レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     2.道程

 ――フォース、戦士よ――
 ひどく遠いところから、シャイア神の声が聞こえた気がした。空耳だろうか。それとも。離れると神の声も遠くなるのかと漠然と思い、フォースは、その声を振り切るように首を横に振った。ヴァレスからは、もうずいぶんと離れている。
 森の中、獣道のような細い道を四人、ウィンを先に立たせてバックス、フォース、その後ろにナルエスという順番で、歩みを進めていた。この先には反目の岩と呼ばれる場所がある。道にはみ出した枝が、時折それぞれのに当たってパチパチと音を立てた。
 その日、陽が昇りきらないうちに、バックスは神殿に戻った。バックスが戻ったのを鐘塔から見つけると、フォースはバックスにリディアとスティアの警備を任せ、ナルエスのいる部屋でメナウルの鎧を外し、自前の鎧と着け替えた。そして、時を置かずにヴァレス神殿を出発したのだ。
 フォースはその足で留置されていたウィンを連れ出し、ナルエス、バックスと共に反目の岩へと向かっている。
「しかしお前、本当にレイクスなのか?」
 ウィンがこの言葉を口にするのは、森に入ってからに三度目だ。
「何度も同じ事を言わせるな」
 答えるつもりがないのか硬い表情のまま何も言わないフォースに代わり、ナルエスが口を開いた。
「だいたい、瞳が濃紺で髪が陛下と同じ色、歳まで一致しているというのに、気付かない方がどうかしている」
「与えられた任務だけ、どうにかしてこなそうと必死だったからな」
 ウィンは、女神の降臨があればその巫女を殺せと命令されてメナウルに入り込み、時が来るまで兵士として過ごしていた。上位騎士だったフォースがリディアの護衛に付いたことで、リディアが降臨を受けたものと勘違いし、リディアを殺そうと狙ってまったのだ。その時の仲間は、一人が階段から落ちた時に剣が首に当たって死に、もう一人は城のバルコニーから飛び降りて命を失っている。
 その記憶をらせたのか、顔をしかめたウィンの言葉に、ナルエスがれたように息をついた。
諜報部の人間の考えることは理解できない」
「気付かなかったわけじゃない。他のことはどうでもよかった。簡単だろ?」
 ウィンは、フンと鼻で笑って後ろを歩いているフォースをうかがった。フォースは眉を寄せ、口を結んだまま視線を落とし気味にし、ただ黙々と歩いている。
「そういえば、巫女は連れて行かないのか? 結局あのソリストが降臨を受けたんだろう?」
 フォースはハッとしたように顔を上げた。ウィンは、フォースに意味ありげな微笑を残し、前に視線を戻す。
「連れて行って嫁にするには丁度よかったんじゃないのか? ライザナルの王家は、他国の巫女優先だぜ?」
「そんなことが出来るかっ」
 吐き捨てるように言ったフォースに、ウィンはのどの奥で笑い声をたてる。
「なんだ、知ってんのか。一度だけあのヒヒジジイに抱かせてやれば、あとはいくらでも好きに出来るかもしれねぇってのに。その一度が許せないなんて、結構石頭なんだな」
「いい加減にしないか。レイクス様になんて口のき方をっ。しかもマクヴァル殿をなんと」
 怒鳴り声を上げたナルエスに、フォースはため息をついた。
「別にどうだっていい」
「よくありませんっ」
 そのやりとりを聞いて、ウィンはまた可笑しそうに笑う。
諜報部というのは横のつながりが無くてな、本当に一部の人間だけしか俺を知らないんだ。逃がそうだなんて考えが甘いぜ。巫女を殺しに戻るかもしれないぞ?」
 振り返って言ったウィンに、フォースはい視線を向けた。
「今の護衛はルーフィスだ。そう簡単にいくか」
「ほぉ、そうかい。確かに、お前の時よりはずっと大変そうだが」
 ウィンの言葉に、フォースは、好きに言ってろ、と悪態をつく。ウィンは足を止め、笑っていた頬を引き締めた。
「お前が本当にレイクスだとしても、俺はセンガとダールのを取らなければ気が済まねぇ」
「ったく、いいから歩け」
 バックスがウィンを引っ張って前を向かせる。
 フォースは、二つの死の情景を思い出して顔をしかめた。リディアを殺そうと城のバルコニーから命を投げ出したセンガと、自分を殺し損ねて階段を転げ落ちてしまったダールと。
「そういえば、ダールって奴。最後に俺のことをクロフォード陛下って呼んだっけな。そうか、あいつの名前、ダールってんだ」
 ダールが死んだ時、シェイド神を信仰しているだろうことを分かっていて、リディアはその遺体にシャイア神の祈りをげた。その時もそうだったが、今のフォースには、リディアの祈りがさらに遠く感じる。
ましかったんだ、あいつのこと」
「あぁ?」
 予期していなかった言葉に、ウィンは振り返った。悲しげに目を伏せたフォースの表情がクロフォードと重なる。
「お前、もしかして」
 ウィンの呼びかけに、フォースは顔を上げた。ウィンは視線をそらすように前を向く。
「いや、いい」
 ウィンは、フォースの見せる力の抜けた顔が、クロフォードに似ていると思った。最後をえたダールは、フォースの敵意のない顔を見て、クロフォードを感じたのかもしれない。だとしたら、フォースは階段から落ちたダールを、本気で助けようとでもしたのだろうか。
「お前が殺したんだ」
 思わず自分に言い聞かせたウィンに、フォースは呆れたように息をついた。
「ああ、そうさ。俺が殺した」
 フォースの目に、力が戻っている。ウィンはそれを一瞥すると息で笑った。否定されなかったことに安心した自分が可笑しかった。
 センガがソリストを抱えてバルコニーから身を投げ出した時も、フォースはそのソリストを助けるために同じバルコニーから飛び降りている。センガは、自分の命と引き替えに、ソリストとフォースの命を奪ったつもりだったのだろうと思う。結果的に、フォースは木をクッションに使って、あのソリストを助けたのだが。
 巫女だと思っていたソリストを殺害するのは、結局阻止されてしまった。だが、センガもダールも無駄死にの割には、まだ救いがあったのかもしれない。
「お前が殺したんだ」
 ウィンが繰り返した言葉に、今度は面倒臭そうなため息だけが聞こえた。ウィンは、この言葉は本当に真実なのだろうかと、この時初めて疑念を抱いた。
 口を閉ざしたウィンに、フォースはやっと静かになったかと一息ついた。
 結局、予定よりも早く出発したために、見送りはリディアとスティアとティオ、アジルの四人だけですんだ。見送ると言っても、護衛もなく外に出てしまうと危険なので、神殿の中でなのだが。
 何かレクタードに伝言はあるかと聞くと、スティアはただ首を横に振った。ティオにはリディアのことを頼み、リディアには必ず戻るともう一度伝えた。すべて納得して神殿の扉を閉めたはずだった。
 とたんに身体中の血の気が引き、息苦しくなった気がした。扉を開けさえすればそこにいるはずのリディアが、ひどく遠く感じる。ライザナルへ行かなくては、ここに戻ってこられない。しかも、その帰り道がまだ見つけられずにいるのだ。その道を見つけ、ここにたどり着くまでの間は、リディアを抱きしめることも、姿を見ることも、声を聞くことすらできない。目を閉じればまぶたに居るリディアは、もうすでに過去で、ただの記憶なのだ。
「隊長?」
 扉の前で警備をしていたアジルは、扉から目を離すことができないでいるフォースの顔を、しげに見上げた。フォースは微かな苦笑を返す。
「父が戻るまで、リディアの側にいて欲しいんだけど。俺は、……、ちょっとでかけてくる」
 その言葉にナルエスが微妙に顔をしかめたのを見て、アジルはすべて悟ったかのように顔を引き締め、フォースに敬礼を向けた。
「いってらっしゃい」
 アジルに返礼して、フォースは扉に背を向けた。
 フォースはその時、レクタードが言っていたスティアは強い人だという言葉に、文句なくうなずけると思った。リディアの所へ帰ってくるために、今はここを離れ、とにかく進まなければならない。神殿を後にし、フォースは本能のように足を踏み出した。
 森は相変わらず枝葉が空を網目のようにい、生き生きとした緑が広がっている。こんな目的で歩いているのでなければ、きっと木々の放つ香りにされ、気持ちも落ち着くのだろうとフォースは思った。だが、今は脱力感に支配されている。これではいけないと思いながら、フォースは無気力な状態からどうしても逃れられずにいた。
「あれ、ハヤブサ? ファルじゃないか?」
 バックスの声に、フォースはバックスの視線をたどって空を見上げた。少しの間をおいて、ファルの影が何度も木々の上スレスレを横切っていく。
「ホントだ」
「ここが分かっているみたいだな」
 バックスの言葉にうなずいて見せ、フォースはもう一度木々の上を透かして見る。また二、三度行き来して、ファルはどこへ行ったのか見えなくなった。

   ***

 閉じられた扉に、リディアはそっと手を触れた。この扉を開けば、まだフォースの後ろ姿くらいは見ることができるだろう。でも、思い出す最後の姿は後ろ姿よりも、フォースが残してくれた微笑みの方がいいと思う。
「何かあったのですか?」
 部屋に入ってきたナシュアが声をかけてきた。その後ろにユリアもいる。黙ったままでいたスティアが、笑みを浮かべようとして顔をめた。
 コンコンと扉がノックされ、アジルが顔を出した。
「リディアさん? ルーフィス殿が戻られるまで、護衛いたします」
「お願いします」
 リディアは丁寧に頭を下げた。ユリアは驚きに目を丸くする。
「フォースさんは? いないんですか?」
 ユリアの問いに、リディアは視線をそらしてうつむいた。
「もしかして、本当に行かせちゃったの?」
 やはりユリアも知っていたのかと、リディアはつきたかったため息を隠した。ユリアはリディアに詰め寄って腕を取り、顔を突き合わせる。
「どうして止めなかったの!」
「行かせたのは私よ! 自分が止められないからって、リディアを責めるのはやめて!」
 スティアは、部屋中に響き渡る声で叫ぶと、目を見張っているユリアを残して神殿への廊下に駆け込んでいく。ナシュアは少し迷ったようだったが、スティアの後を追った。アジルは呆気にとられてコトの成り行きをめている。
 ティオが駆け寄ってきて、リディアの手を取った。ユリアは、うつむいたままのリディアから手を離す。
ましいんでしょう? 分かっているわ。嫌われているくせに、いつまでもうるさい奴だって思っているんでしょう」
 リディアはユリアと視線を合わせ、ゆっくりと首を横に振る。
「そんなこと。フォースを想う気持ちは、同じだと思ってます」
「言葉ではいくらでも言えるわよね」
「でも、私もフォースに助けられて知り合ったし、ずっと片思いだったし」
 リディアのつぶやくような声に、ユリアはフフッと吐き出した息で笑う。
「同じ気持ちだなんてことないわ。私があなたなら止める。ライザナルなんか、あんなひどい国なんかに行かせたりはしないもの」
 ユリアの突き刺すような視線に、リディアはただその身体をさらした。
 ユリアが責めるのは、もっともなことだとも思う。だが、リディアはライザナルがただ悪い国だとは、どうしても思えなかった。意味もなく他国を責める国があるとは思いたくないというのもある。そして何より、フォースの父親が皇帝なのだ。この長きにわたる戦争も、きっと何か訳があってのことだろうし、フォースが行くことによって状況も変わると信じたい。
「フォースさんが可哀想。あなたってひどい人だわ。フォースさんと合うはずがない。結局は別れる運命だったのね」
「私たちは別れてなんていません」
「いつまでそんなことを言っていられるかしら」
 リディアには、ユリアが自分こそフォースにふさわしいのだと、自分で納得したくて必死になっているのが分かった。今まで抱いていた嫉妬心が跡形もなく消えていく。リディアは、人をおとしめて優位に立とうともがいているユリアが、哀れだと思った。そして。
「運命なんていつだって後ろにしか無かったわ。私はそんなモノ信じません」
 自分は運命などというモノではなく、フォースをこそ信じている。フォースが戻ってくるための道を必ず見つけると約束してくれたように、自分でも精一杯、フォースに近づける道を探そうと思う。選ぶのが整備された道でなくても、どこにでも足は踏み出せるのだから。
 しっかりと見つめてくるリディアの瞳を見返すことができず、ユリアは目をそらした。
「そんなことができるのなら、やって見せてご覧なさいよ」
 神殿への廊下へと足を向け、ユリアはあざけるような笑い声をたてると、逃げるように廊下へと消えていった。
「隊長に一生懸命なのは分かるんだがなぁ」
 アジルが大きなため息をつく。リディアはアジルに浅く頭を下げた。
「ごめんなさい。嫌な話を聞かせてしまって」
「とんでもない。リディアさんは悪くありませんよ。隊長がサッサとキッパリ断っちまえばいいんだ」
 アジルの言葉にリディアは苦笑した。ユリアがフォースに告白した時、リディアはドアを一枚挟んで聞いていたのだ。フォースが断りかけた時、ユリアは走り去っていった。その言いかけた言葉だけで、断られることは充分わかったのだと思う。
 その時フォースに考えておいてくださいと叫んだ言葉も、今し方リディアを悪者にしようとした言葉も、ユリアが自分で自分を守ろうとする欠陥だらけの鎧のようにしか、リディアには聞こえなかった。そして、今自分が泣いていないのは、ユリアに対して持っている意地のおかげかもしれないと感謝する。
「あの娘とリディアの想いは、全然違うよ。だって、想ってる相手自体が違うじゃない」
 ティオはニッコリ微笑んでそう言うと、意味が分からずキョトンとしているリディアの手を引いた。
「まだ少し早いから、上に行ってようよ」
「そうね」
 リディアは、ティオに微笑みを向けると、階段を上がった。アジルが後ろから付いてくる。
 リディアは、振り返ればいつものテーブルの隅に、フォースがいるような気がした。だが、後ろを向いてしまえば、そこにいないことが身にしみてしまう。リディアは後ろを確認したい気持ちを抑えつけて、二階の廊下へと進んだ。
 奥に目を向けると、フォースが使っていた部屋のドアが、少し空いたままになっているのが目に入った。そのドアを閉じようと歩み寄り、隙間から見えた騎士の鎧に視線が吸い込まれる。
 リディアは思わずその部屋へと入った。ティオが後ろから入ってきてアジルを通し、ドアを閉める。リディアは無造作においてある赤いマントを手にし、きちんとんだ。そのマントをどこにも置くことができず、リディアはマントを手にしたままベッドの端に腰掛け、脱ぎ捨ててある鎧を見下ろす。
 私は止めない方を選んだのだと、リディアは自分に言い聞かせた。だから泣かない。後悔もしたくない。だが、寂しさだけはどうすることもできそうになかった。泣きたくなくて噛んだ唇が震えている。胸の痛みを押さえつけるように、リディアはマントをきつく抱きしめた。
 その胸の奥で、虹色の光がドクンと大きく拍動した。シャイア神だ。何か伝えてくるのだろうかと、リディアは耳を傾けるようにその光に集中した。その光はリディアの胸の痛みをたどるように、脈打っている。
 ――フォース――
「フォース? 反目の岩に……」
 同じように鎧を眺め、珍しいほど静かにしていたティオは、その声に答えるように言うと、表情を緊張させる。
 虹色の意識が、胸の奥でどんどん大きさを増してくる。
 ――シェイド――
 リディアに届いた言葉は、ライザナルの神の名だ。だが、会いたい、会わねばならない、そういう感情が後を追って響いてくる。フォースに? まさかシェイド神に?
「アジルさん、シャイア様が」
 アジルの袖を掴もうとした手から、虹色の光がアジルに飛び移り染みこんだ。
「ええ、分かって、ま……」
 アジルはゆっくりとベッドの方へ倒れ込んだ。
「アジルさん、アジルさん?!」
 驚いたリディアは、焦ってアジルの名前を呼びながら揺り動かしたが返事がない。
「シャイア様……?」
 リディアは、アジルの意識を奪ったのは、シャイア神なのかもしれないと気付いた。そして、シャイア神の意識が表に出てしまっても、今はシャイア神が何をするのか見ていてくれる人が誰もいないことに、リディアは恐怖した。もしもシャイア神が、シェイド神に会いに行ってしまったとしたら。
「シャイア様、待って、お願い……」
(お嬢さんも降臨を受けているんだろう? ライザナルに行ってはいけないよ。なにされるか分かったものじゃない。いいね?)
 薬屋のタスリルに聞いた話が頭にってくる。巫女は神の子を宿して王家に嫁ぐ、つまりは降臨を受けた物同士で、そしてその上皇帝とも情交を結ばされてしまうのだ。虹色の意識が急激に膨らみ、身体からあふれてくる。リディアは、震えが走った身体を、マントごと自分の腕で抱きしめた。
「フォース、怖い、フォース……」
 リディアの瞳の緑がさらに濃くなりはじめ、どんどんその恐怖も遠くなっていく。ティオの顔からも表情が消えた。
 リディアの中のシャイア神が、リディアの身体と共にゆっくりと立ち上がり、抱きしめていたマントがバサッと床に落ちる。前を見つめている瞳は、完全にシャイア神の物と入れ替わっていた。
 ――リディア――
 シャイア神は語りかけるように、リディアの口でその名を呼んだ。
 ――行きましょう――

   ***

「リディアさん?」
 二階へと上がってきたナシュアは、フォースが使っていた部屋のドアが開いていることに気付いた。リディアはそこにいるのだろう。そう思って部屋を覗くと、真っ先にアジルが倒れているのが目に入った。ナシュアは驚いて部屋に飛び込む。
「アジルさん! アジルさん?!」
 側に畳んだ状態で床に落ちている赤いマントが目に入ってくる。何かあったのは間違いない。
「アジルさんっ!」
 ゆっくりとアジルの意識が戻ってきた。ボーッとした頭で半身を起こし、頭を振る。
「アジルさん、リディアさんは?」
「リディ……、あっ?! シャイア神は?」
 アジルは飛び起きて、ナシュアと向き合う。
「シャイア神が出てきて、虹色の光に気を失わされて」
「シャイア様にですか?」
 目を丸くしたナシュアに、アジルはうなずいて見せた。
「ティオが隊長の名前を呼んでたんです、とにかく追ってみます」
 アジルは部屋を飛び出しかけ、顔だけ振り返る。
「リディアさんを捜索するようにと軍の者に伝えてください」
 それだけ言い残すと、アジルはバタバタと駆けだしていった。