レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
3.深奥
「なぁ、タスリルって名前の薬屋ってだけで、どんな人かも分からないんだぞ?」
不安げに眉を寄せて、フォースは後ろからついてくるリディアに声をかけた。リディアはフォースに笑顔を向けてから、並んで歩いている子供の姿のティオと顔を見合わせる。
「大丈夫よね」
「そうさ、俺がついてんだ」
ティオはリディアの手を取ると、フォースにベーッと舌を出した。フォースは苦笑して前に視線を戻すと、ハァと大きなため息をつく。
フォースはジェイストークに聞いた、タスリルという薬師の店を探していた。ライザナルの様子を知っておくために、行く前にもう一度ジェイストークと会う機会を持ちたいと思ったのだ。できればついでにタスリルから、いくらかでもライザナルの話が聞ければと思う。
薬屋はほとんどが術師街に居を構えている。フォースは結構にぎやかな大通りから、その術師街と呼ばれる狭い路地に入った。街の中心に近いのだが、この路地はひどく狭い上に左右の建物の背が高く、日があまり届かないので薄暗い。それでも看板のある扉が並び、窓もあるのだが、ほとんどが閉ざされていた。たまに開いている扉を見つけても、風を通すためかドアストップをかけて薄く開けているだけで、とても商売をしようという雰囲気には見えない。
「ここはちっとも変わらないな」
わずかに開いた扉から漂ってくるツンとした臭いに顔をしかめながらフォースはつぶやいた。その声を聞いたリディアは、不安を感じたのか足を早めてフォースと肩を並べる。リディアが両手で鼻と口を隠しているその横を、ティオが走り抜けて前に出た。
「ここって、城都の術師街みたいだわ」
「みたいって、術師街だよ。たいてい薬屋は術師街にあるんだ」
苦笑したフォースを、リディアは丸くした瞳で見上げた。薬屋が表通りにある城都が特殊なのだと驚き、リディアはあらためて周りを見回した。城都の術師街なら、父であるシェダに付いて行った記憶がある。そこと比べれば、まだヴァレスの術師街の方が明るいかもしれない。単に前を行くティオが楽しげに歩いているからそう見えているのだろうか。リディアは、自分の上にあると自覚できるほどに空気が重たい気がした。
「ファル!」
ティオが石の壁に挟まれた青空を見上げて手を振った。するとそこに一羽の隼が舞い降りてきてティオの頭にとまる。すぐ後ろ、フォースの左に並んで歩いていたリディアが、ファルとティオを見下ろした。
「爪、痛くないの?」
「加減くらいは教えてあるよ」
そう答えながらティオが振り返ったからだろう、ファルは少しだけ羽を広げてバランスを取った。
すぐ前の扉から、濃紺の長いローブを着た男がうつむき加減で出てきた。リディアはすれ違うために、フォースの腕を取って引く。それが目に入ったのか、その男は、巫女の服をまとったリディアを珍しい物でも見るように上から下まで眺めた。ティオが、通りに出たその男の横を通り過ぎてから、フォースは軽いお辞儀を向ける。
「すみません、タスリルという薬師を知りませんか? このあたりだと聞いたのですが」
「左側。ここから五つ目の扉だ」
かすれた声で答えながら、フォースの顔と身に着けている上位騎士の鎧を、興味深げに見比べている。
「ありがとうございます」
礼を言ったフォースの陰に隠れがちに身体を引き、リディアもフォースに習ってていねいに頭を下げた。男は礼に対して一瞬だけ口の端に笑みを浮かべ、何事もなかったかのようにすれ違っていく。少しの間その後ろ姿を見送ってから、リディアはフォースの腕を掴んだまま周りの様子を眺めた。
「ここだ」
フォースが足を止めた五つ目の扉の前には、わざわざ掘り下げた階段が付いていた。窓も固く閉じられ、他の店の構えよりも、さらに暗く見える。先の方へ行ってしまっていたティオが、頭にファルを乗せたまま駆け戻ったのを確認し、フォースはリディアの前に立って階段を下りた。一呼吸置いて扉を押すと、内側に付いているのだろう鈴の音が、ガラガラと店に低く響く。暗い店内に踏み入ると、部屋の真ん中にある小さな黒山の側に、ロウソクの明かりが三つ見えた。
「すみませ……、ン?」
黒っぽい品物があふれかえる中、その黒山の高さが増し、明かりの反対側から生えた細い手がフードを押し上げ顔が現れた。まるで角の取れた立体パズルのパーツが組み合わさったような深いシワが歪み、かろうじて女性だと分かる笑みを形作る。
「おや、昼間からお客さんかと思ったら。お前さん、レイクスだね?」
思わずその顔に見入っていたフォースは、慌ててハイとうなずいた。老人は黒く長いローブを揺らしながら絞り出すような笑い声を上げ、明かりを棚の上に置いてロウソクを一本付け足した。ほんの少し明るさが増し、部屋全体がかろうじて照らしだされる。
「じゃあそっちは巫女様かい。妖精の坊やに、ペットまで。にぎやかだねぇ」
老人はホッホッホとノドの奥から楽しげな笑い声を漏らした。
「私がタスリルだよ。ま、ちょっと待ちな。いい物を見せてあげる」
タスリルはフォースにそう声をかけると、リディアに手招きをした。
「ここにおいで。手で水をくむようにしてごらん」
リディアは言われるままにタスリルの前、フォースのすぐ横に立つ。リディアよりも首一つ小さいタスリルは、リディアが胸の前で組んだ手の上に、磨かれて透き通った大きな石を掲げた。すると、その石から白い輝きを持つ石が、いくつも生まれ落ちてくる。ティオも楽しそうにのぞき込む。
「キレイ……」
リディアの手にこぼれそうなほどの山ができると、タスリルは口の右端を引きつらせた微笑みをフォースにも向けた。
「あの、これ」
リディアは石の乗った手をどうしていいか分からず、タスリルにおずおずと差し出した。タスリルは訝しげに顔をしかめる。
「いらないのかい?」
「そんな。いただくわけには」
リディアは周りを見回すと、その手の石を側にあった皿の上に移した。タスリルの目尻のシワが下がる。
「いい娘だね。じゃあ、これをあげるよ」
そう言うとタスリルは、散薬の包みをリディアに差し出した。
「この薬はね、ワインにでも入れてレイクスに飲ませてやればいいよ。お嬢ちゃんを忘れられなくなるからね」
リディアは思わずフォースの顔を見上げ、苦笑した瞳と目が合い、頬を染めてイイエと首を振る。
「そうかい? じっくり焼いてたっぷり念を込めて作ったんだけどねぇ。いいハエを使ってるんだよ?」
ブッと吹き出して、フォースは左手で頬を挟むように口を押さえた。リディアは可笑しそうにクスッと笑うと、もう一度首を横に振る。
「いえ、いいんです」
リディアの受け答えを見て残念そうに手にした薬をしまい込むついでに、タスリルは手のひらに隠れるほどの小さな瓶を掴み出してきた。
「じゃ、これはどうだい?」
タスリルは、口を押さえたままのフォースと向き合い、その小瓶を差し出す。
「これを彼女に飲ませてごらん。錯乱して正体なくすから、好きにできるよ」
「そんなモノ買うのに一緒に来るかよ」
わざと目をそらして呆れたように言ったフォースの声に、タスリルは朗笑した。笑いが収まってくると、タスリルはフォースの肩口でリディアに聞こえるようにささやく。
「じゃ、一人で買いにおいで」
楽しげに笑っているタスリルにハッとしたような顔を向け、フォースはため息とともに左手で顔を覆った。
「違、そういう意味で言ったんじゃ……。あの、お願いが」
「分かってるさね。ライザナルへ行くんだろ? ジェイから聞いてるよ。向こうのことを教えてやってくれってね」
フォースは驚いてその言葉に視線を向けた。ジェイストークは反戦の精神を持っている騎士の名を伝えてくれと言い、そして、そのためにタスリルの名前を出したのだろうと思っていた。だがジェイストークの方は、タスリルにライザナルの話を聞きに来ると伝えたという。どうもジェイストークには自分の持っている不安も何もかも見透かされていたらしい。
「だから、こういう薬も必要だと思ったんだけどねぇ」
ブツブツ言いながら、タスリルは手にしていた小瓶を元の場所に戻した。
「何が聞きたい? お前さんの立場かい?」
「それが分かれば一番なのですが。なんでも、どんなことでもいいんです。できる限りのことを知っておきたいと」
フォースは真剣な瞳をタスリルに向けた。リディアはその後ろで視線を落としてはいるが耳を傾けている。タスリルは、色々眺めてまわっているティオにチラッと視線を走らせてから、フムとうなずいた。
「いいよ。知っていることは教えてあげよう。私はエレンが好きだったからね」
「母を? ご存じなんですか?」
タスリルは、そうだよ、と、微笑みを浮かべながら答える。
「エレンの側にいたんだ。当時、神の守護者と呼ばれる一族の薬を作れるのは、私だけだったしね」
「薬ですか?」
目を丸くしたフォースに、タスリルは微笑を向けた。
「私が薬屋だってことくらいは、ジェイから聞いただろ? 一族の薬とお前さんのとは、また別なんだ。酒に酔うんだろう?」
タスリルの質問に、フォースはハイとうなずく。
「彼らには酒は水でしかないんだ」
そうですか、と、フォースはいかにも残念そうに苦笑した。だが、母と知り合いなら色々な話を聞けるだろうという期待が、胸にわいてくる。
「その神の守護者というのは、一体なんなんです?」
「詳しいことは知らないが、シアネル側ディーヴァの山間に暮らしているそうだよ。なんでも、文字通り神を護衛する役目を担っているらしいんだが。神と対話ができると言われているね」
フォースには、護衛という言葉が妙に不自然に聞こえた。神を人間が一体何から護衛するというのだろうか。答えを得られないのがもどかしいと思う。
「母も神と話をしていたんですか?」
「それは知らないね。聞いたことがないよ。お前さんもできるんじゃないのかい?」
タスリルはフォースを見上げながら問いを返した。
「伝えてくる言葉は分かるのですが、話が通じているのかは、さっぱり」
「それでいいんじゃないのかい? 相手は人ではなく神なんだからね」
そう言って笑うと、タスリルは微笑みを自分の回想に向ける。
「お前さん、小さな赤ん坊だったのにねぇ。エレンはよく、この子は私の力だって、フォース、と呼びかけていたものさ」
「え……?」
フォースは気の抜けた声を出すと、キョトンとしたリディアと顔を見合わせた。
「ねぇ、もしかしたら、フォースって名前……」
呆気にとられているフォースとリディアを見て、タスリルは朗笑する。
「ただのあだ名だよ。そういや、こっちではフォースと呼ばれているそうだね。エレンが呼ぶのを聞いて、誰かが名前と勘違いしたんだろうね」
フォースは誰かがと聞いて、真っ先にルーフィスを思い浮かべ、ため息をついた。他には誰も思いつかない。タスリルはノドの奥でまだ笑っている。
「いや、その方がエレンも喜ぶだろうさ。綺麗な声で何度も、フォース、私の戦士、ってね。懐かしいよ」
戦士という言葉にハッとして、フォースはタスリルに視線を戻した。タスリルは訝しげに首をかしげる。
「どうしたんだい?」
フォースは、聞いていてください、と、タスリルに詩の言葉を向けた。
「火に地の報謝落つ、風に地の命届かず、地の青き剣水に落つ、水に火の粉飛び、火に風の影落つ、風の意志剣形成し、青き光放たん、その意志を以て、風の影裂かん。たぶん続きもあると思うのですが。なにか知りませんか?」
目を閉じて聞いていたタスリルは、首を横に振る。
「いや、一節も聞いたことがないよ」
そうですか、とフォースはため息をついた。だが、女神が言った戦士という言葉と示した詩が、女神という鍵でつながっているのではなく、自分の中に一つの事柄として記憶されていることに気付く。
「何のことだか分からんが、ヒントは他にもあるかもしれないよ。まぁ聞きな」
タスリルは難しい顔をしたフォースの腕をポンと叩き、言葉をつなぐ。
「レイクスという皇太子の存在は、国民もみんな知っている。特別な位置付けで生まれてきた子だからね」
「王位継承権のことですか?」
フォースの問いに、タスリルは手と首を同時に横に振る。
「それもあるんだが。もう一つ、神の子、と呼ばれていたんだよ」
タスリルに指を指されて聞いた神の子という言葉に、フォースは思わず眉を寄せた。
「神の子、ですか?」
「ライザナルの男神シェイド、シアネルの女神アネシスの子だそうだよ。正確には降臨を受けている者同士の子、ということになる」
フォースは顔をしかめたまま、人間同士じゃないかとつぶやき、首をかしげる。
「母はシアネルの巫女だったんですか? クロフォードも降臨を」
「エレンは巫女だったよ。だが皇帝は違う」
こともなげに言ったタスリルに、フォースは思わずリディアと顔を見合わせた。タスリルはフォースとリディアを交互に見ながら、言い含めるように言葉にする。
「神の子を宿して王家に嫁いだ巫女が産んだ、ってのがお前さんだよ」
リディアは、表情を曇らせてうつむき、フォースは呆れたように両手を広げる。
「それじゃあクロフォードの子ではないですよね? なぜ王位継承権があるんです?」
「神の子は王家の人間と婚姻関係を結ぶ決まりになっているんだ」
フォースは、決まりという言葉を拾ってつぶやき、不機嫌に首を横に振った。タスリルはフォースの顔をのぞき込む。
「それに、神の子を宿したと言っても、時を置かずに皇帝とも情交されられれば、どちらの子かなんて分かりゃしないだろ」
「な?!」
フォースは言葉を失い、リディアは両手で口を押さえた。タスリルはリディアをうかがうように見る。
「この子の母親は、随分ひどい目に遭わされているんだよ。お嬢さんも降臨を受けているんだろう? ライザナルに行ってはいけないよ。なにされるか分かったものじゃない。いいね?」
リディアはタスリルと視線を合わせたが何も答えず、心配げにフォースを見上げた。フォースは震える口元を頬を挟むように左手で覆い、リディアから視線をそらす。
どうして、何のために自分は存在しているのだろう。ライザナルの神官や皇帝に、神の子と名付けた道具として利用されるためにか。国ぐるみで二人の男に辱められるなどということは、間違いなく母が望んだことではないだろう。運命にもてあそばれるような状況の中、母は一体どんな思いで自分を産み、育てたのか。自虐の思いが自分の居場所を食い尽くしていくのを耐えようと、フォースは歯を食いしばった。
「フォース……?」
リディアがフォースの腕を取り、そっと胸に抱いた。フォースがその柔らかな感触に驚いて振り返ると、見上げてくるリディアの心配げな顔が目に入ってくる。気遣ってくれているのだという安堵を感じ、同時に待たせてと言ったリディアの言葉が脳裏に蘇ってきた。
そうだ。自分の居場所はいつも変わらずここにある。生まれがどうあれ、今の自分のすべてを認め、受け入れてくれる人だ。この場所は、リディアだけは誰にも譲れない、何があっても守り続けたい、絶対に諦めたくない。
「ごめん、頭ン中が真っ白で、何も考えられなくなって……」
リディアが首を横に振るその振動が腕から伝わってくる。その暖かさが、すべてを許してくれるように身体と気持ちを包み込み、満たしていく。フォースは長いため息をつくように息を吐き出して、腕にからまるリディアの手に自分の手を重ねた。そうすることで少しずつ気持ちが落ち着いていくのがハッキリと認識できる。
じっと二人の様子を見ていたタスリルは、厳しかったフォースの表情が緩んでいくのを見て、わずかにうなずいた。
「まぁ、それが神の血を王家にというシェイド神の教えさ。本当に神の子なのかどうかは知らんが、お前さんは皇帝の息子だよ。髪の色も声も同じだ。そんなことは慰めにもならんかもしれないがね」
自分が誰の息子かなんてことは問題ではないと、フォースは漠然と思った。どっちにしても、ルーフィス以外の人間を父とは思えないだろう。しかも、母の気持ちも何もかもを無視して自分を産ませた人間が父などと、なおさら認めたくはない。
「お前さんが生まれたいきさつは言うなと、ジェイには止められていたんだが。言っちゃ駄目だと言われると、言いたくなるもんさね。それでも、一人で聞くよりはいいだろう?」
「はい。ありがとうございます」
フォースは触れていたリディアの手を握りしめ、頭を下げた。リディアが側にいてくれなければ、自分の存在価値を認めることなど少しもできなかったかもしれないと思う。タスリルはそれを目にしてうなずいた。
「お前さんが生きていると思っていた人は、そうそういないだろうね。だがレクタードの扱いはずっと王位継承権二位のままだ。お前さんが出て行ってどんな反応があるかは、すまないが、まるで予測がつかんよ」
「いえ、予測までは」
フォースはもう一度ありがとうございますと口にして頭を下げた。タスリルはため息をつく。
「ライザナルは、お前さんにとっては辛い場所かもしれないねぇ」
タスリルがつぶやくように言った言葉に、フォースは何も返せなかった。母のことが頭から離れない。母が望んで産んだのではないだろう自分に向けた、どこか寂しげな笑顔の思い出が胸を締め付けている。
「エレンさんは、どうやってメナウルに移ったんですか?」
不意にリディアが顔を上げた。タスリルはリディアに陰うつな顔を見せる。
「連れ去られてしまったんだよ。ペンタグラムが一つ落ちていたんだそうだ」
「ペンタグラムが?」
驚きに眉を寄せたリディアに、タスリルは苦笑した。
「メナウルのせいにするためには、いいアイテムだろ? 連れ去られたというのは事実だろうが、誰に、というのはまったく分からないんだよ」
タスリルの言葉に、リディアはすがるような視線を向ける。
「でも、もしかしたら、そのままそこにいるより幸せだったかもしれませんよね」
「実際そうだったみたいだね。私がこっちに来た時は、もう亡くなった後だったが。でも紺色の瞳の騎士がいて、その名前がフォースと聞いた時は可笑しかったよ」
タスリルは肩を揺らし、のどの奥から笑いを紡ぎ出す。リディアは少しは安堵できたのか静かにホッと息を吐き出し、フォースは可笑しいという言葉を否定できなくて、自分で微苦笑した。そんなことで付いた名前と知ってなんだか情けないとは思ったが、それが母の気持ちだと思うと、この名前の意味はとてつもなく重い気もする。ただ、今はリディアのため、母のため、そして何より自分のためにも、強くありたいし、できる限りのことはしなくてはいけないと思う。
「ジェイストークと会って話ができるように連絡を取りたいのですが。もしそれが危険なら、他に手を考えます」
「心配いらない、大丈夫だよ。伝えておいてあげよう。そうそう、ルジェナには娘と孫がいてね。覚えているかい? お前さんが孫を送り届けてくれたんだよ」
フォースは何の苦もなくその男の子に思い当たった。迷子だと思って保護してみると、男の子はライザナルのルジェナというところに住んでいると言う。フォースは迷うことなく騎士の鎧を外し、ルジェナへ送ってきたのだ。顔も知られていない、自分も子供に見られるような時期だからこそできたことだったのだが。フォースは懐かしさと恥ずかしさで思わず苦笑した。
「それにしても、妖精の知り合いとは顔が広いね」
タスリルは、その視線をティオに向けて言う。
「坊や、私は嘘を言ったかい?」
「いいや、言ってないよ。嘘だったら合図しろって言われてたけど、一個もなかったよ」
笑顔のティオに、タスリルは朗笑した。いい子だと頭を撫でる。フォースとリディアはお互い目を合わせ、どちらからともなく頭を下げた。
「すみません」
「いや。坊やがいてくれてよかったよ。とても信じられることを言ったとは思えないからね」
フォースはもう一度、タスリルに無言で頭を下げた。まさか初めて訪ねたこの人が、母をよく知っているとは思わなかった。しかもルジェナに送り届けた男の子の祖母で。これが巡り合わせなら、まったく運に見放されたわけでもないのだと思う。
「おばちゃん、これ何?」
ティオが大きな釜の前に立ち、中をのぞき込む。タスリルはティオに笑いかけた。
「それは妖精の大釜でね、妖精の国に置いておきさえすれば食べ物や酒が無限に出てくるんだよ」
「嘘だぁ。大釜はこんな形じゃないよ? これ、偽物だよ」
「おや、そうなのかい? 本物も存在するなんて初めて知ったよ」
そういいながら朗笑したタスリルに、フォースとリディアは思わず笑いを漏らした。タスリルは先ほどしまい込んだ薬の包みをもう一度引っ張り出す。
「ライザナルに行くんなら、飲んでいかんか? 一人じゃないってのは、いいものだろう?」
リディアがいるという事実だけで、精神的に安定し、ひどく取り乱さずにすむことは自分でもよく理解できる。フォースにとっては本当に大切な支えなのだ。そしてそんな薬を飲まなくても、リディアを忘れることなど無いだろうと思う。
「はい。でも、薬は必要ないんです」
「そうかい? 彼女に飲ませるって手もあるんだよ?」
そう言うとタスリルは、それも必要ないかね、と付け足して、ノドの奥で笑い声をたてた。