レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第3章 深底の安息

     1.感受

 側にいるティオに手を振ると、リディアは小さな深呼吸をして顔を上げ、これから上がる祭壇を見据えた。
 一番最初にソリストとして歌った時、やはりこんな風に緊張していた覚えがある。一人で歌うのが、嬉しくて怖くて。その時も歌えたのだから大丈夫だと、リディアは自分に言い聞かせていた。
 の代わりに正式なソリストの衣装を身に着け、その下、左太股横にピッタリとわせるように、フォースの短剣をくくり付けてある。服の上からその存在を確かめるだけで、気持ちは随分と落ち着いた。
 リディアは意を決して足を踏み出し、壇上から降りてくるグレイと笑みを交わしてすれ違った。講堂にいる人たちから、様々な低くした声が耳に届く。
「巫女様だ」
「歌ってくださる」
「騎士はいつもの人じゃないね」
 側にいてくれる騎士がフォースではないのは、とても寂しい。でも今いてくれるのは、フォースの父親であり首位の騎士でもあるルーフィスなのだ、自分には過ぎたことだと思う。

  ディーヴァの山の青き輝きより
  降臨にてこの地に立つ
  その力 尽くることを知らず

 声が出ているのが分かり、きちんと歌えるとホッとしたその時、身体から虹色の光があふれてきた。講堂で起こったざわめきが、感嘆の声や祈りの声に変わっていく。
 シャイア神の力だ。最近はこんな風に、前置きなくあふれ出すことがある。いつもなら何をしていても手を止めるが、歌を途中で止めることだけはしたくない。リディアは途切れることなく声をぎ続けた。

  地の青き恵み
  海の青き潤い
  日の青き鼓動
  月の青き息

 詩の青の部分と相まって、フォースへのいとしい気持ちが心に満ちていく。その想いが虹色の光を伝った。
 ――戦士よ――
 シャイア神の声と共に、その想いの中にフォースが映し出された。ドクンと心臓が痛いほどの音を立てる。胸を押さえて背を丸め、瞳をしっかりと閉じたフォースの姿は、ひどく苦しそうに見えた。だがそのフォースから、シェイド神を必死で探す意志が伝わってくる。

  メナウルの青き想い
  シャイア神が地 包み尊ぶ
  シャイア神が力
  メナウルの地 癒し育む

 不安と動揺を飲み込んで、リディアは振り絞るように歌を続けた。虹色の光が、少しずつ引いていく。
 聖歌が終わり、リディアはいくらか光の残る身体で、ていねいに頭を下げた。祭壇裏へと戻り、そこで待っていたティオと手をつなぐ。すれ違うグレイが心配げな表情で、軽く肩を叩いて通り過ぎた。立ちふさがるように立ったユリアが、大きくため息をつく。
「なに泣いてるの」
 その言葉に、リディアは慌てて頬に手をやった。涙のあとに触れて、濡れた指先に驚く。
「顔色も悪いわよ?」
 その手の上に、ユリアがタオルをのせる。
「ありがとう」
 リディアはユリアになんとか微笑みを返すと、そのタオルに顔を埋めた。フォースへの思いと共に涙があふれ出してくる。泣いていることを隠そうと思っても、肩の震えを止めることすらできない。
 不意に、背中に大きな手が添えられた。ルーフィスだ。
「フォースが……」
 その声も震える。ルーフィスは、リディアの背にある手で、軽くポンと前に押し出すように叩くと、一緒に足を踏み出した。
「戻ってからにしよう」
 そのままその手に導かれるように、普段過ごしている部屋へと向かう。ティオはリディアの感情をのぞき見たのか、寂しそうに二人の後ろを歩いている。
 リディアには、ルーフィスが何も聞かずにいてくれるのが嬉しかった。きっと今聞かれても、何も答えられないだろうと思う。そして歩を進め、いつも過ごしている場所に近づくにつれて、いくらか気持ちが落ち着いてきていた。
 部屋へ入った時には、リディアの身体からも声からも、震えは収まっていた。ティオはソファーにころんと横になり、そこからリディアを見ている。
「すみません。ありがとうございます」
 ルーフィスは、お辞儀をしたリディアに控え目な笑みで答えた。
 その様子を部屋の隅から見ていたスティアが駆け寄ってきた。本を高く積んだ影、いつもグレイがいる席には、真剣な顔で教義の本をのぞき込んでいるサーディがいる。
「リディア、どうしたの? もしかして、上手く歌えなかったとか?」
 心配げなスティアに、リディアは首を横に振って見せた。
「違うの。ちょっと驚いただけ……」
「ちょっとじゃないでしょう? そんな辛そうな顔して。どうしたのよ」
 スティアは、眉を寄せてリディアを見つめる。リディアは視線を落とすと、大きく息をついた。
「またシャイア様が何かなさってたのだけど。今日は、フォースが見えたの」
 フォースの名前を聞き留めて、サーディが顔を上げる。
「え? 見えた?」
「はい。シャイア様がフォースのために力を使ってくださっているのは分かったんですけど」
 その言葉に、サーディとスティアは顔を見合わせた。スティアは気を取り直したようにリディアと向き合う。
「それ、グレイさんには話したの?」
 スティアの問いに、リディアは首を横に振った。
「なんだかフォースがとても苦しげに見えて、怖くて……」
「シャイア様がお力を貸してくださっているのなら、アレは大丈夫だろう」
 ルーフィスは、ゆっくりした口調で言うと、リディアをいつもの席へと促した。リディアはルーフィスに、はい、と小さく答えると、促されるままその席に落ち着く。
 ルーフィスは、いつもと変わらず外に続く扉の前に立った。サーディも、チラチラとリディアに視線を送って気にはしていたが、次第に手元にある教義の本へと引き込まれていく。
 リディアのうつむいた視界の中に、左太股横にある短剣のシルエットが浮かんでいた。リディアは思わずそこに手を乗せた。布越しの感触に、この短剣を拾い上げた時のことが思い出される。
 あの時。この目で最後に見たフォースは、毒に犯されて青白く、しっかりと瞳を閉じて、意識もなかった。
 でも、シャイア神の力の中で見たフォースは、腕の中でぐったりしていたフォースとは違う。どこかに座って背を丸め、胸を押さえてはいたが、あの時とは比べものにはならないほど生きているのだと実感できる。ほとんど回復していると聞いていたから、苦しそうなその姿が怖く感じたのかもしれない。
 苦しんでいるのがフォースなのに、自分が負けるわけにはいかない。もしもシャイア神の力が少しでも手助けになるのならば、何もできないよりも巫女でいられることが、ずっと幸せなのだと思う。
「リディア?」
 心配げに側に立ち、スティアが顔をのぞき込んでくる。リディアは一つだけ息をつくと、顔を上げた。
「ごめんなさい、もう大丈夫」
 わずかだが決意の見えるリディアの表情に、スティアは逆に気が抜けたように肩を落とした。うっすらと涙ぐんだようなその瞳に、リディアは微笑みを向けて、隣の椅子を引く。スティアは一瞬だけ眉を寄せ、口元に無理矢理笑みを引き出してから、その椅子に腰掛けた。
「ごめんね。私が辛い思い、強要しちゃっているのよね」
 スティアが机に向かったまま言った言葉に、リディアは首を横に振った。
「ううん、そんなことない」
 リディアの声が聞こえなかったかのように、スティアは、ただ何もない机の表面をじっと見ている。
 ライザナルへ行ってと口にしたことが、スティアにとって重荷になってしまっているのだ。それはリディアにも理解できた。でも。
「スティアに言われなくても、フォースは行ったと思うの。私にはライザナルを見てくるって言ったわ。それに、フォースがライザナル皇帝の子供に産まれたのは、スティアのせいじゃないでしょう?」
「それは、そうだけど……」
 自分がしっかりしないことで、スティアをも苦しめてしまっている。こんな風に落ち込んでいるところを、人に見せてはいけないのだと思う。
「それと、きっと私のせい。私が降臨を受けてしまったから。フォースが戦に行くことが、我慢できなかったから。泣くことしかできなかったから……」
 全部をフォースに任せて、自分で何もできなかったのが、一番大きな原因なのだろうとリディアは考えていた。自分が少しでも強くあることができたなら、きっとフォースは行かずに済んだ。メナウルにいて、一緒に乗り越える道も選べたかもしれないと思う。
 今はまだ、何かあればすぐに涙になってしまう。でもフォースが迎えに来てくれた時には、少しでも強くなった自分を見てもらいたい。せめてフォースが心配して、自分を振り返らずにすむくらいに。一緒に同じ道に、いられるくらいに。
「リディア……」
 心配げにのぞき込んでいるスティアに気付き、リディアはほんの少し涙の浮かんだ瞳で、微笑みを返した。
「大丈夫よ。私も信じて待たなくちゃね。その間に、やらなきゃならないことも、たくさんあるわ」
 シャイア神がフォースに力を貸してくれているのなら、少なくともその間は細心の注意を払って、この降臨をっていなくてはならない。その力でがっているのなら、フォースが何をしているのか、何を考えているのかをしっかり把握して、直接には何も出来なくても、グレイのように手助けをしたいと思う。
 そしてもしもシャイア神と会話ができるのなら。フォースは紺色の瞳を持つ神の守護者だからこそ会話ができるのだと思っていたが、自分自身も巫女なのだ。声が聞こえるのだから、こちらの意思も伝えられるかもしれない。
 怖がっている暇などない。泣いている時間も。
 顔を上げたリディアの目に、お茶を持って入ってきたユリアが映った。サーディの前にお茶をひとつ置いて側まで来ると、スティアの前にひとつ、そしてリディアの前にもお茶を置く。
「グレイさん、もうすぐ来るわよ」
 ユリアの言葉に、リディアは、はい、とうなずいた。ユリアは微笑みを浮かべ、神殿へ続く廊下へと戻っていく。その後ろ姿を目で追って、スティアがリディアの耳元に口を寄せる。
「あの人、変わった?」
「ううん。元々ああいう人なんだと思う」
 リディアの答えにスティアは目を見開くと、何気なくサーディの方を見た。同じようにユリアを追っていた視線がこちらを向く。スティアは頬をふくらませると、ツンと目をそらしてサーディに背を向けた。
「やだぁ。お兄様って趣味悪い」
「なんの話しだ」
 サーディの訝しげな声が返ってくる。スティアは一度大きくため息をついてから、サーディと向き合った。
「お兄様と結婚する人ってのは、メナウルの王妃様になるのよ?」
「なに当たり前のことを言ってる」
 鼻で笑ったサーディに、スティアは首を横に振って見せる。
「あの人、向いてないから」
「あの人?」
 サーディは、わけが分からないと言った表情でスティアを見つめ、ハッとしたように廊下の方を一瞬見やって指差した。
「んあっ? あの人って、あっ、あの人か?」
「あれ?」
 スティアは、サーディの慌てように意表をつかれたように、引きつった笑みを浮かべる。
「違った?」
「違うも何もっ、そんなこと考えたことも、……」
 サーディは、口をつぐんでもう一度廊下の方を見た。スティアが眉を寄せて、サーディをみつける。
「今考えてるでしょう」
「かっ、考えてないっ」
「嘘つき」
 スティアは、狼狽しているサーディに舌を出して背を向けた。リディアは笑い声を出さないよう、声をノドの奥に押し込む。
「もう、リディアったら。笑い事じゃないのよ? いっそのことリディアが結婚してくれればよかったのに」
 スティアの不機嫌な声に、サーディは朗笑した。
「残念でした。リディアさんには婚姻二十周年式典でこっちから申し出た時に、しっかり断られてるんだ」
「フラれて威張ってるんじゃないわよっ」
 スティアの強い声に、廊下から肩を揺らして笑いながらグレイが入ってきた。よぉ、と手をあげたサーディの方へと歩み寄る。
「あれは断ってもらうためにリディアを選んだんだよ。ねぇ」
 グレイの言葉に、サーディはうなずいた。
「そうそう。フォースの寝顔を身動きひとつせずにジーッと眺めている娘が、俺との縁談を断らないわけがないと思ったからね」
 そう言って苦笑したサーディを見て、スティアはリディアを茶化すように肩をぶつける。
「寝顔ですって?」
「あの時は、生きていてくれたのが嬉しくて……」
 リディアはうつむき加減に微笑んだ。今回もそうだ。生きていてくれたことがとても嬉しかった。だからこそ、苦しむ姿が怖かったのだ。リディアは顔を上げて、グレイに視線を向けた。
「グレイさん、さっき歌っている時に、またシャイア様が力を使われたのだけど」
「ああ、うん、見てたよ。何かあった?」
 グレイは首をかしげるように、リディアの方をのぞき込む。
「シャイア様の力の先にフォースがいたんです。シャイア様、フォースのことを戦士って呼んでました」
「フォースが、いた?」
「戦士……?」
 グレイが聞き返したあと、ルーフィスがつぶやくように言う。リディアは二人を順に見ると、はい、と、しっかりうなずいた。
「シャイア様は、フォースに何か力を与えていらっしゃるようでした。フォースがとても苦しそうに見えて……。あ、でも、フォースも何か探るようにまわりを気にしていたんです」
「シャイア様の力は、フォースのため、だったわけか。その力、どんどん強くなっているみたいだよね。それだけ力が必要になってきているのか、それとも距離が遠くなったからなのか」
 グレイの言葉に、リディアは眉を寄せる。
「こんな風に感じられるって分かったから、今度シャイア様が力を使われたら、できるだけ追いかけてみようと思います。もしかしたら、何か分かるかもしれないから……」
 そう言いながら、本当に自分にそんなことができるのだろうかと、リディアは不安に思った。だが、これまでシャイア神が力を使う時に自分の意識は無かったのが、最近は意識を残してくれている。力を感じるたびに正体を無くしていたティオも、普段と何ら変わらないくらいなのだ。だとしたらその残った分で、きっと自分にも何かできることがあるのだろうと信じたい。
「リディアさんがそういう努力をしてくれるってのは心強いよ」
 サーディの言葉にグレイがうなずく。リディアは精一杯微笑んで見せたが、不安や寂しさまで隠せたとは思えなかった。だが、グレイは柔らかな笑みを返してくる。
「それで少しでも糸口をんでくれたら、書庫にある本を選ぶのにも、幾らかの見当がつきそうだね」
 肩をすくめたグレイに、リディアは頭の下がる思いだった。グレイは書庫の本をすべて読むつもりでいたのだろう。壁が本の背表紙で埋め尽くされているような、あの書庫の本全部をだ。顔色ひとつ変えず、努力していると思えないほど自然にそれだけのことをしてしまえるグレイが尊敬できるし、それがフォースとの友情なのだろうと思うとましかった。
「戦士か。シャイア様はフォースに何かしようとしているのかな。それともフォースを使って何か……」
 ため息をついたグレイの服を、サーディが後ろから引っ張る。
「問題が山積みだな。ひとつ減らしてやるよ」
 サーディの言葉に、グレイが呆気にとられた顔で振り返った。視線が集まる中、サーディはニッコリ微笑むと、詩の書かれた紙をグレイに渡す。グレイはその紙を見ず、サーディを見たまま暗唱を始めた。

  火に地の報謝落つ
  風に地の命届かず
  地の青き剣水に落つ
  水に火の粉飛び
  火に風の影落つ
  風の意志 剣形成し
  青き光放たん
  その意志を以て
  風の影裂かん

「え? って、まさか……」
 グレイは詩の書かれた紙をサーディに向ける。
「そう、その火と地と水」
「ホントか? 教義に火とか水とか出てくる場面って、抜き出したこれだけなんだぞ? まさか抜けてるところが」
 グレイは詩の書かれている古い本に挟めてあった、火や地などの単語がある部分を書き出した紙を取り出す。
「神官のお前が俺に聞くなよ。フォースは完璧に別物でもない気がするって言ってたんだろ?」
「そうだけど。無い」
「気付けば単純なんだ。単に言い方を変えているだけだし。しかも教義開いて数ページ」
 サーディは、真剣な視線を向けているリディアと疑わしそうな顔のスティアも、手招きをして呼び寄せた。グレイの疑わしげな視線の中、サーディが教義の本を開く。
「アルテーリア地方の国名を羅列した部分だよ。いいか? たぶん聞いているだけで分かると思う」
 サーディは教義に目を落とし、朗読をはじめる。

 天近きパドヴァルはヒンメルに、中空照らすライザナルはシェイドに、恵み横たわるシアネルはアネシスに、くまなく流伝すメナウルはシャイアに、命脈の波動発すナディエールはモーリに。

「二節目? あ……」
 ボソッとつぶやいてから教義の本をのぞき込み、その部分に釘付けになったグレイに、サーディが笑いかける。
「俺は今までグレイが気付かなかったって方が不思議だよ。ナディエールはヴェーナ地方だから関係ないとして」
「中空照らすは火で、恵み横たわるが土、くまなく流伝すは水だ。まんまじゃないか」
 グレイは脱力した顔で、頭を抱えた。リディアは両手で口を覆い、スティアがサーディをキョトンとして見つめる。サーディはスティアに苦笑を返した。
「そんなに驚くなよ。みんな難しく考えすぎなんだ」
「そ、そうよね。ホントに難しかったら、お兄様が分かるわけないもの」
「なんだと、コラ」
 ギャグだか本気だか分からない会話に乾いた笑みを浮かべながら、グレイは詩の書かれた紙の火、土、水の隣に、それぞれ国の名前を書き足しながら、ブツブツと読み上げている。
「風ってなんだろう」
 グレイは、読み終えると誰に向けるともなくつぶやいた。その疑問に、スティアが眉を寄せて口を開く。
「パドヴァルの滝の下から天の国トルヴァールに続いているというのが、天近きってことなら、風はパドヴァルではないのよね」
「パドヴァルじゃなければ、あとはディーヴァしか残ってないわ。ここに出てこないけれど」
 リディアの言葉に、詩の紙から視線をらさずにグレイがうなずいた。
「やっぱりそうなんだろうな。ディーヴァってのは、そのまま神を差してそうだから、言い換えた方が分かりやすそうだ。で、こうなる」
 グレイは、今度はハッキリと口にしながら読み上げる。

  ライザナルにシアネルの報謝落つ
  神にシアネルの命届かず
  シアネルの青き剣メナウルに落つ
  メナウルにライザナルの粉飛び

「火の粉は火の粉だろ、ライザナルじゃなくて」
 サーディの言葉に、グレイが苦笑を浮かべる。
「ほんとだ。やりすぎ。戦のことだ。いや、引っかけているということも考えられるな。ライザナルの攻撃って感じの意味か」
 サーディがうなずいたのを見て、グレイは言い換えつつ先を続ける。

  メナウルに火の粉飛び
  ライザナルに神の影落つ
  神の意志 剣形成し
  青き光放たん
  その意志を以て
  神の影裂かん

「確か、エレンさんってシアネルの人だって言ってたよね?」
 読み上げて一息置いたグレイの言葉に、リディアはしっかりとうなずいた。フォースとタスリルの店に行った時に、エレンはシアネルの巫女だったと聞いている。グレイは眉を寄せて首をげた。
「じゃあライザナルに落ちたシアネルの報謝ってのがエレンさんで、メナウルに落ちたシアネルの青き剣が、フォースのことだろうか」
「それっぽいよな。しかも神の意志剣形成し青き光放たん、その意志を持って神の影裂かん、だなんて、完璧フォース宛じゃないか?」
 サーディの言葉に、そうだな、と同調し、グレイは顔をしかめた。
「フォースの、知るかっ、って顔思い出した」
「おいおい……。今度あっちの人間と会う時にでも、フォースに伝えてもらわなきゃな」
 サーディの苦笑に、スティアがうなずく。
「少しでも繋がりを残しておいてよかったわよね。……、でも、だから、行かせてしまうようなこと……」
 顔をしかめてうつむいたスティアの背に、リディアはそっと手を添えた。
 外へと続く扉に、ノックの音が響いた。
「バックスです」
 名乗った声に、側に立っていたルーフィスが扉を開けると、バックスはルーフィスに敬礼を向けてから部屋に入ってきた。サーディが立ち上がる。
「もしかして、何か連絡が入ったのか? いいタイミングだ」
 サーディは、同じく敬礼を向けてくるバックスに笑みを見せた。だが、バックスは浮かない表情を向け、眉を寄せたまま頭をく。
「どうした?」
 しげなサーディに、バックスは一つ息をついてから口を開いた。
「色々話しはしたのですが。その中に、レイクス様のご希望でリディア様にライザナルへ来ていただきたいので使いを寄こす、マクラーンで待っていると伝えて欲しいとあったものですから」
 遠慮がちに言ったバックスの言葉に、スティアは心配げにリディアの表情をうかがった。リディアは驚いて丸くしていた目を伏せ、ため息をつく。グレイとサーディは顔を見合わせ、冷笑し合った。
「どう思う?」
 グレイの質問に、サーディはフンと鼻で笑う。
「本人だったら面白いんだけどな。いくらなんでも辛抱足りなさすぎ」
「同感。本人とは無関係だな」
 そう言うと、グレイはリディアに視線を向けた。リディアはうつむいていた瞳を上げると、グレイにしっかりとした視線を返す。
「私、約束通りフォース自身が迎えにきてくれるまで、どこにも行きません」
 言い切ったリディアにうなずいて見せると、グレイは頬を緩めた。
「それがいい。フォースが約束を破ったことはなかったからね」
 グレイに同調するように、サーディもうなずく。リディアには、二人がフォースを少しも疑わずにいてくれるのが嬉しかった。
 サーディが肩をすくめてグレイを見やる。
「それにしても、一つ信用できないことがあると、すべてが疑わしく思えてしまうな。この詩のことも話しに出さない方がいいだろうし。でもこの繋がりを切るわけにもいかない、ってとこか」
 その言葉に、誰ともなく視線を合わせてうなずきあう。
「詩のことを知らせるのは、ファルが戻ったら、だな」
 グレイは詩の書かれた紙をペラペラと振って見せた。サーディは眉を寄せる。
「でも、いつになるか分からないよ? それにファルだって、人を介さないとは言い切れない」
「それはティオに通訳を頼めばいいんだ。必ず本人に直に渡せって」
 グレイの言葉にサーディは目を見開き、そうか、とで手のひらをポンと叩く。
「でも、帰ってこないことにはね」
 にやついた顔でグレイが付け足すと、サーディは胡散臭げな顔で、大きくため息をついた。
「帰ってくるよ」
 廊下から聞こえてきたその声に、視線が集まる。その廊下からタスリルが入ってきた。
「孫のソーンがレイクスと一緒に行動してる。ソーンなら気付くさね」
「ソーン君、ですか? あ、もしかしてフォースがライザナルに送っていった……」
 リディアの言葉にタスリルは、そうだよ、と言って笑みを浮かべた。前に知り合いだったその子が、フォースのことを思って側にいてくれるのなら、寂しさだけでも少しは紛らわせているだろうと少し安心する。
「ソーカルも、あ、うちの鳥なんだけどね、ルジェナの家と店の間の往き来だけだから、ファルをこっちに帰してくれと伝えられないのは残念なんだけど。きっと向こうで落ち着いたら、帰すことを考えると思うよ」
 落ち着いたら。そう聞いてリディアは、フォースが少しでもそう思えるくらい、ゆっくりと過ごせていたらいいと思う。そして、そう思うとなおさら、フォースが胸を押さえて苦しそうにしている場景が重たくってきた。
 シャイア神が力を貸さなくてはならないほどの大きなことが、フォースの身に起こっているのは確かなのだ。少しでも早く、少しでもなにか役に立ちたいと、気持ちがいている。
「あの薬、やっぱりあった方がよかったかい?」
 その言葉でリディアは、フォースと行ったタスリルの店で勧められた、ハエでできているという散薬を思い出した。それを聞いたとたんに吹き出して口をふさいだフォースが脳裏に浮かび、笑みをこぼす。
「いいえ。平気です」
 シャイア神の力によって、フォースを手の届く場所に感じられたことが、今のリディアにとっての活力になっている。そして、少しでもフォースの役に立てそうだと思えることが、なによりも嬉しかった。
 タスリルの深いシワが、優しく歪んだ。