レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     3.トゲ抜き

 フォース、リディア、アジル、ブラッドの四人は、街道に出て隊と合流した。移動が楽なように馬の数を揃えていたので、隊の全員が騎乗する。フォースはリディアを後ろに乗せ、ヴァレスを目指した。
 ティオは緑色の巨体の姿で、隊の後ろからついてきた。ずんぐりした体型の割りに長い腕を元気に振り、微塵も音を立てずに森の中を歩ける短い足が、わざとのようにズンズンと大きな足音を立てる。隊の後方についていたブラッドが馬の背を指さし、頼むから乗ってくれと懇願した。ティオは分かったと言うが早いかドンッと地面をって飛び跳ねる。大きいまま乗るつもりかとブラッドは青くなったが、背中にに落ちてきた時には小さな子供の大きさになっている。ブラッドは安心してため息をついてから、ティオの笑顔につられるように苦笑した。
 だんだんメナウルの兵が目につくようになってくる。自分の隊の兵士と道ばたの兵が笑顔で掛け合う言葉を聞きながら、フォースは向けられる敬礼にその都度しっかり返礼した。リディアも声をかけられるたび、小さく手を振り返す。
 ヴァレス近辺まで北上すると、右前方に神々が住むと言われるディーヴァの山々が見える。ストーングレイの山肌に、アイスグリーンの冠雪が映えて美しい。ヴァレスを見ると、教会の鐘塔が高く突き抜けて見えた。ヴァレスに近づいてくるにつれ、その鐘塔は高さのある防壁に下方から隠れていく。
 ヴァレスの門前には、数人の兵士とゼインが待っていた。ゼインは城都で神殿警備にいていた騎士で、リディアとも馴染みがある。ゼインが笑顔でよこした敬礼に、フォースはしげに返礼した。
「なんでここに?」
「ヴァレスの神殿周辺警備の任を受けたんだ」
 嬉しそうなゼインの返事に、フォースはフーンと答えながら苦笑した。そう言われてフォースは、すれ違った兵士の中に、城都の神殿で見覚えのある兵が多かったことに気付く。城都の神殿警備室の前で偶然聞いた、ゼインとクエイドとの言い争いも、ついでのように脳裏に浮かんだ。つるんでいるのかいないのかは分からないが、フォースにとってはどちらも苦手な部類の人間だ。できれば関わりたくないのだが、仕事なのでは仕方がない。
「そうそう、聞いたか? 今回の犠牲者はライザナル側に二人だけだってさ」
 ゼインのいかにも嬉しそうな声に、フォースは眉を寄せた。自分につかまっているリディアの手に、力がこもった気がしたからだ。フォースが振り返ると、リディアは硬い微笑みだったが、いくらかの笑顔を返した。ゼインは不機嫌な顔をされるのは心外だといったふうに、ため息をつく。
「あとは神殿まで予定通りどうぞ」
 口をへの字にしたゼインの横で、見知らぬ兵士が笑みをらした。フォースは胡散臭い思いで視線を向ける。
「君は」
「あ、失礼しました。通りの方だと思いましたら嬉しくて」
 二十代後半かと思われるその兵士は、フォースにヒョコッと頭を下げる。
「人を斬らないってか? 買いりすぎだ。騎士を逃がすまでに何人の兵を斬ってるか分からないってのに」
 吐き捨てるように言った言葉にも笑顔を崩さない兵士に、フォースは顔をしかめた。
 ゼインとその兵士の敬礼に見送られて、防壁の内側へと馬を進めた。街は、フォースが城都へ向かった時とほとんど変わりなく、石造りの家々が立ち並んでいる。途中、幾人かの知り合いとの挨拶に気が休まるのを感じながら、フォースは神殿へ向かった。
 神殿の前に着き、フォースが馬を下りたところで、裏手から手を振りながら大柄な騎士が姿を現した。城都で周辺警備をしていたはずのバックスだ。フォースとは前線に出た時期が同じで、騎士になった頃から付き合いが続いている。バックスも配置替えかと思いながらフォースがリディアを馬から降ろすと、バックスはちょうど側までやってきてリディアと向き合った。
「リディアさん、疲れてないかい?」
「平気です」
 リディアはバックスに控えめな微笑みを向けた。照れたように頭をいたバックスの鎧を、フォースはノックをするように叩く。
「まさか、バックスが警備補助?」
「当たり。まぁ、神殿の中にいる時は安心してくつろぎな。リディアさん、よろしくね」
 バックスはリディアに敬礼すると、満面の笑みを浮かべて見せた。よろしくねとキチッとした敬礼が妙にズレていて、リディアは声をめて笑っている。フォースは腕組みをして苦笑した。
「大丈夫かな」
「あぁ? なんだと? 大丈夫かだってぇ?」
 バックスが捕まえようとする手を、フォースは一歩下がってギリギリで避ける。
「いや、グラントさんがだってば。ゼインはこっちの神殿周辺警備だって言うし、一人で城都全部ってことはないだろうけど」
「五人だよ」
 バックスが言った意外な人数を確かめるように、フォースはバックスに視線を合わせた。バックスは柔らかい笑みをこぼす。
「イアン、ラルヴァスが神殿警備、ノルトナ、シェラトが周辺警備。復帰直後だからとりあえず二人ずつであたるってさ。ま、城都だし、ドリアードにちょっと歳くらわされたくらいだから、もう大丈夫だろうよ」
 名前が挙がった四人は、ドリアードによって妖精の世界に取り込まれ、現世に戻ってきた騎士達だ。その事件に関わったフォースは、リディアと笑みを交わし、よかったとホッと息を吐き出した。
「クエイド殿の騎士起用も、結構いいセンスしてるって思う時があるよ」
 そう言いながらバックスは、フォースの隊が裏手にある小屋に馬を連れて行ったり、中と連絡を取ったりと、仕事を進めているのを横目で見ている。
「思う時が?」
 そう言葉を返して、フォースはの奥でククッと笑った。ティオが馬に乗ったまま、ブラッドについていくのが見える。
「そうそう、あん時の諜報員も連れてきたぞ。留置してあるから落ち着いたら頼むな」
 バックスが付け加えた言葉に、フォースはにこやかにありがとうと返事をした。
 その諜報員はウィンというライザナル人だ。女神が降臨したと思われる人物をれと命令され、ゼインの隊に潜り込んでいた。元々女神の降臨などなかったのだが、ウィンは降臨があったと勘違いをした。そしてドリアードが騎士を拘禁した事件に乗じて行動を起こし、失敗している。その時に諜報員だと見抜いたフォースが、ウィンの処遇を決めることになっていた。フォースはウィンをライザナルに返すつもりで機会をうかがっていたのだ。
 バックスは、兵士達を親指でぐるっと指さす。
「それにしてもフォースの隊、ちゃんと動くよな。隊長が遊んでるのに」
「何をするかくらいは、先に言ってある。ってか、俺、遊んでるのかよ」
 フォースは、バックスが笑い出したのを見て苦笑した。リディアはクスクスと笑いながら神殿に向き直って鐘塔を見上げる。鐘が日の光を反射して、キラキラと輝いて見えた。
「綺麗ね」
 リディアはフォースに微笑みかけ、それからもう一度鐘に目をやった。フォースも鐘塔をぎ見る。
 フォースは昔からこの鐘の音が好きだった。フォースがヴァレスに移り住んだのは、騎士になる決意をした五歳の時だ。鐘は一日三回、朝、昼、夜に鳴らされる。フォースはその三回目の鐘を、家を抜け出す合図にしていた。兵士の宿舎や騎士の詰め所に行っては剣を習っていたのだ。習うと言っても小さな子供だったので、最初から相手にしてはもらえない。そこでフォースは、根気よく通ったり、わざわざ街のいざこざを探して顔を突っ込んだりして、自分を覚えてもらう努力をした。元々濃紺の特異な瞳を持っていたせいもあり、すぐに面白がられたり、かまってもらえるようにはなったが、大の大人相手にケンカをするため、生傷は絶えなかった。
 義父であるルーフィスが三十四歳で首位の騎士に就いた時、皇帝ディエントが八歳で剣を扱うフォースに目をつけた。それから騎士の知識をフォースに身に付けさせようと、教育が始められることになる。通常の学校や騎士学校に通うためにフォースが城都に移るまで、ヴァレスでの生活は三年間続いた。
「あ、そうだ、リディアさんの部屋、あの角の窓のところだって」
 バックスは神殿の裏手になる二階角部屋の窓を指さした。フォースは、その窓に目を向けて顔をしかめる。
「あれ何? すぐ側の角に、地面から伸びてるあの」
雨樋か? 地面からじゃなくて屋根から伸びてるんだけど」
 ニヤッと笑ったバックスに、どっちでもいいと答えながら、フォースはリディアを促して雨樋のところまで行った。バックスも後からついてくる。フォースは雨樋を掴んで引っ張ってみたが、結構ガッチリ取り付けられていて動かない。
「これ、登れるんじゃないか? 取っ払っちゃ駄目か?」
 フォースは雨樋の横から裏側を見上げた。何カ所かにしっかりした金具が見える。
「よぉ!」
 後ろからの声に振り向くと、グレイが小さく手を振りながら立っていた。
「え? グレイも配置替えか?」
 驚くフォースに、グレイは笑いながら肩をすくめる。
「フォース、城都を出発するのが早いんだよ。配置が決まった時には、もう出た後だったし。フォースが街道左の丘に登ってた時に、やっと追い越したんだ」
「早いったって、こっちもかされてた身だからな」
 フォースはあきらめ半分に首を横に振った。グレイは雨樋を下から上まで眺める。
「それはまぁいいけど。頼むから神殿壊すなよ。こんなところを登ろうなんて考えるのはフォースくらいだって」
「え? 俺はドアから入るよ」
 フォースの返事に、グレイはため息をついてフォースと向き合い、肩に両手をポンとのせた。
「毎度おなじみ出張懺悔室です」
 グレイの言葉に、フォースは呆れ顔になる。
「何が毎度だよ。まだなんにもしてねぇよ」
「まだ、ねぇ」
 グレイは含み笑いを始め、ブッとバックスが吹き出した。バックスは必死に押さえた苦笑をフォースに向ける。
「護衛自ら巫女様に手を出したりしたら、投獄どころじゃ済まされないぞ?」
 フォースはムッとした顔をバックスに突きつけた。
「そう思ったら、雨樋にも警備な」
 フォースは嫌み半分でそう言うと、リディアに向き直る。
「神殿に入ろう。安全なんだそうだから」
 裏玄関に向かおうとしたフォースの腕を取り、リディアはフォースを引っ張って止めた。
「待って。祭壇が見たいの」
「んじゃ、こっちだ」
 フォースはサッと方向転換をし、リディアを連れて神殿正面に向かった。

   ***

 大きな扉を開けてフォースとリディアは神殿の中に入った。正面に見える祭壇は、フォースの目に見慣れたモノと、いくらか違って見える。前の祭壇はライザナルに占領されていた時に、破壊されてしまったに違いない。だがに祭壇は、すっかり元のように整えられていた。
「外から見るより広く感じる」
 そう言うと、リディアは祭壇の側まで足を運び、真ん中に置かれているシャイア神の像を見上げる。フォースは一番前の椅子まで行って腰掛けた。リディアは微笑みをチラッとフォースに向けると、大きく息を吸い込み、歌にして吐き出す。リディアの丸く響く歌声が、空間の隅々まで響き渡る。

  ディーヴァの山の青き輝きより
  降臨にてこの地に立つ
  その力 尽くることを知らず
  地の青き恵み
  海の青き潤い
  日の青き鼓動
  月の青き息
  メナウルの青き想い
  シャイア神が地 包み尊ぶ
  シャイア神が力
  メナウルの地 癒し育む

 聖歌の中でも、青の部分と呼ばれる箇所だ。フォースの脳裏に、ヴァレスに入る前に見えていたディーヴァの山々が浮かぶ。降臨がない時は、シャイア神もその山に住み、空をってメナウルに豊作をもたらすとされている。 その力を目の当たりにして、フォースは空恐ろしさを感じた。メナウルとライザナルの間の国境は、降臨が解けていた間に攻め込まれた分、シャイア神がこともなげに元の位置まで押し戻す。この先も飽きることなく、何度も何度もだ。この戦はライザナルを止めないと、メナウルの側からは、どうすることもできないのだ。
 フォースの耳にシャイア神の言葉がってくる。戦士よ。騎士だから? 護衛をしているからか? いや、違う。ハッキリ何かは分からないが、とにかく何かを求められている。フォースは女神から受けた圧力のある言葉を振り払えずにいた。
「フォース、君?」
 突然の呼びかけに、物思いにふけっていたフォースはビクッとして振り返った。リディアの歌も止まる。シスターの服を着た女性が一人、そこに立っていた。
「本当に騎士だったのね」
 側に来るシスターを、フォースは立ち上がって迎えた。だが、その顔にはまったく覚えがない。フォースは自分と同じくらいの歳だと思った。それならば、もしかしたら見習いなのかもしれない。そのシスターは、遠慮がちな笑顔を浮かべる。
「巫女様の護衛なんですね。私も女神付きを仰せつかったの。一緒にお仕事ができるなんて嬉しいわ」
「あ、あの」
 話しづらそうなフォースを、そのシスターは不思議そうに見つめる。
「申し訳ないんですが、どなたなのか分からないんですが」
 フォースの言葉に、シスターは目を見開いて口を両手でった。
「すみません、覚えていなくて」
 フォースが頭を下げてもう一度視線を戻すと、そのシスターの瞳からボロッと涙がこぼれ落ちた。慌てたフォースを残し、シスターはサッと身をして神殿奥へのドアへと駆け込んでいく。
「ホントに覚えていないの?」
 茫然と見送ったフォースの後ろから、リディアが声をかけた。
「全っ然……」
 フォースはドアを見つめたままつぶやくように答える。
「ホントに? 兵士の顔は忘れないのに?」
 リディアは疑わしげにフォースを見上げた。振り返ってそれに気付いたフォースは、まっすぐリディアの視線を受け止める。
「顔とか名前とか、覚えるのは得意なはずなんだけど」
 困惑しきった顔で、フォースはリディアをジッと見つめた。
「どうしよう」
「……、知らないっ」
 リディアは眉を寄せて顔を背けると、シスターが駆け込んだドアへと歩き出す。フォースはその後を追いかけた。
「リディア、待てよ、怒ったのか?」
「怒ってない」
 その言葉のわりに、声色が冷たい。フォースは、やっとのことでリディアの腕を捕まえ、正面から向き合った。リディアは不機嫌そうに視線をそらし、フォースの目を見ようとしない。
「怒ってるじゃないか」
「怒ってないわ」
「じゃあ、何? どうしてそんな」
「何でもないもん」
 リディアは一瞬ねた顔をフォースに向けると、またドアに向かって歩を進めた。リディアは、フォースがシスターを気にしているだけでいている自分がいとわしかったのだ。フォースには訳が分からず、小さなため息をついてリディアの後に続いた。リディアはドアを開けようと手を伸ばす。
「フォースっ!」
 いきなりそのドアが開き、向こう側から大きな声が響いた。リディアは驚いて小さな悲鳴を上げ、フォースに抱きつく。リディアを抱き留めて、フォースはその声の主に視線を向けた。声の主はフォースの知った顔で、アリシアという女性だった。ブラウンの肩より少し長い髪を後ろに一つにまとめ、少し濃い茶色の目に角を立てている。フォースは緊張を解くように大きく息を吐き出した。
「なんだ。どんな化け物が出たのかと思った」
「化け物って何よ! あ、巫女様? ごめんなさい、かしちゃったのね」
 リディアの存在に気付いたアリシアの視線が、申し訳なさそうにリディアに向く。リディアはフォースの腕の中でいいえと首を振り、不安そうにフォースを見上げた。フォースはリディアに苦笑を返す。
「この人はアリシアってんだ。ヴァレスに住んでいた時に使用人をしてくれてたマルフィさんって人の娘だよ。俺の姉みたいな人で、俺より四つも上」
「ちょっとっ! 歳は余計よっ。アリシアです、よろしくね」
 アリシアの笑顔に、リディアはヒョコッと頭を下げた。
「リディアと言います」
「可愛い巫女様だわね。あんたが護衛だなんて危険だわ。なぁんにもできないの分かってる?」
 アリシアの向けた冷笑に、フォースは薄笑いを返す。
「俺、信用されてるから」
「それって男としてどうなのよ」
 アリシアは、いかにも楽しそうにフォースの顔をのぞき込んだ。フォースは腹立たしそうにアリシアの瞳を横目でにらむ。
「てめぇ……」
「だいたい帰ってくるなり女の子泣かすってどういうことよ。あんたが帰ってくるの楽しみにしていたのよ、ユリアちゃん」
 アリシアの言葉に、リディアが眉を寄せてフォースを見上げた。フォースは困惑してため息をつく。
「まいったな。名前にも覚えがない」
「何ですって? ユリアちゃんに覚えていないだなんて言ったの?」
 アリシアは呆気にとられたように言うと、フォースをにらみつける。
「それは泣きもするわよ。三年前に襲われてたのを助けて貰ったって言ってたわよ? あんた、危ないところを徘徊するのが好きみたいだから、争いごとに出くわすのも多いだろうけど、助けた娘くらい覚えときなさいよねっ」
 アリシアはバカと一言付け足して、フォースの胸プレートをゴンとこぶしで殴った。フォースは憮然とした表情になる。
「別に好きで歩いてるわけじゃない。そういう時は努めて顔を見ないようにしてるんだ、覚えてるわけ無いだろ」
 フォースの言葉に、アリシアは疑うような眼差しを返す。
「どうしてよ」
「俺が覚えていたら、そんなことがあったってことを忘れる時に邪魔だろ」
 フォースはそう言いながら、そっぽを向いてしまったリディアをチラチラと気にしている。アリシアは無理矢理フォースと顔を突き合わせた。
「あのね、そんな簡単に忘れられるモノじゃないの。刺さったトゲは抜かなければ治らないのよ」
 フォースは、顔をしかめてうつむいたリディアを、心配げに見下ろした。アリシアはその様子を訝しげに見つめる。
「こんなところで何をしているの?」
 細い廊下の先から声がかかり、視線がそこに集まった。背の低いふくよかな体型の女性がそこにいる。
「リディア、さっき言ったマルフィさん」
 フォースは、リディアにささやきかけた。
「お帰り、フォース。そちらが巫女様ね」
 マルフィに微笑みを向けられて、リディアはハイと返事をした。
「話し込んじゃって」
 アリシアは今までの表情が演技だったかのように、ニッコリ笑って肩をすくめる。マルフィは肩でため息をついた。
「ユリアさん、一人で巫女様の湯浴みの準備をしていたよ。仕事に行かないんなら手伝っておあげ」
「私、自分でします」
 リディアの申し出に、アリシアが目を丸くした。マルフィは思い切り朗笑する。
「昔、ミレーヌさんもそう言ったよ。じゃあ、行くかい?」
「はい」
 リディアはマルフィに微笑みを向けた。マルフィはリディアの隣に立ち、何事か話しながら細い廊下を並んで神殿の奥へと歩き出す。フォースとアリシアも後に続いた。
「ミレーヌさんって……?」
 アリシアは、記憶に引っかかった言葉を思い出せずに、小声をフォースに向けた。フォースも声をめる。
「リディアのお母さん」
「え? 母も娘も巫女? あれ? じゃリディアちゃんってシェダ様のお嬢様? ルーフィス様が言ってらしたあの? 襲われてたのを助けたってあの娘?」
 アリシアの質問が底をつくと、フォースは面倒臭そうに一度だけ首を縦に振った。アリシアはいきなりフォースの鎧のネックガードを引っ張り、耳に口を寄せる。
「どうしてリディアちゃんは覚えてたのよ。ってか、なんで呼び捨て。え? あんたトゲ抜き?」
 その言いように、フォースは横目でアリシアをにらみつけた。アリシアはゆっくりため息をつき、今度は思い切り息を吸い込む。
「なんで言わないのよっ!!」
 その大声に驚いて身を引いたフォースは、い廊下の壁に背中と後頭部をぶつけた。前を行くリディアとマルフィが、何事かと振り返る。
「てめぇ、耳元で……」
 フォースは頭を抱えてつぶやくと、アリシアに胡散臭そうな視線を向けた。
「どう説明すれば納得するってんだよ」
「知ってるのと知らないのとじゃ全然違うでしょう?」
「話す余裕があったかよ。最初からブリブリ怒ってただろうが」
「あんたが化け物だなんて言うからでしょう? あんたいつも仕事仕事ってそればっかりだから、想像もできなかったのよっ」
 言葉の速度を上げたアリシアを見て、また始まったとばかりにフォースはため息をついた。
「そんなのアリシアの方がずっと深刻だろ。うるさいこと言ってないでサッサと嫁に行けよ」
「私がいないと困るのよ。今仕事を辞めるわけにはいかないわ」
「仕事仕事って言ってるのはてめぇの方だろ」
 マルフィが手慣れた様子でヒョイと二人の間に入る。
「はいはい、おやめなさい。巫女様の前でみっともない」
 マルフィは、憮然としているフォースとアリシアの顔を見比べた。
「もしかして、あんた達が結婚すれば丁度いいんじゃないの?」
『誰がこんな!』
 声が綺麗に重なり、フォースとアリシアは顔を見合わせた。マルフィはらかに笑い出す。
「ほら、息もピッタリじゃない」
 アリシアは肩が落ちるほどのため息をついた。
「お母さん、冗談にもならないわよ」
「コロコロと一緒くたに育てておいて、そりゃないだろ」
 つぶやいたフォースの言葉に、リディアが肩をすくめてフフッと笑った。フォースはリディアの顔をのぞき込む。
「笑い事じゃないって」
「フォース、アリシアさんのこと好きなのね」
 リディアは真っ直ぐフォースに笑顔を向けた。フォースは、少し前まで機嫌が悪かったリディアを、不安げに見つめる。
「どうしたの? 本物のお姉様みたいねって」
 フォースは罰が悪そうに苦笑を返した。アリシアは両手を広げ、アーアと声に出してため息をつく。
「もう分かったわよ。気付かない私が悪うございましたっ。だけどあんたも難儀だわね。リディアちゃんが湯浴みしてるのに背中向けて立ってなきゃならないなんて」
「なんだって?」
 面食らい、とまどっているフォースに楽しそうに笑みを向け、アリシアはリディアの肩を抱いて歩き出した。今度はフォースとマルフィが後から続く。
「驚いてるってことは、城都からココまで一度も入れてもらえなかったの? 気が利かないわね」
 ねぇ、とアリシアはリディアに同意を求める。リディアは微苦笑した。
「でも、シャイア様に先を急ぐようにとかされてましたから、時間が無かったんです」
「そうなの? こういう護衛があるから、妻帯者ってことになってたのよね。イヤじゃない?」
 アリシアの言葉に、リディアは無言で頬を染めた。フォースは嘲笑を浮かべる。
「そんなことで妻帯者なのか? 意味ないだろ」
「男にとってはそうかもしれないけど、女の側からはそうはならないのよ」
 分かってないわねとつぶやきながら、アリシアはリディアをのぞき込んだ。
「リディアちゃん、フォースからは私が守ってあげるわね。振り返ったりしたら、頭から水かけてやるわ」
「それ俺、振り返った方がお得なんだけど」
 しれっと言ったフォースの言葉に、マルフィがおかしそうに笑い出した。
「母さん、笑い事じゃないわよ」
「仕事ならちゃんとするでしょ、フォースは。それに昔シェダ様が最後の一線さえ越えなければ大丈夫だって言って」
「母さん!」
 振り返ったアリシアが慌てて止めた。マルフィはフォースの顔色をうかがうように見上げ、フォースはマルフィに苦笑を返す。
「そんな心配しなくても。それ、直接シェダ様に聞いたし。面白がられているからな、俺」
「シェダ様って、どういう人よ」
 呆れ返った顔をしてから、アリシアは腕の中からリディアが見ていることに気付いた。
「あ、ゴメン。お父さんだっけ」
「はい、でも、そういう人なんです。フォースには迷惑ばっかりかけて……」
 リディアは眉を寄せて、視線を足元に落とす。
「でも、そういうことでシェダ様が俺をからかったり茶化したりするのは、それだけ信用してくれているからだと思ってるよ」
 背中からのフォースの言葉に、リディアはハッとしたように目を見開いた。
「だから裏切れないんだ。絶対に」
 フォースの自分自身に言い聞かせるように小声で付け足した言葉を聞いて、リディアは嬉しそうに目を細める。アリシアは、リディアの瞳にうっすらとたまった涙が輝くのを、やるせない気持ちで見ていた。