レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     3.個々の事情

「タウディと申しまして、リオーネの兄でございます。メナウルと隣接するルジェナとラジェスをめております。どうぞお見知りおきを」
 フォースは、深々と下げられた薄茶色の髪を見て、レクタードの家族は伯父まで金髪なわけではないんだなどと思いつつ、丁寧なお辞儀を返した。笑顔ではあるが、フォースの表情は硬い。頭を上げたタウディも、いかにも気のいい紳士に見えるような形ばかりの笑顔を浮かべ、その場から下がった。
 披露目が開かれているこの部屋は、謁見の間とくらべるといくらか小さい。だが、それ以上に参加人数も前日よりはずっと少なくて五十名程だ。比べると十人に一人くらいだろうか。晩餐の用意もなされているのだが、それでも部屋の隅にいれば充分に内密な話もできそうなほど、ゆったりしている。
 来賓厳重な基準によって選ばれているのだろう、誰もがこれでもかというくらい上等な服を身に着け、高雅な雰囲気があった。
 その中に各領地で領主と呼ばれる人間が混ざっていたことを、フォースは紹介されて初めて知った。
 メナウルでは各領地の代表者を領地の住民達が選び、その代表者に委任する形の行政なので、皇族と領主、つまり代表者には明らかな違いがある。しかし、ここライザナルでは会場を見回しても、誰が皇族の血縁者で誰が領主なのか、ほとんど見分けがつかない。
 タウディのように、皇族の血縁者が領主をしているところが多いせいなのだろうとは思う。だが、普段からそれだけの暮らしをしているのか、それとも上等な衣服を一着は持っているモノなのかまでは、フォースには分からなかった。
 飽きるほど挨拶を交わしたあと、クロフォードが手をいて立ち上がった。思い思いの場所にいた来賓達が、それぞれテーブルの前に落ち着く。
 まわりが静まったところで、クロフォードは、用意してあった一番小さなグラスを手にとって眼前に掲げた。中に入っている不透明な赤い液体を、糸を引くように細く床に垂らし、空になったグラスをテーブルの隅に伏せて置く。それを合図にしたように、それぞれが席につき会食が始まった。
 その一連の行動にどういう意味があるのか、フォースには理解できなかったが、とりあえずこういうモノなのだと思わざるをえなかった。後ろにいたジェイストークに促され、フォースも席につくためにジェイストークの後に続く。
「覚えてくださいましたか?」
 この部屋にいる人々の名前と顔のことだろう、ジェイストークがねてくる。たぶんだいたいは覚えただろうと思いつつ、フォースは首を横に振った。
「まぁ、この人数ですからね。追々覚えていただければ」
 今まで一度に多くの人間と挨拶を交わしたのは、騎士になって兵士と初めて顔を合わせた時くらいだ。その時も、十四歳の新人騎士だったために実力を疑われたのだろう、疑心軽侮に満ちた挨拶だった。そして今回のも初めて知り合った同士の挨拶とは違って、どんな人間かを見極めようと探られている感が強い。
 単純に何を考えているのか理解できる兵士との挨拶の方が、何倍も楽だった。この部屋にいる来賓達は、どうにかしてフォースの歓心を買おうと調子を合わせ、おべっかを使い、見え透いた世辞を言う。思わず本心はどこにあるのかと、こちらからも探りながら対応してしまい、疲れてしまうのだ。
 その挨拶からやっと解放されたと思ったフォースがジェイストークに促された席は、クロフォードの隣だった。ため息をつくわけにもいかず、一段高くなった席に素直に腰掛けたが、それだけでまた視線が集まってくる。隣からクロフォードの視線も感じたが、フォースは部屋の中をゆっくり見渡し、だいたいの視線がれてからクロフォードに目をやった。フォースを見つめていたクロフォードの視線が緩む。
「物怖じしない毅然とした態度は立派なものだな」
「機嫌が悪いだけです。閉じこめておいて、こんなところには出ろなどと」
 抑揚のないフォースの言葉に、クロフォードは控え目だが声を立てて笑った。そのままの笑顔でフォースの耳元に口を寄せる。
「まさか彼らに幽閉しているとは言えんだろう」
「かまいませんが」
 フォースが言い捨てた言葉にも笑みを向けてから、クロフォードは次第に難しい顔つきになってくる。
「なんにしろ、いつまでもこのままでいるわけにはいかん。ジェイストークにも話を聞いたが。シェイド神が攻撃などしてくるのは、お前がシャイア神を守っているからではないのか? できれば一年を待たずに巫女を」
「約束してくださったはずです」
 これだけはどうしても譲れない。フォースは前に視線を据えたまま言い切った。クロフォードのささやきが続く。
「お前もその娘が欲しいのだろう? 一年経てば同じ結果になるだけだ。ならば」
「約束してくださったはずです」
 荒げたくなる声を必死で押さえ、フォースはできる限り静かに繰り返した。短く息を吐くと共に、クロフォードに幾分笑みが戻る。
「まぁよい。こんなところで争っても仕方がない。だがな、そのせいでシェイド神はお前と会わないと言っているそうだ」
 その言葉に眉を寄せ、フォースはクロフォードを振り返った。
「言っている?」
「そうだ。どうした?」
 クロフォードはしげにフォースをのぞき込んだ。フォースは身体ごとクロフォードに向き直る。
「シェイド神の声を聞いたのは、俺に向かって、戦士よ、と言った一度だけです。他にシェイド神は一切声を発してはいません」
「マクヴァルはシェイド神と話しをしていない、と申すか?」
 クロフォードの問いに、はい、とフォースはうなずいた。クロフォードは口をつぐむと、何か考え込むように眉を寄せる。
「エレンも、そう言っていたことがあるのだよ」
 そこで言葉を切ったクロフォードに、内心でいつの話しだと突っ込みながら、フォースは黙ってクロフォードの様子を見ていた。
 確かに神の世界など、人間からすれば想像もつかない。神の守護者と呼ばれる自分ですら、普通の人より理解していると思えるほど神に近づいてはいないのだ。ましてや人間同士でさえ、直接言葉で聞かないと、いや、聞いてなお理解できないことすらあるというのに。
「何が起こっているのか聞きたいんです。直接シェイド神と話しをさせてください」
 フォースは、考え込んでしまったクロフォードに向かって口を開いた。クロフォードはますます難しい顔つきになる。
「ジェイストークから状況を聞いたと言っただろう。直接会うのは危険すぎる。巫女を差しだしてからだ」
 あくまでも変わらないクロフォードの物言いに、フォースは顔をめた。
「では、今の状況は危険じゃないと?」
「会うよりはまだマシだと言っておるのだ」
「巫女を差しだしてシャイア神の力が無くなることを、危険だと思ってはいただけないのですか?」
 フォースの言葉に、クロフォードは気持ちを落ち着けるかのように、ゆっくりと息を吐いた。
「レイクス、ここはライザナルなのだよ。私も他の人間も、みなシェイド神を信仰してきたのだ。いきなり考えを変えろと言われても」
「しかし、マクヴァル殿はシェイド神ではありません」
 クロフォードは虚をつかれたようにフォースに目をやった。その瞳を見つめ、悲痛な顔つきになる。
「私はただ、お前までをも失いたくないのだよ」
 この言葉を聞くたび、フォースはクロフォードに盾突きたくなってしかたがなくなる。これ以上の言い争いを避けようと、フォースは続けたい言葉を飲み込んだ。
 クロフォードが自分を離さないと思っているうちは、間違いなくメナウルには帰れないのだ。クロフォードの望みと、自分の望みが対極の位置にあることを、嫌でも思い知らされる。
 フォースは、クロフォードの反対側にいるレクタードが、チラチラとこちらを気にしていることに気付いた。クロフォード越しに苦笑を向けると、レクタードは軽く肩をすくめる。
「なんだ? どうした?」
 クロフォードの関心がレクタードに移る。来賓の中でやり合うわけにはいかないのだ、話しが途切れたことに、フォースは心底ホッとした。
 レクタードは気を落ち着けるためか、小さく息を吐いてから口を開く。
「結婚をお許しいただきたい女性がいるのですが」
「結婚? ほう、どんな女性だ?」
 クロフォードの表情が明るくなった。レクタードは普段と変わらない調子で、淡々と話しを続ける。
「スティアといいます。おおらかで明るくて、とても強い女性です」
 うむ、とクロフォードは大きくうなずいた。レクタードは、一息置いてから口を開く。
「スティアはメナウルの皇女なのです。できることなら戦を止めていただくわけにはいかないでしょうか」
 フォースが思わず顔をけたその後ろに、クロフォードのため息を感じた。
「またメナウルか」
 それとこれとは話が別だ。何も関連づけなくてもとフォースは思う。クロフォードの視線がレクタードの方へ戻っていく。
「戦は止めん。それでもそのスティアとやらがライザナルへ来るというならそれも止めはせんが。正妃とするかは考えさせてもらう」
 クロフォードの言葉に、レクタードはしっかりと頭を下げた。もう少し盾突いて欲しいと思ったが、今のレクタードは伝えるだけで充分だと考えていたのだろう、それ以上何も言わなかった。
 メナウルから遠く離れてしまうと、出てくる食事の中に、フォースにとって見慣れない食材が多くなった。手を止めるたび、後ろに控えているジェイストークが、その名前をささやいて教えてくれる。
 ジェイストークの優しさに慣れてはいけないと思いつつ、もうに身体の芯まで染み込んでしまっているようだった。だが、どうしても気に掛かることが、フォースの中に一つだけ残っている。
 アリシアのことだ。あのアリシアが懺悔してしまうほどに後悔しているのは、何か普通じゃない出来事があったからではないかと思ってしまう。
「それは……、メナウルにもあるじゃないですか」
 ジェイストークは、考え事をして手が止まっただけのフォースに声をかけてきた。いい機会だから聞いてしまおうと、フォースはジェイストークに目を向ける。
「一度聞いてみようと思っていたんだけど」
「なんです?」
「アリシアと何かあったのか?」
「いえ? ほとんど何も」
 悩みもせずサクッと返事が返ってきたが、純然たる何もないではなく、ほとんどだ。フォースは疑わしげな視線をジェイストークに向けた。
「気になるんですか?」
「なるよ。俺のことを話してしまったって真顔で謝られてみろ」
「は? 彼女、レイクス様に謝ったんですか?」
 ジェイストークは、驚いたようにフォースの顔を見つめた。フォースはうなずいて見せる。
「それって、少なくともアリシアは、ジェイにされたと思っているってことだろ? 気にならないわけがないだろうが」
「それは……」
 ジェイストークは、少し言いんでから口を開いた。
「たぶん別れ際に、私はライザナルの人間だと言ってしまったからだと思います。雑談の中で聞いただけですし。レイクス様が考えられているようなことはありませんでしたよ」
「俺が何を考えてるってんだ?」
 フォースが顔をしかめたのを見て、ジェイストークは微笑んで、しっかりとお辞儀をした。それ以上話すつもりはないらしい。だが、フォースはそれで納得してもいいような気がした。
 小さくため息をついてフォースが前に向き直ると、前方にいた男と目があった。その男はキョロキョロと視線を泳がせてうつむき、身体を小さくしてかしこまる。いつの間にかフォースに集まっていた視線も、サッと四方に逸れていく。
 ふと気付くと、レクタードがフォースを見て苦笑していた。フォースが顔をしかめたのを見ると、クロフォードの背中越しに身体を寄せてくる。
「それじゃあ怖いよ」

   ***

「難しい若者だが相手をしないわけにはいかないし厄介だ。ってね」
 晩餐が終わり、会場ではあちこちに人が集まり会話にじている。その隅で、フォースはレクタードと顔を寄せて話しをしていた。レクタードの左側には、ニーニアが張り付いている。
「話しかけられないのも楽といえば楽だろうけど、あからさまに機嫌をうかがわれるのも疲れるだろう?」
 レクタードの言葉を確かにそうだと思い、フォースは苦笑した。
「そうだな。だけど俺の猜疑心がでかすぎるんだ。その上、皇帝を継ぐ知識がないから自信もない。身体が勝手に構える」
「でも、お父様のウケはいいみたいよね」
 それまで黙って聞いていたニーニアが口をむ。レクタードは可笑しそうにノドの奥で笑い声をたて、そうだね、と返した。フォースが眉を寄せて振り返ると、後ろにいるジェイストークと、さらに後ろに控えているイージスまでもが笑みを浮かべている。
「ウケがいいのは、父上にだけじゃないみたいだけどね」
 レクタードの声に何のことかと視線を戻すと、若い女性がフォースの前、少し離れた場所に立ち、にこやかに会釈した。その顔には見覚えがあるが、フォースが名前を覚えているのは、隣にいた父親の方だけだ。
「ええと、デリック殿の……」
「お父様の名前を、もう覚えてくださったんですね!」
 その女性は、フォースの困惑など関係なしに、きらびやかに笑って見せる。
「サフラと申します。私もお見知りおきくださいませね」
 フォースは生ぬるい愛想笑いを返しながら、覚えても何の意味もないだろうと思った。サフラはまるで前からの知り合いのように、フォースとの距離を縮める。
「レイクス様、私とお付き合い願えませんか?」
 サフラの言葉に呆気にとられ、フォースは眉を寄せた。ニーニアが頬をらませる。
「どういうつもり? 失礼な方ね」
 文句を言ったニーニアにチラッと目をやり、サフラはフォースに向き直った。サフラは上目遣いにフォースを見上げ、挑発するように左胸の膨らみを指さして見せる。
「私、ここにホクロがあるんです。胸の空いたドレスを着ると、みなさん色っぽいって言ってくださるの」
「俺はホクロがない方が好きだけど」
 フォースは思わずリディアの白い肌を思い出し、眉を寄せたままボソッと言葉にした。それを聞き止めたサフラは、一瞬目を丸くしてから顔をしかめると、ツンとそっぽを向いて去っていった。
「は。しまった。素で返しちまった」
 サフラの遠ざかる後ろ姿に、フォースがつぶやいた言葉を聞いて、レクタードは笑い出しそうなのを必死でこらえている。
「なんてフリ方するんだよ」
「あんな失礼な人、いいのよあれで」
 その隣でニーニアがレクタードの腕を取り、去っていくサフラの後ろ姿に舌を出した。フォースは苦笑して肩をすくめる。
「どうせ俺だからじゃなくて皇太子だからだろ。親に言われたのかもしれないし、あきれてもらった方が後々面倒がなくていい」
「そうかもしれないけど。絶対何人か聞いてるぞ。リディアさんの胸にホクロがあったらどうするんだよ」
 レクタードは声を殺して笑いながら、フォースを冷やかすように言う。フォースはフッと息で笑った。
「リディアの胸にホクロはないよ。それに一体誰に見せるってんだ」
「どうしてそんなこと知ってるのよっ」
 ニーニアは目を丸くして、フォースの言葉に思い切り眉を寄せた。フォースは言葉に詰まってから、ニーニアの不機嫌さにしどろもどろになる。
「あ、いや、どうしてって……」
「不潔だわっ。知らないっ」
 ニーニアはそう言い捨てると、廊下に駆け出していく。その後をイージスが追った。二人が部屋を出て行くのを茫然と見送って、レクタードはフォースと肩を並べる。
「なんか凄い勘違いされてないか? 巫女相手じゃ、なんにもできないだろ」
「ああ、一応そういうことになっ」
 そこまで言ってしまってからハッとして、フォースは口を押さえた。レクタードは忍び笑いを漏らし、フォースの耳元に口を寄せる。
「不潔?」
「いや、そこまでは」
 二人は視線を合わせ、お互いに冷笑を向ける。
「まぁでも、なんだかラッキーな方向だし、しばらくはこのままでいいよ」
 そう言うと、フォースはため息をついた。レクタードがフォースの顔をのぞき込む。
「そのわりに浮かない顔だな」
「とんでもないモノ思い出した」
「とんでもないモノ? ああ、ホクロのない」
 そこまで口にして、レクタードは笑い出した。レクタードの笑い様が気になってまわりを見回し、フォースは、また視線が自分たちに集まっていることに気付いた。皇太子二人がゴソゴソ話しをしながら変な笑いを浮かべているのだから、当然といえば当然かとフォースは思う。
「一度、席を外せないかな」
「少しくらいなら、いいんじゃないか?」
 レクタードはそう言うと、ジェイストークを振り返った。ジェイストークは、はい、と頭を下げ、先に立って歩き出す。
 ニーニアの通ったドアから部屋を出た。ジェイストークは、ドアの側に立っていたアルトスに何か耳打ちしてから、部屋の中に姿を消す。
 フォースとレクタードは、部屋の向かい側、廊下の反対側に進んだ。そこは柱が等間隔に立っていて、柱と柱の間は欄干でふさがれている。その向こうには、マクラーンの街が広がっていた。
 フォースは大きく深呼吸をした。少し緊張は解けた気がしたが、また戻らねばならない。完璧に気を抜いてしまうわけにはいかなかった。こんな状況が続くと思うだけで、気が滅入ってくる。
 レクタードは、どこにいても自然に見える。慣れというよりも、これが育ちというモノなのだろう。今さらどうしようもないとフォースは思った。
「父にスティアのことを伝えたら、スッキリしたよ。思ったよりは好感触だったし」
 レクタードは欄干に手を置き、街に目をやったまま話しを切り出した。どんな返事が返ってくると考えていたのだろうと思い、フォースは苦笑をらす。
「無理矢理さらってくるようなことは」
「しないよ。正妃のことも、他に結婚しなければ問題ないよね」
 屈託のない笑顔を見せるレクタードに、フォースはノドの奥で笑う。
「ずいぶん気楽だな」
「フォースがいるからね」
 レクタードの言葉で、フォースの笑みが苦笑に変わった。
「俺はいない方がいい。戦をやめて、レクタードには皇帝になる者としてスティアと婚姻関係を結んで欲しいんだ。国の友好関係のためにも、レクタードとスティアの幸せのためにも、これ以上のがりはないんだから」
 フォースの言葉に、レクタードはうなずいた。両国を結ぶための政略結婚なのだが、お互いが愛情を持っている。これはフォースにとっても願ってもないことなのだ。レクタードも気付いていないはずはなかった。
「戦があるままだと、スティアには国も両親も友人も、全部捨ててもらわなければならないんだよな。それではやっぱり可哀想だと、あ……」
 レクタードが言葉を切って、至極真面目な顔でフォースの方を向いた。
「フォースも状況は一緒か。ここに来るのに全部捨てて」
「捨ててない」
 フォースはレクタードが話し終わる前に、キッパリと言い切った。視線を逸らさずに見つめてくるレクタードに、フォースは笑みを作ってみせる。
「スティアはレクタードに存在価値を認められているから、それでもいいんだろうけど。俺は違う。捨ててしまったら何も残らないんだ。捨てるわけにはいかない」
 そこまで言うと、フォースの笑みは完全に消えていた。レクタードは気を落ち着けるためか、ゆっくりと息を吐き出す。
「だけど父上はフォースにそれを望んでいるよ。メナウルを敵視するのは、そのせいもある」
「分かってる。でも今さら一歳の赤ん坊には戻れない」
「だよな……」
 レクタードはフォースにうなずいてみせる。フォースは会場に戻るために気合いを入れようと、思い切り深呼吸をした。
「うだうだ言っていてもしかたがない。どうにかして打開策を見つけなければな。いつまでもこのままはゴメンだ」
 フォースが戻ろうと指差したドアから、タウディが姿を現した。レクタードがタウディの方へ向き直る。
「伯父上」
 リオーネの兄と名乗ったタウディは、当然レクタードには伯父である。だが、メナウルと隣接するルジェナとラジェスを治めているとの挨拶の方が、フォースにとって強い印象が残っていた。タウディは、笑みをたたえて二人の方へ歩み寄ってくる。
「レクタード様、お久しぶりでございます。メナウルからお戻りの際には、ルジェナ城にもお越しいただけるかと」
 タウディは二人のすぐ前まで来ると立ち止まり、かしこまった。レクタードは軽く頭を下げる。
「申し訳ありません。色々忙しかったので」
「いえいえ。私も、まさかご一緒にレイクス様がおられるとは、思ってもみなかったモノですから」
 タウディの笑みがフォースに向いた。
「こうしてお二人でおられると、まるで昔からのご友人のようですね」
 兄弟なのだから、友人に例えるのもおかしな話しだ。嫌味なのだろうと思いつつ、フォースはなんと返事をしていいか分からず、素知らぬ振りで笑みを返した。レクタードは一瞬顔をしかめたが、フォースとの間に立つようにタウディと向き合う。
「伯父上も息抜きですか?」
「母君と話そうと思っていたのですが。ああ、どうぞお気になさらず。それよりそろそろ戻られた方がよろしいのでは?」
「ええ。戻ろうと話していたところです。戻りましたら母に伝えておきますよ。では」
 レクタードはタウディに会釈してドアまで行き、そこに立っていたアルトスに何か耳打ちすると二人で部屋の中をき込んだ。
 フォースは頭を下げているタウディを横目で見ながら通り過ぎる。完全に背を向けた瞬間、かな金属音が耳に届き、フォースは振り返った。
 最初に目に入ったのは、突き出されてくる短剣だった。フォースは身体を引いて避け、短剣の握られた手をつかんで引くと共に足をかける。タウディは盛大な音を立ててひっくり返った。その手からこぼれ落ちた短剣を、フォースは壁際に蹴り飛ばす。ちょうどこちらを向いたアルトスと目があったが、フォースは目をそらしてかがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」
 そう言って起こしにかかったフォースを、タウディは目を丸くして見上げた。音に驚いたレクタードも駆け戻ってくる。
「どうしたんです?」
「い、いや、私は」
 タウディはレクタードに支えられて立ち上がると、狼狽えた視線をフォースに向けた。その後ろでアルトスが、壁際にある短剣に目をやっている。フォースはタウディののあたりをのぞき込み、服に付いたを払う。
「あまりこういうことがあると、痛いじゃ済まなくなりますよ。気をつけないと」
 そう言って身体を起こすと、フォースはタウディと視線を合わせた。タウディはギクシャクと視線を逸らす。
「わ、私は……」
「中に入って座って休まれてはどうです? 行きましょう」
 フォースはレクタードに、部屋へ入るようにした。二人のあとから入室しようとしたフォースの腕をアルトスがみ、足を止めたフォースを、レクタードが振り返る。フォースは苦笑すると、先に行ってて、とレクタードを部屋の方へと押しやってから、アルトスと向き合った。
「何だよ」
「どういうつもりだ?」
「何が」
「見ていないとでも思ったか」
 壁際の短剣を指し示して言うアルトスに、フォースはチッと舌打ちする。
「護衛してくれるんじゃなかったのか?」
「どの程度まで放っておいていいかくらいは分かっている」
 アルトスの答えに、フォースは乾いた笑い声を立てた。
「護衛の立場で今まで黙っていたんだ、最後まで見逃してくれてもいいだろうに」
「見逃すだ? お前は命を狙われたんだぞ」
 声をめてはいるが、アルトスの怒りがフォースに伝わってくる。フォースは鼻で笑って肩をすくめた。
「あれじゃあいくら狙われたって、五十回に一回怪我するかもしれないって程度だぞ」
「そんなことは関係ない」
 眉をひそめたアルトスに、フォースは冷笑を向ける。
「あの地位にいて人をわなかったんだ、ちょっとは敬意を表していいんじゃないかと思って。いや、彼が頼まれた方かもしれないんだけど」
「あれが敬意を表せるようなことかっ」
 みつけてくるアルトスのを引っぱり、フォースはアルトスの耳元に口を寄せる。
「都合が悪いんだ。継ぐ者の親族にあんなのがいると」
「そんな理由で、」
「もう一つ。俺がライザナルに邪魔だというなら、結局は俺の味方だからね」
 その言葉にアルトスは声を失い、呆然としてフォースの顔をめてくる。フォースはこらえられずに、ノドの奥で笑い声をたてた。
「その辺をふまえて護衛よろしく。じゃあ、そういうことで」
 フォースがアルトスに背を向けると、アルトスは慌てたようにもう一度フォースの腕を掴んで引く。
「馬鹿か、お前は! 自分がなにを言っているか分かっているのか?」
 アルトスが荒げた声に、まわりの視線が集まった。馬鹿と言われてどうするのかと興味津々な視線が可笑しくて、フォースはアルトスにそのままの笑顔を向ける。
「分かってるさ。信頼してるよ」
 フォースはそう言うと、大きなため息と共に頭を抱えたアルトスに背を向け、会場の中央へと戻っていった。