レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
4.告白
大きく息を吐いて目を開けると、フォースの視界に狭い部屋の四角い天井が目に入った。明かりを一つ灯しているだけの薄暗い部屋には、中央にベッドが一つと奥に本棚、その後ろには何が入っているか分からない箱がいくつかある。
寝返りを打ち、ドアの方に身体を向けたとたん、後頭部に軽い痛みが走った。アリシアに水汲みで殴られたことを思い出し、あの野郎などと悪態をつく。湯浴みするリディアの側にいて、綺麗な肌だの結構胸が大きいだのとアリシアがやかましいので、つい言われなくても知っていると言ってしまった自分も自分だとは思ったが。
リディアが女神に降臨されてから、二人のこれからのことについてなど、少しも話しをしていない。一緒にいても、フォースはリディアをエスコートしていただけだ。ヴァレスを奪還してからは、女神の声は聞こえていない。こういう合間に、少しでもリディアと話しておきたいと、フォースは思っていた。
シェダのことも、何を考えているのかをもっと理解する必要があるだろう。当然リディアの幸せを一番に考えているのだろうが、はたしてそれがどこまで降臨を受けていることと関わっているのか。
「フォース?」
部屋の外からのグレイの声に、フォースはベッドに肘を立て、少しだけ身体を起こした。
「どうぞ」
ドアが薄く開いて、グレイが部屋をそっとのぞき込んだ。グレイの向こう側、廊下の向かい側にバックスと、その後ろにリディアが休んでいる部屋のドアが見える。グレイは静かに部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。
「寝てた? ら、返事しないか」
「呼ばれて起きたとは思わないんだな?」
「愚問」
グレイの朗笑に、フォースは肩をすくめた。
「なにか話でも?」
「ん、落ち込んでもらおうと思ってさ」
グレイの声は明るいままだが、表情が幾分硬くなっている。
「降臨のことか?」
グレイをチラッとだけ見やり、フォースはベッドの上にあぐらをかいて座った。グレイはため息をつく。
「想像、ついてるのか」
グレイはフォースが勧めたベッドの端に斜めに腰掛け、フォースの方に身体を向けた。フォースは視線を落としたまま、微苦笑を浮かべる。
「深く考えたくなくて、避けてたからな」
「だったら話しやすい」
その言葉にフォースは顔を上げ、グレイと視線を合わせた。
「……こともないか」
構えていた気持ちをすかされて、フォースは呆気にとられ、ムッとしたようにグレイと顔を突き合わせる。
「言えよ」
グレイは乾いた笑いを浮かべると、ゆっくりと首を横に振った。
「降臨ってさ、巫女が亡くなるまで続いたことがあったんだよね。三十二年間も」
「三十二年間? へぇ」
特に表情を変えないフォースに、グレイは眉を寄せた。
「へぇ、って……」
「俺には一年も三十二年も変わらないよ」
「へ?」
「へじゃなくて。どうせ前例の話だろ」
フォースは、その言葉は聞き飽きたと苦笑する。グレイはフォースを疑わしげにのぞき込んだ。
「問題発言。降臨解こうとしてないか?」
「最後の一線って奴か?」
フォースの言葉に、グレイはコクコクと何度もうなずいた。フォースは喉の奥でククッと笑う。
「女神の意志が通じるんだから、こっちの意志も通じるかもしれないだろ。なんにしてもリディアがどうしたいのか、一度キチンと話をしようと思って」
「リディアがどうしたいかねぇ」
グレイは難しい顔で腕組みをし、ウーンとうなり声を上げる。
「でも、承諾してたよな」
「何をだ?」
「いや、私も側にいたい。って」
フォースの脳裏に、降臨される直前のリディアが甦ってきた。今さらだが、降臨さえなければ今頃は違う意味で一緒にいられたかもしれないと思う。フォースは、グレイにそこまで見られていたことにまったく気付いていなかった自分に呆れた。
「グレイ、ホントに何から何まで全部……」
つぶやくようにフォースが口にした言葉に、グレイは人差し指を立てて、ニッコリと微笑む。
「第三者の証言は大切です」
「いらねぇよ!」
フォースはベッドに勢いよく寝転がった。グレイはフォースに視線を投げる。
「それにしてもいいよなぁ。俺のシャイア様の意志が分かるなんて」
「俺のって」
「恋人だよ、恋人。なぁ、どんな感じ?」
グレイの興味津々な声に、フォースは苦笑しながら天井に向けて眉を寄せた。
「そうだな、最初は頭を殴られたような感じだった。衝撃が薄れると、言葉が残ってるっていうか」
「今は?」
「そのガンってくるのは、だいぶ薄れた。声はないんだけど、頭の中に聞こえる」
フォースの言葉に、グレイはフーンと返事をしながら口を尖らせる。
「羨ましいよ」
「意志が通じれば……。こっちから何も言えなければ意味がない。リディアが伝えてくれれば、それで済むことだ」
グレイはウーンとうなって腕を組んで頭を掻いた。フォースはグレイに視線を向ける。
「なんだよ」
「いや、リディアが伝えてもさ、それはリディアの言葉だろ。直に聞けるってのは、やっぱり意味があるよ」
「……、そうかもな。でも、急かされるだけだったからな。意味なんて」
そう言いながらフォースは、女神から直接呼びかけられた戦士よ、という声を思い出していた。だがもし意味があるとしても、戦士という言葉だけではどうにも解釈ができない。フォースは天井に向かって、深いため息をついた。そのため息が消えないうちに、ドアにノックの音が響く。
「サーディ様、スティア様がご到着なさいました」
ドアの向こう側から、ユリアの声が聞こえた。フォースとグレイは顔を見合わせる。
「サーディ?」
言うなりグレイはベッドから立ち上がり、フォースは上半身を起こす。
「スティアまで」
フォースはベッドから飛び降りると、グレイと慌てて部屋を出た。廊下でバックスとなにやら話をしていたユリアが向き直り、バックスに敬礼だけ向けて通り過ぎようとしたフォースを引き留める。
「付き合ってください」
「どこにです? こんな時に」
フォースは面倒臭そうに顔だけユリアに向けた。
「お前……」
側にいたバックスが、呆れ返ったようにため息をつき、フォースは訝しげにバックスを見やった。ユリアは、フォースの背中に向かって言葉を継ぎ足す。
「お付き合いしていただけないなら、私このままシスターになります」
「……、あ。ええっ?」
フォースは、何を言われたのか気付いてから改めて驚き、振り返ってユリアをまじまじと見た。頭の中をリディアの存在がかすめてフォースは視線をそらし、それからもう一度しっかりとユリアを見据える。
「でも、俺は」
「考えておいてください!」
ユリアはフォースの言葉を遮ってそれだけ言うと、サッと身を翻し、廊下突き当たりの階段を駆け下りていった。茫然と見送ったフォースを見て、グレイは平たい笑い声を上げる。
「やるなぁ。返事を聞く前に逃げるなんて、なかなか」
「しかもココで声をかけたあとに、こんな話を持ち出すなんざ」
バックスは小声で付け足すと、苦笑して後ろのドアを親指で示した。そのドアが薄く開き、コンとバックスの背中に当たる。
「あ、ごめんなさい」
ドアの隙間から聞こえてくるリディアの声に、バックスはこちらこそと答えながら振り返ってドアを開けた。心配げな視線が一斉にリディアに向く。
「どうしたの?」
リディアは微苦笑して、三人を順番に見た。バックスがリディアの肩に、ポンと手を乗せる。
「いや、なんでもないよ。それより迎えに出なきゃね」
バックスはリディアの肩に手をかけたまま歩き出した。つられて歩き出したリディアは、二、三歩進んで、浮かぬ顔をしたフォースを少しだけ振り返った。
***
二階廊下のまっすぐ先は、オープンな階段の手すりが見える。その先の空間は、食堂と応接室を兼ねたような広い部屋だ。突き当たり、階段ホールから見下ろすと、正面の壁の中央にある出口の左側に、布張りのゆったりとした柔らかそうなソファーが向かい合わせに置かれているのが見える。階段を下りた部屋の右側は、二十人ほどが一度に食事をとれそうな大きさの木のテーブルと椅子が占領していた。階段を下りきると、階段上からは見えないその真下に飾り棚が置かれ、奥にある台所や風呂、その先は祭壇、神殿正面へと繋がる廊下が見える。
その廊下から、部屋に数人の兵士がパラパラと入ってきた。あとからサーディとスティアも姿を見せる。階段を駆け下りてきたユリアがサーディとスティアに気付き、涙のこぼれた頬を隠して頭を下げ、すれ違うように廊下に消えていった。サーディとスティアは顔を見合わせる。
「泣いてた? どうしたんだろうな」
「上で何かあったのかしらね」
スティアは、ユリアが駆け下りてきた階段を興味深そうに見上げた。そこにバックスに連れられたリディアが見え、スティアは嬉しそうに手を振り呼びかける。
「リディア!」
リディアはスティアに笑みを返すと、少しテンポを上げて階段を下りた。リディアは階段下にいた兵士に、そのままの笑顔で軽く頭を下げ、その横を通ってスティアに駆け寄る。リディアの後ろから降りてきたバックスが、その兵のにやけた顔に笑いをこらえながら、下がっていいよと指示を出した。兵士はハイッと勢いよく敬礼をして、他の兵たちと引き上げていく。スティアはリディアのまわりをキョロキョロと見た。
「ティオは?」
「部屋でいびきをかいて眠っているの。疲れたんでしょうね」
微笑みを浮かべたリディアに、たまにはいないのもいいモノねとスティアが笑う。バックスは、布張りのソファーにリディアとスティアを導き、一歩下がった位置に立った。
「よぉ」
サーディが、階段の途中にいるフォースとグレイに手を挙げた。グレイはサーディに微笑んで見せる。
「どういう風の吹き回し? ヴァレスにまで出てくるなんて、よく許可がおりたね」
グレイはそう言うと、サーディの側まで行って手を取り握手した。サーディは苦笑を返す。
「いや、シャイア神が降臨しているからだろう。そうでもないと、ここまでの許可はおりないよ」
サーディはグレイの半歩後ろにいるフォースに視線を向け、その不機嫌そうな顔に苦笑した。
「なにか言いたそうだな」
「いや、何しに来たのかと思って」
その言葉に冷たいなぁとつぶやいたグレイを、フォースは冷ややかな目で見た。サーディはおおらかに笑い声を上げる。
「言われそうだなと思ってたよ。どうしてもフォースに会って欲しい人間が居てさ」
サーディは、まだ喉の奥でクックと笑っている。フォースはホッとしたように微苦笑を浮かべた。
「反戦運動で、なんて言い出すかと思って冷や汗が出たよ」
「ゴメン、それなんだ」
「なっ?」
驚いて目を丸くしたフォースに、サーディは肩をすくめた。笑いをこらえているグレイにフォースは眉を寄せ、サーディに向き直る。
「会えって、誰と?」
「ライザナルに戻る人。呼び戻されたらしいんだけど」
その言葉に呆気にとられ、フォースはサーディの顔に見入った。サーディは苦笑を浮かべる。
「彼は結構いい地位にいるらしいんだ。どうにかして連絡を取れるようにしておきたい。なんて思っても、その辺俺は何も理解できていないし、現実的に事を運べなくて」
「それで俺、か」
フォースは気持ちを落ち着けるように、深い息をついた。メナウルとライザナルをつなぐ糸ができることは、フォースにとっては願ってもないことだ。だが、前線で接点を作ろうと足掻いていた努力は何だったのかと思う。しかも呼び戻されたということは、その人間は今現在ライザナルと連絡が取れる状況だということなのだ。
「だけど、一体どこからそんな付き合いが……」
フォースのため息混じりの声に、サーディは肩をすくめた。
「いや、スティアなんだ」
肩越しに親指で後ろを指さし、サーディは苦笑する。フォースとグレイは、思わずチラッとスティアを見て、お互い顔を見合わせた。
「誕生会の時に、お前が会わせろって言ったそいつだよ」
サーディが向けてきた言葉に、フォースはバルコニーでのスティアを思い浮かべた。会わせろと言ったその相手は、スティアの恋人だったはずだ。話づらそうに、それでも兵士の知り合いと説明された。
「そいつが、ライザナルの?」
「フォースに会いたいんですって」
すぐ側からの声に振り向くと、わざわざリディアの手を引いて連れてきたスティアが立っていた。真剣な眼差しをフォースに向ける。
「会ってくれるわよね?」
フォースがしっかりうなずいて見せると、スティアはほんのわずかだけ頬に笑みを浮かべた。フォースは誕生会での話を思い出し、疑問に眉を寄せる。
「まさか、そいつに付いて行こうだなんて」
「思ったわ。でも駄目だって言うの。一般人ならともかく、皇女じゃ危険すぎるって。戦がなくならない限り、これ以上一緒にいるのは無理だって」
そう言いながらスティアは、リディアの手を離して、逃げられないようフォースの両腕をしっかりつかみ、その顔を見上げた。
「ねぇ、戦なんてやめさせて。戦がなくなれば、フォースだってリディアを女神から取り返せるでしょう? じゃなきゃ私、もう二度と彼に会うことすらできないかもしれない。そんなのイヤなの」
フォースが返事のしようもなく、何も言い返せずにいると、サーディは呆れた顔で横からスティアの腕を取った。
「お前ね、辛いのは分かるけど、問題すっ飛ばしてるだろ、それ」
「だって……」
スティアは一度唇をキュッと結ぶと、リディアに寂しげな微笑みを向けた。
「私もシスターになろうかしら」
「え? 駄目よ、駄目、そんなコトしちゃ駄目っ」
リディアはスティアを慌てて止めに入った。だが自分が言った言葉の意味にハッとして、不安げにフォースを振り向いた。困惑した顔でため息をついたフォースを、リディアは側に立って見上げる。
「今のはスティアの話で、私もだけど、でも……」
口ごもってしまったリディアを、フォースは苦笑して見下ろした。訝しげに視線を合わせたサーディとスティアを、グレイは招き寄せてヒソヒソと話を始める。リディアは、フォースから目をそらすようにうつむいた。
「……、でも、ユリアさんのも、間違ってるよね」
「やっぱり聞こえてたんだ」
フォースのため息混じりの言葉に、リディアは不安げな瞳を上げる。
「どうするの?」
「どうって、キチンと断らなきゃな」
あっけらかんと言ったフォースに安心しながら、リディアは胸騒ぎを押さえられなかった。
「でも、なにか言ってあげなくちゃ。そのままシスターになってしまったら……」
その胸騒ぎの正体を悟り、リディアは眉を寄せて口をつぐんだ。もしかしたらフォースはその罪悪感を持ち続けて、ユリアを忘れられないかもしれない。ユリアはずっとフォースを思い続けるのかもしれない。その思いは嫉妬に違いなかった。リディアは、伝えられない胸の痛みを、ギュッと手で押さえつけた。フォースは、黙り込んでしまったリディアを心配げにのぞき込む。
「可哀想とかって思うのか?」
フォースと一瞬視線が合い、リディアは嫉妬心を隠すため、眉を寄せてフォースに背中を向けた。フォースは、リディアがユリアを可哀想だと思うのなら、なんとかしなければと考えを巡らせてみたが、自分にできそうなことは何も思いつきそうにない。グレイとなにやら話していたサーディが、フォースに言葉を向けてくる。
「確かに、そのままじゃ可哀想だよな」
サーディは、腕組みをして何度かうなずいた。
「いくらなんでもフォローくらいしてやらないと」
そのサーディの言葉を聞いて、フォースはしゃべったなとばかりにグレイをにらみつけた。グレイは肩をすくめてそっぽを向く。フォースは真剣な眼差しのサーディと目を合わせた。
「フォローだなんて、どうやって」
「どうって、なにか言ってやるとか」
「だから何を言えって」
フォースにムッとした顔を向けられ、サーディは大げさにため息をつく。
「お前が考えろよ。彼女にとっては一番影響力があるんだし、お前のことなんだから」
「俺のことじゃないだろ、彼女自身の問題だ」
フォースは、なに言ってんだよ、などと毒づいている。グレイは含み笑いを漏らした。
「確かにね。フォースのことじゃない。それに一番影響力があるのは、この中じゃサーディかもな」
「俺? な、なんで?」
「皇太子だから」
グレイは、拍子抜けして頭を抱えたフォースに笑みを向けてから、絶句しているサーディの肩をポンと叩く。
「フォースが速攻で断ろうとしたのを、彼女は聞こうとしなかったんだ。フォースになんて言われようと、できる限りの努力をしてみるってタイプだな。むしろ他人に言われた方が効き目がありそうだよ」
「それって、……すげぇ」
サーディが感心しているのを見て、フォースは首を横に振った。
「もういい。とにかく俺は断る。彼女の感覚も、そのサーディの感覚も、俺には理解できない」
スティアがリディアの肩を抱き、ムッとした顔でフォースの前に立つ。
「白黒つけてやる必要なんてないわ。ほっとけばいいのよ、そんな女」
オイオイと止めに入ったサーディを、ちょっと黙っててとにらみ返し、スティアはリディアの背中をフォースの方に押して寄せる。
「ずっと二人が一緒にいれば、いくらなんでも自分が論外だってことくらい、そのうち気付くわよ」
サーディは、論外、と言葉を拾って繰り返し、大きなため息をついている。
「そのうち? って……」
顔をしかめたフォースに、スティアはそうよとうなずき、リディアにねぇと同意を求めた。リディアは眉を寄せ、何も言えずにフォースを見上げる。フォースは困惑した表情を少しだけ緩ませた。
「……、なんか俺、どうでもいい気がしてきた」
「お前、いきなりそんな無責任な……」
サーディは、フォースがリディアの頬に触れたのを目にして照れながら、気が抜けたようにつぶやいた。
「失礼いたします」
廊下入り口から、低い声が響く。それぞれが振り向いた視界の中に、首位騎士の印である紺色のマントが映る。フォースの義理の父、ルーフィスだ。
「お迎えに上がりました」
ひざまずいての言葉にサーディが手を挙げて挨拶すると、ルーフィスは長身の身体を直立させて敬礼の体勢を取った。フォースより明るい茶色の髪が揺れる。フォースとバックスは姿勢を正して返礼をした。サーディはルーフィスと向き合う。
「いきなりですみません」
「いえ、私の家でよろしければ、いつでもお役立てください」
ルーフィスの言葉に、フォースは不安げに顔をしかめた。それに気付いたルーフィスが、フォースにブラウンの瞳を向ける。
「なんだ、どうせ帰ってこられないのだろう」
「でも、部屋が」
「ああ、汚いどころか荒らされていてな、まとめて捨てた。片付けるより楽だったぞ」
表情を変えることなく言ったルーフィスに、フォースは肩をすくめて、そうと一言だけ口にした。
「そ、それでいいんですか?」
サーディは目を丸くしてルーフィスとフォースを交互に見た。ルーフィスは軽く頭を下げる。
「大切なモノは全て城都にあります。ご心配なきよう」
サーディはルーフィスに苦笑して見せた。
「いや、心配ってか、親子揃ってドライだなぁと。もしかして、ヴァレスに入ってから、まだ会ってもいなかったのでは?」
「お互い仕事がありますので」
ルーフィスの言葉に、サーディは苦笑した。
「では、少しだけ時間をいただけませんか? グレイと話をしたいモノですから」
サーディは気を遣ったのだろうとフォースは思った。逆にサーディとグレイで何を話すのかが気になったが、ルーフィスはありがとうございますと頭を下げ、フォースを連れて部屋の隅に並ぶ。
「開けたか?」
表情を変えないルーフィスの言葉で、フォースは城都にある家の引き出しを思い出してうなずいた。ルーフィスはフッと空気で笑う。
「壊したな」
鍵穴が異物でふさがっていたことを、ルーフィスは知っていたらしい。フォースは向けられた笑みがしゃくにさわり、ムッとしてルーフィスを冷視した。
「分かってたら鍵なんて渡すなよ。わずらわしい」
フォースは鎧の内側に着けていた金の宝飾品を取り出した。鎧に付ける金具と、石のはまった細工の美しい球体が、五本の鎖でつながっている。壊した引き出しから持ってきた、フォースの母であるエレンが残した物だ。
「これなんだけど」
フォースがそれを差し出すと、ルーフィスはチラッとだけ見て視線を前に戻し、微かに眉を寄せた。
「なんだか分かる?」
「いや」
想像していた返事が返ってきて、フォースは肩をすくめ、その宝飾品を鎧の内側に付け直す。
「ほんっとに、母さんからなんにも聞かなかったんだな。疑問とか、少しも持たなかったわけ?」
フォースは、ルーフィスの横顔を見上げた。自分なら、何がなんでも問いただしたいだろうと思う。今までどこにいて、どんなことがあって、どうしてここにいるのかと。
「エレンが話したい時にと、そう思っていたからな」
ルーフィスの言葉が、フォースの耳に寂しげに届く。
謎が謎のまま残ってしまったのは、ドナという村に住んでいた時、村の井戸に毒を入れられるという事件があったからだ。エレンもフォースもその水を口にした。たくさんの人が死んでいく中で、特異な瞳を持つ血のせいか、毒が毒として作用しなかったため、エレンとフォースは死に至らなかった。だが、逆にそのせいで村人に疑われ、エレンは斬られてしまったのだ。
ルーフィスが、ふとフォースに視線を向ける。
「ああ、一つ」
思いついたようにルーフィスが発した言葉に、フォースは父が母からなにか聞いていたのだろうかと、期待を持って視線を向けた。
「何?」
「引き出し、直しておけよ」
ルーフィスに向けられた言葉に、フォースはため息をつきながら片手で顔を覆った。