レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
1.受容と抗拒
レクタードは、馬の手綱を兵士に手渡した。敬礼を受け、簡単に返礼してジェイストークを見やる。ジェイストークは兵と何か笑いをかわしてから、レクタードの元へと戻ってきた。
「行きましょう」
青い月の光に照らされた大通りを指し示したジェイストークに、レクタードはうなずいた。ドナの村にはあまり大きな建物はないが、その中でも一番立派な屋敷を宿泊に当ててあるらしく、ジェイストークはその方向にむかっている。
「無理にでもフォースを連れてきたかったな」
レクタードは浮かない表情でつぶやいた。ジェイストークは一歩待ってレクタードと肩を並べる。
「その呼び方は」
「あ、つい。スティアとはその名前で話していたからな」
そう言うと、レクタードは肩をすくめた。
「無理にでも連れてきたいというのは分からないではないですが。だいたいは予定通りですので、ご心配はいりませんよ」
ジェイストークの言葉に、レクタードは眉を寄せてため息をつく。
「そうなんだけど、気が急いてしょうがない。スティアのことも、早く父に伝えたくて」
「反対される覚悟が、できていらっしゃるんですね」
ジェイストークが笑顔で返した言葉に、レクタードは苦笑した。
「ヤなこと言うなぁ。反対されるのが分かっていても怖いよ。なにを言っても許してくれそうになくて。でも、黙っていては、なにも解決しない」
難しい顔でうつむいたレクタードを、ジェイストークは不謹慎だと思いながらも微笑ましく思っていた。レクタードは生まれてこのかた皇帝である父に不平不満を漏らさず生きてきた。それだけ皇帝を尊敬しているのか、自分を殺して生きてきたのかは分からない。どちらにしても、皇帝にとっての理想からはみ出すことは、レクタードを成長させるに違いないと思う。
「反戦の意志を持つ騎士の名前も聞けなかったから、単独で行動を起こさなきゃならないってのもキツイな。できるのは表明くらいだろ」
「なんでも最初はそんなモノですよ。でも、警備が整うまでは待ってくださいね」
ジェイストークの返事に、レクタードは再びため息をついた。ジェイストークはレクタードに笑みを向ける。
「まぁ、こちらが名前を聞けなかった分、レイクス様を引っ張ってきやすいですし。そんなに気落ちすることはありません。とりあえずタスリルには、接触があれば連絡をするように言ってあります。ウィンにも話を通しました」
「ウィン?」
レクタードが向けた水色の瞳に、ジェイストークはハイとうなずく。
「女神が降臨したと勘違いして聖歌ソリストを襲い、レイクス様につかまった諜報員です」
「使えるのか?」
「さぁ? どうでしょうね。もし何かあったら困ると思ってフォースがレイクス様だと伝えただけです」
その返事に、レクタードは苦笑して肩をすくめた。
「ジェイもフォースを気に入っているみたいだな」
「レイクス様、です」
はぐらかした返事のあと、向かっていた建物の扉が開き、中からアルトスが顔を見せた。ジェイストークは軽く手を挙げてアルトスに挨拶を送りながら、レクタードに言葉を向ける。
「ウィンも私と同じ隊に所属していたらしいですが、その隊のゼインという騎士は、レイクス様のことを色々と扱き下ろしていたみたいですよ」
「そりゃ、そういう奴もいるだろうさ。でもそれ、興味あるな」
アルトスとドアの向こう側にいる騎士三人は、ひざまずいて頭を下げている。レクタードは歩調を変えずにアルトスのところまで行った。
「戻ったよ。なんてコトより、重大な知らせがあるんだ。レイクス様が見つかった」
アルトスはハイとだけ答え、ただ頭を下げたままでいる。レクタードは、なぜアルトスが驚かないのだろうかと、訝しげにジェイストークの顔を見上げた。
「フォースという騎士がレイクス様だろうことは、既に伝えてあります。が、もう一つ」
ジェイストークが向けた視線を受けて、レクタードはうなずいた。
「エレン様は、この村、ドナに葬られているようです」
「承知致しました。すぐに掛からせていただきます」
アルトスはレクタードの声に答えると、スッと立ち上がった。レクタードは驚いた顔をアルトスに向ける。
「すぐって、こんな夜に墓場で仕事?」
「今晩は充分に月明かりがあります。レクタード様はお休みになってください」
「明日になってから伝えた方がよかった?」
レクタードが向けた微笑みを、アルトスはいいえと否定し、屋敷の中を示してレクタードを通した。待っていた騎士の一人が、レクタードを案内していく。アルトスは、残った二人の騎士を呼び寄せた。
「陛下に使いを出せ。それと準備だ。私は先に行っている」
アルトスの命令に返礼して、一人の騎士は屋敷の中に姿を消し、もう一人は外に駆けだしていった。
その様子を見ていたジェイストークは、あきれたように苦笑した。月明かりなど無くても、アルトスならすぐに行動を起こすだろうと思う。
「どこにあるのか分かっているのか?」
「調査済みだ。墓地の北側の隅にある。掘り返してから違ったでは夢見が悪いからな。待っていた」
「用意のいいことで。付き合うよ」
ジェイストークは、声を潜めて笑いながら、墓地へと歩き出したアルトスに続いた。
「レイクス様に、お会いしてきたよ。エッグも持っていらっしゃるのだろう、レクタード様のエッグを見て動揺しておられた」
アルトスの脳裏に、できあがったばかりのサーペントエッグを手にし、苦渋に満ちた表情のエレンが浮かんだ。
(この子をお願いね)
騎士になるための教育の一環として、エレンに仕えていた時のことだ。エレンはアルトスに向かって何度もその言葉を口にした。王位継承権二位であるレクタードの母リオーネが悔しがるのなら分かるが、エレンが苦悩するのはどうしてなのか、まだ十歳だったアルトスには分からなかった。いや、実際なにが起こっていたのかを知った今でも、すべてを理解できていないのだとアルトスは思う。
「立派に成長されていた。メナウルでは二位の騎士で現在は女神の護衛に就いておられる。その点は育ての親であるルーフィス殿に感謝だな」
ジェイストークの感謝という言葉に、アルトスは不機嫌に目を細めた。剣の腕だけは自衛のために無いよりはマシというくらいで、メナウルで騎士だろうとライザナルではなんの意味も持たないのだと思う。だがそのたびに、濃紺の色を持つ身命の騎士という名のカクテルが頭をかすめた。人を斬らない戦のやり方や、メナウルに迷い込んだ子供をルジェナに送り届けたりなどという行動をし、国ではなく人のために戦う騎士というイメージから、フォースを指して作られたカクテルだと聞く。しかも、ライザナルのルジェナ近辺が発祥で、庶民の間で密かに流行っているらしい。意味を持たないはずのライザナルでさえ、フォースは騎士として存在しているのだ。
ジェイストークは、冷めた目をしたアルトスをうかがいながら言葉をつなげる。
「陛下には、レイクス様が納得できるだけの交換条件を出していただこうと思っているんだ」
「交換条件? メナウルにそんなことをしても通じないだろう」
アルトスが向けてくる厳しい視線に、ジェイストークはやっと口を開いたかと笑顔を返した。
「メナウルにとは言ってない。レイクス様本人にだ。陛下の思いを、まっすぐ伝えることができるだろう? そういったモノを気安く断れる方ではないから、結局は一番手っ取り早い」
「だといいが。女神がいる間なら、一年停戦したところで結果に変わりはないだろうしな」
変わらないなら交換条件の意味がないと思いながら、ジェイストークは苦笑した。だが、皇帝の怒りさえも自分が原因の一端だと受け入れてしまうくらいだ、停戦なら充分に交換条件となるだろう。間違いなく衝突が無くなる期間ができることを、身命の騎士などと呼ばれる人間が望まないはずはない。弱みにつけ込むことになるのかもしれないが、それでも自らの意思でライザナルへ来てもらえるなら、いいのだとも思う。
「歳、食ったかな」
そのつぶやきに、ジェイストークが持つフォースへの執着を見た気がして、アルトスはただ微苦笑した。
家々の間隔が、少しずつ広くなってくる。そして、家が途切れたその向こうに墓地が広がった。小さな村のわりに多くの墓石があるこの場所が、昔ここであった悲しい出来事を暗示している。いくら月明かりがあっても、気持ちのいい所ではない。その中のいくらか蛇行して延びている道を、アルトスはためらうことなく奥へ進んだ。
やがて一番奥の低い木の側、他の墓石から少し離れたところに小さめの墓碑が見え、アルトスはその前まで行って足を止めた。青い月明かりが落とす影で、石に刻まれた名前がハッキリと見て取れる。
「アルトス? コレが……?」
「同じ名は他にない」
バタバタと足音が近づき、騎士一人と兵士が六人、土を掘る道具と人数分のランプを手に走り寄ってきた。幾分明るくなった中、それぞれアルトスに敬礼を向けると、サッサと土を掘り返しにかかる。
ジェイストークは、低い木の陰に倒れた墓石に眉を寄せた。ドナのことを聞き、一瞬眉をひそめたフォースの顔が思い浮かんでくる。
ただでさえ母を亡くすことは辛く大きな出来事だ。しかも、目の前で斬り捨てられ、いかにもよそ者扱いされた場所に掘られた墓穴を見て、五歳だったフォースはどう思っただろう。コレがフォースの傷にならないわけはない。確かに、そのせいで剣を手にしたのかもしれない。しかし、それで身命の騎士などと呼ばれる人間に成長するのだ。自分ならその怒りから、まず復讐を考えるだろうと思う。前線の騎士や兵士に剣を習い、皇帝ディエントの目にとまり、城都に移って騎学に通い。そうした過程の中で何かがあったのか、それともドナの出来事でさえねじ曲げられなかったほど、最初から強くあったのか。フォースが持ったのは、怒りよりも、それを越えた悲しみだったのかもしれない。もしかしたらそれが神の守護者と呼ばれる種族たる所以なのだろうか。
墓を掘っていた数人が、ぼそぼそと声を発した。
「どうした?」
アルトスが、ざわついた声に問いを向ける。一人の騎士が顔を上げた。
「出ました」
その声に二人が穴をのぞくと、土の間にいくらかの平らな面が見えた。
「傷を付けないよう、気を付けろ」
アルトスの命令に、おのおのが道具を穴の外に置き、手で土をどけていく。アルトスの細めた瞳に怒りが見え、ジェイストークはそれを見なかったかのように視線をそらし、アルトスの心情に思考を巡らせた。
エレンがレイクスと一緒にさらわれたのは、アルトスがエレンに仕えていた時のことだ。ジェイストークも既に城で暮らしていたので、その事件のことはよく覚えている。十歳になったばかりの子供だったアルトスが、大人数人の力に敵うわけがない。あっけなく殴り倒され、二人は連れ出されてしまった。騎士になったら守るのだと心に決めていた対象を、そして、まだ小さなアルトスに母のように接していた優しい人を奪われてしまったのだ。アルトスは、二人を奪った者達へ、そして自分への怒りでここまでなったのだと言っても間違いではないだろう。
悲しみをもって受容したフォースと、怒りをもって抗拒したアルトス。対極の反応を見せた二人の騎士が起こす摩擦は、どこに影響を及ぼし、何を変えるだろう。同じエレンを奪われるという出来事が、フォースとアルトスを育てたのだとしたら、互いに受け入れることも可能かもしれない。
ジェイストークは冷たい棺の木肌を見ながら、それがアルトスに言われる自分自身の甘さであって欲しくないと願っていた。