レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     4.静かな闘志

「今日の予定は?」
 フォースはシャツに袖を通しながら、ジェイストークの顔をのぞき込んだ。ジェイストークは満面の笑みを見せる。
つ準備をなさってください。食事もきちんと取ってくださいましたし、体調もよろしいようですと報告も受けておりますので」
「よかった。で、今日はどこまで行くんだ? マクラーンには着けるのか?」
 そういいながら、フォースはテーブルの上に広げられた地図に目を落とす。
「なるべく着けるようにと言うことで、先発隊に伝えてあります。この距離です、たぶん大丈夫でしょう」
 あらかた身繕いを終えたフォースは、地図から目を離さずに笑みを浮かべ、了解、と返事をした。
「まだ帯剣はさせて貰えないのか?」
「それはマクラーンに着いて、陛下からお許しが出てからにしてください。それにまだ重たいでしょう?」
 そうかもしれない、とフォースが肩をすくめたのを見て、ジェイストークは笑みを浮かべながら、まいりましょう、と部屋を出た。とたんに、小さな影が部屋に滑り込んでくる。
「ニーニア様っ?!」
 止めようとしたジェイストークの前でドアが閉まり、ニーニアは鍵を回し、鍵を鍵穴から抜き取った。
「ここを開けてください、レイクス様に失礼ですよ」
 聞こえてくる声を無視してドアに背を向け、ニーニアはフォースに向けて丁寧にお辞儀をする。
「ごめんなさい、お父様にお会いする前に、どうしてもお話がしたくて」
「ニーニア様!」
 ドアの向こうからは、ジェイストークの声が聞こえている。何度か食事を共にしているが、こうして話したことはまだ無かった。フォースは、ドアをノックするように叩く。
「いい。そんなに騒ぐな」
 その言葉で、ニーニアはホッとしたように息をついた。すぐ側に立つフォースと目があい、慌てて鍵を持った手を背中にまわすと、二、三歩後ろに下がる。
 八歳だというニーニアの背はまだ小さく、気楽にでるのに丁度いい高さだとフォースは思った。フォースは体勢を低くして、ニーニアと目線をあわせる。
「何か御用ですか?」
 ニーニアは眉を寄せると、フォースの手をつかんで、部屋の奥へと引っ張った。
「ここだと全部筒抜けです。こっちへ来て」
 フォースは引っ張られるまま、部屋の奥へと移動した。ニーニアがくるっと振り返り、フォースの方を向くと、フォースはニーニアの脇に手を差し入れ、人形のように抱き上げる。
「キャア!」
 ニーニアをポフッとベッドの端に座らせると、フォースは椅子をニーニアの側まで運んだ。
「ななななんてことするのっ」
 顔を赤くして、鍵を胸の前でしっかり持ったニーニアの抗議に、フォースは苦笑を向ける。
「この方が、落ち着いてゆっくり話せるだろ?」
 ニーニアが目を丸くして見つめる中、フォースは椅子の背当てをニーニアの方へ向けて置くと、身体の横をニーニアに向けるように座り、背当てに腕を乗せた。立ち上がってすぐに駆け寄るようなことができない方向だ、この方がニーニアも安心だろうと思う。
「こっ、子供扱いしないでっ」
「それは」
 無理だろう、という言葉を飲み込んで、フォースはニーニアにバレないようにため息をついた。ニーニアはまだ八歳なのだ。子供以外の何者でもない。
「ゴメン。ちゃんと話を聞くって意思表示のつもりだったんだ。でも、もうしない」
 フォースの苦笑を見て、ニーニアはホッと息をついている。
「で、話しって?」
「……、好きな人がいるって聞いて」
 うつむいてしまったニーニアを見て、レクタードと自分と、はたしてどちらのことを言っているのだろうかとフォースは悩んだ。もしかしたら、レクタードはスティアの存在を隠しているのかもしれないのだ。まさかハッキリどっちのことかと聞くわけにもいかない。
「それで?」
「どんな人なんだろうと思って」
 ニーニアの返事がこれでは、やはりどっちだか分からない。フォースは椅子の背の陰で、またため息をついた。
「もしかしてメナウルの姫様って、とんでもない人なんですか?」
 フォースがついたため息がバレたのだろう、いつの間にかフォースを見ていたニーニアが、心配げにフォースの表情を探っている。
「い、いや、違う、そんなこと無い」
 慌てて答えながら、スティアのことを言っているのだと分かって、フォースはホッとした。
「レクタードは彼女のことを、おおらかで明るくて、とても強い女性だって言ってただろ」
「ええ、言ってました。では、本当にそういう方なんですね?」
 身を乗り出しているニーニアに、フォースは笑顔でうなずいてみせた。
「一緒にいるところを見たことはないけど、とても合うと思うよ」
「そうですか。よかった……」
 ニーニアは、鍵を胸に抱くようにして、控え目な笑みを浮かべている。
「お兄さん思いなんだ」
 フォースの言葉に、ニーニアは黙ったまま首を横に振り、そのままうつむいた。フォースは、ニーニアの表情が再び硬くなっていることに気付いてのぞき込む。
「どうしたの?」
「レイクス様に、巫女の恋人がいるって本当ですか?」
 ニーニアは、うつむいたままだったが、意を決したように言った。フォースは返事にし、思わず黙ったままニーニアを見つめた。ニーニアは、恐る恐るフォースに視線を向けてくる。その瞳が真剣なだけに、やはり嘘をつくことはできないと思う。
「ああ。いるよ」
 フォースの言葉に、ニーニアは控え目なため息をついた。
「やっぱり、いるんですね。お父様みたいに」
 フォースの脳裏に、一瞬エレンと向き合った時の、寂しげな笑顔が浮かんだ。リディアにそんな思いはさせたくない。
「君とは、結婚しないで済む道を探そうと思っているんだ」
「え? 結婚しないで、子供だけ産めっていうんですか?」
 フォースは、一瞬頭の中が真っ白になってから、ニーニアの言った言葉の意味に思い当たり、思わずため息をついた。
「違うよ。それも必要ない」
 ニーニアは理解できずに首をひねり、不満げに眉を寄せる。
「でも、レイクス様の子供を宿さなければならないのは、私の義務だってお父様が」
「義務か。君は俺より大人かもしれないな」
 ニーニアは、目を丸くして首を横に振った。フォースはそれを見て苦笑する。
「俺はクロフォードとエレンの間に産まれた人間だ。どうしてそれで神の血を持っているなんてことになるのか。人が作ったかもしれない神の子なんて存在に、君が犠牲になる必要はないんだ」
「人が、作った……?」
 ニーニアの不思議そうな顔に、フォースはうなずいた。
「とにかくシェイド神と話しをしなくてはならない。シャイア神と同じに声が聞けるか、要点を付いた話しをしてくれるかも、まだ分からないけど」
 フォースの言葉を、うつむき加減のまま眉を寄せて聞いていたニーニアは、不安そうにそっと顔を上げる。
「私、お父様になんて言えば……」
「俺が拒否したって言えばいい」
「でも、レイクス様が怒られちゃいます」
 心配してくれているのだろうその言葉に、フォースは笑みを浮かべた。
「いいよ。どうせ色々怒られることをしなきゃならないんだ。優しいね、ニーニアは」
 フォースに正面から視線を向けられ、ニーニアは顔を赤らめた。
 不意にバタバタと足音がして、ドアに強いノックの音が響く。
「ここを開けろ! ニーニア様に何をっ?!」
「君まで! 失礼だぞ。勝手に入室したのはニーニア様の方だ」
 ジェイストークがその女性の声をいさめるように言う。ニーニアは苦笑したフォースと目を合わせると、ドアに駆け寄って鍵を外し、急いでドアを開け放した。そこには血相を変えたイージスが立っていた。
「ニーニア様、ご無事で」
「ごめんなさい、イージス。私が無理矢理お邪魔したのです」
 本当ですか? とイージスはまだ疑わしそうな顔をしている。そのイージスに笑みを見せて、ニーニアは口を開いた。
「イージス、私、レイクス様みたいな人、好きよ」
 素知らぬ振りをしていたフォースは、ギョッとした顔でニーニアを振り返る。
「私、レイクス様の妹でも妻でも、どっちでもいいわ」
 その言葉に吹き出しかけて、フォースはニーニアに背を向けた。ニーニアはそれが聞こえたのか聞こえなかったのか、チラッとフォースの後ろ姿だけを見て、イージスに向き直る。
「行きましょう。もうすぐ出発なんでしょう?」
 ニーニアは、サッサと先に立って歩き出す。イージスは背を向けたフォースとジェイストークに敬礼を向けると、申し訳ありませんでした、と一言残し、ニーニアの後を追っていった。
「ニーニア様には、妹も妻もほとんど一緒なんですねぇ」
 ジェイストークはそう言うと、ノドの奥で笑い声をたてる。
「ちょうどいいですよね」
 訳の分からない言葉に、フォースは、なにが、と力ない声で聞いた。ジェイストークは笑みをフォースに向ける。
「あなたは恋愛初心者向けだと、グレイさんが言ってらしたとか」
 その言葉に思わず吹き出すと、フォースは顔の半分を手でって、大きなため息をついた。
「なんでそんなことまで……。それに、妹にモテても嬉しくない」
 ドアに背を向けたまま、フォースがつぶやいた言葉に、ジェイストークは肩をすくめた。
「嫌われるよりはいいですよ」
「そうなのかな」
 確かに、全身全霊で拒否されたりしたら、それも面倒だ。だが、それほどでなければ好かれようが嫌われようが、どっちでも変わらないと思う。
 もしリディアが居なかったとしたら。いや、このままの状態でも、自分が神の子だと認めてしまったら。やはり義務でニーニアと結婚しなくてはならないのかもしれない。恋愛なんてさせてもらえない、結婚も仕事のうちだと言っていたメナウルの皇太子であるサーディを思い出す。最初から皇太子として育っていたら、そうやって感情を抑えてしまうかもしれない。個人の感情まで仕事として納得できてしまうサーディを、フォースは本気で尊敬できると思ったし、また、可哀想だとも思った。

   ***

 マクラーンへと向かう馬車の中で、フォースは進行方向を向いて座り、外をめていた。向かい側にはイージス、左隣にはソーンが居て、やはり二人ともなにも話さずに押し黙っている。ソーンがチラチラと見ているその視線の先、フォースの左向かい側にはアルトスが座っていた。アルトスが首をらせたり、少し視線が動いただけでも、ソーンはまるで怒られでもしたかのように、小さく縮こまっている。
御者台に」
 アルトスは一言だけ発し、フォースがうなずいたのを見ると、馬車が走っていることなどお構いなしにドアを開け、ステップや泥よけの部分を器用に使って御者台へと移っていった。
「でかいくせに、身の軽い奴」
 フォースがボソッとつぶやくと、ソーンは盛大なため息をついた。
「もう、ひとっことも話さないんだから。息が出来無くなっちゃうよ」
「ごめん、つい。護衛なんて、いらないよな」
 苦笑したフォースに、ソーンはムキになったように顔を近づける。
「護衛はいるよ。悪い人が来たらどうするの。レイクス様は剣を持ってないんだから」
「剣は悪い人が持ってるのを借りる」
「そんなの余計危ないじゃんか。いくらレイクス様が剣を使えるからって、」
 そこまで言葉にして、ソーンは笑いをこらえているイージスに気付き、不機嫌な視線をイージスに向けた。
「何が可笑しいんだよ」
「名前は丁寧なのに。きちんと敬語で話さないと」
「あ。そっか」
 困ったようにヘヘッと笑って頭をいたソーンに、イージスが微笑みかける。
「大切な人には一言ずつ丁寧に言葉にする。そう心がければ、おのずと敬語になってくるものです」
「ホントに?」
「だから、普段からきちんとレイクス様とお呼びするのは間違いじゃない。言葉は人の話をしっかり聞いていれば覚えられます」
 イージスの言葉に、へぇ、とニコニコした顔を向けると、ソーンはそのまま黙ってイージスを見つめている。
「どうしました?」
「レイクス様と、お話ししてくれるんだ、ですよね?」
 ソーンの嬉しそうな声に、イージスのハッとしたような視線がフォースに向けられた。出掛けのニーニアとのことが思い出され、フォースは思わずため息をつく。そのため息に、イージスが頭を下げた。
「今朝方は、申し訳ありませんでした」
 フォースは、自分のついたため息が、イージスの今朝の言動を責めてしまったのだろうと気付き、お辞儀を返した。
「ゴメン、別に何とも思っていないんだ」
「そ、そんな」
 礼を受けて慌てたイージスに、フォースは笑みを向ける。
「むしろ、しっかりニーニアのことを思って動いているのが分かって、好印象だったくらいだよ。それよりジェイストークがニーニアに悪態を付いていそうで」
 今日の移動は、ジェイストークとイージスが入れ替わった格好になっている。フォースに攻撃を加えられた時、リオーネの顔色が変わらないか観察したいとの、ジェイストークの提案だった。だが、イージスはもう一度フォースに頭を下げる。
「それもスミマセン。ニーニア様がジェイストークと話しをしたいと申されまして」
「それで入れ替わったのか」
 そうだとしたら、むしろジェイストークの立案がバレなくてラッキーだ。だが。
「何を話しているんだろうな」
 今度はそれが気になって、フォースは苦笑した。
「レイクス様のことを、色々聞きたいのだと思います」
 真面目に返したイージスに、フォースはため息をついた。
「初心者向けか」
「は?」
「そのうち、どうでもよくなる」
 フォースは、しげな顔のイージスから視線を窓の外、上方に向けた。やはりファルが付いてきているようだ。前になり後ろになり、たまに姿を見せている。それだけでフォースの心はいくらかんだ。
 そして、道の両脇には、相変わらず森が続いていた。最初の頃に比べて針葉樹の割合が多くなり、緑が濃くなっている気がする。だいぶマクラーンに近づいているはずだ。
 森を抜けていく道の前方を見ていて、フォースは子供の頃に土手を崩して見た、アリの巣を思い出していた。深い森に挟まれて脇に逸れることのできない道は、アリの巣の通路と一緒だ。一つ一つの町が、広く作った巣穴で。神の見る人間の世界は、あの時のアリの巣と同じに見えていそうだと思う。
 あのアリの中の一匹が、自分の声が聞けたとしても。望んでえられるモノがあるとは思えない。いくら瞳が紺色でも、アリはアリだ、非力なことに変わりはない。そして、どこまで行っても、巣穴の中なのだろう。逃げることはできない。
 思わずため息をついたフォースに、ソーンが心配げな瞳を向けてきて、フォースは黙ったまま笑みを返した。
「よかった。またアレが来たのかと思っちゃった」
 ソーンがアレというのは、誰からか分からない攻撃のことだ。それがあるのはほとんどが移動中のことなので、ソーンはそれを心配したのだろう。ソーンはホッと息をつくと、笑みを浮かべる。
「アレ、とは?」
 イージスがソーンに疑問を向けた。一緒に移動したことがないので、イージスはまだ見たことがないのだ。
 ソーンは、余計なことを言ったと思ったのか、慌てて口を押さえた。フォースはもう一度ソーンに微笑みかける。
「隠さなくていい」
「でも」
「知らなかったら危ないだろ」
 フォースの言葉を聞いて、ソーンは眉を寄せながらもうなずいた。フォースはポンとソーンの肩に手を乗せ、しげなイージスと向き合う。
「神だか人だか分からないが、攻撃を受けているんだ」
「攻撃、と申しますと?」
 イージスは、ますます分からないといった風に、眉を寄せてフォースを真っ直ぐ見つめてくる。
「いくらかはシャイア神が防いでくれているから、ハッキリどんな攻撃かは分からない。でも、シャイア神が俺の中から逃がした力にジェイストークが触れたら、それだけで皮膚がただれだしたんだ」
 フォースは、淡々と事実だけをイージスに伝えた。イージスの瞳がスッと細くなる。
「シャイア神、に……?」
「だかららない方がいいんだって」
「そうですか。わかりました、気をつけましょう」
 ソーンの言葉にうなずきながら、イージスは目を伏せた。
 イージスの考えていそうなことは、フォースには手に取るように分かっていた。信仰どころではなく、シャイア神とがりがあるのだ。皇帝にはなれないと、思ってくれるに違いない。そしてそれは、リオーネやニーニアにも伝わるはずだ。
「リオーネ様やニーニアに教えるのはかまわないけど、それ以上は敵が分かるまで内密にしておいて欲しいんだ。矛先がどこに向くか分からない」
 フォースの言葉に、イージスはかしこまって頭を下げる。
「はい、せの通りに。皇帝にならないとおっしゃっているのは、そのせいだったのですね」
「違うよ。それは、なれない、という方の理由だ」
 ハッキリ言い換えたフォースは、もう一つ理由があることをわせた。イージスはフォースに真っ直ぐ視線を向けてくる。
「メナウルの巫女のことですか」
 イージスの問いに、フォースはしっかりとうなずいた。ソーンはニコニコと笑顔をイージスに向ける。
「キレイで可愛い人なんだって」
 真剣に聞こうとしていたイージスが、ウッと言葉を詰まらせた。フォースは苦笑してソーンと向き合う。
「誰だって好きな人のことは、キレイで可愛く見えるモノだ」
「ホントに? じゃあオレが見たらブス?」
「い、いや、そんなことは」
 ドクンと心臓が音を立てた。フォースは背中を丸め、始まった動悸を抱えるように腕で押さえ込む。
 マクラーンに近づくにつれ、動悸はだんだん大きくなっていた。つられるように呼吸が乱れる。幸か不幸か苦しむ振りは楽になっていた。
「レイクス様?!」
っちゃ駄目だよっ」
 手を伸ばしかけたイージスを、ソーンが止めた。イージスは馬車の窓から大きく身を乗り出し、御者台の方に叫び声を上げる。
「馬車を止めてください」
「そんなことしたら、バレちゃうよ」
 ソーンが手を引っ張ると、イージスは身体を戻した。馬車のスピードがんでくる。
「今日なら大丈夫です。降りて後ろの馬車にいるジェイストークにこのことを伝えてきてください。一緒に乗っているのはリオーネ様とニーニア様ですから、もしも知られてしまっても支障はありません」
「そうか!」
 ソーンの顔が、パッと明るくなる。
「ソーンも、辛い時は揺れない方がいいでしょう?」
「うんっ。ありがとう!」
 ソーンはイージスに笑顔を向けると、馬車が止まるが早いか飛び出していった。
 実際はそんなに苦しんでいないということをソーンは分かっているはずだ。だがソーンはしっかり理解してくれていて、その慌てっぷりなど、申し分ない演技をしてくれている。ソーンに嘘をつかせることに罪悪感を感じながら、フォースは苦しいフリを続けた。
 フォースは荒い息をして、身体を丸めたまま目を閉じ、動悸に気持ちを集中した。もしもこれがシェイド神の力だとしたら、声が聞けるかもしれない。そして、こちらから念を送れば、伝わるかもしれないのだ。今まではすべて空振りだったが、距離は縮まっている。動悸がひどくなってきていることや、シャイア神の時と同じに距離が関係するかもしれないと思うと、追求をやめることはできない。
 身体の中で何が起こっているのか、一つ残らず感じとらなくてはと、フォースは必死だった。何度も繰り返して攻撃を受けて慣れてきたうえに、馬車が動いていない分だけ、集中できている。
 今なら、シャイア神の力に守られていることが、ハッキリ感じられた。そしてその反対側に、暗い闇のような力が存在している。
 その力こそがシェイド神のモノかもしれないと、フォースは思っていた。神の力に対抗できるのは、やはり神の力だけだと思う。これが呪術だとは思えない。
 ――戦士よ――
 突然届いたシャイア神ではないその声に、フォースは息を飲んだ。その声を合図にでもしたかのように、動悸が急激に引いていく。
「レイクス様? いかがなさいました?」
 心配げに、そして訝しそうに、イージスは表情を変えたフォースの顔をのぞき込んだ。
「止んだみたいだ」
 フォースはそう答えながら、敵意のある力の中から聞こえた、協和性さえ感じる声のことを考えていた。やはり、その力も声もシェイド神のモノなのだろう。だが、攻撃的な力と友好的な声の差に、ひどく違和感がある。
 それでも、声が聞けたという事実に、フォースはいくらかホッとした。だが、攻撃をしてくるのもシェイド神なのだ。とにかく、少しでも声を聞き、事実を知る以外は他にない。
 そして、攻撃を仕掛けてくるのがシェイド神だなどと悟られるようなことがあれば、ここはライザナルなのだ、非常に危険だと思う。それが知れ渡る前に、なんとかしなくてはならない。
「馬車を止めてくれてありがとう。おかげで楽だったよ」
 フォースは、荒くなっていた息を少しずつ整えながら、瞳を隠すためにもう一度目を閉じた。
 シェイド神の攻撃がある時は、シャイア神が守ってくれている。だが、その時リディアは一体どうしているだろう。あふれ出すシャイア神の力に、辛い思いをしてはいないだろうか。
 フォースは、リディアの名前を口にしたがる唇を、グッと強く噛みしめた。

   ***

 石の壁で囲まれた空間に、マクヴァルは立っていた。蒼白な顔で笑ったのかんだのか目を細め、右手にげるように持っていた黒いシェイド神の力を握りつぶすように四散させる。
「戦士、だと……?」
 シェイド神の力を使っている時に聞こえたその声に、マクヴァルは衝撃を受けていた。
 シェイド神が戦士としてのレイクスに期待しているとしたら、シェイド神の力のように、自分に都合よく利用することができないかもしれない。
 それと声だ。シェイド神が声を出したと言うことは、やはりレイクスは神との会話ができると考えた方がいい。
 もしもシェイド神が自分の身体の中に閉じこめられているなどと、レイクスに知られては大変なことになる。神の守護者の一員であるエレンがいた時のように、細心の注意を払わねばならない。
 マクヴァルは、赤ん坊を抱いたエレンに、シェイド神の声を引きずり出された時のことを脳裏にらせた。
 いつの間にか薄れた意識の中、シェイド神は何か詩のようなモノを繰り返していた。それが神の守護者の一族に伝わるモノだと分かった時は、ゾッとしたものだ。シェイド神はエレンの赤ん坊に、直接その詩を伝えていたのだから。
 一ヶ月にも満たない赤ん坊だったレイクスが、あの詩を覚えているわけはないと思う。だが、レイクスが五歳になるまでの間に、いくら幼いとはいえ、エレンから種族のことを学ぶ時間はあったはずだ。ギリギリまでレイクスを利用はするが、見切り時を間違えると大変なことになると思う。
 そして神を有したままの、安定した世界を保つためにも、リディアという巫女を一刻も早くこの祭壇に上げて降臨を解き、シアネルのアネシス神と同じように、シャイア神の一部を取り込まなくてはならない。神はシェイド神一人だけでいい。それでも、降臨のない世界などに、未来はないのだ。
 マクヴァルは、そう考えを巡らせながら、シェイド神を閉じこめておくための呪術の呪文を口にしていた。