レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
2.唇の感触
部屋の隅で、薬師がもてあました両手の指を絡ませ、部屋の中央にある一台のベッドに遠慮がちに視線をやっている。そのベッドには、苦しげな息を繰り返すフォースが寝かされていた。ライザナルの皇帝クロフォードは、ベッドの側に立って上体を乗り出すようにし、眉を寄せたフォースの表情をじっと見つめている。ジェイストークはその向かい側の窓に背を寄せるように立ち、どこを見るでもなく部屋の光景に目を向けていた。
マクヴァルが部屋に入っても、誰もが声もなく、一瞬視線をやっただけだった。
閉めたドアの前に立ち、マクヴァルはフォースの顔を眺めて目を細めた。見れば見るほどエレンに似ている。二度と見ずに済むと思った顔が目の前にある忌々しさ、死んでしまって手を出せないエレンに対する優越感、フォースを利用できるかもしれないという期待といったものが、マクヴァルの内側で蠢いていた。
マクヴァルにとって厄介なのは、フォースが紺色の目を持っていることだ。エレンはメナウルへ行ってから四年程で死んでいるが、エレンがどこまで神の守護者のことを、フォースに伝えているのかは分からない。
そして宮中では、フォースも神の守護者の一員として、シェイド神の声が聞こえるのが当たり前だとの見方が大半を占めている。その点は、フォースの半分が紺色の目の血ではないから、シェイド神の声が聞こえないのだろうとでも言い張るしかないとマクヴァルは思う。紺の目の種族をよく知るものと、詳しくは事情を知らないだろうフォースを、会わせるわけにもいかない。
だが、それでも生かしておく価値はある。フォースは神の守護者に戦士と呼ばれる存在なのだ。神の守護者は武器を持たないが、戦士は違う。神の意志に関係なく、直接武器を持ち、手をくだすことができる。
利用することができるのならば、多少のリスクを承知で、無理にでもシェイド神とフォースに契約を交わさせるのが最良だろうとマクヴァルは思う。
しかし、もしすでにシャイア神と契約を交わしたあとなら、このまま死んでくれたほうがいい。
マクヴァルは、血を使った呪術で読み取った、紺色の目をした老人の言葉を声に出さずに反復した。
(神の守護者と族外の者にもうけられし子は武器を持つ。その者、神との契約により媒体を身に着け戦士となる。媒体ある限り神の力はその者に対して無効となる)
レイクスが媒体を身に着けているかいないかは試してみればいいことだとマクヴァルは思った。契約をしていなければ、シェイド神の力はフォースに通じることになる。
マクヴァルは静かに大きな息をつき、目立たぬように手を後ろに回した。口の中で密かに呪術の呪文を唱える。悟られないように隠した指先に、なるべく小さくシェイド神の力を溜めた。
ふと、窓の側にいたジェイストークが、顔をしかめてベッドに背を向けた。何を思ったのかは分からないが、術の発動を見られないのはありがたい。マクヴァルは、指先に集めた僅かな力をフォースに投げた。
フォースの苦しげな息がひときわ荒くなり、うめき声が漏れた。その変化に、ジェイストークはハッとしたように振り返り、クロフォードはさらに心配げに顔を寄せる。薬師は顔色を変え、ますます部屋の隅へと身を寄せた。
「どうにもならんのか」
低く静かな口調のクロフォードに、薬師は震え上がった。ひっくり返りそうな声は抑えたが、焦りからか、どうしても早口になる。
「純然たる神の守護者ならともかく、レイクス様の血は半分が貴方様のモノでございますので」
「私のせいだと申すか」
クロフォードの視線が向けられ、薬師はハッとしたように目を丸くし、背中を伸ばした。
「い、いえっ、滅相もございませんっ。ただ、解毒剤が足りない分は、今作らせているところでして、仕上がるまでは、もう、なにも……」
「できることはないのか。このまま黙って見ていろと言うのか」
言葉を返せず黙り込んだ薬師に、クロフォードは大きく息を吐き出した。
「もうよい。下がっていろ」
クロフォードの言葉に、薬師はうやうやしく頭を下げ、早くこの場を離れたいとばかりに、ドアの音を残して慌てて退出していった。
シェイド神の力が薄まっていくと共に、フォースの息が少しずつ回復してくる。荒い息を繰り返しているフォースを見て、マクヴァルは、つと笑みに目を細め、表向きは沈痛な表情で瞳を閉じた。
フォースが神の力に反応したのは、契約を交わしていないか、媒体を持っていないということだ。だが、契約をして媒体を身に着けていないなど、普通なら考えられない。ここに運ばれる間に、落としたり外されたりなど、何かあったと考えるべきだろう。そしてその場合、媒体がフォースの手元に戻る確率は低いはずだ。
いずれにしても、もっと神との契約のことを、よく知らなければならない。そのためには、神の守護者である老人の血を使った呪術を、繰り返す必要がある。だが、どのように契約するか判明した暁には、フォースの持つ瞳も戦力も、自分の下僕として利用できるようになるのだ。
「シェイド神は、助けてはくださらんのか」
クロフォードはフォースに目をやったまま、つぶやくように言った。マクヴァルが思考を遮った声に目を向けると、クロフォードもマクヴァルを振り返る。
「レイクスも、神の守護者なのだろう。ならば……」
「申し訳ないが、シェイド神は何とも。今はその時ではないのかと」
クロフォードは苦り切った顔でため息をつき、うつむくようにフォースを見下ろした。フォースの繰り返す息に、微かな声が混ざる。
「今何と?」
聞き返すようにつぶやくと、クロフォードはフォースの口元に耳を寄せた。
「……ディ……」
苦しげな息の間に、確かに声が漏れている。クロフォードは、どうしても聞き取れない苛立ちに眉を寄せた。ジェイストークは、その名前に思い当たり、頬を緩める。
「陛下。レイクス様がおっしゃっているのは、リディア、レイクス様がメナウルで騎士として護衛に就いていた巫女の名前だと」
「巫女? レイクスの手当てをしたという、あの巫女か?」
クロフォードが視線を向けると、ジェイストークは返事のかわりに軽く頭を下げた。
「神官長シェダと、巫女の経験があるミレーヌの娘です。現在十六歳で、聖歌ソリストの見習いをしております」
「こんな時に、わざわざ護衛の相手を呼んだりはせんだろう」
クロフォードの言葉に、マクヴァルは思いついたように顔を上げる。
「巫女だからでしょうか? レイクス様のシャイア神に対する信仰心が厚いとなると、色々厄介ですな」
「いや、巫女を呼ぶくらいなら神を呼ぶ。違うか?」
クロフォードは、ジェイストークを見据えてたずねた。そのまっすぐな視線に耐えられず、ジェイストークはもう一度、今度はしっかりと頭を下げる。
「降臨以前からの恋人とのことです」
ジェイストークの言葉に、クロフォードは寂しげに目を伏せた。
「知っていることは、なんでも隠さず教えて欲しい」
そう言うとクロフォードは、御意、と礼をしたジェイストークにうなずいて見せ、改めてフォースの声に耳を傾けている。
ジェイストークは、クロフォードに何をどう話すかという選択を、フォースに任せようと思っていた。だから簡単な事実だけを伝えて、心情的なことまでは積極的にクロフォードに伝えようとしなかったのだ。
だが、クロフォードは違った。どんな小さなことでも、うわごとでさえ拾おうと必死になっている。探し求めてきた息子のことだ、当然といえば当然かもしれないとジェイストークは思った。
ふと強がった笑顔のレクタードが、ジェイストークの脳裏に浮かんだ。二番目という立場が、とうとう現実のものになってしまうのだ。レクタードは、ますます寂しい思いをするに違いないだろう。
リディアを呼ぶフォースの声が、幾分ハッキリしてくる。クロフォードは静かにため息をついた。
「そのリディアという巫女、生きているといいが」
「ええ、本当に」
マクヴァルが表情を変えずに同意する。ジェイストークには、クロフォードの言葉の真意がどこにあるのか、計り知ることはできなかった。だが、マクヴァルの思いは容易に想像がつく。
「巫女だと分かっていたら、なぜ拉致してこなかったのだ」
マクヴァルの言葉がジェイストークに向けられた。そう、神の血を王族にという、シェイド神の教えに則ってのことだ。
「もしもあの時、剣に毒を仕込まれていなければ、間違いなくアルトスが連れ帰りました。ですが、レイクス様のお命をまず一番に考えましたので」
予想通りの言葉に、ジェイストークは用意していた答えを口にした。マクヴァルは、しかめた顔をジェイストークに向ける。
「巫女も毒を受けたのなら、死亡したかもしれない。そんなことならまた降臨を待つよりも、虫の息だろうとシェイド神に捧げた方が、どれだけ労力を取られずに済んだか」
その声を聞きながら、マクヴァルが言ったようにリディアをさらっていたら、フォースがどう思うだろうかと、ジェイストークは漠然と思考を巡らせていた。
「ですが、あの方はレイクス様にとっての恩人ですし」
「シェイド神と個人の関係と、どちらが大事だというのだ? かつて陛下は信仰をお選びになった方なのだぞ」
クロフォードの立場を口にしたマクヴァルの言葉に、ジェイストークはただ黙って頭を下げた。クロフォードを引き合いに出されたら、もう何も言えない。マクヴァルはフッと鼻を鳴らすと、陰鬱とした表情のクロフォードに向き直る。
「そのリディアという娘が生きていて、まだ巫女だったならば、捕らえて、エレン殿と同じようにシェイド神に捧げていただきたい」
「分かっている。だが、レイクスとの約束は守る。一年間は停戦だ」
クロフォードが言い切った言葉に、マクヴァルは顔色を変えた。
「レイクス様のために、シェイド神をないがしろにされるとおっしゃるか?」
「まずはレイクスとのことを優先させる。だいたい毒の剣の事は、そなたの手の届くところで起こったのだ。シェイド神もこうなることを分かっておられたに違いない」
面と向かってそう言うと、クロフォードは再びフォースに視線を戻した。マクヴァルは腹立たしげに目を細める。
「いえ、陛下。優先されるからこそ、捕らえた方がいいのではないかと」
その言葉に、クロフォードは再び顔を上げた。マクヴァルは少しも動じることなく、その視線と向かい合う。
「そのリディアという娘がライザナルにいれば、巫女をシェイド神に捧げることで信仰をおろそかにすることもなく、レイクス様もメナウルに逃げようとはなさいますまい」
マクヴァルの逃げるという言葉に、クロフォードは目を見張った。それを見てマクヴァルは苦笑を浮かべ、話しを続ける。
「結果的には、無理矢理連れてきたのと同じ状況です。充分に考えられるでしょう」
自信たっぷりに言うマクヴァルに、ジェイストークは歯噛みした。
「ですが、報告したはずです。レイクス様はあの時、今すぐ来ていただけると返事をくださいましたと」
「だが、陛下の親書を受け取るまでの間、来るとは言わなかったのだろう。悩んでいたのは間違いない」
マクヴァルは、どうかね、とジェイストークをうかがうように見た。
「すぐにでも、そのリディアという巫女をさらって」
「逃げない」
マクヴァルの言葉を遮った、小さいがハッキリした声に、三人は視線を向けた。紺色の瞳がそこにある。
「気がついたか!」
クロフォードは、フォースの顔をのぞき込んだ。フォースは何度か荒い息を繰り返してから、もう一度口を開く。
「リディアに手を出すな」
絞り出した声に、苦々しげな表情を向けたマクヴァルを、フォースは精一杯睨みつけるように見た。
メナウルの法衣を黒く染めたような衣服のマクヴァルは、フォースの目にも紛う方なく神官に見えた。そして、巫女をさらおうなどと言うのも、神官だからに違いないと思う。
「約束は守る」
そう言った目の前の顔は、間違いなくサーペントエッグの肖像の人間、ライザナル皇帝であり、フォースにとっては実の父親でもあるクロフォードだ。だが、肉親だという実感は、フォースには予想通り微塵も感じられなかった。
「では、一年後には間違いなく」
神官のその言葉に、クロフォードがしっかりとうなずく。そのクロフォードに対しての敵意と、一年で何ができるのかという不安が湧き上がってくるのを、フォースは止めることができなかった。
窓の側にいたジェイストークは、ベッドを回り込むとクロフォードの側に立ち、薬師を、とひとこと言ってドアへと向かう。それを目で追ったフォースに、ジェイストークは笑顔を向けて、部屋を出ていった。気を許してはいけないと思いつつ、僅かにでもホッとする自分に、フォースは腹が立った。
「辛いか? なんとかしてやりたいとは思うが」
クロフォードはフォースの髪をそっと撫でる。その手を振り払おうとして、身体がひどく重く、思うようには動かないことに、フォースはショックを受けた。ようやく腕が持ち上がりかけたところで、クロフォードはフォースから手を離し顔を上げる。
「毒を仕込んだ剣をアルトスに渡した神官はどうした」
「はい。発見いたしました。ですが、自害しておりましたゆえ、追求はできませんで。残念です」
マクヴァルが軽く頭を下げて言った答えに、クロフォードはうなずいた。だがフォースには、マクヴァルをまっすぐ信じることなど出来そうにない。自害など、なんて都合のいいことだろう。もし口封じに殺してしまっていたとしても、この言葉だけでは状況も分からない。自分は邪推が過ぎているのだろうか。だが今は、それくらいで丁度いいのだとも思う。
「アルトスは」
「謹慎させております」
マクヴァルの答えに、クロフォードは長いため息をついた。
「分かっているだろうな? そなたが降臨を受けているのでなければ、一緒に謹慎させているところだ」
「充分に」
マクヴァルは、姿勢を正してから、再び、今度はしっかりと頭を下げる。そのまま一瞬冷笑を浮かべたのが、下から覗いている格好のフォースの目に映った。
「アルトスを、どう処分なさるおつもりです? 降格させるならば、神殿に頂戴できませんか」
姿勢を正してから向けられたマクヴァルの言葉に、クロフォードは眉を寄せて思いを巡らせている。
「降格は、せねばならん。本来ならアルトスをレイクスの護衛にと考えていたのだが」
「失礼します」
ドアの向こうから、ジェイストークの声がした。マクヴァルがドアを開ける。
「薬師を連れてまいりました」
深い礼をして、ジェイストークが入室した。後から、先ほどまで居た薬師がついてくる。薬師もクロフォードに向けて礼をすると、フォースには初めてだが、その薬師は慣れきった顔を見るように、フォースの顔をのぞき込んだ。ホッとしたように薬師の肩が落ちるのが、フォースにも分かる。
「もう大丈夫です。あとは状態を見ながら、解毒剤を追加していけばよろしいかと存じます。当初の予定通り、あと九日ですか、ラジェスに発つことも無理ではございますまい」
その言葉で、クロフォードも安心したように大きく息をついて、そうか、とうなずく。
「では、私は一度作業場の方へ戻らせていただきます」
薬師は、もう一度丁寧に礼をすると、笑みさえ浮かべて部屋から出て行った。
「やはり撤退なさるのか」
ドアが閉まったのを合図にしたかのように、マクヴァルの声が冷たく響いた。クロフォードは、意に介していないといった風に、フォースに向けてうなずく。
「女神に取り返されるくらいなら、約束を守った方がよい」
そう言うと、クロフォードは歪めた顔を、ジェイストークに向ける。
「あとはアルトスをどうするかだが」
ジェイストークは、一歩クロフォードに向かって踏み出すと、畏まった。
「仕組まれたのはレイクス様と同様、アルトスも一緒です。出来ることなら復権を」
「しかし、それを許していたのでは、他の者に示しがつかんのだ」
クロフォードの言葉に何も答えられず、ジェイストークは軽くお辞儀をするようにうつむいて、眉を寄せた。ドアの側に立ったまま、相変わらず薄い笑いを浮かべるマクヴァルが、フォースにはひどく腹立たしく映る。もしアルトスがマクヴァルの配下となれば、一年後には間違いなくリディアを狙う人間になってしまうだろう。
「アルトスを、護衛に」
「レイクス?」
クロフォードが驚いたように眉を上げ、マクヴァルはフォースの予想通り、苦々しげに顔を歪めた。ジェイストークまでが虚をつかれたように、呆気にとられた顔でフォースを見ている。
本当にアルトスが護衛についたら、それなりの情報も入ってくるだろうが、制約だらけの生活になりそうだと思う。フォースは自縄自縛を覚悟で話を続けた。
「それで充分、降格だろ」
アルトスがライザナルの騎士の中で最高位に就いている事を、フォースはメナウルで聞いて知っていた。すなわち、違う役職に就くだけで、すでに降格なのだ。
「しかしそれでは、予定通りと言うことに。同じ過ちを犯されても困りますでしょうし」
マクヴァルは、顔をしかめていたのが嘘のように素知らぬ顔で、クロフォードに言葉を向けた。
「それは、そうだが」
クロフォードは視点が定まらずに、部屋の中の人間を見回す。フォースの目にも明らかに迷っているように見えた。だが、最高位にいる騎士に対して、同じ過ちを繰り返す人間だと考えてはいないだろうと思う。
「アルトスが同じ過ちを、繰り返すような奴なら、必要ない」
言葉が切れ切れに出てきた。毒を受けてしまったのは、自分の落ち度でもある。毒を持った身体の辛さも、状況からくる気持ちの重さも、こんな事を願い出ている自分も、フォースには何もかもが不本意だった。
「護衛なんていらない。最高位の騎士でそれじゃあ、誰も信じられない」
不本意ではあったが、フォースに後悔は無かった。どうしてもアルトスには神殿の仕事をさせたくない。いや、軍部に所属していても、リディアを狙うようになるのは同じかもしれないが、自分の側にいる間、アルトスの行動は著しく限られるのだ。
軍部全体から見たら、アルトスの一人や二人、そう影響はないだろう。だが、特定の人間を拉致しようという場合は、少人数で内部へ入り込むことになる。そうなるとアルトスの存在は、どう考えても大きい。
「考えておく。まずは眠りなさい」
クロフォードの手が伸びてきて、またフォースの髪を撫でる。フォースは、今度は意識して避けなかった。顔を見上げると、クロフォードは微笑を浮かべてうなずく。フォースは、安心したように見せかけようと瞳を閉じ、フォースがクロフォードを受け入れたと感じられるように努力した。
ただフォースは、目を閉じてもマクヴァルの気配から気を逸らすことは出来なかった。そのマクヴァルがノドの奥でククッと忍び笑いをした声が、フォースの耳に届く。
「そんなにその娘が大事なら、正妻に出来ずとも、やはり連れてくるのがよろしかろう。陛下はレイクス様の口から、帰るなどと言う言葉を聞きたくないでしょうからな」
その言葉に息を飲み、フォースは思わず、薄い笑みを浮かべたマクヴァルを見遣った。ジェイストークも、自分で伝えていなかったからか、やはり虚をつかれたようにマクヴァルを見ている。
あの場にいなかったのに知っているということは、それなりの能力を持っているのだろうとフォースは思った。つまりは、マクヴァルがシェイド神を有する神官なのだ。だがシェイド神の声は聞こえてこない。普段はシャイア神と同じようにマクヴァルの奥底にいるのか、ただ何も言わずにいるだけなのか、それとも自分では話したり感じたり出来ない神なのか。
「レイクス、お前、まさか帰るなどと」
クロフォードが不安げにフォースの顔をのぞき込む。フォースはその視線に耐えられずに、目をそらした。
「お前は私の元に帰ってきたのだぞ、メナウルになど二度とやらん!」
「だから、逃げないって言ってる」
フォースは、クロフォードの低い声に、吐き捨てるように返し、眉を寄せた顔を向けた。クロフォードは険しい顔でフォースを見ていたが、何か思いついたように、わだかまっていた息を吐き出す。
「一年だ。一年経ったらシェイド神の教えに則って、いや、お前がライザナルを離れようと画策するようなことがあれば、すぐにでも巫女を拉致するよう行動を起こす。いいな?」
クロフォードが威圧的に言い放った言葉に、フォースは無言のまま大きく息をついた。少なくとも一年は、リディアに手を出されずに済む。そしてこんな時のために、ルーフィスに護衛を頼んできたのだ。拉致などきっと阻止してくれるだろうと思う。
とにかくこの状況では、ライザナルへ連れて来るわけにはいかない。女神が降臨を解くまでは、出来る限り阻止しなくては。
そして、会うための努力もできないのか。もし計画して少しでもばれたら、拉致を進められてしまうのだ。自分のモノではないような体の重さが、思考の邪魔をしている。
マクヴァルは、肩をすくめて薄い笑いを浮かべた。
「まぁ、巫女が生きていればの話ですがね」
マクヴァルの、生きていれば、という呟きに、フォースは一瞬耳を疑った。それからゆっくりと、リディアが手当てをしてくれた情景が思い出されてくる。マクヴァルにうなずいたクロフォードが、誰に向けるともなく、つぶやくように口を開く。
「人にもキツい毒だ。解毒剤がなければ死んでいるだろう」
その言葉に、フォースは頭の中が真っ白になった。右手が、毒を受けた左上腕を、無意識にまさぐる。そこにリディアの手があって、唇が触れた。止めようとしたが、止められなかった。頬に触れたかったが、叶わなかった。
フォースはそのまま右手をゆっくり首元に運んだが、そこにあるはずのペンタグラムを繋いだ鎖を見つけられなかった。ペンタグラムはシャイア神のお守りだからと、ここに来るまでに誰かに外されてしまったのだろうか。だがフォースは、それが女神のお守りだからではなく、リディアと交換したモノだから身に着けていた。
フォースの中に、ただリディアに会いたいという思いだけが、ますます募っていく。どこに居るんだろう。どこに行けばいい? 会うために何をすればいい? ライザナルへ来たら、心の赴くままに動こうと思っていた。でも、その心が見あたらない。
「眠りなさい」
クロフォードの言葉に、フォースは素直に瞳を閉じた。今は逆らう気力も意味も無い。でも眠れば、これがもし悪い夢ならば覚めるかもしれない。甘い考えだと分かっていても、今のフォースには、それしか出来ることは残されていなかった。