レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     5.女神の声

「降臨が成されている間、基本的に巫女は女神の部屋に滞在し、女神は部屋から力を使われ、自然現象によって軍部の後押しをしてくださいます。ですから護衛はほとんどの場合神殿内で行われ、女神の性質上、妻帯者が就くのが良策とされてきました」
 茶色の髪と瞳を持った神官長シェダの、幾分ゆっくりした話し声が城内の執務室に流れる。壁に貼られたアイボリーで木目調の布地と、マホガニー製で統一された家具が、部屋を落ち着いた雰囲気に見せている。シェダの穏やかな表情とゆっくりとした動きが、その落ち着いた空気に輪をかけていた。
 シェダが自分の左から、赤黒色の円形テーブルに着いている人たちを見回した。まだ四十四歳と若いが堂々と威厳を持った皇帝ディエント、降臨があったからだろう、妙に楽しげなクエイド、チラチラとフォースを気にしているサーディ、そしてたえずうつむき加減で視線が合わないフォースが、順にシェダの目に映る。
「今回女神の護衛はフォース君にお願いしたいのです」
 シェダの言葉を聞き、フォースはうつむいたまま息をのんだ。ディエントは濃茶の瞳をチラッとだけフォースに向ける。フォースの首には枝に絞められたアザがくっきりと付いたままだ。ディエントはゆっくりうなずくとシェダに視線を戻した。
「フォースは妻帯者では。ああ、降臨を受けたのは君のお嬢さんだったな」
 はい、と、シェダは軽く頭を下げる。そのすぐれない顔色に、ディエントは眉を寄せた。
「まだ、眠っているままか?」
「ええ。早くて三日、たいていの場合四日は」
 シェダの返事が、そこでとぎれた。フォースの頭の中を、目の前で起きた降臨がよぎっていく。その時何が起こっているのか分からなかったが、リディアを守れなかったという事実が、フォースの神経を責めつけていた。少しの沈黙のあと、クエイドはフッと頬を緩ませる。
「なんにしても、降臨があったというのは喜ばしいことです。これでシャイア様直々の力で、土地を取り戻してくださるでしょう」
 クエイドの朗々とした声が城の執務室に響く。あと数年で六十に届こうという年の割にはがあり、耳障りな声だとフォースは思った。気付かれないようにテーブルに視線を落としたまま、フォースはマホガニーの木目に向かって顔をしかめる。シェダは小さく息を吐くと気を取り直すかのように背筋を伸ばした。
「降臨を受けると、やはり生活が変わってしまいますので、護衛もなるべく馴染みのある人間にいてもらいたいのです」
 シェダの真剣な眼差しに、ディエントは小さくうなずいた。だが、表情は変わらずしいままだ。
「しかし、フォースは二位だ。支障は出ないか?」
 ディエントの目がクエイドに向く。クエイドは軽く首を横に振った。
「いえ、いくらかの支障は出るでしょうが、普段の業務でしたら他の騎士に振り分けてもかまわないかと存じます」
 その発言の意外さに驚き、フォースは思わず顔を上げてクエイドを見た。クエイドは笑ったのか顔をしかめたのか、フォースと視線を合わせてわずかに目を細めると、再びディエントと向き合う。
「降臨の光の内側にいて命を落とさなかったのは、彼が初めてだそうじゃないですか。もしそれに意味があるならば、彼が必要だったから殺さなかったのではないかと」
 クエイドはディエントが微苦笑を浮かべたのを見て言葉を切った。そのままディエントが口を開くのを待つ。
「まあ、そう取れないこともないな。私としては、女神が降りたからこそ、前線に彼のような存在があった方がいいと思ったんだが」
「それは反戦運動を推進なさると、そういうことですか?」
 クエイドはグッと眉を寄せた。ムゥとうなり声をあげると、まっすぐディエントを見据える。
「陛下が直々に、そのようなことをおっしゃるなど。一部の民の意見を鵜呑みにされるようなことは」
「そうではない。私にはそのような行動はとれん。ただ、若い時にそう考える時期があるのは、私自身も否定はできんのだよ」
 ディエントの言葉を聞き、フォースはサーディに視線を向けた。サーディはその視線を避けるように肩をすくめ、フォースは表情をしくする。
「まさか……」
 フォースの険しい視線を手のひらでるようにして、サーディは苦笑した。フォースは思わずサーディに向き直る。
「良くない!」
「いけません!」
 かぶった声にギョッとして振り返ったフォースに、耳を疑うかのようなクエイドの視線が合った。フォースはクエイドから目をそらして口をつぐんだ。サーディは、クエイドが茫然とフォースを見ているのを目にして、ため息のように苦笑した。
「こんなところで意見を合わせてくれなくても。今はこの話をしている時ではないし、あとから別々に聞くよ」
 クエイドは不満そうな顔をした。ディエントはそれを手で制し、あらためてサーディと向き合う。
「フォースは女神の護衛に就いてもらおうと思うがそれで良いな?」
「はい。私もそれが最善だと思います」
 そのサーディの返事に満足そうにうなずき、ディエントはテーブルに着いた面々を見回した。
「では、女神の護衛は、フォース、頼むぞ」
 フォースは動揺をなんとか抑え込み、敬礼で答えた。ディエントは、シェダが控えめに表情をほころばせたのを目の端で見て、クエイドに言葉を向ける。
「神殿警備はフォースに兼任させるとして、影響してくる部分とサーディの護衛についての配置を熟慮してくれ」
 クエイドはディエントに深々と頭を下げた。
「他には?」
 ディエントの視線に、シェダがハイと返事をする。
「リディアは女神の部屋で生活し、フォース君には前衛の部屋を使ってもらいます。それから神殿側では専属でシスターを二人付けます。あとの細かいことは神殿の方で説明しようと思いますが」
 ディエントがうなずいて向けた瞳に、フォースは敬礼を繰り返した。
「承知いたしました」
「では、すぐにでも警備の体制を整えてくれ」
 ハイと返事をしたフォースの肩を、シェダがポンと叩く。
「頼むよ」
「はい。では私はこれで失礼いたします」
 フォースは一度立ち上がり、その場で最敬礼をした。
「では、私めも」
 クエイドがかしこまったお辞儀をする。フォースは先に立ってドアを開け、クエイドを通してから部屋を出た。ドアを閉めて振り返ると、まったままのクエイドと目が合う。
「お前がサーディ様の反戦運動に反対するとはな」
 クエイドの冷笑に、フォースは何も言わず口をつぐんだままでいた。
「お前が敵を斬らないなどと妙な真似をするものだから、サーディ様にも影響が出たのだろう。まぁ、相手の戦力を削ろうとしない騎士など、戦の中では意味がない。女神の護衛がお前には似合いだ」
 クエイドの喉から漏れる含み笑いに対し、フォースは丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
 予想をしていなかっただろうフォースの反応に、クエイドは苦々しげに顔をゆがめる。
「女神に降臨を解かれるようなことになれば、どうなるか分かっているだろうな」
 そう言い残すと、クエイドは廊下の奥へと去っていった。
 クエイドの姿が見えなくなって、フォースは身体の力が全て抜けるほどの大きなため息をついた。これから女神の護衛に就かなければならない。リディアをあんな目に遭わせた奴を守れというのだ。もしも女神だけ斬れるものなら、叩き斬ってしまいたいほどの衝動に駆られる。フォースは苦渋に顔をしかめた。
 フォースの背後、執務室のドアが開いた。慌てて振り返ると、シェダが部屋から姿を見せる。
「どうなるか分かっているだろうな、で、固まっていたのかね?」
「あ、いえ、そんなわけでは。聞いていらしたのですか?」
 フォースの力のない声に、シェダは苦笑した。
「ドアの側にいたからね。聞かずとも聞こえるよ。まっすぐ部屋へ行くのかね?」
 フォースはシェダに向かい、ハイとだけ返事をした。シェダは行こうと言うが早いか、先に立って歩き出す。フォースは慌てて後に続いた。
「女神の護衛が似合いだというのは笑えるな。反対されなくて幸運だった」
 歩きながらシェダは、喉の奥で笑い声を立てる。女神に対する自分の気持ちを追求されるのを避けるため、フォースは軽くうなずいた。シェダは相変わらず笑っている。
「ま、これで駆け落ちしなくてもよくなったって訳だ」
「は? 駆け落ち、ですか?」
 眉を寄せたフォースを、シェダは指さした。フォースは思わずその指先を見つめる。
「って、わ、私ですか? どうしてそんな」
 フォースは驚きに目を見張った。シェダはフォースの顔をチラッと見やる。
「中庭でのこと、グレイ君に聞いたよ。二階のバルコニーになっているところから見ていたんだそうだ。リディアと駆け落ちの相談をしていたと言っていたぞ?」
「み、見てた、ですか? ……でも、駆け落ちの相談なんて、していませんが」
 フォースは驚きを隠し、顔をしかめて考え込んだ。どうりでグレイが降臨のあと間を開けず、サッサと駆けつけてきたわけだと思う。フォースが顔を上げると、幾分ムスッとしているシェダと目があった。
「なんです?」
「見られて困るようなことをしていたのか?」
「してません」
 勢いで言い返したフォースの顔を、シェダがジーッとのぞき込む。キスをしていたことまで何もかも全部聞いたのだろうかと内心ビクビクしながら、フォースはシェダに胡散臭げな表情を向けた。
「してませんってば」
「そうかね? まぁ、それはそれでいいが。一緒に行こうと誘っていたのではなかったのかね?」
 疑わしげな顔のシェダに、フォースは苦笑した。そういうことなら確かに話した覚えがある。ごまかしが効くとも思えない。
「ええ、それは話しました。もしいい返事をいただいたら、とりあえずその足でうかがおうと思っていたのですが。目と鼻の先ですし」
 シェダはブッと吹き出して豪快に笑い出した。フォースは、シェダが笑っているからといって、機嫌を損ねずにいられたかは分からなかったが、この話題からは離れられると思いホッとした。フォースは隣で笑っているシェダに気付かれないように、今日何度ついたか分からないため息を、緊張感と一緒に吐き出した。と同時に、息を潜めていた他の不安が、次々と胸にわき上がってくる。
 女神が降臨すると、なにがどんな風に変わるのだろうか。フォースは、せめてリディアがリディアらしいままで、いてくれたらと思った。リディアを守ることが女神の護衛にもなるのなら、女神への不信感も、どうにか自分の中だけに納めておけそうな気がするのだ。それにティオだ。降臨があったあと、一度目を離してからどこにいるのかが、まったく分からない。見つけて話を聞きたいとは思うが、生きているかどうかすら確かめようがないのだ。心配だが、ただ出てくるのを待つ以外に方法はない。
 神殿に続く廊下を渡り、女神の部屋へと続く階段を上る。シェダは、考え込んでうつむき加減なフォースに目をやった。鎧のネックガードの陰に、枝に絞められた跡がチラチラと見える。
「怪我は大丈夫なのかね?」
 シェダの問いに、フォースは苦笑を浮かべた。
「怪我というほどのモノでは」
「だといいのだが。薬が普通に働いてくれない身体なのだから、なるべく気を付けてくれないと」
 はい、という、幾分上の空の返事を聞いて、シェダはため息をついた。フォースは紺色の瞳を持つ母親エレンの血を引くせいか、薬が薬の役割を持たない。ただの傷薬がとんでもない吐き気をもよおす作用を持っていたり、毒が水と同じだったりするのだ。エレン自身は薬を理解していたらしいが、ほとんどなにも伝えないうちに亡くなってしまっている。怪我をしたら強い酒で傷口を洗うくらいしか分からない。騎士に怪我はつきものだ。それでも騎士になったフォースが、シェダにはどうしても危なっかしく映った。
 女神の部屋の前には、現在の神殿警備責任者であるゼインと、他に兵士が一人立っていた。ゼインもその兵士も、メナウルでは一般的な茶色の髪と瞳をしている。フォースは敬礼を向けてくる二人に返礼を返した。
「シェダ様とフォースさんです」
 兵士が部屋の中に声をかけ、ドアを開ける。見知らぬ兵士が迷いもなくフォースの名を呼ぶのは、二位の印に付けている赤いマントと、やはり特異な濃紺の瞳のせいもあるのだろう。
 フォースは兵士に自分の隊を集めてくれるよう言い渡し、シェダと部屋に入った。そこは女神を守る騎士が寝泊まりをする部屋になっている。荷物を置くための簡単な棚と、ベッドが一台あるだけの殺風景な部屋だ。その奥、扉が付いていない女神の部屋から、グレイが姿を見せた。
「まだ眠っていらっしゃいます」
 グレイの報告に、シェダは眉根を寄せてうなずいた。
「昨日の今日だ」
 難しそうな表情から出てきた言葉に、フォースは城の執務室で聞いた三、四日と言う期間を思い出した。リディアが眠りから覚めるのは早くても明後日以降ということになる。シェダはリディアを寝かせてある女神の部屋へと入っていった。グレイに手招きされて、フォースも後を追う。
 部屋をのぞくと、シェダに挨拶をしていたのだろう、ちょうど顔を上げたシスター服の女性と目が合った。二十代中頃だろうか、フォースを見て頬を緩ませる。
「ナシュアといいます。女神付きを仰せつかりました。よろしくお願い致します」
 そう言うと、きれいにたたまれたシーツを持ったまま、深々と頭を下げる。
「フォースです。こちらこそよろしくお願いします」
 フォースはナシュアに敬礼を向けた。頭を上げたナシュアは、それを見てもう一度、軽く視線を外さない挨拶をする。
「あぁ、すまん。初めてだったね」
 シェダはリディアが眠っているベッドに腰掛けたまま、フォースとナシュアに声をかけた。ナシュアはいいえと首を横に振る。
「陛下はシェダ様のお願いを聞いてくださったんですね」
承諾していただいたよ。本当によかった。リディアには一番だ」
 シェダの言葉に微笑みながら、ナシュアは手にしたシーツをベッドの向こう側の棚に片付けにかかった。
 フォースは降臨が起きた時に思いを巡らせていた。あの時、どうにかしてリディアを守ろうと、敵を斬ろうとしたのだ。その敵が女神だった事実は、フォースに重くのしかかっていた。降臨だと知らなかったとはいえ、許されることではないと思う。それなのにフォースは女神に殺されることなく、逆に生かされているのだ。フォースには、なにがなんだか訳がわからず、そして、ただリディアを守れなかった自分が、ましくてならなかった。
 静寂をシェダのため息が破った。シェダはリディアのベッドから立ち上がる。
「私は執務室に戻る。後のことは頼むよ。細かいことはグレイ君、君がフォース君に教えてやってくれ」
「はい」
 頭を下げたグレイに一言頼むぞと言い置き、フォースの肩をポンと叩いて、シェダは女神の部屋を出た。
 廊下へのドアが閉まる音がすると、グレイは声を殺して笑い出した。フォースはそんなグレイに恨めしげな視線を向ける。
「グレイ、てめぇペラペラと……」
「悪かった。状況説明したら、見てたことまでバレちまってさ。ゴメンって」
 謝りながら、グレイはまだ笑っている。フォースはグレイを無視してベッドに近づいた。恐る恐るリディアの顔をのぞき込む。フォースの目には、リディアの寝顔が今にも泣き出しそうに見えた。
「大丈夫ですよ」
 ベッドを挟んで向こう側からナシュアが声をかけてくる。フォースはそんなに心配そうに見えたのかと、何も言えずに苦笑だけ返し、視線をリディアに戻した。手を伸ばし、そっと頬にかかった琥珀色の髪をはらう。眉が少し寄った気がして、フォースはベッドのヘッドボードに手をつき、リディアの表情をジッとうかがった。少しずつリディアの瞳が開く。
「リディア?」
「こら」
 グレイが後ろから鎧をつかみ、フォースの上半身を引っ張り起こした。
「フォース、無理に起こすなよ?」
「起きたから声をかけただけだって」
 フォースのムッとした声に、グレイはリディアに目をやって息をのんだ。
「一日で気付くなんて、前例に……」
「もういいよ、そんなこと」
 フォースは吐き捨てるように言うと、リディアに向き直った。
「大丈夫か?」
 コクンとうなずいて起きあがろうとするリディアに、フォースは手を貸した。リディアはフォースのすぐ前、ベッドの上に、ペタンと座り込んだ。グレイがフォースの横から顔を出す。
「リディア? 何があったか覚えてる?」
「降臨、ですね」
 リディアはその言葉にしっかりと返事をした。グレイはリディアにうなずいてみせる。
「身体の調子はどう?」
 二度目の問いに、リディアはほんの少し身体を揺するように動かして確かめた。降臨の時に服がはじけ飛んだのを思い出したのか、胸に手を当てて頬を染める。
「変わりありません」
「そう? よかった」
 グレイの微笑みを見て、ナシュアが知らせてきますと部屋を出ていく。リディアはベッドに座ったまま、心配げな目を向けているフォースを見上げた。首に付いた、枝に絞められた跡を見て眉を寄せる。
「生きていてくれたのね」
 リディアは涙をこらえた顔を隠すように、フォースの鎧にコンと額を付けた。今までと変わらないリディアだ。そう思うと、フォースの身体から幾分緊張が解けた。フォースはリディアのつややかな髪を、そっと撫でる。
「ゴメン、守ってやれなくて……」
 リディアは驚いたように顔を上げた。首を思い切り横に振る。
「だって、シャイア様なのよ?」
 その名を出しても、フォースは後悔の表情を変えなかった。リディアの瞳から涙が溢れてくる。その涙をぬぐいもせずに、リディアはフォースを抱きしめた。
「ありがとう」
 リディアの言葉に、フォースはいくらか安堵し、両腕でそっとリディアを包み込んだ。グレイはアーアと声に出るほど大きくため息をつく。
「まったく……。間違っても他に人がいるところで、そんなこと言うなよ」
 グレイはフォースに向かって苦笑してみせた。フォースはリディアを抱いたまま、グレイにもゴメンと繰り返す。
「ま、でもシェダ様は、フォースのそういう面も全部ひっくるめて、護衛に指名したんだろうけどな」
 何度かうなずきながら言ったグレイに、フォースはしげな顔を向けた。グレイは肩をすくめて、騎士の部屋へと向かう。
「シェダ様は、女神も大事だろうけど、リディアも大事なんだろうからさ」
 フォースは、その言葉を噛みしめるようにうなずいた。それを見て、グレイは微笑みを残し、となりの部屋へと移動していく。黙って聞いていたリディアが、涙をぬぐってフォースを見上げた。
「護衛、フォースなの?」
「さっき、正式に受けてきたよ」
 フォースはリディアに笑顔で返した。リディアは安心したようにホッと息をつき、それから思いついたように憂え顔になる。
「これから私、どうしたらいいのか。これじゃあいつもと変わりないわ」
 リディアは困惑したようにため息をついた。フォースが答えを返せないでいると、前衛の部屋のドアが開く音が聞こえてきた。たぶんシェダが来たのだろうと思う。
 その時フォースは、いきなり頭部に衝撃を感じた。その場で頭を抱えたフォースを、リディアは狼狽したようにのぞき込む。
「どうしたの?」
 フォースは頭の痛みを振り払うかのように首を横に振った。だんだん痛みが引いていき、そこに残った意志がハッキリしてくる。
「前線、だって? 女神か?」
「フォースにも聞こえたの? すぐに前線に立てって。シャイア様の声よ。大丈夫?」
 心配そうに見上げてくるリディアに、フォースはうなずいて見せた。
「ああ。でも、声っていうより、まるで頭を殴られたような」
「気が付いたんだね」
 振り向くと、ちょうどシェダが部屋に入ってくるところだった。後ろからグレイも入室してくる。フォースは二、三歩下がってシェダを向かい入れた。シェダはまっすぐリディアの元へ行き、ギュッと抱きしめて背をポンポンと叩く。
「よかった」
「お父様、シャイア様がすぐに前線に立てと、そうおっしゃったの」
 リディアは、シェダの腕の中から話しかける。シェダはリディアと視線を合わせた。
「すぐにか?」
「はい」
「それはまたいきなりだね。前線に出たことがないわけではないが。では、神殿警備は、ん?」
 シェダはフォースに言葉を向けようとして、その顔色が優れないことに気付いた。
「どうしたんだね?」
「フォースにも、声が聞こえたんです」
 そのリディアの言葉に驚いたように、シェダとグレイが顔を見合わせた。シェダがフォースに向き直る。
「本当かね?」
「ええ。声というより、思念というか、意志そのものでしたが」
 シェダは真意を測るように、ジッとフォースに見入った。フォースはシェダをしげに見返す。
「あの、なにか?」
 フォースが理解していないことに焦れたように、グレイが肩をすくめる。
「フォース、それも前例にないんだ」
「前例? また前例か?」
 グレイはフォースのうんざりといった声にうなずいた。
「降臨の光の中にいて無事だった奴も、降臨されているわけでもないのに女神の声が聞こえた奴も、今まではいなかったんだ」
 グレイとシェダに難しげな表情を向けられ、フォースは顔をしかめた。
「嫌われてるのかな」
 フォースのつぶやきに、シェダがブッと吹き出した。グレイが人差し指を揺らして首を横に振る。
「あのな。普通逆だろ。嫌われてれば殺されてるし、わざわざ意志を伝えたりするようなことはしないって」
 グレイのあきれ顔に、フォースは憂鬱そうな視線を返す。
「俺には嫌みにしか思えない」
 グレイはお手上げとばかりに両手を広げた。
「ボケ」
 ボソッと声が聞こえた。フォースとリディアは顔を見合わせる。
「ティオ?」
 リディアは周りを見回した。フォースはベッドの足側から回り込む。反対側まで来た時、ヘッドボードの陰から子供の姿のティオが飛び出した。フォースが後を追うと、ティオはベッドに飛び乗り、リディアの陰に隠れる。リディアはティオを捕まえて、面と向き合った。フォースが横から声をかける。
「てめぇ、なんで姿を隠したりしたんだ」
 ティオはプクッと頬を膨らませた。
「だって怒ってるんだもん」
「てめぇは妖精なんだから、どうせ女神に逆らったりはできないんだろ? いなくなったりしたら心配するだろうが。ったく」
 フォースのついたため息を、ティオはキョトンとした顔で見つめている。
「怒ってるのは私よ」
 リディアの声に、ティオは驚いて振り向いた。
「どうしてフォースを突き飛ばしたりしたの」
 リディアの静かな口調に、ティオはシュンとなる。
「だって、シャイア様の光の中にいたら死んじゃうだろ。でも、もっと遠くに飛ばさないと駄目だったみたいだけど」
 ティオが口の中でモゾモゾと答えたのを聞いて、リディアは思い切り顔をしかめた。
「そんなコトしたら死んじゃうでしょう」
「あ、そっか」
 ティオは力無くアハハと笑い出す。フォースは薄笑いを浮かべた。
「ボケ」
「お前が言うな」
「なんだってぇ?」
 フォースがティオを捕まえようとすると、ティオはリディアの陰に隠れた。ティオは顔だけ出してフォースをにらみつけ、グルグルとのどを鳴らしている。フォースはティオと顔を突き合わせた。
「またそうやって隠れる」
「羨ましいんだろ」
 ティオの言葉に唖然としているフォースの肩を、シェダが含み笑いをしながらポンと叩いた。
「とにかく、前線に向かってもらうよ。私は神殿警備の話を、クエイド殿に通してくる」
 フォースはハイと返事をして、シェダに敬礼を向けた。