レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     3.それぞれの願い

 ルジェナからはソーンが増え、一台の馬車に四人が乗った。家から離れることが寂しいらしかったことと、さらに緊張もあったのか、ソーンは口数も少なく静かにしていた。
 馬車は半日ほど北上すると、街道を右に折れてラジェスの町を抜け、再び木々の間に続く道へと入った。その崖の上へと登る道を、周りの木々より高い位置まで進むと、道の先に見える岩山が、ようやく城に見えてくる。
 城壁は岩肌と同色で、高さも太さもバラバラな尖塔が、岩盤の上を隙間なく利用して建てられている。塔壁とその影が、未開発に見える縦のラインを浮かべているため、遠目には断崖絶壁の一部にしか見えないのだ。
 馬車がその一番外側、固い岩盤と一体に見える城の門をくぐると、とたんに目に映る光景が一変した。城の入り口に続く道の左右には、満開な花々が溢れんばかりに咲き乱れていたのだ。
「こんなところで、よく育つな」
 つぶやくように言ったフォースに、ジェイストークは笑顔を向けた。
「育たないですよ。皇族が訪れる時には移植しているんです」
「枯れてしまう」
「そうですね。でも、花束を贈るのと同じでしょう?」
 ジェイストークの苦笑に、フォースはため息をついた。贈りたくて贈っているのなら、花束と同じだろうか。だが、枯れていく花々をリディアが見たら、やはり悲しむだろうと思う。
 落ちかけた日の光に照らされたその花壇の向こう、城の入り口に目を向けると、たくさんの人が並んでいるのが見えた。中でも、レクタードと同じ金色をした髪の、女性とその隣に立つ小さな女の子が、ドレスの豪華さもあり目立って映る。あの二人が皇帝クロフォードの妻であるリオーネと、娘のニーニアなのだろう。
 はたして、馬車はその二人の前に止められた。ニーニアの側に控えていた、明るい茶色の髪をした細い線の騎士がドアを開ける。
「レイクス様」
 ジェイストークにされ、フォースは馬車を降りた。ドアを開けた騎士が一瞬だけ顔を上げ、チラッと見えた顔で女性だと気付く。フォースは、珍しいと思いつつも素知らぬふりを通し、リオーネとニーニアの前に進んだ。
「私がリオーネ、こちらが娘のニーニアです。お見知りおきのほど、よろしくお願いします」
 リオーネがかしこまってお辞儀をしようと一歩下がる間に、フォースはサッサと頭を下げる。
「レイクス、なんだそうです。こちらこそ、よろしくお願いします」
 あとから降りたレクタードが、慌ててフォースの肩を引っ張り、耳に口を寄せた。
「待って。フォースの方が地位は上なんだ」
「は? そうなんだ?」
 顔を上げたフォースに、レクタードはウンウンとうなずいて見せる。
「だから、頭を下げるなんて」
「でも皇后様だし、目上の方には違いない」
 レクタードに笑みを向けると、フォースはもう一度頭を下げた。驚きと当惑で目を見開いていたリオーネが、ハッとしたように深いお辞儀をする。ニーニアは頭を下げたフォースとリオーネを交互に見ていたが、どうしていいか分からず、助けを求める視線をレクタードに向けた。
「い、いや、だから、もういいよ」
 レクタードに腕を引かれてフォースが頭を上げると、ニーニアと目が合った。ニーニアは慌ててピョコンとお辞儀をする。その可愛らしい仕草にフォースが笑みを浮かべると、ニーニアは一瞬つられるように微笑み、恥ずかしげにリオーネに身体を寄せた。
 ソーンを連れて馬車を降りたジェイストークが、フォースに軽く頭を下げる。
「今日はこちらで休んでいただきます。体調を見てから出発する日を決めるようにと、陛下より仰せつかっております」
 すぐにでも出発したい気持ちを抑え、フォースは、分かりました、と声に出して返事をした。
「こちらにどうぞ」
 ジェイストークは、自分で指し示した方向に、ソーンの手を引いたまま、先に立って歩き始める。馬車を他の騎士に預けたアルトスが、フォースの後ろから付いてきた。
 その後方で、ただいま戻りました、というレクタードの声と、それを迎えるリオーネとニーニアの明るい声が聞こえた。
 フォースは振り返ることなく、ジェイストークのあとに付き従って城に入った。使用人らしき男がジェイストークの側に寄り、何事か耳打ちする。うなずいたジェイストークが、フォースに笑顔を向けた。
「お食事の準備ができています。リオーネ様、レクタード様、ニーニア様と一緒におとりください」
 並べられた名前を聞いて、フォースは気が重くなった。レクタードが帰ってすぐなのだ、水入らずで過ごしたいのではないかと思う。
「身体の具合でも? 先に休まれますか?」
 ジェイストークは、フォースの表情をうかがうように、のぞき込んでくる。
 重たいのは気持ちだけで、けして体調が悪いわけではない。フォースは、平気だよ、と苦笑を浮かべた。

   ***

「お兄様も私も、お母様と同じ髪と同じ目の色なのに。……お父様と同じ髪だったわ。目は紺色だったけど」
 ニーニアが頬をらませて言った言葉に、側に立っている明るい茶の髪をした女性騎士が、はい、とうなずいた。
 食堂入り口に立っている兵士も、厨房へと続くドアの所にいる使用人も、まるで何も聞こえていないかのように、まっすぐ立ったままでいる。
 ニーニアは、たくさんの燭台の炎に揺れる向こう側、フォースが座っていた席へと目をやってため息をつくと、手にしていたお茶のカップをソーサーに戻し、視線を女性騎士に向ける。
「イージスには三つ下よね。どう? イージスの目から見て」
 イージスと呼ばれた女性騎士は、なんと言っていいものかと言葉に詰まった。レイクスは敵の騎士だった人間だ。反戦運動をしていたとは聞くが、どうしても悪い印象が先に立ち、困惑した声が出る。
「どう、と申されましても」
「メナウルの騎士だっていうから、もっと怖い人を想像していたのだけど。食事のマナーもちゃんとしてて、礼儀正しくて。いい人みたいだけど、でも、お兄様みたいに皇太子には見えない」
 ニーニアの言葉にその通りだと思いながらも、イージス自身の口から皇太子らしくないなどと言えるはずがない。しかもこの短い時間では、楽に猫を被ったまま過ごせるだろうとも思う。イージスは素知らぬふりで、そうですか? と聞き返した。
「イージスはレイクス様のこと、何か知ってる?」
 ニーニアの問いに、イージスはまず、ハイ、と返事をしてから思考を巡らせた。イージスが知っているのは、レイクスというよりはメナウルのフォースという騎士のことだ。同期でも、フォースと当たって死んだ騎士もいれば、斬られずに帰ってきた騎士もいる。
 そして騎士であるからには、前線での情報も聞こえていた。最近はシャイア神の巫女の護衛をしていたこと。そして、その巫女と恋仲にあるということ。
 ニーニアはまだ八歳なのだから、何もかも話すわけにはいかない。その婚約者のことをいきなり悪く言うのも、ニーニアの子供らしい真っ直ぐな性格ゆえ、避けなければいけないと思う。
「そんなにしくは知らないのですが」
「なんでもいいの。教えて」
 ニーニアは水色の瞳をキラキラさせて、イージスに詰め寄った。イージスは、では、と口を開く。
「メナウルでは二位の騎士だったということ、彼に負けても斬られずに帰ってきた騎士がいること、このあたりで流行っている身命の騎士というカクテルが、レイクスさまをして作られたということ、くらいです」
 ニーニアは顔をしかめ、お酒ー、と言って舌を出した。その仕草にイージスが笑みを浮かべると、ニーニアは顔を寄せてくる。
「他にも知っているんでしょう?」
「は? い、いえ、別になにも」
 真剣な目でのぞき込まれ、イージスは慌てて否定した。ニーニアは、口を尖らせて小さくため息をつく。
「誰も詳しくは教えてくれないのよ。それなのに、私のフィアンセだって、みんなが口をえて言うわ」
「人がなんと言おうと、ニーニア様にはニーニア様の印象が全てですよ」
 そう言いながらイージスは、敵としてのフォースと、ライザナル皇太子としてのレイクスの存在に、折り合いをつけられずにいた。
「まだここにいたのですか」
 兵士の立つドアのない入り口から、リオーネとレクタードが中へと入ってくる。付き従っていた二人の騎士は、兵士の隣で直立不動の体勢を取った。ニーニアは、座ったままリオーネの顔を見上げる。
「私、お兄様とお話しをしたかったんです。色々聞きたいことがあって」
「明日からはずっと一緒にいられるよ。今日はもうお休み。一緒に行ってあげるから」
 側に来たレクタードに髪を撫でられ、ニーニアは、はぁい、と返事をしつつレクタードを笑顔で見上げ、立ち上がった。リオーネがレクタードにも笑みを向ける。
「レクタード、あなたも疲れたでしょう」
「ええ、私も休ませていただきます。真っ直ぐ部屋へまいります。おやすみなさい」
 レクタードのあとに、おやすみなさい、を繰り返し、ニーニアはレクタードの腕をとって、嬉しそうに部屋を出て行った。騎士二人も付いていく。厨房入り口に立っていた使用人が、ニーニアの使っていたカップをトレイにのせた。
 ニーニアが見えなくなると、リオーネは大きくため息をついた。
「お茶を。二つちょうだい」
 厨房へ下がろうとした使用人にそう言うと、イージスに席を勧め、その側の席につく。リオーネが席に落ち着くのを見てから、イージスは勧められた席に腰を下ろした。
「あそこまでエレンに似ているなんて。あの瞳の色を見ただけで、ゾッとする……」
 つぶやくように言うと、リオーネは、何も答えられず当惑しているイージスに苦笑を向ける。
「ごめんなさいね。こういうのを嫉妬って言うんでしょうね」
「いえ」
 イージスは軽く首を横に振った。リオーネとエレンの確執については、現在でも幾度となく噂を耳にし、こうしてリオーネ本人からも、話を聞かされる。エレン本人はいないのだが、レイクスが戻ったのだ、せっかく忘れかけていた確執が再燃しているといってよかった。
 その昔、クロフォードとリオーネが結婚して一月と経たないうちに、シアネルの巫女が見つかった。皇帝であるクロフォード自身が見つけたという皮肉な巡り合わせもある。そして皇帝クロフォードと巫女であるエレンとのあいだで、成婚の儀が執り行われた。この事実だけでも、リオーネに同情するに余りある。
 しかも、同時に妊娠が発覚し、産まれたのはレイクスの方が一週間早かった。この時点で王位継承権はレイクスのものとなったのだ。
 だが、レイクスは神の子でもある。成婚の儀によって、マクヴァルとクロフォードの両方と情交を結ばされているのだ。本当の意味での父親がどちらか、それによって王位継承権はどうなるのかと、好奇の目で見られ、色々な噂が飛び交っていた。
 二人の男と情交を結ばされる成婚の儀など、女なら誰もが嫌悪する。エレンが純然たる被害者ゆえの良い噂や、成婚の儀によって手に入れた地位ゆえに、悪い噂も流れるのだ。真実がどちらにあるにせよ、噂がリオーネの耳に入るたびに、その思いは揺れ、憎悪は増しただろうと思う。
「レクタードの話しだと、レイクスは皇帝を継がずに帰るなんて言っているそうよ」
「は? まさか」
 イージスは、意外な言葉に首をかしげた。地位に飛びついたからこそ、ライザナルへ来たのだと思っていた。恋人の巫女を利用すれば、簡単に神殿とも繋がりが持てる。皇帝にならず、しかも帰るというのなら、一体何のためにライザナルへ来たというのだろう。
「訳が分からないでしょう?」
 リオーネが大きくため息をついた。厨房から使用人が出てきて、二人の前にお茶を置く。
「陛下が許すとでも思っているのかしらね。まあでも、そんなことは勝手に思っていればいいことだけど……」
 リオーネは、お茶に口をつけた。沈黙の中、使用人が頭を下げて厨房へと入っていったのを見て、イージスは口を開く。
「ニーニア様のことですね」
「分かってくれる? レイクスは神の子なのよ。ニーニアがあの子の元に嫁がなくてはならないのは変わらないわ。あの子に巫女の恋人がいること、あなたも知っているのでしょう?」
 リオーネが悲しげにめた顔に、イージスはうなずいて見せる。
「存じております」
「シアネルの次はメナウル。本当に嫌になるわ。私の時は私との婚礼が先だったからまだ良かったのだけれど、今度は違う。ニーニアには、こんな思いをさせたくないの」
 リオーネの静かだが幾分強い口調に、イージスは心配げに眉を寄せた。
「リオーネ様?」
「イージス、ニーニアをお願いね。ニーニアはあなたが好きみたいだから。側にいてあげて」
 イージスは、はい、と返事をしてキッチリと頭を下げた。そうしながら、もしかしたらリオーネは、何か行動を起こすつもりかもしれないと思う。
「もしレイクス様が皇帝になれなければ、継ぐのはレクタード様です。その巫女はレクタード様と成婚の儀を行うことになります。その状態を目指すのがよろしかろうと」
 イージスの言葉に、リオーネが幾分身体を乗り出してくる。
「そんなことができるの?」
「分かりません。でも、レイクス様はメナウルで巫女の護衛騎士だったのですから、信仰する神もきっと違います。やってみる価値はあろうかと」
 リオーネが暴走するのを怖れて言った言葉だったが、イージスは、もしかしたら本当にどうにかなるかもしれないと思い初めていた。リオーネは、目を細めて考え込んでいる。
「そうね。ニーニアが軽んじられるのは少しだけど、それもいい手だわね」
 その言葉のニュアンスに、やはり他に何か考えがあるのだろうと、イージスはリオーネに視線を向けた。リオーネはそれに気付いたのか微笑みを浮かべる。
「実はね、レイクスと成婚の儀を挙げる前に、巫女をシェイド神に捧げてしまおうという計画が、国民の間にあるらしくて」
「拉致ですか? それは陛下のおっしゃっていた、一年間は手を出さないという約束に反するのでは?」
 思わず狼狽して声のトーンが上がったイージスに、リオーネは苦笑を向けた。
「拉致とは言ってなかったわ。国レベルの話しではないのよ? 噂に聞いただけで、止めようもないし。それでも、私の立場でそんなことに期待してはいけないわね」
 リオーネはため息をつくように控え目な笑い声をたてた。
 言おうが言うまいが、拉致に変わりはないだろう。リオーネの、それも、との言葉が思い出され、もしかしたらリオーネがその計画の首謀者かもしれないとの疑惑が首をもたげてくる。だが、メナウルの騎士がメナウルの巫女と一緒にライザナルを治めることになるのなら、反発する人間が出てくることはなんら不自然ではない。
 その計画が本当にリオーネと関係ないところのものなのか、見極めることはひどく難しそうだ。指示をぐにせよ、自分で見極めるにせよ、今は騒ぎ立てない方がいいだろうと思う。
「なんにせよ、ニーニア様がお幸せになってくださればいいのですが」
「ええ、本当に。戦争も、巫女のことも、どうして今なのかしらね。今までだっていくらでも巫女を見つけることくらいできたでしょうに」
 そう言うとリオーネは、少し冷めてきたお茶を口に含んだ。
 今まで。そう、シェイド神が誕生してから現在までは長の年月と呼ばれ、その間に神の指示する戦は一度も起こっていない。
 百二十年続いている戦争は、シェイド神のどんな心変わりから始まったことなのだろうか。しかも、他国の巫女のことは、まだ歴史とも言えない最近のことだ。
 イージスは特に成婚の儀について、シェイド神が女性をないがしろにしている、としか思えなかった。その詳しい理由などは、マクヴァルが結婚を許されない神官で男だからか、何も伝えようとはしない。それがあれば、混乱も最小限に抑えられたかもしれないのだが。
 イージスは、自分の信仰心が薄いわけではないと思う。だが、レイクスの目は、神の守護者の色なのだ。神と話が出来るのならば、人間に分かるように説明も受けられるのではとの期待もでてくる。そしてその神の言葉が信じられるものかどうかは、レイクスがどんな人間なのか、その信頼度を計らなければならない。
 イージスは手にしたカップの液体を、その義務感だけでノドに流し込んだ。

   ***

 フォースに当てられた部屋、そのテーブルの上には、ライザナルの地図が広げられている。椅子にはフォースが腰掛け、眉を寄せた難しい顔で地図に視線を落としていた。ソーンは二カ所ある窓からかわるがわる顔を出し、崖になっている下方を興味深げにのぞき込んでいる。
「マクラーンまでは結構あるんだな。何日かかるんだ?」
 フォースが向けた疑問に、ドアのあたりを行ったり来たりしていたジェイストークが肩をすくめる。
「レイクス様の体調にもよるのですが」
「それを考えなかったら?」
「考えてくださいね」
 ジェイストークの変わらない笑顔に、フォースはため息をついて視線を地図に戻した。
 今朝発ってきたドナと、今居るラジェスの距離を見て、ラジェスからマクラーンまでの距離が、その何倍くらいあるか目測する。直線でも優に十五倍以上あるその距離に、フォースはもう一度ため息をついた。すぐ後ろからジェイストークが声をかける。
「そんなに早く行きたいですか?」
「ああ。早く行って早く帰りたい」
 地図から目を離さずに答えたフォースの顔を、ジェイストークが疑わしげにのぞき込む。
「しかし、レイクス様が皇帝を継がずに帰ってしまわれますと、リディア様には、クロフォード様自身か、もしくはレクタード様と成婚の儀を」
「駄目だ」
 強い口調でさえぎって、フォースはジェイストークをむように見た。ジェイストークは、困り切った顔でため息をつく。
「駄目、とおっしゃいましても」
「リディアだけは誰にも渡さない。だからライザナルに来たんだ。シェイド神に盾突いてでも戦を止めさせてやる。神の守護者としても用事があるみたいだしな」
「できるの?」
 ソーンが目を輝かせて振り返り、フォースを見る。フォースは静かに、しかししっかりとした口調で、やるしかないんだ、と口にした。
 フォースの真剣な瞳に、ジェイストークは目を細めて笑みを浮かべた。だが、神の守護者としての用事は、フォースが皇帝になることができない要因になっているのだ。ジェイストークは再び眉を寄せ、また歩きながら考えを巡らせている。
「守護者といっても、どちらかと言えばレイクス様がシャイア神に守られているんじゃないですか?」
「そうなんだよな。しっかりやれって言われているみたいで、それも腹が立つんだけど」
 そう言うとフォースは、地図の右方、神が居ると言われる、ディーヴァ山脈に目をやった。
「最初からシャイア神のすることは納得のいかないことばかりだ。リディアに目の前で降臨された時には、人質に取られたような気分だったし。どうしろこうしろと指示は出すが、肝心なことは何も言わない。なのに人のことを戦士だとか、ぬかしやがって」
「目の前で? そんなことあるんですか」
 ジェイストークがさらに眉を寄せて、自分の知識や思考をたどっている。
「そういや、前例にないってしきりに言われたけど。せっかく一緒に暮らす約束を」
 そこまで言ってしまってから慌てて口を閉ざしたフォースに視線を向け、ジェイストークはフフッと笑い声を漏らす。
「そんなの全部うっちゃって、皇帝やればいいじゃないですか」
「リディアごと放り出せるかっ」
 フォースが吐き捨てた言葉に、ジェイストークは苦笑した。
「ホントに状況までしっかり人質ですねぇ。身代金を渡さない限り、解放してはくれないと。……、シャイア神が欲しい身代金って、なんでしょうね?」
「やっぱり、そういうことなんだよな」
 フォースの言葉を理解できず、ジェイストークはフォースを見つめたままでいる。
「いや、だからさ、シャイア神は俺に何かを望んでいるんだろうなって。そしてそれはライザナルにあるんだ。今思えばシャイア神には、ライザナルに来るように仕向けられていた気がして。いや、シェイド神に会うようにかな……」
 そのシェイド神とは、まだ言葉すら交わせないままだ。マクヴァルの、ひたすら巫女を望む態度が、どうしてもフォースの中に敵意を呼ぶ。まずは一言でもシェイド神と言葉を交わすことを画策しなければならないと、フォースは考えていた。
 ジェイストークは、やはり歩き回りながら、うーん、と、うなり声を上げる。
「確かに、それと皇帝との両立は無理なんですよね……」
「当たり前だろ。シャイア神に守られてシェイド神の国を背負うなんて」
 フォースは、気が抜けたように乾いた笑い声をたてた。ジェイストークはフォースに顔を寄せる。
「協力しますよ」
「は?」
「ですから、それが全部終わったら、皇帝になりませんか?」
 すっかり元の笑顔に戻っているジェイストークに、フォースは首を横に振ってみせる。
「まだ、そんなことまで考えられないよ」
「でもそれ、望みは持っていても、いいってことですよね?」
 フォースは側に来たジェイストークを、胡散臭げに見上げた。
「そこまでして、どうして俺なんだ? 父親がどっちだか分からないとか、絶対問題になりそうなのに」
「陛下とおんなじ髪をして、なに言ってるんですか。それに、一度言いだしたら何も聞いてくださらなくなる所なんて、そっくりですよ」
「ば、バカやろ、そんなところ……」
 こともあろうに、そんなところが似ていたら、これから先が大変だと思う。フォースは肩を落とし、身体に残っている息を全てため息にして吐き出した。
「どうしました?」
「考えただけで疲れた」
 力なく苦笑したフォースの耳に、アハハ、とジェイストークの明るい笑い声が響く。
「では、そろそろお休みになりますか?」
「そうするよ」
 フォースの返事に、分かりました、とお辞儀をすると、ジェイストークはソーンに向き直った。
「ソーン、行きましょう」
 はい、と行儀よく返事をして、ソーンはジェイストークに従う。ドアまで行くと、ジェイストークはフォースを振り返った。
「一応用心のために、鍵をかけてくださいね」
 ジェイストークが、鍵が刺さったままのドアを開け、ソーンを先に出す。
「私も早くマクラーンへ行きたいです。レイクス様をお連れするのは、私の夢だったのですから。ゆっくりお休みになってください」
 フォースの苦笑を見て、ジェイストークは部屋のドアを閉めた。
 この状況は、ジェイストークの望んでいた帰還とは間違いなく違う。だからこそ言ってくれたのだろう、協力する、という言葉は、フォースの孤独感を少しずつ解かし始めていた。
 神の守護者といわれる一族。一族とはいえども、フォースは生まれてこのかた、自分の母親しか見たことはない。
 だが、全てを言葉にして吐き出したことで、フォースは自分の血の重みを感じていた。リディアを取り返すということは、つまり、シャイア神の望みを叶えなければならないということなのだ。
 その望みが何なのかすら、まだハッキリとは分からないが、神の望みというだけで、やたら遠い気がする。
 そしてフォースは、今まで教えられてきた宗教とは別に、ひどく生々しく神の存在を感じていた。