。
「大丈夫か?」
 グレイは真っ白な肌を少し上気させ、ほんの少し赤みがかったシルバーの瞳を一瞬だけフォースに向けると、荒い息をしながら両手を膝に付いた。フォースは眉を寄せて心配げにリディアの顔をのぞき込む。
「分からない」
 グレイはフォースよりほんの少し大きく細い身体を起こしながら、パタパタと右手を振る。
「違う、フォース、お前の方」
 フォースは訝しげにグレイを見た。グレイと正面から視線が合う。グレイが心配しているのはフォースなのだ。フォースは、この状況を見れば誰もがリディアの方を心配すると思った。だが、グレイはなぜか違っている。
「俺か? 俺はこの通り……」
降臨の光の中にいて、シャイア神が降りた巫女以外の人間が無事でいたなんて、前例にないんだ」
 フォースは虚をつかれたように茫然とした。グレイはフォースの首に残っている枝に、手を伸ばしかける。
「なんて言った?」
 グレイの行動をったフォースの真剣な様子に、グレイはフォースと視線を合わせた。
「なんてって、前例にない?」
「いや、その前」
「ええと、降臨……、あ、そうか」
 グレイは忘れていたとばかりに、ポンと手を叩く。
「そう。これは降臨だよ。リディアに女神が降りたんだ」
「降臨? ……あれが?」
 フォースは、訳の分からない怒りを押し込むように口を閉ざし、リディアを見下ろしたままその表情をこわばらせた。