レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
4.言えない言葉
術師街の路地を出た表通りは、家路につく人が少しずつ増え始めていた。リディアとティオは、ファルを交えて何か話しては笑い声を立てている。いつもと変わらないその様子が、フォースには救いだった。
ライザナルでの立場が神の子という道具でしかないのなら、むしろ気が楽かもしれないとフォースは思った。そんなモノをいくら蹴っても、罪悪感は起きない。血だの愛だの言われる方が、慣れがないだけ面倒だと思う。
それにしても、メナウルでは女神に反発を覚え、ライザナルでは神に刃向かおうなんて、どこをとっても神の守護者などという言葉が当てはまりそうにない。半分が違う血だからかと思うと、やたらと気が重くなる。
だが、純粋な一族でない自分を、シャイア神だけではなく母までもが、戦士と呼んだのはどうしてなのだろう。それはそれでまた何か意味があるのか。前にあった時に言葉を濁したジェイストークは、それを知っているのだろうか。聞いたところで、答えがまっすぐ返ってくるかも分からないのだが。
ふとリディアが立ち止まり、後ろを歩いていたフォースと肩を並べた。もうすぐ神殿という場所だ。ティオは変わらず前を歩いている。
「ゼインさん、いるのかしら。なんだか苦手なの」
そういうことかと、フォースはリディアに苦笑を向けた。
「正面か裏か、いない方から入ろう」
フォースの言葉に、リディアはホッとしたように微笑みを浮かべ、フォースの腕を取った。
神殿が近づくにつれ、敷地への入り口が見えてくる。そこでゼインが鐘塔を見上げているのが目に入ってきた。フォースとリディアは顔を見合わせて苦笑を交わしたが、その場所は避けることができない。そのまま諦めて近づくと、ちょうど中からバックスがゼインに駆け寄ってきた。
「なにやってんだよ、こんなとこで」
「なにって、あ」
ゼインは、フォースとリディアを見つけると、フォースに不機嫌な顔を向ける。
「巫女様なんだから、あんまり連れ歩いたりするなよ」
ゼインが向けたぶっきらぼうな言葉に、フォースは反論しようとしたが、それより先にリディアが口を開いた。
「ごめんなさい。私が無理を言って連れてってもらったんです」
顔をしかめたゼインの肩に、バックスが手を置く。
「あのな、フォースはそのためにいるんだろうが。持ち場を離れてフォースに迷惑をかけているのはゼインの方なんだぞ?」
ゼインはムッとした顔で敬礼のような半端な挨拶をすると、神殿正面へと歩いていく。その後ろ姿に、バックスは肩をすくめた。
「あいつ、なに考えてるんだか」
「ごめん、俺がなんとかしなきゃな。だけど、これだけあからさまに反発されると、なにを言っても効き目なさそうだ」
フォースは思わず言葉尻にため息をつく。
「そりゃ、フォースの方にいつもの元気がないからだろ」
バックスの心配げな顔に、フォースは虚をつかれて視線を返し、それからそうだなとつぶやいた。自分のことに精一杯で、周りが見えていないかもしれないと思う。バックスは神殿の中に入れとフォースの背中をバンと叩いた。
「ま、ゼインのところは育てなくても立派にやっていける兵士が揃っているからな。心配いらない」
慰めになるかならないか分からない言葉に苦笑を返し、フォースはリディアを促して裏へとまわった。ティオが先に扉から駆け込んでいく。
中に入ると、お気に入りのソファーにバフッと寝転がったティオが見えた。部屋の左、食堂のテーブルの角からグレイが手を振っている。横にいたユリアも顔を上げた。テーブルにはいつもの本の他に、シロップ漬けのチェリーが盛られた皿が置かれている。
「収穫はあったか?」
口をモゴモゴさせたグレイの問いに、フォースは微苦笑した。
「思ったよりはね。口に入れたまましゃべるなよ」
違う違うと手を横に振るグレイの側まで行って、フォースとリディアは皿をのぞき込んだ。
「これ、マルフィさんが作ってたシロップ漬けだわ」
「なんだ、酒に漬けたんじゃなかったのか」
フォースのいかにも残念そうな声に、リディアはクスクスと笑い声を立てる。グレイが手のひらの上に口から何かをはき出し、フォースは思わず一歩引いてからその手をのぞき込んだ。リディアもフォースの横から顔を出す。そこにはキレイに結ばれたチェリーの茎が一本あった。
「何かと思ったら、また小器用なことしやがって」
そう言ってため息をついたフォースに笑みを向けてから、グレイはユリアに親指を立てて見せた。リディアは不思議そうにグレイの手の上を見ている。
「これ? 口の中で舌を使って結ぶんだよ」
グレイはリディアにそう言うと、手にした結んだ茎を種の入ったもう一つの皿に移し、実から茎をプツと取ってリディアに差し出した。
「やってみる?」
「マズそうだ」
フォースは顔をしかめながらその茎を見ている。
「食えとは言ってないだろ。けど、生々しいキスを想像しちまうからやめとくか」
グレイは、その茎を種の皿に入れ、ケラケラと笑った。少し反っくり返ったせいで、リディアが眉を寄せているのに気付き、その顔を見上げる。
「どうしたの?」
「キスと舌が器用なことって、何か関係があるんですか?」
リディアの言葉に、フォースはブッと吹き出し、頬を挟むように口を押さえた。ユリアは呆れたようにため息をつき、グレイは笑いを堪えながらフォースの顔をのぞき込む。
「フォース? もしかして、まだ実践してなかったのか?」
口元を手で隠したまま目を合わせたフォースに、グレイは冷笑を向けた。リディアはその様子に、ただキョトンとしている。
「知りたいって。よかったな。教えてやれよ。それともホントに不器用だったりして」
クックと笑っているグレイに、フォースは恨めしげに目を細めた。
「抑制できなくなったら責任取ってくれるのか?」
「いや、そんな趣味ないから邪魔するの怖いし」
しれっとしたグレイの顔を見ていて、ハタとその言葉の意味に思い当たり、フォースは声を荒げた。
「てめっ! ふざけんな!!」
頭の上からの大声に、グレイはわざとらしく身を引く。
「ふざけてるのはフォースだろ。俺が責任取ってもいいのかぁ?」
思い切り楽しそうなグレイと、フォースは顔をつきあわせた。
「って、そういう意味でもなくてだな、女神が降臨を」
「そんなの嫌に決まってるだろうが。わざわざ聞いてどうするんだよ」
グレイは、フォースの説明を遮って返事をしつつ、それでもまだ可笑しそうに笑っている。フォースは開いた本のページがめくれそうなほど大きなため息をついた。
「フォース、怒鳴り声出さないのっ。神殿まで聞こえるわよ」
神殿に続く廊下から、アリシアが入ってくる。フォースはしまったとばかりに、もう一度口を隠してアリシアに背中を向けた。アリシアはその肩に手をかける。
「リディアちゃん借りてくわよ」
その言葉に眉を寄せて振り返ったフォースの顔を、アリシアはニヤニヤと眺める。
「なによ」
「い、いや……」
再び顔を背けたフォースにフッと冷笑を向けてから、アリシアはリディアに向き直った。
「食事を作るのを手伝ってもらいたいんですって」
嬉しそうにハイと答えたリディアに微笑んで、アリシアはそのままの笑顔をユリアにも向ける。
「ユリアちゃんもね。お仕事」
アリシアの言葉にユリアはアッと口に手を当て、すぐに、と言いつつ廊下の奥に消えていった。アリシアはリディアを促し、フォースとグレイに手を振って部屋を出る。後ろからティオもチョコチョコとついてきた。
「もしかして、お手伝いしたかった?」
アリシアの問いに、リディアはうなずいた。
「はい。ナシュアさんがいらしてから、お手伝いもほとんど必要がなくなっちゃって」
「ごめんね」
アリシアはバツが悪そうに苦笑した。違うんですかと足を止めかかったリディアの背に手を当て、厨房の前を通り過ぎる。漂ってくる香りに惹かれて厨房の前で立ち止まったティオを置き去りにしたまま進み、神殿の少し手前、狭い廊下でアリシアは足を止めた。
「私、リディアちゃんなら止めてくれると思っていたのよ。フォースのこと」
アリシアはつぶやくように言ってから、リディアと向き合った。リディアは、ほんの少し高い位置にあるアリシアの瞳に視線を返す。
「一度聞いてみたいと思っていたの、リディアちゃんがなにを考えているのか。あの子がライザナルに行くだなんて言っているのは、まだリディアちゃんが止めてくれていないからなんでしょう?」
リディアは微苦笑してうつむいた。肩からサラサラと落ちる琥珀色の髪が、その寂しげな瞳を隠していく。
「私が止めたら、行かないって言ってくれるでしょうか」
予想もしていなかった答えが返ってきて、アリシアは眉を寄せた。
「フォースなら言うわよ。ええ、きっと」
「もし、本当にそうだとしたら嬉しいです。でも……。私には止められません」
そう言うと、リディアはゆっくり顔を上げる。アリシアはその答えに眉を寄せ、リディアの顔をのぞき込んだ。
「どうしてそんな」
リディアは気持ちを落ち着けるように、大きな息を一つついて口を開く。
「先に逃げたくないってフォースが言ったのを聞いてしまって……。それが本心なら、邪魔をしたくないんです」
「向こうはどんなところかも、なにがあるかも分からないのよ? もしかしたら殺されてしまうかもしれない」
じれったさに、アリシアの声が大きくなる。リディアはそんなアリシアと少しだけ視線を合わせ、悲しげに目を伏せた。
「それはメナウルも同じです。フォースがライザナルの皇太子だと知れたら、フォースを利用しようとする人も出てきてしまう。もしかしたら、今まで普通にお付き合いしていた人だって……。それはフォースにはとても辛いことだと思うんです」
静かにゆっくりと話す声に苛立ち、アリシアはリディアの両腕を掴む。
「分かってる? もう二度と会えないかもしれないのよ? それでもいいって言うの?」
リディアの脳裏に、神の子は王家の人間と婚姻関係を結ぶ決まりになっているというタスリルの言葉が蘇ってきた。フォースがライザナルで穏便に暮らそうと思えば、王家の誰かと結婚しなければならないのだ。リディアは息苦しさを振り払おうと首を横に振り、どうしても残る胸の痛みに眉を寄せ、アリシアにすがるような視線を向ける。
「私だって、ずっと側にいたいって思ってます。だけど、ついていっても残ってもらっても、私はなに一つできないんです。それどころか、フォースが身を守るのに邪魔になるだけ。私にできることは、このままシャイア様の力をお借りして、国境を本来の位置に、少しでもフォースの近くに……」
リディアの瞳に涙が浮かんだ。その涙をこぼさないように、リディアは少しうつむいて、まばたきを繰り返す。
「そうすることで、ほんのちょっとの間だけでもフォースの支えになれるなら、あとは要らなくなっても忘れられても構わない。だって、何度も守ってもらって、いつでも支えてくれていて、私がフォースに返せるのは、もうこれくらいしか残ってない」
声が揺れ、プツッと床に涙のシミができた。リディアは慌てて頬をぬぐったが、あふれ出る涙を止められずに両手で顔を隠す。
「ごめんなさい、泣くつもりなんてなかったのに、泣かないって決めてたのに……」
リディアはそれ以上の言葉を口にできなかった。声が普通に出てこない。どうやっても泣きじゃくっている声に聞こえるのだ。リディアは、うろたえるように何度も震える息を繰り返している。
「リディアちゃん……」
アリシアはリディアを抱きしめた。リディアは驚いてその瞳を見開く。
「分かったわ、もうなにも言わなくていいから。ごめん、ごめんね」
アリシアはリディアの背中をそっと撫で、ようやく一つの言葉を口にする。
「ありがとう」
リディアは、アリシアの言葉と手の優しさに、安心して瞳を閉じた。まぶたに追い出されたまだ止まらない涙が、アリシアの肩口にこぼれ落ちていった。