レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     2.暖かな拘束

「ルジェナの町で、少し寄り道をします」
 ジェイストークの言葉に一瞬だけ目をやり、フォースは馬車の外に視線を戻す。付いてきているのだろうファルを見つけ、フォースは笑うでもなく目を細めた。
 ドナを出て半日、森にまれたわりと道幅の広い街道を、馬車はひたすら北へと向かっている。進行方向と逆、遠ざかっていく景色を瞳にうつしながら、フォースはリディアとの距離だけを感じていた。
「そういえば、リディア様が手当てされた、あの布切れ、どうしました?」
 向かい側に座っているジェイストークが口にした名前に、フォースは視線を向けた。ジェイストークの右隣にいるレクタードも、あくびを噛み殺していた顔を上げる。
「持ってる」
「どこにです?」
「元の場所に」
 フォースの素っ気ない返事に、聞き返しかけたジェイストークが、思いついたように笑みを浮かべた。
「そこでしたか」
 フォースはジェイストークが向けた視線を遮るように、毒を受けた左上腕部に手をやった。服の下に、包帯のように巻いた白い布地の感触がある。
「でも、ホッとしたよ。リディアさんが無事で」
 レクタードの言葉に、ジェイストークは、そうですね、とうなずいてみせる。レクタードはフォースの後ろの壁を指差した。
「アルトスも気にしていたみたいだしさ。何かあったらスティアだって辛いだろうし」
 フォースの背中にある壁を挟んだ向こう側には、御者が乗る席があり、今はアルトスが座っている。その馬車の周りに、十人ほど騎士の護衛が付いているはずなのだが、窓からは見えない位置を保っているので、フォースには状況が見えなかった。
「成婚の儀、受けるんだろう?」
「いや」
 短い返事に虚をつかれたように、レクタードは目を見開く。
「じゃあ、リディアさんのこと、どうするんだ?」
「どうって。わざわざ傷つけるような真似はできない」
 傷つけるという言葉で、すぐに思い当たったように、レクタードは顔をしかめた。
「それは、分かるけど。あきらめるのか?」
「まさか」
 表情を変えずに行ったフォースに、ジェイストークは苦笑を向ける。
「いったんメナウルに戻って降臨いて連れてくる、なんてのは駄目ですよ」
 見透かされたような言葉に、フォースは眉を寄せた。
「どうしてだ?」
「連れてきた時に普通の人間では、レイクス様と婚礼はできませんからね」
「は? あ……」
 言われてみればその通りだ、とフォースは初めて気付いた。思わず可笑しさがこみ上げてくる。
「じゃあ、決まりだ」
 フォースはノドの奥で笑い声をたてた。つられるように幾らかの笑顔を浮かべ、ジェイストークはフォースの顔をのぞき込む。
「なにがです?」
「俺は皇帝を継がない。皇帝を説得してメナウルに帰る」
「へ?」
 フォースの意志を初めて聞いたのだろう、レクタードが頓狂な声をあげた。ジェイストークは、大きく息を吐いて顔を引きつらせている。
「フォース? なっ、何言って……」
「色々考えたんだけど。でも答えが一つなら隠す必要もない。皇帝にもすべて話す」
 その言葉に、ジェイストークは慌てたようにフォースの両腕をんだ。
「ま、待ってください。そんなことをしたら、いくらクロフォード様でもどれだけお怒りになるか」
「だからそうするんだ。最初にすべて話してしまえば、後は悪くなりようがないし。何度も落ち込ませるよりは、一度の方がいいだろう」
 フォースは、ジェイストークの手首を片方ずつ掴んで外した。それでもジェイストークは、すぐ側に顔を寄せる。
「わざわざご機嫌を損ねるようなことをするなど。ただで済まなかったら、どうするんです」
「殺されるんじゃなきゃ、かまわない」
「いえ、そこまでは……」
 口ごもったジェイストークに、フォースは苦笑した。本意ではないかもしれないが、言い切れないのは間違いではないと思う。
「機嫌ばかりうかがっていても、なにも進展しない。それに関係がれれば、逆に諦めてくれていいんじゃないのか?」
「諦めるなんて、ありえません。今まで十七年間もレイクス様を探してらした方なのですよ?」
 探すと言っても、実際メナウルに足を踏み入れたわけではないだろう。後ろで指揮をとっていただけだ。
「でも、そのために戦をやめようとは思わなかったんだし」
「ですから、あなたをメナウルにさらわれたと思ったからこその戦なんです」
「それで死ぬかもしれないのにか? 直接戦闘に巻き込まれるとは思わなくても、敵国から来たと知れれば、それだけで危険だってのは分かるだろ」
 ジェイストークが言葉に詰まった。そんなことくらい、ジェイストークだって分かっているだろう。こんな会話を何度繰り返しても、意味はないのだとフォースは思う。
「いいんだ。別に今さら親としての愛情とか、そんなモノをよこせって言うつもりはないんだし」
 その言葉に、ジェイストークは寂しげな笑みを浮かべた。
「くれると言われても受け取らない、と聞こえましたが」
「随分いい耳だな」
 そう、確かに他人から受け取りたいとは思わないのだ。父親の愛情なら足りている。
「ですが、陛下はレイクス様がお生まれになる前から、ずっとレイクス様の父上であらせられます」
「俺自身は、メナウルのフォース以外の何者でもない」
「あなた様は、ライザナル王位継承権一位の皇太子であり、神の子でもあるレイクス様です」
 その言葉を聞いて眉根を寄せると、フォースは視線を窓の外に向けた。
 それも事実なのだと、フォースは十分承知していた。だが、中身のない取りっただけの地位、ただの看板にしか感じられない。
 様々な緑で彩られた木々が、相変わらず続いている。こんな風景だけ見ていると、メナウルと少しも変わらない。
「ライザナルが欲しいとは思わないのか?」
 黙って聞いていたレクタードが、不意に言葉を向けてきた。フォースは肩をすくめる。
「皇帝になるというのが、手に入れたと同じ意味だとは思えない。俺にはむしろ、国の使用人になる、っていう不自由な感覚があるんだ」
 使用人、と言葉を繰り返し、レクタードは苦笑を浮かべた。
「メナウルで育っていたら、そう感じるのかもしれないな」
「レクタードを見ていてもそう思うよ」
 フォースの言葉に目を丸くして、レクタードは、俺? と自分を指差した。フォースは、ああ、とうなずく。
「最初から継ぐために育てられていたら、分からないかもしれない」
「ですが、得るモノも大きい。そうでしょう?」
 ジェイストークは軽く眉を寄せた顔を、フォースに向けた。
「俺にとっては、失うモノの方が大きいよ。自由に動けないのが一番でかい。自分の目で見て行動してってのが出来なくなる」
「ああ、それなら分かるな。実際見ないと分からないことは、たくさんある」
 腕を組んだレクタードに、ジェイストークがため息をつく。
「あんまり理解しないでくださいね」
「でも、ジェイだってそうだろう?」
「私は、見るのが仕事ですから」
 ジェイストークはレクタードの真剣な顔に苦笑して、窓の外に目をやった。レクタードはフォースに向き直る。
「メナウルのこともそうだ。実際見なければ分からなかった。国民の戦や軍に対する感情が、ライザナルのとはまるで違う。強要じゃなく協力だ。ライザナルの軍は国のために戦っているが、メナウルの軍は国民を思って戦ってる。知ってる? 君はライザナルでも騎士と呼ばれていること」
 騎士というその言葉に、フォースは安心感から初めて笑みを浮かべた。どこにいても同じだ。自分は騎士以外には、なり得ないと思う。レクタードはそれとは逆に、貼り付けたような冴えない笑みを浮かべる。
「でも俺、最初から継ぐために育てられているわけじゃないよ。補佐として、いつでも二番目だ」
「悔しくなかったのか? いるかいないか分からない奴のためにそんな」
 身体に異変を感じて、フォースは言葉を切った。一瞬異様に熱を持った気がし、そのせいか動悸が続いている。顔をしかめたフォースに、レクタードがしげな視線を向けた。
「フォース?」
「どうしました? 身体の具合でも」
 ジェイストークもフォースの顔色をうかがうようにのぞき込む。フォースは身体の中を見るように瞳を閉じた。
 動悸は相変わらず続いている。そして、その動悸を押さえようという力が働いているのを感じた。それが左腕の布からだと気付き、フォースは袖をまくった。布が虹色に発光している。恐る恐る触ってみたが、特に異変はない。だが。
「守られてる……?」
「レイクス様?」
 ジェイストークがフォースの左腕、布を巻いた部分に手をやり、触れた直後に手を引いた。指先からただれが広がっていく。
「ジェイ?!」
 レクタードの叫び声でそれに気付き、フォースは驚いてジェイストークの腕をとった。んだ部分から、ただれが徐々にひいていく。
「い、痛いじゃないですか。なんの魔法です?」
「分からない。でも……」
 フォースはそのまま腕を掴んでいた。ジェイストークの手は、何事もなかったかのように、指先まで完全に戻っていく。少しずつフォースの動悸も収まり、存在を主張していた布の感覚も消えた。
「まだ痛いか?」
「いえ、もう」
 その言葉を聞いて、フォースはジェイストークの腕からゆっくりと手を放した。ジェイストークは、なんの跡も残っていない手のひらと手の甲を交互に眺める。
「溶けて無くなるかと思いましたよ。なんだったんです?」
「だから、分からないんだ」
 眉を寄せたフォースの表情を見て、ジェイストークの顔色が変わった。
「じゃあ、今治ったのは……」
「そう。偶然」
 フォースがうなずくと、ジェイストークは引きつった顔で元通りになった手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。
「でも、いくらかは分かっていらっしゃるんでしょう? その布、一体なんなんです?」
「なんだと言われても。シャイア神の力を持っているらしいとしか、言いようが無いんだけど」
 フォースは少し口ごもると、一度大きく息を吐いた。
「事実だけ話すよ」
 フォースは、ええ、とうなずいたジェイストークと向き合う。
「最初、身体がいきなり熱くなった。その変な熱が引いても動悸が収まらなくて。どうもこの布から熱が放出されているようだったから、どうなっているのか見てみたんだ」
 一息置いたフォースのあとをついで、ジェイストークが口を開く。
「光ってましたね。前の時と同じ光です」
「その光が、シャイア神が力を使う時に放出される光なんだ。で、ってみた」
「フォースがっても、なんともなかったよね?」
 レクタードの問いにうなずき、フォースはジェイストークに視線を向けた。
「前に光った時には触った?」
「ええ。フワッと温かくなって気付いて、それで確かめたら光っていましたので」
 三人の視線が交錯した。レクタードのノドがゴクッと音を立てる。
「どうして今回こんな……」
「違うのは、俺が身に着けていなかったこと、その手の状態……」
 フォースの言葉に、ジェイストークはじっと自分の手を見ながら考え込んだ。
「そうですね……。そういえば、想像の部分のお話しは、まだうかがっていませんが」
 フォースは、本当にそうなのか分からないけど、と前置きして口を開く。
「異変を感じた時、それをこの布が取り除いてくれていると感じたんだ」
「それは、レイクス様が私の手にれていた時に、どうしてだか私もそう思いました」
 ジェイストークは、眉を寄せたまま顔を上げる。
「そういえば、前に布が光った時も前後して、レイクス様、うなされていらっしゃいましたよ」
「身に着けていれば、邪気とかそんなモンを発散してくれる? なんだかお守りみたいだね」
 レクタードはそう言うと、一瞬笑いかけてから表情を凍り付かせる。
「それって、フォースがなんらかの攻撃を受けていて、シャイア神に守ってもらってるってことか?」
 レクタードの心配げな顔に、フォースは、そうだな、とつぶやくように言って苦笑した。
 シャイア神が自分を守ろうとするなど、フォースには信じられなかった。だが、理由は分からないが、現実がそうなのだ。レクタードは、顔を引きつらせたまま言葉を続ける。
「でも、誰にだ? そんな魔法みたいな力を持っているなんて。まさか、シェイド神じゃ?」
「は? ちょっ、ちょっと待ってください。まさかシェイド神がそんな。薬の影響が残っているということも考えられますし、もしくは呪術ということも」
 呪術という陰湿で怪奇的な響きに、フォースは眉を寄せた。
「呪術? そんなものがまだ残ってるのか?」
「いえ、話しに聞いただけですが。でも、シェイド神がそのようなことをするなど、有り得、ません……」
 自信を持てなかったのか言葉が弱くなったジェイストークに、フォースは苦笑してうなずいて見せた。
「俺も、シェイド神だとは思えないよ。神ともあろうものが、たかが人一人を相手にするなんて」
「すみません」
 頭を下げたジェイストークの信仰心が意外に厚いことを、フォースは否応なしに感じていた。ジェイストークは普段なら、断定できないことは有り得ないなどと言い切ったりしない。なんでも追求するジェイストークが、多少なりとも疑惑を振り切ってしまえるほど、ジェイド神を信仰しているのだ。
 考え込んでいたレクタードが、訪れた沈黙に顔を上げる。
「攻撃しているのが誰にせよ、リディアさんが降臨を解かれる前に、なんとかしないと大変だな」
「そうですね。場合によっては一年後リディア様に来ていただくのも、延期しないことには」
 ジェイストークの言葉に、フォースは苦笑して小さく息を吐いた。来ていただくなど丁寧ないい方だが、実際は拉致なのだ。そんな物騒なことは、止める前にやめてくれた方がありがたい。だがフォースは、そんな形だとしても、会えないと思うと寂しさを感じた。
「一応、苦しむフリをしておいてください」
 そう言ったジェイストークに、フォースは眉を寄せて視線を投げた。
「レイクス様はその布を持っていない、ということに。レイクス様が苦しんでいるのを喜ぶやからが犯人なのでしょうから」
「は、なるほど」
 レクタードが、ポンと手を打つ。フォースは、バレずに苦しむ振りなどできるだろうかと不安だったが、他の手を思いつけない限り、やってみる以外にはないと思った。ジェイストークはレクタードにうなずいて見せ、言葉をつなぐ。
「とにかくできるだけ早く原因を探します。それが分からないことには、どうしようもありませんから」
 難しそうだと思いながら、頼むよ、とため息混じりに言ってうなずき、フォースは外に目を移した。
 馬車は変わらぬスピードで、ルジェナという町へ向かっている。少しずつ町が近づいているのだろう、木々の間隔が広くなり、やがて畑が視界を占めるようになった。
 フォースには、リディアとの距離や時間が遠くなるのが辛かった。だが、問題をクリアして会うためには、真っ直ぐメナウルへ向かっても駄目なのだ。フォースは、これが一番の近道なのだと自分に言い聞かせていた。
 ポツポツと小さな家の前を幾つか通り過ぎると、今度は建物が目立って多くなってくる。その建物の隙間から、城壁らしき白い壁が続いているのが見えた。ここがルジェナの町なのだろう。
 ふと、馬車のスピードがゆるんだ。向かい側に座っているジェイストークが窓の外に目をやり微笑みを見せる。馬車は神殿らしき建物の前で止まった。
 ジェイストークがおもむろに立ち上がり、馬車を降りていく。その側に、赤毛をなびかせて少年が駆け寄ってきた。赤毛のせいか、茶色の瞳が落ち着いて見える。
「兄ちゃんは?」
「レイクス様と呼んでくださいね」
 引きつった微笑みで、ジェイストークがずれた返事をした。フォースは聞き覚えのある声に、思わず少年の顔を見る。
「兄ちゃん!」
 少年の変わらない言葉に、ジェイストークは肩を落として顔を半分覆った。逆に少年の顔は、みるみるうちに笑顔になる。その笑顔が、メナウルで迷子になっていてルジェナまで送り届けた、フォースの記憶にあった子供の顔と一致した。
「あ、あの時の?」
 フォースは馬車を降り、その少年の側に立った。あとから薬屋のタスリルの孫だと分かった子だ。
「ええと、なんてったっけ。……ソーン?」
「当たり! 覚えててくれたんだ」
 喜んでいるソーンという少年に、フォースは腰をかがめて視線を合わせ、気のゆるんだ笑みを向ける。
「大きくなったな」
「もう十歳なんだ、大きくだってなるさ。兄ちゃんもずいぶん育ったな」
 真剣な顔で返された言葉に吹き出して、フォースは苦笑を浮かべた。
「そ、そうか?」
「でも、元気がないみたいだ」
「病み上がりだからかな」
「上がってねぇだろ」
「え?」
「ちゃんと治ってないだろって言ってんだ」
 そうは言われても、フォースには空元気も出てきそうになかった。このままライザナルにいたのでは、ため息以外の息をつけそうにないと思う。
 ジェイストークがフォースの横に並ぶ。
「レイクス様の小姓になるか?」
「本当にいいの?」
 ソーンは満面の笑みを浮かべて喜んでいる。前から話しがあったような雰囲気に、フォースはしげにジェイストークを見やった。フォースに笑みを返すと、ジェイストークはソーンと向き合う。
「きちんとレイクス様と呼べなければできないぞ。礼儀作法や勉強もしなければならない。それでもいいか?」
「オレ、やるよ」

   ***

「ここだよ」
 ソーンはフォースにそう言うと、母さん、と大声で呼びながら、勢いよく家の中に駈け込んでいく。
「レイクス様、おいでよ!」
「先が思いやられる」
 中から聞こえてくる声に、後ろから付いてきていたアルトスが、独り言のようにボソッとつぶやく。それを聞いたジェイストークは、ノドの奥で笑い声をたてると、フォースに入るようした。
 フォースが足を踏み入れると、後ろからジェイストークもついてくる。フォースが前に視線を戻すと、母親だろう女性が、深々と頭を下げた。それを止めようとしたフォースをさえぎり、ジェイストークが前に出る。
「考えていただけましたか?」
 はい、と口にして、母親はさらに頭を下げた。
「城で働けるのは光栄です。でも、この子は本当に何も知らなくて」
「こちらで教育させていただきますので、ご心配はいりません。もちろんお約束した報酬も出しますし。レイクス様がいらっしゃる限り、ソーン君の安全も保証されます」
 その言葉を聞いて、ジェイストークはソーンを足枷にしたのだと、フォースは初めて気付いた。だが、自分に逃げるつもりはないのだ。まったく知らない人間に側にいられるより、ソーンの方がずっといいと思う。
「よろしくお願いします」
 母親がもう一度深々と頭を下げ、その返事にソーンが喜んでいる。逃げないと心に決めてはいても、いくらか緊張が増してくるのを、フォースは重く感じていた。