レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第2章 女神の開戦

     1.出立

 ライザナルの首都、マクラーンという都市中央に、巨大な城がある。街の建物から突き抜けて高い尖塔がいくつも建ち並び、面積も膨大だ。城壁に囲まれた前庭には、暖かな場所で咲いた花を運んできて植えたのだろう、決して自然には咲かない花々が咲き乱れている。その寒さに枯れてしまう運命の花々の中、前後を武装した兵士に囲まれて、豪華な馬車三台が城の大きな扉に横付けされた。
 ダークグレイの鎧に身を固めた黒髪の騎士が、一番前のひときわ豪華な馬車に沿って馬を止める。アルトスだ。馬を降りて兵に預け、馬車の扉の前に行くと、その黒い瞳を城に向けて姿勢を正した。
 時を経たずして、華やかで質のよい服装の人々が集まってきた。見送りのためだろう、城の出入り口から馬車までの道に沿って幾重にも並び、馬首の方向にも人の壁が作られていく。
 人の動きが落ち着くと、城の内部からやはりダークグレイの鎧に身を包んだ金髪の騎士が姿を現した。手を前に差し出すその合図で、城にいた兵が道にできた人壁をい、ガードに入る。体制が整ったところで、その騎士はひざまずいて最敬礼をした。
 城の中から、厚みのあるマントに身体を包んだライザナル皇帝クロフォードが進み出た。二歩ほど下がったところを、后であるリオーネと、リオーネに手を引かれた八歳の王女ニーニアが、付き従うように歩を進める。リオーネはシルバーで毛足の長い毛皮をまとい、繊細で薄い生地の手袋を手にして、クロフォードの背中を見つめていた。ニーニアは華やかなピンクのマントを羽織り、その透き通った水色の瞳で、同じ色の瞳を持つ浮かない顔の母を、心配げに見上げている。
 二人の歩みの後、少し距離を置いて、道に並ぶ人々と同じに軽装のままのデリック、黒い神官服のマクヴァルが続いた。
 馬車より数歩手前、アルトスのすぐ前でクロフォードは後ろを振り返った。リオーネは風に揺れた金色の髪を手で押さえながらクロフォードの脇に立ち、デリックとマクヴァルはクロフォードと向き合う。
「では、後のことはそなた達に任せる」
 クロフォードの言葉に、デリックは最敬礼をし、マクヴァルは深いお辞儀を返した。
「まずはラジェスへ向かう。私は城に寄らずにラジェスを発つが」
 クロフォードはリオーネを振り返る。リオーネは街道から少し離れた崖の上にあるラジェス城を思い浮かべた。クロフォードが街道と城の往復さえうことに眉を寄せ、リオーネはクロフォードを見返す。
「私はラジェス城に滞在します。そこから先には、私もニーニアも行きません」
 リオーネは王女の小さな手を両手で包み込み、きっぱりと言い切った。クロフォードは微かに眉を寄せる。
「一刻も早くレクタードに会いたいとは思わんか?」
 クロフォードは、問いただすようにたずねた。リオーネはますます表情をゆがめる。
「思わないわけはございません。私の息子ですのに。それよりも、いきなりニーニアをレイクス様に会わせることなどできません。許嫁とはいえ、時間の余裕は必要です」
 リオーネはニーニアの肩に手を乗せ、見上げてくるニーニアと視線を合わせ金茶の髪をそっと撫でた。クロフォードのそうかという返事にため息が混ざる。一瞬の後、クロフォードはまっすぐな視線をデリックに向けた。
「そういうことだ。やはり私は即日ルジェナへ発つ。何かあれば、知らせはまっすぐルジェナ城へ頼む」
「承知いたしました」
 デリックの返事を上の空で聞きながら、リオーネはニーニアと共に捨て置かれるような状況を呪った。クロフォードの心中、レイクスが占める割合の大きさを、ひどく不快に思う。しかも情報がリオーネを素通りすることに、なおのこと不安が膨らんだ。
 クロフォードが馬車を振り返ると、アルトスは馬車の扉をスッと開けた。中にこもっていた暖かな空気を突っ切るように、クロフォードは馬車に乗り込む。アルトスはニーニアの乗車に手を貸した。クロフォードはアルトスから受け取るようにニーニアを抱き上げ、自らの横に座らせる。リオーネは差し出されたアルトスの手を一瞬躊躇してから取り、切なげな視線を向けてから馬車に乗り込んだ。
 アルトスは中に最敬礼を向けて扉を閉めた。振り返ってデリックとマクヴァルにも敬礼を向ける。簡単な返礼を見てから、アルトスは無言のまま馬に戻った。
 デリックとマクヴァルが車上のクロフォードに向かい深々と頭を下げた。それを合図に馬車三台の行列がゆっくりと前進を始める。荷物を満載した後ろ二台と騎馬隊が通り過ぎ、列を正していた兵が馬車の後に続き移動していく。金髪の騎士も馬車を追うように城門まで歩を進めた。
 馬車が城壁の外に姿を消すと、見送りの人々はそれぞれ様々な方向に散っていく。それを見て、デリックはチラッと視線をマクヴァルに向けた。
「リオーネ様も大変でいらっしゃいますな。今さらレイクス殿が生きているなどと」
「シアネルの巫女の子ですな」
 マクヴァルは、フッと口の端で冷笑した。デリックは一瞬冷めた視線を向け、ごまかすように大きくうなずく。
「ほんの一週間、生まれが遅いだけで、王位継承権をレイクス殿に取られてしまうなど、レクタード殿の心中も穏やかではありますまい」
 デリックはククッとのどの奥で笑い声を立てた。マクヴァルは漆黒の瞳をデリックに向ける。
「だが、まだ生きていると分かっただけ。ライザナルにお連れすることが、できますかどうか」
「しかし、前線側の城に行かれるのは時期尚早だとの説得にも、耳を貸さぬほどひどくご執着の様子、何を置いてもレイクス殿のことを優先されるでしょうな」
 デリックの言葉に、マクヴァルは微苦笑を浮かべた。
「デリック殿は、レイクス殿が見つかったことを、喜んでおいでなのですね」
「喜ぶ? そうかもしれませんな。事の顛末を楽しませていただこうと思っていますからな」
 破顔したデリックに、マクヴァルは控えめな笑顔で答えた。
 一人の兵士が、デリックに敬礼を向けた。その後ろを城門を閉めた金髪の騎士が、一人の老人と共に通り過ぎる。白く長い髪とだけがマクヴァルの目に映った。兵士に何事か耳打ちされたデリックが、ホウと兵士に満足げな顔を向けマクヴァルを振り返る。
「では、私はこれで。仕事ができましたゆえ」
 デリックは簡単にお辞儀をすると、その兵と一緒に騎士の後を追った。
「分かりやすい方だ」
 マクヴァルは、城に入っていくデリックを見送り、あざけるように目を細めた。