レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
4.故郷
クロフォードとマクヴァルが乗った馬車と、母親であるエレンの真新しい棺を乗せた馬車、そしてその護衛の騎士たちが遠ざかっていくのを見て、フォースはため息をつきたくなるのを堪えていた。
フォースは二人を送り出すほんの少し前まで、クロフォードとマクヴァルがどんな人間なのかを見て、これからどうしたらいいのか出来る限り冷静に考えようと努力していた。
当然、この短い期間で理解は難しいと思ってはいた。だが、理屈では分かっていても、感情が落ち着かない。目先のことだけで、どうしたら帰れるかと一々考え出す気持ちを止めることが出来ずに、なおさら苛立つのだ。
結局二人がいる間、クロフォードには大きな抑圧を感じ、マクヴァルに対しては敵対心を押さえられなかった。
ため息などついたら、その緊張が一気に解けてしまいそうだ。それではいけないと思う。やはり用心のために、周りはみんな敵だと思っておいた方がいい。
葬列が完全に見えなくなると、全体の指揮を執っていたアルトスが解散を命じた。アルトスは本来、フォースの護衛なのだが、今は代わりに五人の騎士がいる。その中には、フォースに親書を渡しにメナウルまで来たナルエスも混ざっていた。
自分を襲ってこないと信用できる人間は、皮肉なことにアルトスだけだ。騎士として、アルトスが皇帝に逆らう奴でないことだけは分かる。ジェイストークは人当たりはいいが、レイクスという人間に対して本心がどこにあるのか、フォースにはまったく掴めないでいた。
「フォース?」
「レイクス様ですってば」
そして、レクタードはジェイストークに何度も注意をされながら、フォースをメナウルでの名前で呼ぶ。スティアと話しをしていた時にそう呼んでいたからとレクタードは言うが、単にレイクスという存在を認めていないのかもしれない。
ジェイストークに肩をすくめて見せたレクタードは、フォースの耳元に口を寄せた。
「ちょっといいかな。向こうとの連絡のことで話しがあるんだ」
フォースが振り返ると、レクタードは笑みを見せてから、先に立って歩き出した。神殿の陰の方へと入っていく。ジェイストークだけではなく、当然のように五人の護衛もついてきた。
神殿と隣の建物の間は、村ならではの空間があり、結構ゆったりしている。そこへ入ると、レクタードはナルエスを残し、あとの四人に表と裏を見張るようにと指示を出す。配置についた四人を目で確かめてから、レクタードはフォースに向けて口を開いた。
「今日、ナルエスに行ってもらうことになってる。リディアさんのことを聞いてくる以外に、何かある?」
リディアの状態のことを考えると、フォースには他のことなどすべて二の次に感じる。そして、もし他のことを言付けるとしても、やはりまだすべてを話せるほどには、彼らを信じられない。
「……いや、いい」
「では、あと、レイクス様はほとんど回復していらっしゃると、伝えてきます」
ナルエスの言葉にフォースは、頼むよ、と苦笑で答えた。メナウルとライザナルの間に自分が繋いだ糸のはずのナルエスにまで疑いを持っていることに、フォースは自分で違和感を感じていた。確かにどこかが狂っている。だが、どうすればメナウルにいた頃の自分を取り戻せるのか分からない。
「身体は平気?」
レクタードに顔をのぞき込まれフォースは、ああ、と首を縦に振った。
「じゃあ、元気がないだけ? って、仕方ないか」
レクタードは肩をすくめると、ナルエスに苦笑してみせる。
「今回はお互いの安否で終わりそうだな。それでも凄い進展だけど。出来るだけ定期的に連絡を取り合えるように向こうと話しを付けておいてくれるか?」
レクタードの言葉にナルエスは、分かりました、と敬礼を向けた。
メナウルとどんな接触を持っても、ライザナルが、ひいては皇帝の考え方が変わらないと、戦自体がどうしようもない。兄弟であるレクタードが、同じくメナウルとの友好を望んでいることは、フォースにとって心強かった。
今一番欲しいもの。ただリディアが無事でいるという知らせさえあれば、この地に着かない気持ちをなんとかできるだろうか。
神殿の表側の方から、どやどやと八人の兵士がなだれ込んできた。見張っていたはずの騎士二人は、何事もなかったように表通りを向いたまま見張りを続けている。帯剣していないフォースとレクタードを隠すように、ナルエスとジェイストークが前に出た。
「フォース、だな?」
「レイクス様だ」
兵士の問いにジェイストークは迷わず即答したが、フォースという名前が出た時点で眉を寄せ、気を張りつめているのが分かる。
一番前に立っていた兵士が、フッと鼻で笑った。
「そうかい。じゃあ間違いない」
その兵士が剣を抜くと同時に、その後ろにいた七人からも、鞘から剣を抜く冷たい金属音が響いた。ジェイストークとナルエスも剣を手にする。
フォースは後方を見張っていた二人の騎士がこちらに気付いたのを一瞬見遣ったが、その二人が敵か味方かまでは判断がつけられない。
兵士の攻撃をジェイストークとナルエスがそれぞれの剣で受け、二人の間を抜けようとした兵士に足をかけた。その兵士は大きく体勢を崩してひっくり返ったが、そいつの背を踏んで、兵士が一人フォースの前まで駈け込んでくる。
その剣を持つ手をめがけ、フォースは蹴りを出した。離れた剣が土の上をころがっていく隙に、踏み台にされて立ち上がるのが遅れた兵士の腕を踏みつけ剣を奪う。
後ろから駆けつけた騎士が、剣を失った兵士に攻撃を仕掛けていくのが、フォースの視界に入った。とっさに目で追ったもう一人の騎士が、レクタードに剣を向ける。
フォースは反射的にその剣を受けた。身体が本調子ではないせいか剣自体が重く、その騎士の力も強く感じる。だがその騎士は驚いたように目を丸くして剣を退いた。その騎士がつぶやいた、レイクス様、という名前と、レクタードが後ろで言った、フォース、という名前が同時に頭の中に響く。
その騎士は兵士がフォースに向けた剣に気付いてさえぎった。片側にはもう誰もいない。フォースはレクタードを誰もいなくなった自分の陰に押しやった。
いつの間にかその混乱の中にアルトスがいた。残っていた二人の兵士を容赦なく斬り倒すと、レクタードに剣を向けた騎士の鎧の隙間から剣を貫き通す。
その騎士はゆっくりとフォースを振り返り、薄い笑みを浮かべた。土の上にくずおれていくその騎士を、フォースはただ息を飲んで見つめていることしかできなかった。悔しさに握りしめた剣が震える。その視界にアルトスの影が落ちた。
「謀反人だ」
アルトスの声が、低く静かに響く。フォースは騎士の遺体を見つめたまま答える。
「分かってる」
「これが嫌なら、襲われるような機会を与えないことだ」
フォースは鋭い視線をアルトスに向けると、手にしていた剣を力任せに地面に突き立て、誰もいない神殿の裏側へと足を踏み出した。黙ったままアルトスが着いてきているのを気配で感じたが、フォースには何も言えなかった。
アルトスに刺された騎士が最後に残した笑みが、フォースの感情を支配していた。自分がライザナルに来るということは、レクタードにも敵を作ることなのだと、分かっているつもりだった。裏を返せば、それは間違いなくレイクス、つまり自分を推す人間だということも。
推してくれるだけなら、自分がどういう人間か、何を思っているのか、これからどうしていくのかを、一緒に考えるチャンスもあったかもしれない。でも、謀反を起こされてはそれまでだ。その思いに何も返せず、ただ見放すしか無かったのだ。
自分のせいで、二度とこんなことを起こしたくはない。出来るだけ早く方向を決めて、動かなければならないと思う。だが、その方向に、まだ見当も付けられない。フォースはただ自分の不甲斐なさが悔しかった。
神殿裏へと進んだうつむき加減の視界に、見覚えのあるモノが映った。母であるエレンを葬った時の棺だ。フォースは、自分の血の気が引く音を聞いたような気がした。
視線が釘付けになったまま棺の側へ行き、その前にひざまずく。古びてはいるものの、土は完全に拭われたのか、木肌は美しく見えた。その向こうに、歩を進めてきた足が目に入り、棺に触れようとした手を止める。
「フォース……?」
自分の名前を呼んだ声をたどって、フォースはその男を見上げた。その顔が一瞬、母を斬ったカイラムに見え、フォースは驚いて立ち上がる。だが、大きかったカイラムと違って、背丈が同じほどしかない。
「え? カイリー、か?」
カイラムに息子がいたことを、フォースは思い出した。同い歳で家も近かったため、よく一緒に遊んでいたのだ。
「よかった。元気になったんだ?」
カイリーの笑顔に、フォースはなんとか苦笑してうなずいた。
フォースがドナを離れた頃は、自分の親がエレンを斬ったことなど、カイリーは少しも知らなかったようだった。同じように井戸の毒でお互いの母親を亡くしたと思っていたらしい。当然だ。カイラムが息子のカイリーに、人を殺したなどと言えるはずはない。そしてフォースも、カイリーに話すことができなかった。今もまだ知らないなら、それを言う必要はないと自分に言い聞かせる。
だが、向き合ったカイリーはフォースに頭を下げた。
「ゴメン。俺、知らなかったんだ、まさか父が……」
フォースはカイリーの言葉に目を見張った。カイリーは頭を下げたまま言葉をつなぐ。
「押し入った時一緒にいた奴に、父が死んでから初めて聞いて」
「死んだ……?」
フォースが聞き返すと、カイリーはうなだれるようにコクッと首を縦に振った。
「フォースがヴァレスに引っ越してすぐ、父は入隊して戦地へ行くようになって。俺は母の仇をとるためだと思っていた。でも違ったんだ。罪の意識から逃れようとして、それで……。入隊して五年後に、反目の岩のところで」
「やめろ、もういい!」
叫ぶように言葉をさえぎり、フォースはもう一度震える息で、もういい、と繰り返した。
「……、ゴメン」
カイリーの顔にカイラムが重なって見える。母に向かって剣を振り下ろした時のカイラムが、フォースの脳裏に蘇った。お前たちのせいだとカイラムが叫んだ声と、誰も恨んではいけないという母の最後の声に、胸を握られているように息苦しい。
「あの時の……、結局なにも守れなかったのか」
フォースは小声で絞り出すように、そう口にした。アルトスはその言葉に眉をしかめる。
「なんの話だ」
「あ、あの、エレンさんの、」
フォースに向けられた言葉に、カイリーが説明しようと口を開く。アルトスはエレンの名を聞いてすべてを察したのか、いきなり剣を抜いてカイリーへと踏み出した。フォースは二人の間に立つ。
「そうくると思った」
「そいつは暗殺者の親族だぞ」
「殺したのは彼じゃない」
力のこもった声のアルトスに対し、フォースはため息の交じった声で答える。
「だが、親族だ」
アルトスは、フォースとの間を剣身一本分に詰めた。フォースは棺に目をやり、それから剣を握ったアルトスの手元を見つめる。迷いの無い気の入った剣身に視線を滑らせ、フォースは自嘲の笑みを浮かべた。
「だったら俺も斬れよ。俺が母を守れなかったんだから。何も知らなかった子供より、その場にいて何もできなかった俺の方がよほど」
剣身から殺気が消え、切っ先がスッと下を向いた。フォースはアルトスを睨みつけるように見上げる。
「なんだよ。俺を許してやるとでも言いたいのか?」
「違う」
そのまったく変わらない表情の返事に、さらに眉を寄せると、フォースはアルトスに背を向け、カイリーに、行こう、と声をかけた。
フォースは、なかなか歩の進まないカイリーと肩を並べて歩いた。何度も視線を送ってはため息をつくカイリーに、苦笑を向ける。何度か繰り返しているうちに、カイリーはいくらか気が楽になったのか、ようやく口を開いた。
「あのさ、俺が言うべきじゃないのかもしれないけど」
再び言い淀んだカイリーに、フォースは、何、とたずねて先を促す。
「罪悪感、持たないで欲しいんだ。俺が持ちたくないから、こんなことを言いたくなるのかもしれないけど」
持つなと言われても、それはどうすることも出来ない。母に対しても、ドナの村に対しても、罪悪感、後悔といった感情は薄れたことがない。
「ドナのために投降だなんて」
投降という言葉を聞いて、フォースがライザナルのどういう立場かを、カイリーは知らないのかと気が重くなる。
「俺は、ライザナルの」
「知ってる。でも、まるで投降だ。あんな親父でも、俺にとっての父親はあいつ以外にはいないんだ。ましてやフォースなら」
確かに、フォースにとっての父親はルーフィスであり、家族という枠で考えるとクロフォードはやはり他人としか思えない。カイリーはその辺りもきちんと理解してくれているのだろう。そのカイリーに、フォースは苦笑を向けた。
「ドナのため、いや、メナウルのためでもないんだ」
自分と母がドナにいたから、ドナで事件が起こったのだとしたら、それはひどく重たい事実ではある。だが、自分たちが他の場所にいたら、やはりその場所で事件は起こってしまうのだろう。自分自身ではどうにもできない。罪悪感はあるが、後悔とは違う。
自分が母を守ることができれば、あんな棺は必要なかった。カイラムが戦に出ることもなかっただろうし、カイリーがアルトスに斬られそうになることもなかった。悔いているのは、自分で関わった事実だけだ。
でも、その罪悪感や後悔だけなら、やはりライザナルへなど行かないだろうと思う。
「じゃあ、なんでこんな」
「犠牲になろうとか思っているワケじゃない。本当に自分のためなんだ。どうしても手に入れたいモノがある。それは一度ライザナルへ行かないと、かなわないから」
フォースの言葉に、カイリーは顔をほころばせた。
「いや、それならいいんだ。そういえばフォース、ここを越していく時も、同じようなことを言ってたよな」
「そうだっけ?」
うなずくカイリーを見て、フォースは五歳だったその時を思い浮かべた。カイリーは懐かしそうに目を細める。
「たしか、剣を習うのには、ここにいたんじゃ駄目なんだとかって。あの頃には、もう騎士になろうって思ってたんだ?」
フォースは黙ってうなずいた。騎士になろうと思ったのは、その五歳の時だった。ドナの事件が戦の一部なら、その戦に文句を言える立場になりたかったのだ。その頃は騎士や兵士以外、戦に関わりのある仕事を知らなかった。
「安心するのは早すぎるかもしれないけど、なんかフォースのことだから、またかなえて帰ってきそうな気がするよ」
本当に早すぎる。しかもかなえようとする努力とか苦労とか、ほとんどがすっ飛ばされているのだろうと思う。
「だといい」
思わず苦笑して、それでもフォースはうなずいた。
だが、もしかしたらリディアもエレンの時と同じように守ることができなかったかもしれないのだ。もしそうだとしたら。ライザナルへ行くどんな理由をこじつけても、二度と自分を納得させることなどできないだろう。
すぐにでも帰りたい。帰って顔を見たい。だが今はただ、無事を祈ることしかできない。
安否さえ聞けば、歯痒さは解消されるだろう。でも答えはどちらだか分からないのだ。フォースは胸のペンタグラムを、服の上から押さえ付けた。不安だけが膨張していく。
表通りが近づいてきた。神殿脇に入ってから、ぐるっと回って表に戻った格好だ。
「南へ行って欲しい」
フォースは後ろをついてくるアルトスから見えない位置で、親指を使ってアルトスを指差した。
「一度退いたからには大丈夫だとは思うけど」
わざとアルトスに聞こえるように言ったフォースの言葉に、カイリーは薄く笑ってため息をつく。
「覚悟、してたつもりだったんだけど」
「なに言ってる。ああいう時はサッサと逃げろ」
「いや、逃げたかったんだけど。足がすくんで」
カイリーは照れたように笑ってうつむいた。そしてそのまま大きく息をつく。
「父のことも俺のことも、許してもらえるとは思ってない。けど、謝ることができてよかったよ」
その言葉にフォースは微苦笑した。謝ってもらっても、何も変わることはない。カイラムにとって母の死が罪だったなら、カイラム自身、生きていて欲しかったと思う。フォースには、ただそれだけが悲しかった。
表通りに出ると、カイリーはフォースに頭を下げ、後ろに立つアルトスにも軽くお辞儀をして、その場を後にした。
「フォース」
見送る間もなく、後ろからレクタードに声をかけられた。そこには、レクタードとジェイストークが新たな騎士四人と一緒にいる。ナルエスは見えない。
「行ったよ」
表情で察したのか、レクタードはメナウルの方角を控え目に指差しながらフォースに言った。
「それと、ありがとう」
レクタードは喜んでいるとは言えない、どこか引きつった笑顔をフォースに向ける。騎士の攻撃からレクタードを守ったことを言っているのだろう。フォースが微苦笑して首を横に振ると、黙って見ていたジェイストークが低く頭を下げる。口を開きかけたジェイストークに、フォースは、もういい、とつぶやいた。
「まだなんにも言ってませんが」
ジェイストークの苦笑に、フォースはため息を返す。
「今は何も聞きたくない」
「では、のちほど」
その言葉に返事をせず、フォースは一瞬だけ薄い笑みを浮かべた。
「お疲れになったでしょう。戻ってお休みになってください」
フォースにとって剣が重く、思ったように動けなかったのはショックだったが、身体の疲れはさほどではなかった。だが、笑って死んでいった騎士、エレンの棺、カイリーの言葉、そして反目の岩のところでリディアが自分に向けていた今にも泣き出しそうな顔が、フォースの心を苛んでいた。
***
濃い茶と明るい木肌を組み合わせたエシェックと呼ばれるゲームの盤上で、カツン、と木がぶつかる音を立て、ジェイストークが駒の一つを動かした。ムッとした顔でアルトスが、一つだけ石のはまっている駒を横に倒す。
「怒ってるだろう」
ジェイストークの普通に話すようなトーンの声に、アルトスはベッドに横になっているフォースを見遣った。フォースは微塵も動かず、ベッドの向こう、窓の方を向いたまま眠っているようだ。ジェイストークはアルトスに笑みを向ける。
「このくらいでは起きたりしない。金属音さえ立てなければ」
「金属音? 保身か」
そうだ、とジェイストークは笑みを浮かべる。
「剣を抜くとか、錠の音とか、とにかく金属音でなら起きるらしい。ヴァレスで仕入れた話しだ」
ジェイストークがフォースに微笑みを向けたのを見て、アルトスはエシェックの盤上に目を戻した。
「怒ってるだろう」
ジェイストークが繰り返した言葉に、アルトスは、ああ、とうなずいた。
「負ければ誰だって自分に腹が立つ」
「そうじゃなくて。レイクス様にだ」
気持ちを見透かされるように言い当てられ、アルトスはさらに顔をしかめた。
「何を怒ってるんだ? 神殿裏でのことか」
「それもある」
「それも、か」
その部分だけ繰り返し、ジェイストークは肩をすくめた。
「いや、アルトスがレイクス様に沿える部分など、一つもないだろうと思ってはいたけどな」
「お前にもだ。ペンタグラムなど、どうして渡したのか分からない」
不機嫌にエシェックの盤上を見つめたままのアルトスに、ジェイストークは苦笑を向けた。
「まずレイクス様のお気持ちを尊重しろと陛下から仰せつかっているからな。それに、あんなもので少しでもレイクス様の気がほぐれるなら、そっちの方が大事だろう? そんな物を気にするなんて、らしくないな」
自分らしくない。そうかもしれない、とアルトスは思った。だが、間違いなく苛立ちがある。
「あれに触れているのを見るのが腹立たしい。ここはライザナルだ。女神なぞ必要ない」
「だから、あれは女神じゃなくてリディア様の。……、嫉妬か?」
その言葉にアルトスは、フッと短く笑う。
「誰にだ」
「リディア様、それともレイクス様、どっちと言って欲しい?」
バカバカしいと思いながら、アルトスは苦笑いを浮かべた。ジェイストークが盤上の駒を片付け始める。
「まぁ、レイクス様に八つ当たりされていることは確かだろうな。腹が立っても仕方がないさ」
「私があの騎士を斬ったからか」
アルトスは駒を片付けるジェイストークの手元に視線を据えたまま聞いた。
「なきにしもあらずか。斬らなければいけなかったことくらい、レイクス様も分かっていらっしゃるだろうが」
「では、あのカイリーとかいう謀反人の子孫を斬ろうとしたことか」
駒を片付け終わったエシェックの盤上に、駒の入った二色の袋を並べて置き、ジェイストークは肩をすくめた。
「そっちはあるだろうな。エレン様のことは、レイクス様にも大きな傷になって残っている」
「残っているなら、なぜ謀反人の子孫を守ろうとする? エレン様を斬った本人までも含めて、なにも守れてないだなどと」
アルトスには、フォースが言ったエレンを斬った人間を守ろうなどという言葉が、どうしても理解できなかった。ジェイストークも不思議に思ったのだろう、眉を寄せる。
「レイクス様が、そんなことを?」
そうだとうなずくのもためらわれ、アルトスは顔をしかめた。
「なぜ護衛を指名した? 私が人を斬ることを非難するためか? しかも、エレン様をなんだと思っている? そうまでしてなぜ、何を守る? とにかくやることなすこと腹が立って仕方がない」
アルトスは、声が大きくなるのだけ必死にこらえた。ジェイストークは苦笑する。
「降りるか?」
その言葉に、アルトスは口をつぐんだ。いつでも言えたことだ。だが降りるとなると、どうしてもためらわれる。
「誰よりレイクス様を離したくないと思っているのはお前だろう」
「バカ言え」
即答できたのは、プライドのせいか。ただ、この任を解かれるのが嫌なのだけは確かなのだ。
「許して欲しいんじゃないのか? お前も。あのカイリーと同じに」
レイクスがさらわれたのは自分のせいもあるとアルトスはずっと悔やんできた。エレンに許して欲しいのと同じ罪を、レイクスにも負っているのだと思う。
「エレン様を守れなかった罪の意識だけは一緒だ」
アルトスの言葉に、ジェイストークは苦笑した。
「そうか。お前がレイクス様を即位させようと思うのはエレン様のためか」
「そうだ」
そうすることでエレンの存在が、ライザナルの歴史の中で確固たるものとなる。エレンを名の残らない存在にはしたくない。
「エレン様が、それを望んでいらしたと、そう思うのか」
「そうだ。違うか?」
アルトスはまっすぐジェイストークを見据えた。ジェイストークはその視線を受け、それからフォースに目を遣ると大きくため息をついた。
「いや。わからん」
エレンは、何をフォースに伝えたのか。ジェイストークが誰からも聞き出せていないということは、きっとフォースが他の誰にも言っていないのだろう。いや、もしかしたら何も言い残すことは出来なかったのかもしれない。それでも。エレンの遺志は確かにフォースの中に存在していると、アルトスは確信していた。